三章 二話 予想外の確執
だがミーシャーナがこの歳で馬に乗れないという事を秘密にしておきたいというリレイナの要望から、軍の早朝鍛錬が一段落したこの時間帯を見計らっての練習開始と相成った。
灼熱の季節が過ぎ去ればまた時間と場所の確保に
「ロシナンテ
「!…はい!
(やれやれ、互いに緊張しすぎだな…)
力みかえって教師に挨拶する銀髪の少女を見て微笑ましく思っているリレイナだが、彼女自身も正式な馬術を教わったことは無い。自分も何か得る所が無いかと期待して初歩の教導を真剣に少し離れた場所から聴講する。
「ミーシャーナ様は馬に触れるのは初めてとお聞きいたしましたが、間違いありませんか?」
「いえ、少々誤解があります。幼い頃に体が弱かったために屋外での練習が難しかっただけで、全くの初心者という訳ではありません」
「おお、左様でしたか。これは失礼をば…ふむ、ならば…」
ミーシャーナの馬術に対する練度を改めて確認した後、しばらく黙考したリンドはまず何を伝えるべきか考え始めた。
(ふむ、これは難航しそうだな)
リンドはまず用意された白鹿毛の馬ロニュクにミーシャーナを騎手として信頼させる所から始めた。馬にとって人を乗せるというのはそれなりに負担の伴う労働だ。気性が荒い馬の場合、気に食わない人間は平気で振り落とそうという事も珍しくはない。
ロニュクはそういった事をしないようにという基準で選別されたので心配は無いだろうが、だからといって馬が騎手に不満を抱いていてはこれから長く続くミーシャーナとロニュクの関係には良くない。
だが人の側があまり甘やかすのも良くはない。馬が騎手を侮っているとその指示に従わないかもしれないからだ。ただ馬に乗るだけならば補助に入る人間‐この場合はリンド‐が
(…のだが…ミーシャーナは思った以上に大きな馬の体に
本来ならば馬に乗る訓練というのは幼い時に自分専用の子馬を選んでまずは日々の世話を通じて互いに信頼関係を築くところから始めるものだ。今回ミーシャーナの外聞を
リンドもおそらくその辺りを軽く考えていたために現状を打破する方法が用意できていないようだ。さらに問題なのが教師も生徒も
「いったい何を
「む?キシューカではないか、どうしてこんな所に?」
「ご挨拶ですわね姉上。先程きちんとどこで練習するのかお尋ねしましたわ」
「ああ、あの質問はそういう…なんだ、ミーシャーナがそんなに気になっていたのか?」
悪循環に陥っている二人と一頭の様子を少しハラハラしながら見守っていたリレイナを驚かせたのは先程別れたはずの妹姫だった。突然の奇妙な言動の理由には得心したが、姉に対する愛情が時に奇妙な方向に
「キシューカ、そなた自分の馬はどうした?」
「姉上も例の白馬をお連れになってはいらっしゃらないご様子ですが?」
「ミーシャーナは練習を始めて最初の日だからな。悪戦苦闘している横で自分だけ楽しむのも具合が悪いと思ってな。それで馬に乗らないつもりなら何故そなたはここに?」
「妾《わらわ》はあくまであの娘が姉上のお
「余計なお世話だな、誰が
「その言い様がもういつもの姉上らしくございません。先程も姉上の助け舟が無ければ
「
「姉上はあの娘に
リレイナはミーシャーナの美徳を論理的に
(まずいな、あんな調子では馬が
自分の態度が
「そなた!さっきから何を愚図愚図しているのだ!さっさと
「え?キ、キシューカ殿下?」
「あ、あの…え…?」
「
リレイナは可能な限り素早く判断してすぐにキシューカに追いついたのだが時既に遅し。姉より
「待てキシューカ、馬の様子を見るがいい」
「姉上?馬が…あ」
馬は元来臆病な動物だ。怒号飛び交う戦場でも平常心を保てるようにと厳しく鍛えられた軍馬でもないのに、すぐ
「すまないな、ミーシャーナ、そして教師リンド。今日はもう
「リレ…殿下…でも…」
「いえ、ミーシャーナ姫様。リレイナ殿下の
「…すまぬ。
「あのぅ、貴女様は?」
「リンド先生、このお方はサレナイア3世陛下の次女、キシューカ殿下でいらっしゃいます。見学に来てくださったのですね?」
ミーシャーナの紹介に応えることもできずしょげかえるキシューカを
これはしばらく放置するしかないと思ったリレイナはリンドに頷きかけ、後片付けを始めるように無言で
「では今日の練習はここまでに。リレイナ殿下、キシューカ殿下、ミーシャーナ様、ロニュクはわたくしめが
「いえ先生。折角の機会ですから私がロニュクの
ミーシャーナの言葉にリレイナの女にしては少し分厚い
そっとリレイナが添えた手を払いのけると
「
「いえ、お気になさることのないように、殿下。リレイナ様はいつでもお時間を空けてくださいますから」
(?キシューカが
「あの…両殿下…」
「ああ、すまない教師どの。また次の練習の日取りは追って連絡する。そなたは気にせず後片付けを頼む」
「承ってございます」
リレイナが
「リンドは馬を戻した後ここの細々した作業が有るだろう。邪魔せぬように今日はお開きとしようではないか」
「はい、姉上。今日は大変失礼いたしました。それではごきげんよう」
すっかりいつもの調子を取り戻した様子の、姉と同じ
夏の空の色の瞳の少女は、編み上げた長い金髪を軽く下げて挨拶すると
それを見送った
「あ~うむ…今日は残念だったな、ミーシャーナ」
「はい、あ、いえ…その、わたしいけませんね。リレイナ様の妹君なのだからもっと仲良くしなければと思っていたのに」
「最初の出会いが良くなかったからな。
「いえ、そうではなく…いいえ、きっとこれからはもっと…はい!」
何か納得しているらしい親友を奇妙に思ったが、今回の失敗は忘れてまた改めて馬術に挑んで欲しいとリレイナは考えた。
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