一章 三話 運命の出会い

(そろそろ例のミーシャーナという娘は母上との謁見にのぞんでいる頃だろうか…)

 乾《ほ》しわらむレーンドの毛並みをブラシフリシュで磨き上げたリレイナは愛馬の世話の為のゴワゴワした王族らしからぬ麻の作業着から、客人または人質を出迎えるにあたってどんな装いに着替えるかを考えていた。

(母上の意向を最大限にむのであればむしろ侍女に適当にあつらえさせた普段着の方が良さそうではあるのだが)

 リレイナ自身にも好ましい選択ではある。だが何故か今日は着飾りたい、着飾るべきだと精霊ロゥハが少女の耳元でささやきかける。と言って王族然としたきらびやかな正装をしたいわけではないし、公務でもないのにそれは女王が許さないだろう。

 となると実務に傾倒した姫君には何が正解なのか全くわからない。国の威光を示すべき公務ではない日常の装いにおいて贅沢ぜいたくをするというのは、彼女にとっては軽蔑けいべつの対象ですらあった。初めてラーシュと内々にいずれは婚約をと耳打ちされて引き合わされた折でさえ、まったく華やかさのない着心地の良さのみに仕立ての技術を振り分けた恰好で臨み、内心でカレナジテを嘆かせたリレイナだ。

 しかしそのある種の剛直さは今になって全くもってリレイナ自身を追い詰めている。いざ年頃の娘らしく着飾ってみようと思ったのに、適切なコーディネート以前にろくにお気に入りのアクセサリー一つ思い当たりがない。

 より良い為政者たるべく生きてきたことが貧しい価値観につながってはいなかったかとやや過去を反省しつつこれもまた王族としては質素な自室に戻ると、古馴染みの老侍女が焦った様子で汚れた麻服からの衣装替えを急かしてくる。

「殿下!今日から新しい侍女を迎え入れることになっているのですよ!そんな質素な服装で…」

「すまん、わかっている。今日来るのは単なる侍女では無くて母上が選んだ一種の客人であるという事も。だが、レーンドの世話をさぼる訳にもいかんのでな。それでさらに迷惑をかけるのだが…」

「まさか客人を迎えるのを私に任せるというのではございませんよね⁉」

「違う違う、特別な客人だから普段のなるべく質素にしている衣裳では無くて少し着飾ってみたいという気になったのだが…わらわ箪笥タボットにそんな物は無いだろうな」

「まぁ!」

「重ね重ねすまん、言ってみただけだ。忘れてく…」

「いいえ、違います!殿下がそのような事に関心をお持ちくださったというのがこのセーランにはとても嬉しゅうございまして…ご安心ください、殿下がいつか気紛れを起こしてくださることを夢見て、わたくしの私費でお似合いになりそうなお召し物を取り揃えてございます!」

 リレイナはある意味で母にも並ぶ付き合いの老侍女の入れ込みように唖然あぜんとしてしまうが、ともあれ問題は根本的なレベルで解決したようだ。後で母上に申し上げてセーランが揃えた衣装の代金をなんとかしよう、と内心で考えながら彼女が箪笥から宝石箱から次々と出してくる煌びやかな品々から、あまり華美にはならないが自分の女としては少々筋肉質で細身の体を引き立てる品を選んで侍女たちが楽しそうに着付けるのを彫像のようになって見守った。


 やはり自分は母上の娘なのだなと一番気に入った巻きスカートタンヌーラの色合いがカレナジテの好む藍色であることに妙な感慨を覚えたリレイナは、しかしミーシャーナなる娘が現れるまでこの美しいハリールの服にしわを寄せないようにとガチガチになっていた。

 その様子を見てなにやら勘違いしたらしいセーランが声を掛けてくる。

「殿下、実際には客人とはいえ侍女として入ってくるのは間違いないのです。栄えあるシャグナートの王太子が女一人にそんなに緊張するのもいかがなものでしょう」

「む?確かに妙に気にかかってはいるが…ああ、違う違う。こんな見事な服など普段身にまとわないから少しな…」

「まぁ、殿下ったら!お気になさいませんように、殿下が毎日所望なさっても良いようにまだまだ取り揃えてございますよ」

「うむ…ひょっとして今までわらわを着飾らせる機会をずっと待ちびていたのか?」

「左様でございますね…」

 セーランとの会話が弾みかけた所で、カーテンスィターラ越しに外で控えていた侍女の一人が声を掛けてきた。どうやらミーシャーナが現れたようだ。リレイナはセーランに合図すると今日は部屋の奥まったところに置いた椅子コルシィに腰掛け、やや威厳があるように、しかし変にしゃちほこばらないようにと気を付けて姿勢を正す。

「殿下がお許しになりました。お入りなさい」

「失礼いたします」

 セーランがリレイナ付侍女の筆頭として招き入れると、ややかすれたしかし熟練の楽師の葦笛フェロットのように甘く柔らかな声で入室を告げる声がする。自分とさほど年の変わらぬ少女にしては幼い、この声を出すのはどんな娘だろうとさりげなくカーテンスィターラを上げて入って来る少女を見つめようとするリレイナ。

 フィッダ

 最初にリレイナのエメラルド色ズムルッドの瞳をとらえたのは今まで見たことのない色合いの、物語に出て来る妖精ジンニーヤを思わせる妖しい魅力の腰まで伸びた髪だった。

 銀色の娘はしゃなりしゃなりと歩を進めると、リレイナと言葉を交わすにはやや遠い距離で膝を突いて貴人に対する礼を取る。

 リレイナの部屋の時が止まった。

 聡明と果断双方を兼ね備えるとたたえられる姫は突然の沈黙の時間に惑い、誰もが自分の言葉を待っているのだと気付くまでしばらく時間を要する。

「顔を…」

 しまった、声が裏返った。慌てて咳払いするとまるで即興劇に放り込まれた大根役者のような棒読みで取り敢えずやり直す。

「顔を上げなさい、リレイナがそれを許す」

「はい、リレイナ様」

 再びリレイナを魅惑する葦笛フェロットが響くと、妖精ジンニーヤがそれまで伏せていた顔をリレイナに向ける。その途端ふたたびリレイナの心の奥にバルクが落ちる。

柘榴石ラァル…」

「は?」

「いえ、何でもないわ…良い、楽にせよ」

 妖精ジンニーヤの瞳の赤に思わず口に出した感慨を取り消してリレイナはとにかく客人を迎えるべく言葉を継いだ。しかし作法に則りリレイナより2つだけ幼い娘はそのまま主人の言葉を待つ。

「楽に。立ちなさい」

 もう一度リレイナが声を掛けてミーシャーナはようやく立ち上がり、一旦背筋を伸ばすともう一度立礼をほどこす。

「お初にお目にかかります、リレイナ様。ティアマト神より全てを受け継がれたメセナハトのすえ、サレナイア3世陛下よりおそれ多くもロシナンテ領をたまわりしロミオ―サの次女でミーシャーナと申します」

「ロシナンテシャイーフロミオ―サとそなたの忠誠に感謝を、ミーシャーナ。ティアマト神の祝福が降り注ぎますように…ともあれ遠い所を良く来たな、これよりそなたはわが友。この王宮を自分の家と心得、わらわを姉とも思ってくれれば嬉しい」

「畏れ多いことでございます、私などリレイナ様の下僕しもべとおおぼえくだ…」

「型通りのやり取りは良い。わらわは心底、そなたがここで安らかに暮らしてくれると嬉しいぞ」

 礼法に則ってミーシャーナが挨拶しようとするのをリレイナはさえぎった。それは母カレナジテのロミオ―サの娘を王宮の味方に取り込み、やがてはロシナンテシャイーフのみならずシミル地方全体を安んじようという政略に沿う物でも有る。

 だがそれだけではない。才気煥発ではあるが奇矯ききょうなお転婆娘とやや余人に遠ざけられるのを良しとしてきたリレイナが、ミーシャーナにはそうあって欲しくないという不思議な初対面から感じた親愛の情がそう言わせた。

わらわにしては珍しいことも有ったものだ。この妖精ジンニーヤのように麗しい少女に《絆|ほだ》されたとでも言うのか?このわらわが?)

「本当に遠い所を良く来てくれた。砂漠の旅は辛くはなかったか?そなたは体が弱いと聞いて少し心配していたのだが…」

「お気遣いいただきありがとうございます、リレイナ様。ご覧の通り生まれつき色素が薄いために夏の日差しは苦手ですが、さほどの事は。母が良く気を配ってくれたためか、この歳まで大した病も無く健やかに。旅はむしろ今まで見た事も聞いたことも無いものが途中で見られて楽しいほどでございました」

「そうか。わらわは遠乗りを好むが、一日で駆けられる距離でも王宮にいては気付かぬことも多い。シャグナートの広大な土地を行くとなれば更に見聞を広められような」

 実際に少し心配していたことに触れると、屈託なくミーシャーナが応える。もちろんしっかり準備していたからこその気楽さもあろうが、本人の好奇心の強さもそうさせたのだろう。そういう気性ならば王宮での新しい暮らしもすぐに馴染むことだろうと内心でリレイナは安堵あんどする。

「さて、ではそなたのこれからについても話しておこうか。セーラン」

「はい、殿下」

「この者がわらわ付の侍女の差配を取り仕切っているセーラン。確か今は亡き祖母上の頃からの王宮勤めだったか?」

「さようでございます」

「うむ、故に王宮の全てを知っていると言っても過言はない。しばらくはこのセーランにき従って侍女としての仕事をおぼえていくように」

「よろしくお願いします、セーラン様」

「ミーシャーナ様、職務上は貴女様の上司となりますがわたくしは単なる平民。尊い血筋シャイーフの血族に様などと呼ばれては体がかゆくなってしまいます。どうぞ気軽にセーランと」

 ロミオ―サが王宮生活に付いてどう説明したのか、ミーシャーナは特別な立場に置かれたことに今更ながらに気付いた様子で戸惑い、リレイナとセーランを交互に見比べている。

「先ほどわらわを姉のように思えと言ったろう。他に王宮に置く口実が無いから侍女などと言われただろうが、むしろわらわと寝食を共にする友人となって欲しいというのが母上、女王陛下とわらわの望み。また妾には血を分けた本当に妹も弟も居る。そのうち紹介してやろう」

「ありがとうございます、リレイナ様…リレイナ様の良き友となれるよう精一杯努力いたします。ティアマト神の祝福がありますように。セーランもよろしくね」

 最後だけ型通りの初対面の挨拶を終えると、ミーシャーナは運び込まれた荷物を確認するようにとセーランに最初の仕事を言いつけられて、侍女たちが生活する部屋へと下がっていった。彼女が退室するとリレイナは少し肩に力が入っていたことに気付く。

(妾《わらわ》がこんな調子ではミーシャーナもやりづらいだろう、気を付けねば。それにしてもこの歳で突然妹が増えるとはな)

 これからの生活が華やぐという予感を覚えてリレイナは湧き立つ心に任せて勢いよく立ち上がると、母にミーシャーナの第一印象を伝えるために女王陛下が執務中かどうかを確認するべく王宮の公的な区画へと歩き出した。

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