第17話 南のマンマとアップルパイ
「ただいま戻りましたって……エド、そちらは?」
大荷物を抱えて教会へと戻り小屋に入ると、そこにはエド王子と見知らぬ女性の姿があった。私たちよりも少しお姉さんな様子の女性は煌びやかなアクセサリーを耳・首・手首・指にギラギラと身につけ、ふわふわの毛皮のドレスを身に纏っている。
とてつもない美人で、まるで貴族のような立ち振る舞い。
「やっとお戻りになったのね。こんにちは、ミュゲ」
「こ、こんにちは?」
「私は南のマンマ。スターミンクの族長よ。怪我がよくなったからお礼をと思ったら、貴方は留守だっていうでしょう? だからお茶をいただいて待っていたの」
よくみると彼女の足元にはあの雷雨の日にこの家を訪ねてきたスターミンクが丸くなって眠っていた。ミーシャと仲が良いようで二人は絡まるように寄り添っている。一方で、ピーちゃんはスターミンクが恐ろしいのかエドの胸ポケットの中に頭だけ隠し、白いお尻がチラリと見えている。
「あぁ、怪我はもうよくなったの?」
「えぇ、おかげさまでね」
「よかった。あの時、ここにきたスターミンクがとても慌てていたから心配していたのよ。そうだ、アップルパイを村で頂いたからみんなで食べませんか? ちょうど紅茶の葉もいただいたし。食器は揃ってないけれどみなさんでティータイムでも」
「水を汲んでくるよ」
エドがすっと立ち上がると慣れた手つきで水差しを抱えて外へと出て行った。私は暖炉の火を少し強め、やかんを準備する。それからエドが帰ってくるまでの間に村で頂いたものをしまっておく。
「うちの子たちがすごく世話になったね、ミュゲ」
「いえ、畑のお野菜のことなら気にしないで。私一人では腐らせてしまう量だからよく森にお供えをしたり出会った魔法生物たちにあげたりしているの。美味しく食べてくれたらそれだけで嬉しいわ」
「子供たちから聞いた通り、聖女様らしいお人だねアンタは」
「私なんてまだまだよ」
「スターミンクはね、ミュゲが思っているほど綺麗な生き物じゃあないんだよ」
「え?」
「私たちは東西南北の4つに分かれている。それは常に抗争を繰り返す陣取り合戦さ。ほら、人間の都市でもいるんだろう? なんといったか、マフィア。だったかしら」
「マフィア?」
「えぇ、私たちは森の掃除屋という異名だけじゃなく森のマフィアとも呼ばれているのよ。先代のシスターとは話したことがなかったから貴女も知らなかったでしょう?」
「そうだったの……」
「ミュゲは私の命の恩人だからね。気軽にマンマとお呼びなさいね」
ドアが開きエドが戻ってくると、マンマは「内緒よ」と人差し指を立てた。私は小さく頷いてからエドから水差しを受け取ってやかんに水を入れて火にかける。ティーポットに茶葉をセットして、柄の揃っていないマグカップを3つ布で拭いて綺麗にした。木のお皿とフォークを準備してバスケットからアップルパイを取り出した。
「ミーシャたちも食べる?」
眠っていたミーシャとスターミンクを起こし、彼らの分も切り分ける。
「ピピピ!」
エドの胸ポケットで主張していたピーちゃんをそっとつまみ上げ、私の肩に乗せ、ピーちゃんには私が食べる分のアップルパイから生地を少しちぎって食べさせてあげた。
「エド、ありがとう」
「いいえ、さぁどうぞ」
エドが紅茶を淹れてマンマと私の分を配膳してくれる。久々の紅茶の香りにうっとりしながら私は席に着いた。こんがりときつね色のアップルパイはフォークを入れるとサクッと小気味良い音を立てる。それからじっとりとしたクリームとシャクシャクのりんごが詰まっていて、私は思わず唾を飲んだ。
「うーん、美味しいわねぇ」
私よりも先にアップルパイを頬張ったマンマがうっとりした声をあげた。彼女は恍惚の表情をうかべ頬を押さえている。私も一口食べて、同じようにとろけそうな気分になった。砂糖で煮詰められた甘いリンゴは食感がシャキシャキと残り、ミルキーなクリームはほのかで控えめな甘さ。パイ生地はサクサクしていて芳醇なバターの香り。全てが口の中で折り重なって、幸せになる。飲み込んだ後に温かい紅茶を口にすれば甘さがすっきりと流されてまた次の一口を食べたくなってしまう。
「レーシアのそんな顔は初めて観たな」
エドの視線に気がついて私は我に帰る。彼はうっとりとパイを食べていた私をずっと見つめていたようで、なんだか嬉しそうに口角をあげ頬杖をついていた。
「あら、ミュゲ。この若造とそういう関係だったのかい? いいねぇ、人間様の恋愛は平和で」
マンマはパクッとアップルパイを頬張ってまたうっとりした表情に戻る。私はどんどん顔が熱くなってくる気がしてエドから目を逸らした。
「エドも頂かないと紅茶が冷めてしまうわ」
「そうだね。ありがとう」
やっと私から視線を話した彼はアップルパイを一口食べた。何よりも驚いたのは彼の所作がとても美しかったことだ。指先の動き、フォークの使い方、口への運び方。昨日シチューを食べている時には気がつかなかったけれど彼の優雅さはやはり「王族」であった。
「美味しいな」
「おや、若造は良いところのお坊ちゃんだね。お似合いのお二人だこと」
「ちょっと、マンマ」
マンマは悪戯に笑うとキラキラひかる髪をそっとかきあげた。小動物らしい黒目がちはとても可愛らしいのに彼女のオーラはなんというか圧が非常に強かった。
「本当に、ミュゲは無欲なんだねぇ。一度も私に対価を求めなかった」
「対価?」
マンマはスッと紅茶を啜り答えてくれる。
「ミュゲは私の命を助けれてくれた。私たちスターミンクの世界じゃ、貸し借りは対価が必要になるんだよ。つまり、私はアンタが求めれてば命を対価に差し出さなきゃならないんだ」
「そう言われても、私は女神様からの啓示で聖女として森を助けるように言伝を受けているの。人間の世界でも対価を求められることはあるけれど……私はこの森に受け入れてもらって生かされているから。助けることは当然の行為なのよ」
「それに、アンタは一度もこれを返せと言わなかったね。宝石鹿の、しかも治癒魔力のつまった角のカケラこの森じゃとてつもない価値のものだ」
「そういえば、すっかり忘れていたわ」
私のリアクションにマンマは深いため息をついたあと、私に宝石鹿の角のカケラを寄越した。
「ありがとう、マンマ」
「まったく、先の思いやられる子だよ。スターミンクだけじゃなく森には狡猾な魔法生物も多いんだ。騙されないか心配だねぇ」
「大丈夫よ、私には女神様のご加護があるからそれにミーシャもいるし」
「そうかい。さて、返すものも返したしそろそろお暇するかね。さ、帰るよ」
「はい! お母様! シスター、美味しいパイをどうもありがとうございました。それからマンマのことも……」
優雅に去っていくスターミンクたちを見送り、私はやっと一息ついて椅子に座った。
「君は友人が多いんだな」
エドがこちらを見つめてそう言った。いつのまにか私のカップには紅茶のおかわりが注がれている。
「紅茶、ありがとう。森でご奉仕をしていると自然と出会いは増えるものよ。けれど、マンマの傷が治ってよかったわ。エド、私が外出している間に畑のことやっておいてくれたのね。ありがとう」
「あぁ、収穫した野菜はそれぞれ倉庫にしまっておいたよ。そこのミーシャが倉庫の保存場所を教えてくれてね」
「ミーシャ、ありがとう。今日は美味しいムニエルを焼くわね」
ミーシャがすくっと起き上がると私の足に擦り寄ってくる。ムニエルは彼の大好物だし、今日は先日とは違ってしっかり彼も一尾食べられるのだ。
「レーシア、午後は何かやることは?」
「そうね、そうだ。とうもろこしの種を分けてもらったの。畑の開拓と植えるのを手伝ってくれる?」
「あぁ、お安い御用だ。それにとうもろこしはグランも好きでね。茹でたものをよく城の厨房から盗んでグランと食べたものだ」
「そう、きっとここの土の水なら明後日には実るんじゃないかしら、とても楽しみね」
「よぉし、レーシア。今日は働くぞ」
「うふふ、よろしく」
エドが腕まくりをして裏庭へと向かい、私もそのあとを追う。それからふと私は自分が王子相手に緊張しなくなってきたことに気がついた。まるで友人のように彼と接し、彼の背中を追っていたのだ。子爵令嬢時代の私なら視界にいれることすらできないような存在の人のはずなのに。
「どうした? レーシア。疲れていたら小屋で休んでいてもいいぞ? 耕すのと種まきくらいなら一人でできるから」
彼は心配そうに私を覗き込んだ。その眼差しには貴族階級における悪意のない見下しの感情などは一切なく、ただ友人を心配する青年のそれだった。
「いいえ、王子様なのに土いじりが得意なのねと思っただけよ」
「レーシア、君だってそうだろう? 貴族の御令嬢とは思えないほどの生活力だ」
お互いに冗談を言って笑い合った。
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