第4話 破壊、始まり 4(アナザーサイド)

「蔵場先生、怒ってたね」

 帰り道、最初に口を開いたのは山田直だった。いつもなら先生が怒った話なんて、格好のネタになるのに、今日ばかりは誰も触れようとしなかった。それぞれに思うところがあったからだ。


「急に怒り出してびっくりした。引いたわ、マジで」

 栄太はあきれたように言った。バカにするつもりだったが、予想外に直と桧が微妙な顔をしているのに気づく。


 トランペットの直、サックスの桧、そして低音パートの栄太。家が近所の男子三人で、いつも一緒に帰っている。ふだんは賑やかで楽しい帰り道だ。いや、違う。二年生の頃は、こんな空気になることも多かった。部活は好きでも、音楽室の重苦しさに嫌気が差したことが何度もあった。今年になってからは初めてだ。


「二人は引かなかった? あんな集中攻撃、梨佳がかわいそうだったよ」

「それはそうだけど……。でも、練習してこいよって思うな。ていうか、蔵場先生はそこに怒ってたわけじゃないだろ」


 答えたのは桧だった。彼自身も難しい連符を任されていたが、練習の積み重ねでこなしていた。


「いや、わかってる。わかってるよ……」

 そう口にしながら、栄太は本当には理解できていなかった。梨佳が吹けないことに怒っていたわけじゃないのか。


「おれ、去年と今年と蔵場先生がクラス担任なんだけど、協力とか、みんなでやるとか、そういうのをすごく大事にしてるんだ」

 直は、三月の離任式で泣き崩れた生徒の一人だ。

「この前さ、蔵場先生に謝られたんだ」と直が神妙に話した。

「え、なんで?」

 桧が身を乗り出す。こういうときでも桧はひょうきんで、その明るさに救われることも多い。練習中だってそうだ。


「中川先生が離任するって聞いて、蔵場先生に泣きついちゃってさ。そのとき先生になにを言われたかは覚えてないんだけど……あとで“冷たくしてごめん”って、泣きそうになりながら謝られたんだよ」

「あー、蔵場先生、よく泣くよね。生徒会のときもそうだった。感情が出やすいんだよ」

 桧は生徒会役員として蔵場先生と関わってきた。先生が涙もろいことも、彼は前向きにとらえていた。


「中川先生がいなくなって、実は先生も不安だったんじゃないかな」

 栄太は四月を思い出す。春休み、どうすればいいのかわからない不安を抱えた日々。だが今は……。


「確かに。みんな中川先生に認められたくて頑張ってたしな。でも、おれはそんなに不安じゃなかった。中川先生も好きだけど、蔵場先生も好きだったし」

 桧の前向きな言葉が響く。


「おれも蔵場先生は好きだ。でも、最初はやっぱり不安だった。でも始まってみたら、むしろ今のほうが楽しい。のびのびできるし、みんなも同じだと思う」

 直は冷静に振り返る。去年のコンクール前の合奏は、空気が重くて嫌で仕方がなかった。正直、行きたくなかった。だが今年は五月の終わりになっても、その重さはない。部活に前向きに通えている。


 栄太も同じ気持ちだった。だが――それでも今日の蔵場先生には腹が立った。


「いいじゃん、できないやつは吹かずに休ませれば」

 栄太は今までのやり方を主張する。


「それ、マジで言ってんの?」

 直が怪訝な顔をした。


「部長のくせに冷たいなー」

 桧も笑ってはいたが、栄太の考えには否定的だ。そして直がゆっくり語り出す。


「去年さ、名雪がすごく練習してたけど吹けないところがあって、合奏中に“そこ吹かなくていい”って中川先生に言われたんだ」


 名雪は直と同じトランペットパートの三年生。転校生で二年生から吹奏楽部を始め、毎日楽器を持ち帰って練習し、わずか三か月でコンクールメンバー入りを果たした。だが一年の差は大きい。吹けない部分があって当然だった。ある日、中川先生の冷たい言葉を受けたのだ。


「部活が終わったら、名雪泣いてて。でもおれ、なにを言えばいいかわからなかった。同じパートなのに、なにも言えなかったんだ」


 栄太はそのときのことを思い出す。まだ部長ではなかったが、名雪に「がんばればまた吹かせてもらえるよ」と声をかけた。なんと無責任な言葉だっただろう。名雪は練習を続けたが、結局その部分を吹くことは許されないまま、コンクールを終えた。


「だからさ、みんなで演奏したいっていう蔵場先生のやり方、いいと思う」

 桧は明るく言い、続けた。

「なんやかんや、みんな先生のやり方が好きだと思うよ。表情が違うもん。今日の言葉に“間違ってる”って思ったやつは、自分の部活をちゃんと見てないよ」


 普段と変わらぬ調子で話す桧の目は、しかし真剣だった。

「変わろうぜ。おれたち。みんなで音楽をつくる部活にしよう」

 桧が満面の笑みでそういった。

「そうだな。誰一人欠けない、最高の音楽をつくろう!」

 直は心に誓うように言い、栄太に問いかけた。

「部長はどうする?」


 二人の視線が栄太に注がれる。中川先生を否定された気持ちはまだ胸に引っかかる。だが二人の言葉は納得できるし、虹中ブラスの進むべき方向も見えている。


「……そうだね」

 栄太は決意を込めてうなずいた。

「変えよう。みんなで音楽を作ろう!」


 三人の胸に力が湧き上がった。まだ変われる。もっと強くなれる――。


「でもさ、団結しただけじゃダメだよな」

 桧がすぐ次の一手を考える。

「明日から動かないと。蔵場先生に“変わった”って姿で示さなきゃ。なんだと思う? 一番わかりやすいやつ」

「それなら心当たりがある。先生に言われたことがあるんだ」

 栄太が二人に打ち明けると、直が目を輝かせた。

「いいじゃん! 明日からできるし、絶対伝わる!」

「よし、みんなに回そう! グループラインで!」

 桧は楽しそうに笑った。


 三人の決意は輪となって広がっていく。

 その夜、部員たちは栄太からのメッセージを読み、心を決めた。

――明日、変わろう。

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