Vita Brevis

椿谷零

1章Vita Amara

私、桐生翠(きりゅうみどり)は、高校1年生だ。私は、ただただ平凡な毎日を送っているつもりだった。学校へ行き、友だちと笑い、勉強し、そして家に帰る。しかし、その「平凡」な生活すら私は手に入れることができなかった。


私は母や学校のことを思い出すと吐き気がしてしまうため記憶が曖昧になる。私は認めたくないのだろうあんな奴の腹から生まれてきたことを、あんな奴らと同じ学校に通っていることを。


私には父がいない。別れたとか亡くなったとかではなくいないのだ。私の母はヒステリックでいわゆる毒親というものだった。母の顔を見るのが怖い。少しでも気を引こうものなら、雷が鳴り響いたかのように怒鳴られ、「うるさい!」と私の頭を叩かれた。勢いのついた母の手に、私は何度も頭を掴まれ、壁に叩きつけられた。言葉の暴力も日常茶飯事だ。「お前なんて産むんじゃなかった」「邪魔」「価値のない人間」そんな言葉を投げかけられるたびに、私の心は少しずつすり減っていった。まるで、小さなカケラがひとつずつ剥がれていくように。


特にひどい日には、母は私をクローゼットに閉じ込め、鍵をかけてしまう。真っ暗闇の中で、私はただひたすら時間をやり過ごした。息苦しくて、恐怖で震えが止まらない。いつまでここに閉じ込められているのか、いつ解放されるのか。そんなことを考えながら、私はただただ泣き続けた。


学校の教室は、私にとって安らぎの場所とは程遠い、恐怖に満ちた空間だった。クラスメイトの女子たちは、私を標的にする獲物のように扱った。最初は、陰口や悪口程度だったが、次第にその攻撃はエスカレートしていった。


体育の時間は、私にとって拷問の時間だった。ボールが私の顔面に飛んできたとき、耳元で割れるような音が響き、視界が一瞬真っ白になった。熱いものが頬を伝い、痛みと同時に屈辱感がこみ上げてきた。体育館の空気は重く、逃げ場のない密室に閉じ込められたような息苦しさを感じた。


体育の先生は、私の様子に気づいているだろうか。それとも、見て見ぬふりをしているのだろうか。「おい、なんでしゃがんでるんだ?」


体育の先生が私の前に立ちはだかった。彼女らの視線が集まる。恥ずかしさと恐怖で、私は何も言えなかった。


「怪我したのか?」


先生の冷やかな声が、体育館に響き渡る。私はうつむいたまま、何も答えなかった。先生はため息をつき、私に手を差し出した。


「保健室に行こう。」


先生の優しさに、私は思わず涙がこぼれた。しかし、保健室で休んでいる間も、彼女らの陰口が聞こえてきた。


「あいつ、わざとやってるんじゃない?」


「痛いアピールかよ。」


そんな言葉を聞かされるたびに、私の心は傷つけられた。まるで、錆びついて切れ味の落ちたナイフで何度も切りつけられているような痛みだった。


体育の授業中、鬼ごっこが始まると、私はいつもターゲットになった。誰よりも早く私を見つけ、私を追い詰める。逃げる私を囲み、楽しそうに笑う彼女ら。まるで、私を狩る動物のように。体育館の隅に追い詰められ、体育着の袖で顔を覆い、体育館の床にしゃがみ込む。体育館の床は冷たく、木の摩擦音が耳に突き刺さる。体育の先生は、そんな私をただ見ているだけだった。


給食の時間も、私にとっては苦痛だった。彼女らは、わざと私の近くに座って、私が持ったお盆をひっくり返したり、飲み物をこぼしたりした。私が自分の給食を運んでいるといきなりいじめてくる人たちの1人がぶつかってきた。盛り付けられたお皿からこぼれ出たカレーライスが、私の制服を汚す。その黄色いシミは、私の中にある絶望の色と重なって見えた。


給食の時間は、いつも同じだった。クラスメイトたちの笑い声が、私の耳に刺さる。まるで、私を嘲笑っているように聞こえた。私は、いつも隅っこで一人、冷めたご飯を食べていた。


放課後、教室に残って一人で本を読んでいると、後ろから誰かが近づいてきて、髪の毛を引っ張られたり、机を蹴られたりした。机の引き出しから教科書やノートが散乱し、床に落ちた鉛筆が転がる音が、私の心を打ち砕く。


「何やってんの?邪魔なんだよ」そう言って、彼女らは私の本を床に投げつけた。ページをめくられた本は、まるで私の心がバラバラにされたように感じた。


ある日、放課後、教室に残っていたところ、彼女らに囲まれた。彼女らは私の机の周りに集まり、私を囲んだ。まるで私を逃がさないようにしているようだった。


クラスメイトは怯えている私をみてニヤリと笑った。


彼らは、私のカバンの中身をひっくり返し、私の持ち物を一つ一つ投げ捨てた。大切なぬいぐるみを足で踏みつけ、筆箱を壁に投げつけた。私はただ泣くことしかできなかった。


ある日、いつも通り下校していると、不意に後ろから誰かに肩を叩かれた。振り向くと、クラスメイトたちが立っていた。彼女たちは私を細い路地に呼び込み、壁に追い詰めた。「ちょっと話があるんだけど」そう言って、ニヤリと笑った。


「お金ちょっとでいいから頂戴よ。ねぇいいでしょ?」そう言って、彼女らは私のカバンをひったくり、中身を散らかした。100円ショップで買ったばかりのペンケースから、色とりどりのペンが飛び出し、アスファルトの上で転がる。


「そんなもんしか持ってないの?お金もたったの300円だなんて。」


彼女らは嘲笑しながら、私の顔を殴り、足で蹴りつけた。必死に抵抗しようとしたが、彼女らの力にはかなわない。地面に倒れ込み、アスファルトに擦りむいた掌から、温かいものが流れ出る。


誰かに助けを求めたいと思ったが、誰もいなかった。恐怖と絶望に打ちひしがれ、私はその場から逃げ出した。夕焼け空の下、私は必死に走り続けた。息が切れそうになるまで。


学校でも家でも、そして帰り道でも、どこに行っても安全な場所などなかった。私は、どこに行けば安心できるのか、わからなくなっていた。


誰かに相談したい。でも、相談できる相手がいない。母には言えない。先生にも、言っても無駄だと感じていた。先生に相談したところで、またクラスメイトから逆恨みされるかもしれない。そう考えると、口が重くなった。私はますます孤立していった。まるで、深海の底に沈んでいくように、誰にも救出されないまま。


夜、一人ベッドに横になり、天井を見つめる。涙が止まらない。どうして私だけこんな目に遭わなければならないんだろう。そんなことを考えながら、眠りにつく。眠りにつくというより、意識を遠ざけようとしているのかもしれない。


もう無理だ。そう思った私は、ある日、日記をつけ始めた。心の奥底に隠していた感情を、文字にした。怒り、悲しみ、絶望。それらの感情を吐き出したとしても私の感情は何ひとつ変わらなかった。相変わらず重たいままだった。


日記には、ほとんど毎日こんな言葉を綴っていた。「どうして私を産んだの? 私は、お母さんの愛情なんて、もう求めない。ただ、穏やかに暮らしたいだけなのに。でも、どうしてこんなにも苦しいの? どこに行けば、この苦しみから解放されるの?」


私の心は、もう限界だった。毎日が灰色で、何もかもが虚しく感じられた。まるで、モノクロの映画の中に閉じ込められたように。


ある日、学校から帰ってくると、いつものように母から怒鳴られた。耐えきれなくなった私は、家を出た。どこへ行くあてもなく、ただただ歩き続けた。雨は降っていなかったのに、私の心には雨が降りしきっていた。


そして、私は気がついた。もう、何もかもどうでもよくなったことに。


私は、どこか遠くへ行ってしまいたい。この世界から消えたい。そんなことを考えながら、私は暗い夜空を見上げた。無数の星が輝いていたが、私の心には何も映らなかった。まるで、真っ暗なスクリーンに光が当たらないように。そんなことを考えながら、私はビルの屋上に立っていた。冷たい風が肌を刺し、私は震えた。街の灯りが、まるで私の心を嘲笑っているように感じた。


もともと必要のない命だ。そう思い、私はフェンスから身を乗り出した。風が顔に叩きつけられる。落下の風圧で意識が飛ぶ寸前に頭の中に声が響いた。その日、一つの命が失われた。

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