第3話 殺人事件
F県?市において、早朝の河川敷に、
「一人の男性の他殺死体が発見された」
というニュースが、すでに午前中のワイドショーで放送された。
第一発見者は、河川敷を毎日ジョギングしている老人で、いつものように、河川敷の遊歩道を走っていたのだが、
「何やら、犬がいつもに比べて叫び声が違っている」
と感じたその老人が、怪しさに気づいて、さっそく、犬が叫んでいる雑木林に近づいていった。
「何が出てくるか分からない」
ということで、用心のために、近くに転がっていた木の枝のようなものを手に、近づいていった。
もし犬に向かって、そんな体制を取れば、犬としても、ビックリして、
「こちらに対して叫んでくるか」
それとも、
「怖気づいて、逃げ腰になるか」
ということを考えたが、
「どちらでもない状態で、老人に構うことなく、雑木林の方に向かって、ただ叫んでいる」
というだけであった。
それだけに、今度は、
「老人が怖気づいた」
のだった。
逃げ腰になって、腰を引いた老人だったが、
「さすがに腰が曲がっている状態で、この状況に耐えられるだろうか?」
と考えたが、
「乗り掛かった舟」
というものから、逃げるということはできなかった。
「まさか、襲われるなんてことはないだろう」
という思い込みが強かったからで、
「実に甘かった」
と後から思い、いまさらながらにゾッとしてしまったが、
「それも、そこにあったものが、何であるか?」
ということで、考えられることの中では、比較的、危険性のないものだったことで、
「びっくりはしたが、功を奏した」
と思えたのだ。
というのは、
「相手が襲い掛かってくる」
ということが、
「あり得ない」
からであったのだ。
そう、そこに転がっていたのは、
「モノ言わぬ死体」
だったのだ。
それでも、最初見た時は、その人が死んでいるなどということは、思わなかった。
いや、思わなかったというよりも、まずは、最悪から考えなかったということからであった。
「死体でも転がっているのでは?」
とは、最初から考えないわけではなかった。
それでも、それは、
「死体だったら、襲い掛かってくることはない」
という思いからであった。
だが、そうは思いながら、想定外ではあった。
「転がっている死体」
というものの霊魂が、
「自分に乗り移ったとすれば?」
という、
「オカルト」
であったり、
「ホラー」
のようなものの発想であったりすれば、それが、
「恐怖というものと、いかにつながっているか?」
と考えたからである。
これが、
「幽霊」
「妖怪」
などのたぐいとつながっていないとすれば、
「それは、自分の中に住んでいるものではないか?」
と考えられるというものであり、ある意味、
「もう一人の自分」
という発想から、今度は、
「夢の世界」
というものを想像させるのであった。
「夢の世界」
に、もう一人の自分を今までに何度見たことであろうか。
「目が覚めるにしたがって、夢というのは忘れていく」
という風に考えていたが、
覚めたはずの目であっても、
「その夢を忘れられない」
というのがいくつかあったような気がする。
もちろん、ずっと、永遠に覚えているというわけではないが、他の夢は、
「思いだそうとしても、絶対に思いだせない」
というものであるが、こちらは、
「忘れようとしても忘れられない」
ということで、まったく違った性質のものに思える。
しかし、
「正反対の性格であるがゆえに、実は、性質という意味では、同じものなのではないか?」
といえるだろう。
自分の中で思いだしているつもりであるが、
「思いだせない」
というわけではなく、
「思いだそうとしていないのかも知れない」
とも感じられる。
それは、本当は、
「思いだそうとしないから」
ということではないか。
普通、思いださなければならないというものを思いだせないとすれば、どう考えるであろう。
「思いだそうとしたが、思い出せなかった」
という言い訳を講じるのではないだろうか?
それは、人間の本能のようなもので、
「やりましたアピール」
というものをすることで、
「自分を正当化する」
ということである。
しかも、まわりは、
「やりました」
ということが看取られれば、
「努力はした」
ということで、それ以上責めることはできないという情が入ってしまうのだろう。
これが会社組織ということになると、
「やりましたアピール」
というものは、却って言い訳だということになり、うまく機能しないということになるだろうが、
昔の
「人情の時代」
ということであれば、
「やりましたアピールが通用する」
という場面も大いにある。
それは、日本人というものが、
「判官びいき」
だからである。
「弱い者の味方」
というのが、
「日本人の人間性」
というもので、
「人情が、美化される」
ということになるのだろう。
だが、そんな人情だけで、世間は通用しないということから、
「その考え方によって、やりましたアピールが通用する」
という場合もあれば、
「まったく通用しない」
ということもある。
逆にいうと、
「判官びいき」
という人情は、
「何かに利用できる」
という状態の時に重宝されることになるかも知れない。
そういう意味で、
「ドラマなどで、人間性や人情というものが、誰かに利用され、そして、それが打ち砕かれてしまった」
という時、そこに現れた、
「正義のヒーロー」
なるものが、
「被害者の敵討ち」
というものをするということで、
「小説や舞台、ドラマなどが売れる」
ということになるのである。
だから、その時の老人も、子供の頃というと、まだ、
「テレビが普及し始めた時代」
というくらいではないだろうか?
テレビの普及」
というと、
「街頭テレビ」
の時代であり、これが、
「カラーテレビ」
ということになると、時代としては、
「東京オリンピック」
という時代であり、
「やっと、一般の道も舗装される」
というくらいの時期だったといえるだろう。
公園で遊ぶというよりも、
「神社の境内で遊ぶ」
という方が多かったかも知れない。
「昔であれば、まだまだ児童公園というものが、整備されていなかったのではないだろうか?」
今は、すでに、そのテレビの時代が、徐々になくなっていき、
「スマホ一台あれば、テレビも、パソコンもいらない」
という若者もいるくらいで、
「パソコンというのは、仕事で使えばいいくらいだ」
と言われるくらいであったのだ。
この街、?市は、県庁所在地であるF市のベッドタウンとして発展してきた、都心部に繋がる一級河川の上流に当たるところで、海まではだいぶあるのに、上流と言っても、結構な川幅があった。
堤と川の間は、整備されていて、遊歩道だけではなく、野球場やゴルフ場もできているくらいであった。
早朝野球などは昔から賑やかであったが、最近は、なかなか野球人口も少ないようで、野球場の存続も危ぶまれているという話が流れているくらいだった。
そんな河川敷であるが、
「野球場をなくして、じゃあ、そこに何を作るのか?」
と言って、作るものも差し当たって考えられないことで、
「とりあえず、もう少し様子を見るか?」
ということになった。
放っておくと、あっという間に雑木林のようになってしまい、その整備だけでも大変だ。
収入にはならないかも知れないが、
「整備費」
の分だけでも賄えれば、少なくなった利用者でも、定期的に利用してくれるだけありがたいというものだ。
実際に、利用者から、
「野球場を潰すなどと言わないでくれ」
と市に嘆願書が来たくらいだ。
何とか、利用価値があると思える分、秋や春などの季節、利用客を募る宣伝も忘れないようにしていたのだ。
それでも、結構広い河川敷、行き届かないところもあるようで、ところどころに、雑木林ができていて、その先の目立たないところの橋の下あたりで、ホームレスがたむろしていた。
最近は、めっきりと減ったようだが、市の方で、何かの対策を講じたのか、
「確かに見なくなった」
と思えるくらいになっていた。
街の公園などにいた人たちもほとんどいなくなっている。それが、
「行政の努力」
というものによるものなのか、正直分からないが、
「いいことなのだろう」
と感じたのだ。
だから、最初、ジョギングに勤しんでいた第一発見者は、転がっている男を見た時、最初は、
「ホームレスか?」
と思った。
ただ、その横たわっている男は動こうとしない。
「このままでは、寒さをしのぐことはできないだろう」
と見ているだけで、ゾクゾクするような寒さを感じたのであった。
河川敷ということで、手ごろな凶器は、ゴロゴロ転がっている。ジョギングしながら近づくうちに、その男が殺されているということがどんどん分かってきた。
頭から、真っ赤な血が流れている。そして、そのそばには、血に染まった石が落ちていた。
「この男は殴打されて殺されたんだ」
と思い、顔を覗き込もうとすると、
「まるで睨みつけられているように見えてきて、その顔は、完全に、断末魔の表情となっていた」
死体を一勝のうちに見るというのは、そんなにたくさんではないだろう。
しかも、
「傷ついた死体」
ということになると、まずないだろう。
交通事故の惨事であったり、今回のような他殺死体であったり、
「実にレアな場面に出くわしたものだ」
と考える。
確かに、世の中では、
「殺人事件なるものは、頻繁に起きている」
とも思っていたが、実際に第一発見者に、自分がなるなどということは、普通であれば信じられない。
サスペンスドラマなどでも、最近は、
「死体の場面を写す」
ということはなかなかないだろう。
ただ、昭和の頃の、探偵小説が原作のドラマなどでは、かなりリアルな映像で表現されているようである。
そんな場面を思い出そうとすると、
「今のドラマと昭和の頃のドラマとでは、原作も違えば、映像作品としても、かなり違っている」
といえるだろう。
ホラーやミステリーというと、
「陰惨な場面が売り」
ともいえるだろう。
ただ、最近は、基本的に、
「血が流れる場面」
であったり、
「死体を写す」
というような場面は写さない。
ドキュメントであっても、自然災害での、現場映像は、
「その場面を見ただけで、PTSDを引き起こす」
ということで、
「放送してはいけない」
ということも言われるようになったのだ。
以前は、アニメなどの映像技術で、
「暗い場面から、急に明るい場面になった瞬間、それを見ていた人が、頭痛や吐き気に見舞われた」
という社会問題を引き起こしたことがあり、
「テレビを見る時は、明るくして、離れて見るようにしてください」
ということを言われるようになったのだ。
そんな場面を言われるようになると、
「街のネオンサインも、昔は、動的な、いわゆる芸術作品のようなものが多かったが、最近では、明るく目立つものは残っているが、動的なものはなくなっていった」
ということであった。
それにしても、なぜ急に、そんな現象になってきたのか?
「ネオンサインの技術が発展してはきたが、それに、人間が耐えられなくなってきた」
ということなのか、それとも、
「人間が今までは耐えられたものが耐えられないほどに、技術は進歩したが、その分、人間が弱ってきたということなのか?」
と、いうことで、
「人間は、技術の発展と引き換えに、退化という犠牲を払っているのかもしれない」
と感じさせられた。
人間の身体は、科学の進歩についていけなくなったということであれば、
「寿命がどんどん延びていく」
というのはどういうことであろう。
平均寿命がどんどん延びていくということで、ここ数十年前からの、大問題となっている、
「少子高齢化」
という問題。
それこそ、
「高齢者は、姥捨て山のようだ」
と言ってもいいかも知れない。
以前は、
「定年といえば、55歳で、定年になれば年金がもらえて、その年金だけで、悠々自適な生活が送れた」
ということで、今くらいに定年を迎えた人は、
「その時に定年退職した人を、そんな悠々自適な老後を楽しんでいる」
と感じていたので。
「いずれは、自分も定年を迎えて、悠々自適な生活を」
などと思っていると、まったく違った世界が待っていたのだ。
定年が60歳まで伸びてしまい、さらに、年金がもらえるのが、65歳からということである。
しかも、その年金額というのは、働いていた頃にもらっていた給料の、何と、
「半分以下」
ということで、
「定年後も働かないと生活していけない」
という時代になっていたのだ。
実際には、高齢者を支えるはずの、
「働き盛りのサラリーマンが、どんどん減ってきている」
減ってきているというよりも、
「人口がいないのだ」
つまり、
「子供を作ると、生活していけない」
ということで、子供の出生率がどんどん下がってくる。
昔であれば、労働人口の確保」
ということと、高度成長時代ということもあり、
「安定した給料」
というものがあり、社会の構造が、
「年功序列」
「終身雇用」
というものが当たり前だったので、給料も安定した時代というのがあったのだ。
しかし、そのピークもバブル経済までで、それが一気に崩壊したことで、
「社会が崩壊した」
と言ってもいい時代になってきた。
それまでのバブル経済は、
「本当はすでに崩壊していたのに、それを感じさせないほどだった」
と言ってもいい。
何といっても、
「実態のない、泡のような経済なのだから、その崩壊に気づかない」
というのは、無理もないことなのかも知れないが、それにしても、経済学者や有識者などが雁首揃えて、
「誰も分からなかった」
というのは、本当だろうか?
分かっていて、気づかないふりをしていたのかも知れない。
確かに、浮かれたバブル経済の中で、
「陰りが見えている」
などというと、
「ほらを吹くんじゃない」
ということで、
「せっかく経済が上向きなのに、水を差すようなことをいうと、今の経済が、音を立てて崩れていくことになりかねない」
として、保守的な人間は、
「なるべく騒ぎ立てることをよしとしない」
と思っているに違いない。
だから、
「経済学者も、分かっていても、黙っているしかない」
と思うようになったかもしれない。
「経済学者として、警鐘を鳴らすのが仕事なのに」
ということであるが、それを聴こうとしないのであれば、どうすることもできない。
「俺たちは、自分のことだけを考えるしかないんだろうな」
としか思えないということであろう。
そんな社会の中で、
「殺された男というのが、どういう人物なのか?」
とその時は誰も分からなかった。
第一発見者は、倒れている男の断末魔のその表情を見ていると、凝視できなくなっていた。
相手の目線から逃れようと、少しずつ相手の角度から離れようと、立っている位置を変えてみたが、
「その顔から逃れることができても、その視線から逃れることができない」
ということが分かってきたのだった。
急いで、110番をすると、ほどなく警察がやってきた。
さすがに、緊急連絡をしただけに、パトランプを鳴らしての到着だったが、やってきた刑事は、本当に、刑事ドラマで見た様子を思い出させ、
「下手にかかわらない方がよかったか?」
と思わせるほどだったのだ。
あわただしい雰囲気に、当たりは見舞われたが、二人の刑事と、制服警官が数名に、鑑識と思しき、県警の腕章をつけ、背中にF県警察と書かれた服を着ているのが、鑑識のようだった。
さすがに、手慣れたもので、そそくさと捜査が、そして、厳かに行われた。
まずは、
「亡くなった人に対しての礼儀」
ということで、手を合わせてからの実地検証であった。
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