17.脱出 part2
アートルは船内の劇場にいた。ステージの上で杖をもてあそびながら、政臣と姫愛奈を出迎える。目に見えない重圧を二人は感じ、今更ながら手を出した相手の力量に冷や汗が流れた。
老紳士はじっと少年少女を見据えていた。政臣はアートルから目を離さず、事前に立てた作戦を頭の中で反芻する。
政臣が考えた作戦は単純明快だ。正面から政臣と姫愛奈が攻撃すると同時に、透明化して密かに劇場内に入ったS14とS15が背後からアートルに襲いかかる。さすがのアートルも意識外からの攻撃には対応出来ないだろうという予想から組み立てたのだ。
S14はS15はスペシャルな補助ドールであり、様々な機能が搭載されている。周囲の風景を読み取り、自身の表面に投影する環境迷彩で姿を消した二体の補助ドールは、一切の音を立てずにステージに上がった。
(白神さんのフラワーシーフの刃が届く距離に踏み込んだ瞬間に……)
緊張感がほとばしる。おそらく一度成功したら二度は出来ない作戦だ。故に一回で成功させねばならない。
政臣と姫愛奈の網膜には、変形状態のフラワーシーフの刃が届く範囲が投影されている。そして遂に、政臣と姫愛奈はほぼ同時にフラワーシーフの攻撃可能半径に足を踏み入れた。
(今だ!!)
二人の統制官は阿吽の呼吸で攻撃姿勢を取った。そのままの勢いでそれぞれの武器を使用する。それと同時に、二体の補助ドールが吸血鬼の背後で武器を振りかざしていた。S14は輪形刃を、S15はコンクエスターから変形させた両手持ちの斧を。政臣の撃った銃弾と、姫愛奈のフラワーシーフの刃、そして二体の補助ドールの攻撃は、同時にアートルを直撃するはずであった。
「そんな小細工が通用するか!」
アートルは正面からの攻撃を防御魔法で無効化した後、背後の補助ドールを杖で叩き飛ばした。その全ての動きを一秒に満たない時間で行い、かつ反撃の魔力弾まで放ったので、政臣と姫愛奈は対応出来なかった。
二人の意識が戻ったのは二、三秒ほど経った後だ。劇場の椅子が軒並み吹き飛ぶか破壊され、壁には穴が開いている。
「透明になれば攻撃出来ると思ったか。過去に何人もいた。魔法や薬で姿を消して私を殺そうとした者が。存外独創性が無いな」
吸血鬼は攻撃前とほぼ同じ姿勢でなおステージの上にいた。上流階級という肩書きがふさわしいほどの精錬さを残したまま、瞳には殺意と嘲弄の火をたぎらせている。
S14とS15は大ダメージを負っていた。S14は右腕を喪失し、左脚があり得ない方向にねじ曲がっている。S15は左肩がえぐれ、機械部品と生体部品がむき出しになっていた。
「ミーナちゃん!」
「あははー! 左腕がなーい!」
尋常ならざる状態にも関わらず笑顔を崩さないS15を
「人形か。どうりで生命反応を感じられなかった訳だ。まあ人型の魔力反応を見つけた辺りで察しはついていたが」
「あなたは……」
「人間をやめてもう七百年になるか。場数が違うのだよ。私を殺そうとやって来た人間は数知れず、中にはその時代の英雄と呼ばれる者もいたが……その全てを葬ってきた」
アートルが杖を振るう。魔力を凝縮した魔力弾が吸血鬼の周囲に生成された。
「さっきので死んだと思ったが、当たり所が悪かったか。 いやそれとも再生能力か? この際はどうでも良いが」
音速かと思われるスピードの魔力弾が政臣と姫愛奈を打ちのめす。二人は今までに感じた事の無いほどの痛みに悶えた。腕がちぎれ、肉がえぐれる。容赦の無い攻撃でさらに劇場が傷ついていく。
アートルは魔力弾の連射を止めた。この飛行船を破壊してはいけない。力の調整は至難の技だが、アートルは数百年に渡る自己鍛練により、呼吸でもするような感覚で自らの力を操れた。
(さすがに死んだか……)
折り重なって倒れている政臣と姫愛奈の姿に、吸血鬼は確信する。妙に頑丈な少年少女だったが、現状で出しうる限りの力をぶつけた。これで助かるならそれこそ化物というものだ。
敵の排除に内心満足感を覚えながら、アートルはかろうじて命数を繋いでいるであろう人形の方を振り向いた。勝利を確実にするその姿勢は正しかったが、やはりアートルも相手の正体を完全に掴む事は出来なかったようである。
いつの間にか補助ドール二体がいなくなっていた。残骸すら残さず消えた人形たちに吸血鬼は虚を突かれ、先ほどは完封出来た不意打ちに対応するのが遅れてしまう。
アートルの右脇腹に衝撃と激痛が走る。瞬発的に掴んだそれは、大斧の柄であった。
「死んじゃえー!」
「な……」
吸血鬼が何より驚いたのは、S15の姿だった。部品がむき出しになっていた身体が完全に再生している。確かに致命的な損傷を負っていたはずなのに。
(やはりただの人形じゃない?! だが──!)
右腕に力を満身の力を込め、アートルは斧を引き抜いた。そして回し蹴りでS15を天井高く蹴り飛ばす。
敵の攻撃で傷を負ったのはいつぶりだろう。久しぶりの痛覚に思考が乱れるが、アートルはまだ余裕があった。
(まだだ、まだあの二人にトドメを──)
早く政臣と姫愛奈に決定的な一撃を与えなければ、アートルがそう思い見た時には、二人の姿は忽然と消えていた。
二発の銃声と共にアートルの背中を銃弾が貫く。次いで蛇腹状の刃が吸血鬼の左腕に巻き付き、肘関節から腕を引きちぎった。激痛を無視し、バックステップでステージから離れる。
「まさか!」
そのまさかである。ステージには五体満足の政臣と姫愛奈が立っていた。
「化物か……」
「否定はしません」
銃口を向けたまま政臣は言う。彼は続けて三連射し、アートルはそれを魔法で防ぐ。が、腕を一本失った事が仇となったようだ。S14のオプレッサーから放たれた散弾に対応出来なかった。
左半身に金属破片を受け、アートルはバランスを崩す。姫愛奈はそれをチャンスと見て再びフラワーシーフの刃をしならせるが、それは吸血鬼の持つ杖に弾かれてしまう。
「想像以上だ……。ここまで追い詰められたのは吸血鬼になったばかりの頃以来だ」
アートルの灰色の髪は乱れ、額からは血が滴っている。しかし老紳士はまだ戦う意思も力も残っているようだ。
政臣と姫愛奈はアートルの左腕が再生している事に気づいた。雑に折った枝のような骨がみるみるうちに元の形へと戻っていき、筋肉と皮膚がそれを覆っていく。
「君たちほどではないが、私も自己再生能力は持っているよ。これを手に入れるのには苦労した。何人の血を吸ったか……」
吸血鬼はよれたスーツを除けば完全に元に戻っていた。額の汗をハンカチで拭い、杖を政臣と姫愛奈の方に向ける。
「出し惜しみはやめだ」
杖の先端が紫色に光り、アートルの眷属が次々と出現した。魂の猟犬は獲物たる政臣と姫愛奈に大口を開き、鋭利な牙を見せつけながら咆哮する。
猟犬の数は十以上。数的差が覆されてしまった。
「ちょっと青天目くん」
「大丈夫だって白神さん。こっちにだって手駒はある」
政臣が指を鳴らすと、亜空間ポケットの開口部が現れ、そこから武装したドロイド兵が出てきた。こちらも総数は十以上。一気に五分の状態になった。
(間違いなく課長に怒られるな……)
セレネが教師のような口調で自身に説教を垂れる姿を政臣は幻視した。政臣と姫愛奈が使用している武装や道具は、弾薬や食料などの消耗品を除けば全てオメガ監察庁の保有資産である。ありったけを投じて溶かしてしまうような運用法は想定されていない。かくいう政臣もこういった使い方は嫌いであった。しかし、ここでアートルを見逃すというのは、すなわち面倒な敵を放置するという事だ。片手で始末できる敵なら良いが、アートルは違う。
(ここで殺らねば要らぬ面倒が増える。よって全力でやる!)
決意した政臣はドロイド兵に命令した。
「撃って撃って撃ちまくれ!」
十体以上のドロイド兵による銃撃。当然銃弾ごときにアートルがやられる訳がないし、簡単に回避出来るが、問題はその数である。いかに劇場といえど避けられる場所は限られており、その上政臣と姫愛奈、そしてその補助ドールたちによる攻撃も加わるので、一人で捌き切るのは至難の技だった。
それを分かっているので政臣はドロイド兵を全て出したのである。猟犬に関しても、自分たちの装備で十二分に対処可能だ。これでダメなら何をやってもダメだろう。
逆説的に言えば、こうまでしないとアートルを追い詰められないのである。ここまでの強者が何故こんな特攻に近い作戦を実行しているのか政臣は疑問に思ったが、今はそんな事を気にする時間ではない。
アートルの猟犬を蹴散らしながら姫愛奈が突進する。先ほどの返礼と言わんばかりに少女は手に持つ剣を振り上げた。
ドロイド兵の銃撃を魔法によって防いでいたアートルは、電光石火の速さで駆け抜けてきた姫愛奈に間一髪で反応した。杖が刃を受け止めると、フラワーシーフの刃に込められた魔力エネルギーが衝撃波のようになって放出される。
「──っ。ただの杖じゃない?!」
「その通り!」
政臣と姫愛奈の網膜には各種の情報を簡易表示するウェアラブルデバイスが印刷されている。デバイスが杖に強力な魔力反応を検知し、姫愛奈はその危険性に思わずみじろいだ。
「ちょ──」
杖からエネルギー波が放出される。それは指向性を持っていて、姫愛奈に向けて放たれた。黒髪の少女は空中を舞い、壁に叩きつけられてしまう。
姫愛奈を救ったのはその尋常ならざる再生力であった。脳震盪から急速に回復した姫愛奈は、杖先を突き立て飛んでくるアートルに目を丸くした。
フラワーシーフは〝変形する刃〟という性質故に、量産品とは比べ物にならない剛性を持つよう製造された。もしも姫愛奈がフラワーシーフではなく、監察庁制式採用のソードを使っていたら、彼女の身体は杖に貫かれていたであろう。
「あっぶな……」
「良い反射神経だ」
「それはどうも!」
姫愛奈は腕輪に付いている機能の一つである照明灯を利活用した。アートルの顔面に最大光度の灯りを浴びせたのである。当然姫愛奈も無事では済まなかったが、何よりダメージを受けたのはアートルであった。
「クソッ──!」
片手で両目を覆い、アートルは姫愛奈から離れる。姫愛奈はめり込んだ壁から床に降り、政臣と合流した。
「大丈夫? 白神さん」
「背骨を持っていかれたけど、もう治ったわ」
二人は顔を押さえて苦しむアートルを見やった。予想以上の効果に政臣と姫愛奈ともども困惑している。実は、腕輪の照明灯機能は魔法で極小の人工太陽を作り出す事によって光を放っているのだが、それを二人は知らない。
アートルが顔から手を離す。半分ほどの皮膚がただれ、頬から骨が見えている。
「油断したよ。もう少し魔力の消費量を考えるべきだった」
よく見ると、ただれた皮膚が再生していない。姫愛奈が腕をちぎった時は、驚くべき速さで元通りになったというのに。
「魔力がないと再生出来ないって事?」
「いや、再生するための魔法が使えないって意味かもしれない……」
政臣と姫愛奈が囁き合っていると、魔力弾が二人の間をかすめる。
「こうなれば全身全霊で君たちを倒すしかないな。どの道この飛行船は自動操縦で大陸へ向かう。最悪私がいなくなっても目的は達成される……!」
アートルは胸ポケットから何かを取り出した。それは赤く透き通った液体が入ったシリンジだ。
「カルダンから聞いているだろう。我々が流していた麻薬は、人間を怪物に変貌させる。そしてこれは──」
「──っ、させるか!」
意図を察した政臣がレギュレイターを撃つ。しかしその弾丸はアートルの反射神経で防がれてしまう。
「──その麻薬の中でも最上級。純度百パーセントの〝
躊躇無くアートルはそのシリンジを自らの首筋に突き刺す。その効果は瞬間的に現れた。
首筋から血管が浮き出、それは身体中に広がっていく。アートルは苦悶の表情を浮かべて胸を押さえるが、その胸元から放射状に触手が飛び出した。
触手は劇場内の壁・天井・床にまるで支柱のように固定し、アートルの身体を浮遊させる。後ずさりする政臣と姫愛奈の頭上には、醜悪な肉塊が脈動していた。
「あれ、これってホントにまずいんじゃない?」
「蜂の巣にしろ、撃て!」
政臣の指示にドロイド兵が肉塊を攻撃する。撃たれた肉塊は苦しそうにうめき声を上げると、その傷口から細い触手が飛び出てドロイド兵を捕らえた。捕らえられたドロイド兵の内部に肉腫が浸透し、政臣の手駒はあっという間に敵の手に落ちてしまった。
政臣の制御下から奪われたドロイド兵たちは、かつての主人たちに銃口を向ける。今度はC分遣隊が弾雨にさらされる番のようだ。
「ふざけんな!」
装着しているケープを前に広げ、姫愛奈を抱き締めて弾丸をしのぐ政臣。肉塊の中から、吸血鬼アートルは勝ち誇ったように叫んだ。
「これで終わりだ! 君たちも吸収して私の一部にしてやる!」
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