月影比売の花嫁

紺藤 香純

第一章 月影様のお嫁さん

第一話 神様のお嫁さん

 蚕が桑の葉を食む音は、絹糸のような雨の音に似ている。優しくて、耳に馴染む、心地の良い音だ。

 八歳の紗朱さやが持てる語彙を尽くして叔父に伝えると、叔父は目を細めて微笑んだ。

の心が美しいから、そのように聞こえるんだ」

 叔父は紗朱を「お姫」と呼ぶ。父と母を立て続けに亡くし、欲深い祖母に売り飛ばされそうになった紗朱を、叔父は拾って育ててくれた。叔父に拾われて三年、紗朱は城下町郊外の農家を手伝いながら、叔父の元に身を寄せている。



 叔父は紗朱の母の弟で、紗朱とは十五歳離れている。紗朱の名付け親でもある。「お前は学があるから、この子にふさわしい名をつけてくれ」と義父である紗朱の父に懇願され、庶民の子としては洒落た「紗朱」という名をつけた。

 叔父は身長みのたけが六尺近い大柄な男だが、器量の良かった紗朱の母に似た顔立ちをしている。何かにつけて「女遊びをしそうな容貌みためなのにその実は堅物だ」と言われる。女遊びが何なのか、紗朱にはわからない。絵師えかき生業なりわいにしている叔父は、ひとりで遊び歩くことはなく、自宅兼工房にもって絵を描くか、紗朱を連れ出して出かけるかのどちらかだ。

 叔父の作品である襖絵が若き大名、扇森おうのもり貴元たかもと氏の目に止まり、叔父は扇森氏に認められた絵師になった。叔父の襖絵を、紗朱も見せてもらったことがある。草花が細かく描かれた襖絵は、まるで目の前にその光景が広がっているかのように見る者を引き込む力がある。豪華絢爛というわけではないが、金箔を凝らした豪華絢爛な襖絵と、一見地味だが繊細で緻密な叔父の襖絵、どちらかを選ぶとなったら、叔父の襖絵を選ぶ者がいてもおかしくない。大名に認められただけある。

 襖絵や屏風だけでなく、陶器の絵付けや着物の柄の意匠を頼まれることもあり、叔父は売れっ子の絵師になった。叔父の雅号は、扇森おうのもり青夏せいか。名付けたのは、大名、扇森貴元である。



 紗朱が手伝っている農家は、米と野菜をつくりながら、養蚕おかいこやっている。幼く体が小さい紗朱は、この時期は晩秋蚕に桑の葉をやることが多かった。

 蚕を気持ち悪いだの、怖いだの言う者もいるが、紗朱は蚕が我が子のようで愛おしい。だが、気づいてしまった。この子らが辿ることになる、悲しき末路に。

「お姫、帰ろう」

 迎えに来た叔父に、農家のおかみさんは「この子、よくわからないけど落ち込んでるのさ」と困惑していた。

 おかみさんさんから分けてもらった野菜を片手で、もう片方の手は紗朱の小さな手を引いて、叔父は家に向かう。叔父は、根掘り葉掘り紗朱に訊ねることをしない。いつも、紗朱が話し始めるまで待ってくれる。促されることもあるが、無理に喋らせられるわけではない。

「お姫、予定変更だ。月影様にお参りに行こう」

 月影様とは、ここが城下になる前からこの地を守っている神社である。祭神は、月影比古神命つきかげひこのかみのみこと。叔父は以前から、何度も紗朱を連れてお参りに来ていた。

 長い石段をのぼり、大きな社の前で手を合わせる。紗朱の願い事はいつも、怖い思いをしませんように。叔父はいつも、懇願するように目をきつく閉じ、こうべを垂れそうな勢いで何度も頷く。

「おじちゃん、何をお願いしたの?」

 手をつないで石段を下りながら、紗朱は叔父に訊ねた。

「紗朱が幸せになれますように、とお願いしたのさ。紗朱は神様のお嫁さんになる子だ。幸せになりなさい」

 最後の一段を下りきり、叔父は手を離して紗朱の頭を撫でた。紗朱の髪は、絹糸のようにまっすぐでなめらかで、光を受けると絹糸のように金にも銀にも映える。

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