三章 四話 ミーシャーナの手紙

 ミーシャーナは常にリレイナのそばはべっている訳ではない。リレイナ付の侍女は数えきれないほど居るのでミーシャーナが王女の部屋に詰める日はそう頻繁ではないし、固い友情で結ばれていると言ってもたかだか豪族の娘が呼ばれもしないのに王族の部屋をおとなうのは難しい。それでも話をしたいとなればリレイナの方からミーシャーナの下に足を運ぶことになる。

 ミーシャーナを訪問する事について一度痛烈な失敗をしてしまったリレイナは、しかし時間を見計らい礼節を守れば回避できると考えて、図らずも入浴をのぞいてしまった後もミーシャーナの部屋を訪問するのを自粛じしゅくしようとは思わなかった。

 自他共に認める親友の下に足を運ぶ気配が一向に無ければ、何か事情があるのではと周りは腹を探っただろうから、賢明な選択であったかもしれない。


 夏至から約二月過ぎ、キグナ砂漠域は季節風が運び込む暑熱の只中。この天候ではまさか愛馬レーンドとの逢瀬おうせともいかない王女リレイナは当然のように親友の部屋を訪ねていた。

「ミーシャーナ、わらわだ、入っても良いか」

 直ぐにだくいらえが有ると決め込んで来意を告げるとあにはからんや今日は即座の返答がない。そうなると姫君の脳裡のうりには不手際の記憶がよぎってしまい、リレイナは何とはなしに頬を赤らめて挙動不審になる。

「殿下、お入りになって大丈夫でございますよ…?」

「む、そ、そうか…いや、ミーシャーナは何か忙しいのでは?」

 誰も見ていないからこそのリレイナらしからぬ振る舞いだった筈なのに、ミーシャーナの世話を担当している‐今のところはリレイナ付侍女の持ち回り‐侍女の一人が間が悪い事にひょっこりと顔を出してしまう。

 王族として相応しからざる様子だったところを目撃されて、ただの娘のような具合になったリレイナを奇妙に思ったようだが、侍女は取り敢えずという風で入室を勧めてくる。しかし以前の記憶を蘇らせていたまさにその時だったリレイナとしては軽はずみに承知も出来ず、ミーシャーナが直接返答をしなかった理由を尋ねてみる。

「ああ、大丈夫でございますよ。確かにちょっと集中してはいらっしゃいますが、殿下がいらっしゃったのに退しりぞけるような内容ではございません…ミーシャーナ様…」

 リレイナの不安を一蹴して侍女は部屋の内側へと声を掛ける。その言葉は全くの真実であったようで、数秒もせぬうちにかすかな衣擦れと共に軽やかな足音が聞こえてきた。足音の主は躊躇ためらいなくカーテンスィターラを上げると長身の姫の顔を見上げて笑顔をほころばせる。

(っ…いかんいかん、ミーシャーナはわらわと同じ女なのだぞ)

 最近何度も不整脈を起こす自分の不埒ふらちさにかつを入れると、何事もない風を装って小柄な銀髪紅眼の妖精ジンニーヤに微笑み返す。

「リレイナ様、お呼びいただいたのに直ぐにお返事をしなくて申し訳ございません。故郷に手紙を書いておりました」

「手紙?故郷というと…ロミオ―サ殿か?」

「ええ、母上とそれから姉妹に向けて」

 ミーシャーナは簡単に説明すると不調法に気付いた様子で改めてリレイナを部屋に招き入れる。リレイナの寝室とは比較するべくもないが、ミーシャーナに与えられた部屋は豪華なベッドサリールの他に、食事用の卓子ジャルドゥル精緻せいちな細工の施された箪笥フィザーナなどを置いても充分な余裕がある。

 その部屋の一角に鎮座する書き物机をリレイナがちらと見ると、確かに半分ほどが黒々とした文字ハルフで埋められた紙が置かれている。

「家族とはそれなりに頻繁にやり取りしているのか?」

「いえ、今回が初めてでございます。遠方ですので配達人の手配も大変ですし、一応侍女だというのに貴重な紙を大量に消費する訳にも」

「シミル地方は時折蛮族の侵入が有って王宮は細かい内情を知りたがっている。むしろ公費で援助したいくらいだが」

「実は今回もセーランがシミル地方への公使に託せば良いと助言してくれたという事情がございまして…」

「セーランめ、抜け道を教えるのは構わんがわらわに報告せんとは」

 後で少し叱っておこうとだけ心に留めておき、リレイナはミーシャーナが家族とどんな内容を取り交わすのかという事に気持ちを移した。

(できればミーシャーナを通じてロミオ―サ殿を篭絡ろうらくしたいのだがな)

 ミーシャーナへの友情とはまた別にリレイナには王太子としての思惑がある。ロシナンテ領は長をシャイーフと呼ぶにはいかにも小さいが、それでも豪族として一定の自治権が有って正規軍は置かれていない。いずれは王宮からの助言役‐という名の地方の監視役‐の目からは見えてこない内情も知るようにしたいが、まずはミーシャーナの母にリレイナ王太子の名を売り込みたい。

「母上にはわらわの事なども伝えたりはするのか?」

「もちろんです。リレイナ様がどれほど温かく私を迎え入れてくださったことか。何も書かないとあればティアマト神からのお叱りが有りましょう」

「そ、そこまで言ってくれるか」

 そのつもりで話題に上げたのだがここまで率直に好意を示されると照れてしまう。力説する妖精ジンニーヤの銀髪を返礼のつもりでくと、剣術の稽古で女性にしては厚みのあるてのひらの感触に、ミーシャーナの抜けるような白い肌にも紅が散る。

 その紅潮は浅黒い肌にも伝染して二人の間には気まずくはないが不自然な沈黙が舞い降りる。リレイナはどうしたものかと悩みながらミーシャーナのハリールのような手触りの髪をいじり続け、その結果少女たちのじらいは止め処なく延長する。

「そ、そうだ。先日の祝宴でそなたはわらわの家族全員と顔を会わせたことになるが、そなたの家族の話を聞いたことが無かったな」

 下手の考えと言えども時間を掛ければなにがしかの案は出てくるもので、リレイナははたとこの状況を打破するのに最も適切だろう話題を捻出した。口にしてみれば本当に奇妙な事で、今まで何故かリレイナは自分の内面を積極的にミーシャーナにさらす一方で、この数か月歳下の親友の来歴を明かそうとはしていなかった。

 あるいは女王の言うとおりミーシャーナを政略の駒とする事への躊躇ためらいがそうさせたのかもしれない。王太子は自らの甘さへの自戒も込めて今後積極的にロシナンテ領の話題を振っていくことを決意しつつ、何も知らぬげにややかすれた葦笛ファロットを響かせる少女の述懐を待ち受ける。

「左様ですね…まずは一族が大家族である事がリレイナ様との大きな違いでしょうか。祖父母もその親兄弟も健在ですし、母の姉妹も何人もおりますし」

わらわの祖父母の不在は確かに早逝そうせいが原因だが、母上には何人も妹はいるぞ。貴族シャイーフなり軍の高官なりと結婚して王宮を離れただけのこと」

「それは存じませんでした。では今後お会いすることも叶いますか?」

「それは難しいかもしれんな。王位簒奪さんだつの陰謀の旗印になるのを母上が嫌ってあくまで臣下として遇していらっしゃる。年始の祝いの席で降籍こうせきした身分として接遇する程度だな」

 物心ついた時にはほぼ他人だった親族に対する率直な感想をリレイナは口にしたが、ミーシャーナは素直に受け取らなかったようだ。少し遠慮がちに話題を継続する。

「あの…僭越せんえつでしたら申し訳ございませんが、お寂しくはございませんか?」

「最初からそういう物だったからそんな事は考えた事が無かったが。だがそうだな、もしキシューカやロジュレンが同じように立場を変えれば寂しいかもしれん」

まことに無礼な質問でございました…私の家族の話に戻します」

「うむ、何を聞いてみようか…そういえば初めて出会った頃にわらわの事を姉と思えと言ったが、実の姉君はどのような人物だ?」

 リレイナは奇異な質問をしたつもりはないがミーシャーナにとっては不意打ちだったようだ。印象的な柘榴石ラァルの瞳を丸くした後、うんうんと唸っている。その姿に何か答えにくい質問だったのなら忘れて欲しいとリレイナは言ったが、そういう事ではないらしい。

「実は姉妹の中で姉上おひとりは母上の最初の夫の子どもでございまして…私たちの父はじぶんの子どもの中から母の後継者を選びたいようで、しばしば両親の喧嘩の種になっていました」

「ふむ…そういえば姉妹が多いのにミーシャーナの才覚がどうこうという話を聞いて不思議だったが、なるほどロミオ―サにとってはある意味ではそなたが長女のようなものだったか」

「左様でございます。しかし姉上はだからと言って世をねたところもなく、少し、私で10歳違いでしたかしら、年の離れた妹みなを慈しんでくれました」

「後継者となる事を諦めたという事か?」

「いえ、母はときどき揺らぐ様子は有りましたが、姉上を後継者とするのは基本方針のようです。姉上が厳しい人柄ながらも妹みなに優しくするのは人柄でございましょう。夫君と姪も私たちに隔意などは無いようです」

「結婚。そうか26歳という事になるのだものな。当然ではある」

「リレイナ様は男性には興味を持っていらっしゃらない?」

 ミーシャーナの瞳が珍しく悪戯いたずらっぽくきらめく。既に18のリレイナに男の気配が無いのを揶揄からかってみたいのだろう。年頃の少女ならではの食いつきようだ。だが実の所リレイナにはほぼ婚約者同様の相手が居る。

わらわ自身は確かにあまり関心が無いのだがな。まぁ相手はほぼ決まっている」

「え⁉」

「意外か?もう18になるしティアマト神…は大仰にせよ始祖メセナハト大王以来の血筋を次代に継ぐ責任もある。居ない方が奇妙であろ?」

「そ、そそ、そうなのですが…その、リレイナ様はあまり男性をそばに寄せ付けない雰囲気がお有りでしたのでてっきり…」

「男嫌いなのだと?」

「はい…」

「実際どうなのであろうな…」

 この機会に自分がどういうつもりなのかを整理する意味も込めて、リレイナは軍で頭角を現しつつあるラーシュという若者が婚約者として有力視されていること、客観的に見てかなりの好男子であること、しかし何かリレイナは好きになれずにいる事を打ち明けた。

 こうして振り返ってみてもやはりリレイナには自分がラーシュをうとましいと思ってしまう理由が思い当たらない。軍人としても勤勉で有能なようだし顔立ちは整っている。婚約者候補だからと言って変にれなれしい気配も出さない。時々話すと女慣れしていない様子があからさまだが、それはそれで女遊びなどの癖が無いという事でもあろう。

 にもかかわらず、だ。リレイナにとってラーシュは出会った時からいけ好かない存在であり続けている。他の男には欠点が有っても無視するだけで済んでいるのに。これはやはりいずれこの男をめとる事になるのが原因なのだろうか。

「他の男性の欠点を気になさらないリレイナ様にとって鼻に付くというのはやはり婚約者と目されていることが原因だと思われます。その…他に気になっている男性がいらっしゃるというのでは無いのですよね?」

「そうだな。そもそも良い歳をして結婚せねばならないという事が普段は頭の片隅にも浮かんでは来ない」

「リレイナ様が結婚などしたくないというのならばそれで良いのではないでしょうか。その…後継者はキシューカ様のお子様から選んでもよろしいかと」

「それは不道徳だミーシャーナ。王太子たるもの国民の範たる生き方をせねば」

「それは…でも…」

 ミーシャーナはリレイナのためを思って選択肢を広げたいようだが、それはリレイナにとって選べる道ではない、無いはずだ。確かに女王として確固とした業績を上げ、後継者は愛妹の子から資質有る者を拾い上げるというのは魅力ある選択肢だ。しかしこの場合魅力を感じるというのはからこその禁断の蜜の味だ。

 それからミーシャーナの手紙の中で王太子リレイナをロミオ―サに印象付けようという心づもりも、手紙にかこつけてロシナンテ領についての話を引き出そうという気持ちもしぼんでしまい、リレイナは消化不良な気持ちのままミーシャーナの部屋を後にした。

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