四章 四話 たとえ神が罰を下そうとも
見慣れた廊下をまるで永遠に続く迷宮のように感じながらも、リレイナの体に幼少の頃から刻まれた記憶は忘我の王女を自室へと導いた。
「お帰りなさいませ殿下。先ほどミーシャーナ様も帰っていらっしゃっいましたよ。今日はお部屋の担当ではありませんが折角ですからとお引き留めしております…殿下?」
「うむ、キシューカと上手くやれたようであったか?」
部屋と廊下を区切る
しかし今のリレイナにとってはその気遣いは断頭台設置の告知と同義だった。余人ならば完全に内心の
「殿下?何か陛下との間でございましたか」
「いや、なんでもない。むしろ今日は良き日であったぞ、ひさしぶりにネレーシアとも会えたしな」
「殿下」
セーランに心中で吹き荒れる嵐を読み取られたのをリレイナは察したが、それでも強がろうと
しかしセーランは身分の差など関係ないと言いたげに踏み込んでくる。王太子としては出過ぎた行動に対して嘘でも怒りを示して突き放すのが正しい行動だったろう。だが物心付いた時から時に母カレナジテよりも身近でリレイナを見守ってきた侍女頭の愛情に王女の強がりは膝を屈した。
「ミーシャーナに話さなければならないことが有るが…冷静でいられるか自信がない。同席してくれるか」
「喜んで。ではどうぞ、殿下」
老侍女がすっと脇へと
その
「ミーシャーナ、キシューカの読書会は
「リレイナ様がキシューカ殿下は詩歌をお好みになると
王宮に来てからは経験できなかった年の近い少女たちとの交流に興奮していたのだろう、ミーシャーナは嬉しそうに今日の思い出を語り始めたがすぐにリレイナの様子がおかしい事に気付いた。
「ああ…実は
「リ、リレイナ様⁉」
「…うっ…そ、その…」
冷静に事実だけを話そう、そう思っていたリレイナ自身を裏切って涙腺が決壊した。
突然の事態に動揺して一旦顔を上げさせようとした
小一時間はそうしていただろうか、ミーシャーナの若草色の
「…殿下、何が有ったのか、お尋ねしてもよろしゅうございますか」
「…あぁ、手間取らせてしまったな、ミーシャーナ、セーラン」
「いいえ、リレイナ様が苦しんでいる時、いつだって私はあなたのお
「では話そう…今日陛下から御内示をいただいた。約ひと月後の
「え?」
「まぁ」
元より長引かせるつもりは無い。しかもその前に散々泣き
しかしあまりの唐突な宣言に聞く立場の二人はともに困惑を隠せない。更に詳しい事情を問い
その様子を見たリレイナはあまりに結論を急ぎ過ぎたかと反省し、悲哀から立ち直った反動の
「そんな…」
「なるほど、姫様ももうそんなお歳になりましたか」
詳しい事情を聞いた二人の反応はほぼ正反対。この場合侍女頭のそれの方が一般的であることは間違いない。とはいえ彼女も動揺しているのは事実のようでリレイナに対する呼称が幼い時のそれに戻っている。
「セーラン、そんな冷淡な反応を…!」
「姫様…失礼いたしました、殿下のお相手が決まったというのです。これが慶事でなくて何というのです、ミーシャーナ様」
「それは…」
(セーランの言う事が正しい。不甲斐なくも愛していない男と結ばれることをあれほど嘆いた後で不条理極まりないが、ミーシャーナを
ミーシャーナの怒りはただ自分の恋人が権力によって略奪されるというだけではなく、先程までの自分の態度に純粋に共感してくれたからこその義憤だと理解しているが、王族の結婚について感情だけで論じるのは正しくはない。
そう思ったリレイナは断腸の思いでミーシャーナを制止しようとしたが、その言葉はセーランの意外なひと言で泡のように消え去った。
「意地悪を申しあげました。この冷血者を
「な、なに?二人、とは…何の話だ⁉」
「殿下、この
「そ、それは…つま、り…そなた、知っておったのか」
「え⁉」
年少者たちがさっきまでとは全く違う理由で動揺を始めるのを、老婆はまさしく古木が強風に
「
「そ、それほどあからさまだったであろうか」
「お若い二人に隠し通せと言うのも無理な話でございます」
侍女頭の訳知り顔の言葉に良く日に焼けた浅黒い肌も抜けるような白い肌も赤く染まる。
「しかしそれなら
「左様でございますね…最初は若い娘が時折起こす
「セーランはそういう
「姫様とミーシャーナ様の組み合わせでなければ
「リレイナ様が…?」
セーランの言葉の真実を計るようなミーシャーナの眼差し。そのまるで助けを求める小動物のような瞳をしっかりと受け止めてリレイナは
「ミーシャーナ、いつかそなたは申していたな。自分は生まれつきの体の弱さゆえに厄介者扱いされることが有ると。
「では私を愛してくださったのも…」
「いいや、それは違う」
震える声で確認しようとしたミーシャーナの声を力強くリレイナが
「周囲の誰もが勘違いすることだろう。
その言葉を
「だが違うのだ。ラーシュを好ましいと思えなかったのは
他の誰でもなくミーシャーナにだけは届いてくれと、もはや天にも地にも求める資格を失った王女は、ただひたすらに恋しい少女の心が受け止めてくれることを願って言葉を継いでいく。
それは
「ミーシャーナ、今後そなたが迷うたびに何度でも繰り返すぞ。
少女の
なぜならリレイナもミーシャーナも、もはや互いの事しか見えてはおらず、互いの言葉のみを聞こうとしていたのだから。
誰にも祝福されない愛と誓約の文言を聞き終えたミーシャーナの
「たとえ神が、運命が立ちはだかろうともリレイナ様にこの操を捧げる事を約束します。そして貴女が永遠に私だけの乙女であることを信じます。私も貴女を心から愛しております、リレイナ様」
ここに誓いは結ばれた。
どちらからともなく二人はお互いの手を取り合い、そして彼女たちの秘密を守るためにとその身を隠した
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