第5話

 沢山の段ボールの山を前にして、俺と橘さんは向かい合っていた。


「さて……どこから手をつけます?」


 楓さんが腕を組みながら周囲を見渡す。俺も同じように視線を巡らせたが、正直、どこから手をつけるべきかすら分からない。なんせ昨日何も進まなかったのである。


「……とりあえず、目の前の箱から開けてみますか」


「ですね。じゃあ、開けちゃいますよ」


 楓さんが段ボールのガムテープを剥がすと、ふわっと懐かしい紙の匂いが広がった。中には、祖母の古い手紙やノートがぎっしり詰まっている。そう言えば祖母はかなり


「……これ、全部ばあちゃんのものか?」


「みたいですね」


 1枚取り出してみると、達筆な字で何かが書かれていた。手紙の宛名には、俺の両親の名前が並んでいる。


「……家族宛の手紙か。こんなにたくさん書いてたのか」


「手紙って、最近あまり書かないですよね。私はお店の常連さんと手紙のやりとりをすることはありますけど、それぐらいですかね」


「へえ……そんなことしてるんですね」


 メールや電話が発達しているこのご時世にわざわざ手紙を書くなんて思っていると橘さんは続ける。


「うちのカフェ、年配の方が多いので。お手紙って、心がこもってる感じがして好きなんです」


 そう言って、楓さんは手紙の束をそっと撫でるように触れた。俺はもう一枚、封筒を手に取る。


「……橘さんは、手紙をもらうのって嬉しいですか?」


「もちろんですよ。湊さんは?」


「うーん……そうですね。しばらく、そういうのもらった記憶がないからな」


 そう言うが手紙をもらったのは年賀状ぐらいだろう。しかもここ数年で年賀状仕舞いなども流行り、手紙をもらう機会は専ら減った。


「じゃあ、久しぶりに読んでみたらどうですか? おばあちゃんの手紙。」


「……そうですね。どんなこと書いてるんだろう。」


 封を開け、中の便箋を取り出す。祖母の字は、ゆるやかで温かみがあった。


 ”湊へ。

 元気にしていますか?

 仕事ばかりで無理をしていないか心配です。

 たまには息抜きをするのよ。”


 ふっと、胸の奥がくすぐられるような気がした。


「……心配されてますね。」


 封を開け、中の便箋を取り出す。祖母の字は、ゆるやかで温かみがあった。文字は人柄を示すとどこかで聞いたことがあるがその温かみがある文字は祖母の人柄を表している。


「ですね。まあ、心配されるような生活してましたから」


「今も?」


 橘さんの言葉に、一瞬詰まる。


 "今も"か……。


 確かに、都会にいた頃の俺は仕事ばかりで、まともに休むこともなかった。それこそ、朝から晩まで働き詰めで、休日ですら案件のことを考えていた。頑張れば報われると信じていたし、努力さえすれば誰もが認めてくれると思っていた。


 だけど――違った。


 ”君のアイデアは悪くない。でも、この失敗は君の責任だ”


 ーー信頼していた上司は、俺の企画を横取りした。


 同僚は平然と俺を裏切り、そして、恋人は――俺の知らないうちに、別の男と関係を持っていた。


 ”湊ってトロいよね。せっかくの企画を横取りされていたことに気づかないなんてさ”


 そう言った彼女の視線は、もう俺には向いていなかった。それどころか、その隣には俺の上司が立っていた。


 ”じゃあねトロい湊”


 彼女にそう言われ怒る気力もなかった。何かを言い返す気にもなれなかった。


 ただ、俺が仕事に打ち込んでいた間に、彼女は俺を選ぶことをやめ、そいつに寄り添うことを選んでいた。


 ――ただそれだけのことだった。


 努力しても、信じても、裏切られるときはあっけなく裏切られる。

 そう思うようになってから、人と深く関わることが億劫になった。

 努力しても、信じても、裏切られるときはあっけなく裏切られる。

 そう思うようになってから、人と深く関わることが億劫になった。


 だからこそ――


「どうしましたか湊さん?」


 今、こうして橘さんが当たり前のようにそばにいて、手紙を一緒に整理してくれることすら、どこか信じきれない自分がいる。


 本当は、わかっている。都会にいた頃の俺は、すべてを失ったわけじゃない。

 でも、それを認めるのは、もう少し先になりそうだった。


「……どうですかね。」


 自分でも、本心が分からないまま、言葉を濁した。


「……ふふっ。」


「何笑ってるんです?」


 いきなり笑われたので少し苛立ちを込めて言ったのだが、そんな彼女は知ってか知らずかそのまま続ける。


「なんとなく。“どうですかね”って言うとき、ちょっとだけ素直になってる気がしました。」


「……気のせいですよ。」


 橘さんはクスクス笑いながら、別の箱に手を伸ばす。


「よし、まだまだ開けていきましょう!」


「えぇ」


 ここに来てから、ほんの少しだけ時間の流れが変わった気がする。

 昨日、楓さんと話しているときも、今こうして手紙を読んでいるときも、昔の自分だったら絶対しなかったようなことをしている。


 これが“息抜き”なのか?

 それとも、ただの逃避なのか?

 だけど、それと同時に、心の中も少しずつ整理されていくような気がしていた。


「あっ、見てください湊さんの小さい頃の写真ですよ!!

 頭にゴミ箱被っているの可愛いですね!!」


「あの……次行きません?」


「あっこれも小さい湊さんじゃないですか~可愛い」


 ……やっぱり片づけは1人でやった方がいいのかもしれない。

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