心の中で、「わたしはトルソー」って10回唱える。

鉈手璃彩子

第一章 

1.大丈夫です! わたしが見てるのはあなたのカラダだけなので!

 ……ったく、おまえら全然わかってねぇ!


 昼休み、自分の席でスマホの画面を見ながら、わたしはこっそり嘆きの舌打ちをする。


 とあるSNSアカウントの配信動画。

 薄暗闇に、女の子……デスクに座っているのだろう、ジャージ姿の胸から上が映されている。映っているのは首から下で、顔は出していない。肩にギリギリつくダークブラウンのボブヘアの毛先だけが見切れている。たどたどしい言葉で語るのは、推しのアイドルについて。ときおり拝むように両手を合わせたり、キラキラさせたりパタパタさせたり、身振り手振りが加わるが、動きらしい動きはそれしかない。


 動画の主はクラスメイトの古賀こが陽葵ひまり。数週間前、わたしは彼女のSNSの裏アカをつきとめ、以来こうしてこっそり視聴している。ただ、それもだんだんと辛くなってきていた。なぜなら、ぶっちゃけコンテンツとしてはそれほどおもしろくないからだ。


『えっと、それから、あのー、今回のライブ、感動ポイントとしては、ほぼ全部感動だったんだけど、特に今回はですね、みくるちゃんの卒業ってことで、ですね、あの……』


 声はたしかに古賀陽葵のもので間違いない。もったりとしたしゃべり方も、特徴的だからすぐわかる。メモも台本も見ずに、推しについて思いつくかぎりの賛辞の言葉を一生懸命に紡ぐ様子は、見慣れている人間からすれば彼女らしいと思えるけれど、緊張しているのか、普段より輪をかけて拙く聞こえる。そのため肝心の内容が頭に入ってきにくい。


『懐かしい曲もいっぱいやってくれて、あのそれで、わたしはやっぱり、みくるちゃんほんと唯一無二だったなって、なんか歴史をね、振り返ったら、あらためて、すごいそう思って……』


 特に意味のない沈黙の時間も多い。

 視聴回数も数回。多くて数十回だが、これでは評判があがらないのもうなずける。


 稀についているコメントは「声が聞き取りにくい」か「声がかわいい」の二種類しかなかった。

 実に嘆かわしい。

 古賀陽葵を総合評価するとしたら声がどうこうなんて別に大きな問題じゃないんだけどなぁ。なんにもわかってないわねあなたたち。


 だけどほんとうに、いちばんわかってないのは陽葵本人だ。


 もっと部屋を明るくして、アイドルソングを流しながらかわいい衣装を纏って……そうすれば無理にしゃべらなくてもいい。わたしの推しは立っているだけでもじゅうぶんに輝けるはずなのだ。はずなのに……。


 その深緑色のジャージはうちの学校の体操服だ。わかる人にはわかるんじゃなかろうか。きっちりと首までジッパーを引きあげて、ぶかぶかで長めの袖から指さきだけがのぞいている。さすがにもったいなさすぎて胸が苦しい。そんな地味なかっこうで、語り中心の配信では、どれだけ耳をすませたってあなたの魅力は見えてこないのよ。

 しかもなんでこんな暗い場所で撮ってるの? だれかから隠れてるの? どこですかここ。家ですか?


 そもそも古賀陽葵は、どちらかと言うと恥ずかしがり屋で、人前で話すのが苦手なタイプのはずだ。それがどういう気持ちで、なにが目的でこの動画を投稿しているのだろう。見ているこっちがハラハラして疲れてしまう。


 とはいえ、ここでわたしがいくら気を揉んでもしかたがないのだけれど。


「はぁ」


 だらりと机に突っ伏して大きめのため息をついたとき、机の向こう側へと投げ出した手から、スマホが離れた。

 自分の足に当たったそれは、あっという間に前の席の机の下へ滑り込んでしまう。運悪く画面を上にして。


 やば。


 大きな音をたてて椅子をずらし、立ちあがってはみたものの、そこは勝手に侵入するわけにはいかない領域だ。

 無視してほしかったけれど、もちろんそんなわけはなく。

 後ろからなにかが飛んできたことに気づいた席の主が、さっと机の下にもぐりこんで、頼んでもないのにそれを拾いあげてくれる。

 すでにブラックアウトしていたならまだ救いがあったのだけれど、画面はまだ無慈悲にも陽葵の動画を映したままだった。


 こちらに向けて差し出された手が、途中でぴたりと固まる。完全に、見られてしまった。あー終わった。


『それでね、えーと、あの、じつはこれが、いちばんやばくて。ついこのまえ発表されたばっかりなんですけど、なんか、みくるちゃんが所属するあたらしい事務所? で、あたらしいアイドルグループの、オーディションがですね、あって、それはえっとー、つまり、合格したら、あの、みくるちゃんといっしょに、』


 耳にさしたままのワイヤレスイヤホンの向こうでは、目の前の現状と無関係に、動画のなかの陽葵のアイドル語りがまだ続いている。


「すみません」


 感謝よりも謝罪の気持ちで会釈をし、あわてて彼女の差し出すスマホをひったくる。


「……え、あ、そ、それ……」


 丸眼鏡の奥のつぶらな瞳が、おどろきと言うより恐怖に見開かれている。まあそうなりますよね。

 正直なところ、生身の彼女とはあまり話したことがないのだ。気まずいにもほどがある。初絡みがこれって。


「あの、……なんで?」


 みなさんすでにお気づきだろうけれど、前の席でわたしのスマホを拾ってくれたのは、古賀陽葵本人だったのである。

 聞きたいのは、どうしてわたしが彼女の裏アカを知っているのかということだろう。

 動揺に声が震えている。

 彼女の気持ちを想像すれば無理からぬ話だ。

 いつもだれかの背中にかくれて小さな声で話し、自分の意見なんて滅多に主張しない子が、あまり仲良くないクラスメイトに、裏アカを知られていたのだから。

 消えたくなるような羞恥心に襲われていてもおかしくない。

 申し訳なさと恥ずかしさで、こっちまでお腹が痛くなってきた。

 なんとかしなきゃ。なにか言わないと。


「だ……」


 一瞬頭をパニクらせたあげく、わたしはとっさに、口に出していた。

 まっすぐ素直な気持ちを。


「大丈夫です! わたしが見てるのはあなたのカラダだけなので!」


 あくまのフォローのつもり、だった。でも、


「え、……え?」


 絶句する古賀陽葵。

 その顔色が、アルカリ性を含んだリトマス試験紙よろしくみるみる蒼く変化していくさまを、わたしは自分の愚かさに唖然としながら見守ることしかできなかった。

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