巫女と機関銃と吸血鬼
火海坂猫
プロローグ① 妖
日が落ちて周囲は暗く静まり返って…………いなかった。河川敷に鳴り響く何かを追う集団の怒号や足音。闇夜に溶け込むような紺を基調とした制服に身を包む彼らは警察官だ。その全員が汗で滲むその手に拳銃を握りしめ、命のかかった緊張の中で行動をしている…………そしてその決死の行動は実を結びつつあった。
「対象を河川敷の橋桁部分へと追い詰めました」
河川敷を見下ろす堤防に配置された車両の前に立つ指揮官らしき中年の男へとその部下が報告する。指揮官の視線の先には河川敷に架かる橋のその下。日が暮れたせいで暗く見通せない闇の中へと向けられていた。
「よし、両側を固めて待機しろ。これ以上の刺激を与える行動を禁じる。接近せずにライトも当てるな」
「突入しないのですか?」
「しない」
疑問を口にする部下の表情には不満さが表れていた。しかし指揮官は断固とした口調で突入をしないことを告げる。
「対象の身体能力は知っての通りだ。我々と違ってこの闇の中でも苦にしないだろう。あの中に突入すれば無用な被害を生むことになる」
暗闇で見通せないあの橋の下の空間にはそれなりの広さがある。そのどこに目標がいるかもわからない状況で突入すれば必ず不意打ちを受けるだろう。もちろん強力なライトで一気に暗闇を祓うという手段もあるが、それは追い詰められた獣を刺激する行為に他ならない。
今対象は追い詰められてはいるが命の危機を感じてはいないだろう。だからこそ様子を見て大人しくしているのだろうが、死に物狂いになられたら被害は間違いなく大きくなる。
「我々は日々訓練を積んでいますし、装備も整っています」
「我々が訓練で想定しているのは人間だ」
警察とは人間の犯罪者を取り締まる組織であるゆえに。
「だがあそこにいるものはなんだ?」
「
正式な名称は別にもあるがそれで呼ばれることはほとんどない。それは一般的に情報が公開されていない存在であるし、通称のほうがわかりやすすぎるからだ。
「確かにあれは人がウィルスに感染して変異した存在ではある…………だがそうなった時点でもはや人ではなく獣だ。我々は害獣駆除に協力することはあってもそれを主体とした組織ではない」
だから警察の役割はもう終わっている。周辺住民へと被害が出ないよう猛獣が出現したというカバーストーリーで外出自粛を呼びかけ、人気のないあの場所へと対象を追い詰めた時点でやるべきことはもうないのだ。
「餅は餅屋だ。仕事は専門家に任せるべきで素人が下手な手を出す必要はない…………確かに我々でもあれを駆除できないことはないだろうし、必要であればするべきだ。しかし今はそうではない」
不要な行動で出た損害は全て無駄な損害だ。しかもそれが金で済むものではなく人命となれば指揮官として看過はできない。例えばあの妖の掌中に罪のない子供が囚われているともなれば話は別だが、現状はそうではないのだ。
「しかしここまで追いつめて…………」
「そんなものはつまらんプライドだ。我々の仕事は最初からここまでと決められておりそれは完璧に果たしている」
いいところだけを取られるわけではない、自分たちの役割を果たしてその先を引き継いでもらうだけなのだ。
「下らん功名心に囚われないよう待機を徹底させろ」
「…………はい」
不満は残りつつも納得するしかないと納得した。そんな表情の部下に指揮官は溜息を吐きつつ専門家の到着を心待ちにする…………そうすればこの状況も終わるのだ。
パァン!
しかしそんな指揮官の心中を裏切るように銃声が響く。しかもその一発が契機になってしまったのか立て続けに銃声は鳴り響いた。
「どこの馬鹿だ!」
思わず指揮官は怒鳴るがそれで状況が解決するわけもないし、その確認をして居られる余裕もない。
「やむを得ん。全職員に発砲の許可を出す。射線に気を付けて同士討ちにならないよう徹底させろ!」
「はい!」
元気のいい返事を返す部下に指揮官はもう一度溜息を吐き、銃声の鳴り響く現場へと険しい視線を向ける。
対象を仕留めるまでにどれだけの被害が出るのか、想像するだけで気が重くなった。
◇
橋下を挟むように北と南に配置されていたそれぞれ十名ほどの警官隊で暴発したのは南側の人員だった。一人が緊張と不安に耐えかねて発砲し、それに幾人かが続いてしまった…………しかしそれでも最低限の冷静さは保っていたのは幸いだったろう。
弾を全て打ち切るほどの乱射はしなかったし、橋下へと無謀な突撃もしなかった。揮官からの伝達も速やかに伝わったおかげで速やかに消費した弾丸の装填を済ませ、今度こそは無駄な射撃をすまいと迎え撃つように銃を構える。
そしてそれは北側の人員も同様だった。彼らは南側に釣られて発砲するようなこともなく、むしろ同士討ちを避けるように発砲しないよう互いに徹底した。指揮官からの伝達があってからは自分たちの方に対象が逃げて来てもいいように慎重に銃を構えて橋下を注視する。
そして闇の中でそれは苦痛に唸り声をあげていた。目視して狙われずともそれなりの数を討たれれば何発かは命中する。それでも全て急所からはそれ高い生命力を持つそれからすれば大した傷ではない…………だが痛みはある。それは特製の弾丸であるがゆえに見た目以上の苦痛をそれへと与えていた。
苦痛の中でそれは考える。逃亡するか、痛みを与えた者へと復讐するか。
結果としてそれは南側へと飛び出した。
逃げるよりも復讐と自身への脅威を排除すること優先したのだ。
「来たぞッ!?」
「狙えっ!」
飛び出してきたそれに対して警官たちが拳銃の狙いを定める…………それは狼の頭をした人型の何かだ。体躯は二メートルを超えて全身を白銀の毛が覆っている。そしてだらりと涎の滴るその長い口には鋭い牙がずらりと並んでいた。
人狼
それが彼らの対峙した相手だ。
「撃てぇええええええええええ!」
号令と共に一斉に射撃が開始される。距離はそれなりにあるが人狼の体躯は大きく、また暗闇の中でその白銀の毛は良く目立つ。彼らの日頃の訓練の成果もあってほとんどの弾丸が外れることなく人狼へと命中する。流石にそれだけの数をまともには喰らえなかったのか人狼も両腕で顔と心臓をガードしていた。しかし通常であればそれは弾丸の前に意味をなさない。
「どうだ?」
誰かが呟く。一斉に銃撃すれば一斉に残弾も尽きる。打ち尽くした拳銃を片手に警官たちは無数の銃弾を撃ち込まれた人狼へと視線を向ける。本来であればまず銃弾を装填しなおすことを優先すべきだがそれは経験不足ゆえだろう…………彼らの通常の任務であれば弾丸を討ち尽くすどころかそもそも発砲することすら少ない。
「嘘だろ…………ちゃんと銀の弾丸のはずだぜ?」
伝承にあるように人狼の弱点は銀だ。現代では科学的にもそれは実証されていて人狼にとって銀の成分は毒として働くとされている…………それなのに人狼は苦痛に顔を歪めながらも弱る気配を見せずに警官たちへと強い怒りを向けていた。その鋭い牙の並んだ口を大きく開き、ナイフのような長い爪の生えた両手を構える。
「…………!?」
警官たちは自分たちに死が間近に迫っていることを実感した。弾丸の装填は間に合わないだろうし…………間に合ったところでもはや効果があるとは思えなかった。
このまま何の介入もなければ彼らは死ぬだろう…………何の介入もなければ。
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