14.空中の巣

 吸血鬼アートルは、船長席に座り船内の様子をモニターで観察していた。


 監視カメラの映像には、至る所でグールが暴れまわり、乗客乗員を襲っている様が見て取れる。見える範囲で無事なのは、警備員たちがバリケードを築いたセキュリティルーム程度ぐらいだろう。


 今のところは上手く行っている。アートルは笑みを漏らすが、すぐに顔を引き締める。油断しては駄目だ。確かに人間は脆弱ぜいじゃくだが、かといって簡単に殺しきれる存在ではない。現にウィスキア号の警備員たちは今も抵抗し続けている。早急に排除しなければ、この飛行船をグールの巣窟にするという計画が破産してしまう。


 アートルはただウィスキア号を壊滅させに来た訳ではない。これは人類連合軍の本拠地であるルード大陸に攻撃を加えるための布石なのだ。人類連合軍の中枢に対する一矢。人間たちは魔族と一進一退の攻防を繰り広げていると考えているが、そうではない。我々はひそかに人間社会に溶け込み、雌伏の時を過ごしてきた。その結実が、もうすぐ訪れる。自分たちはその嚆矢なのだ。


 しかし、長年かけて綿密に築いてきた計画の一端を担うアートルは、一抹の不安を抱いていた。彼は死病を克服するために吸血鬼となり、人の世を捨てて数百年を過ごしてきた。人間が経験出来ないほどの体験から、彼はある真理を突き止めた。それは、どんなに万難を排した計画も、失敗する時はするという事。理論や理屈だけで事は完遂しない。それは永遠の命を手に入れて、彼が学んだ唯一の教理であった。


 だからこそ、些細な摩擦も逃さない。客室の状態を見たところ、一部屋だけ内側からロックがかかっている。おそらく部屋の主か、乗員の誰かがそこに逃げ込んだのだろう。万が一のために、片付ける必要がある。


 そうしてアートルは部下の一人を客室エリアに派遣した。吸血鬼は自信の判断に満足する。そうだ。こうやって小さな懸念を潰していけば、〝成功〟という結果を手繰り寄せられる。


 アートルの考えは全く正しい。しかしさすがの彼にも、部屋の主がからやって来た戦闘員だという事は予想出来なかったようである。


「ちょっと、誰か来るわよ」


 政臣の腕に抱きついていた姫愛奈が、ホログラムディスプレイの画面に映る一人の人間と、それについていくグールの一団を指さす。二人はベッドに腰かけ、虫型の小型ドローンで廊下の様子を観察していた。


「どうしているって分かったんだ……」


 そう言う政臣だが、実のところ彼は別の事に気を取られていた。姫愛奈の持つ剣、フラワーシーフである。蛇腹状に変形する特殊なソードだが、姫愛奈はそれを抜き身で持っていた。しかもその手で腕に絡み付いているので、政臣は気が気でない。不老不死で、常人を凌駕する再生力はあるが、痛覚はそのままなのだ。もしも刃が当たったら……。政臣は胸が高鳴ってしょうがない。


「統制官、どうしますか」


 S14が政臣に問いかける。フラワーシーフに注意を払いつつ、政臣は言った。


「お前のショットガンで吹き飛ばせ」

「了解しました」


 相変わらず抑揚の無い声音で応答すると、S14はドアの前に立ち、オプレッサーの安全装置を解除した。白いポンチョに身を包んだ少女が、銃を構え立っている。端から見れば異常な光景だが、もう政臣と姫愛奈にそれを指摘する気は無い。


 部屋のドアはドアノブの錠に加え、センサーマインが姫愛奈によって設置されていた。レーザーに身体の一部分でも触れれば爆発するようになっている。


 ドアノブが外側から回される。当然施錠されているが、すぐに鍵を挿し込む音が聞こえた。アートルたちは余念無くマスターキーも確保していたのだ。


 解錠され、ドアがゆっくりと開かれる。S14を除くC分遣隊は、バスルームに隠れ様子をうかがっていた。


 アートルの部下は油断していなかったが、彼は特別な訓練を受けた戦闘員ではない。こういう場合はまず隙間から部屋の様子を見るべしという基本的な知識が欠落していた。


 開かれたドアの隙間から革靴が見えた時点でS14はトリガーを引いた。火炎散弾が火龍のブレスのごとくドアを吹き飛ばし、アートルの部下は苦しむ間も無く即死した。


 間髪入れずにグールが入り口前にやって来た。S14は無表情のままそのことごとくを殲滅する。銃声が聞こえなくなり、残りのC分遣隊がバスルームから様子をうかがうと、部屋は焦げた死体によってさらに狭苦しくなっていた。


「相変わらず酷い臭い」


 端正な顔を歪ませ、姫愛奈は鼻に手をかざす。


「籠城は無理か。こうなったらブリッジを確保するしかないな」

「大丈夫なの?」

「こっちにはドロイド兵がいる。それに、この船がどこに行くか確かめないと。これが災害じゃなく人為的なものだってたった今分かったからな」


 グールの死体を足で退かしながら政臣は言う。彼は変装していた服のホログラムを切った。肩の辺りから圧縮していたケープが翻る。それを見て姫愛奈もナイトドレスの偽装を解除し、戦闘服に戻した。


「ブリッジを確保して、どうするの?」

「生存者を集めよう。理想は船の事を知ってるエンジニアの人だな」

「じゃあ私は生存者を探すわ。青天目くんはドロイド兵を連れてブリッジに行って、敵を全部倒して」

「嘘だろ?」

「それくらいはやってよ。こっちはちゃんと生存者探して連れてくるから。ね?」


 唐突に小悪魔的な笑みを見せる姫愛奈。普通の同年代男子ならここで奮起していただろうが、やはり政臣は違った。


「そんなが通じるものか。それはハニートラップの時にするんだな」

「はっ?! 待って、私にそんな事させるつもり?!」

「クラスメイトを説得するのにも使えるかもしれないだろ」

「本当に待って。それはどういう想定で言っているの?」

「じゃあ行くよ」

「答えなさいよ。絶対面白がって言ってるでしょ!」


 政臣の背中に向けて姫愛奈は叫ぶ。彼女の指摘通り、政臣は姫愛奈をからかって楽しんでいたのだ。


 ◆


 部下が戻ってこない。アートルは何事かと別の部下に問いただした。


「分かりません。部屋に入る直前までは連絡出来ていたのですが……」


 もともと冷たい吸血鬼の背筋がさらに凍りつく。まさか、恐れていた〝想定外〟が起こったのか。


 アートルは策を巡らせようとして、待てよと思い付く。ここでさらに部下を送っても、返り討ちに遭うだけでは? 我々の任務はブリッジを制圧し、無事ルード大陸まで運ぶことだ。極論すると、ブリッジを確保し続ければ良い。動力源を切られる可能性もあるが、それは自殺行為に等しい。敵が自殺願望者でない限り、飛行船の操舵が出来るこのブリッジを狙うはずである。だからこそ、自ら打って出て迎撃されるよりは……。


 腹を決めたアートルは船長席から立ち上がった。


「この階層を要塞化する」

「は?」


 当惑する部下たちを置いて、アートルはブリッジから出た。両手のひらを広げ、魔法で通路を異界化する。これは空間自体を歪曲させ、人間に有害な環境を作り出すというものだ。


 さらにアートルは、自らの眷属を放ち、各所に配置する。これらはアートルが今まで殺してきた人間の魂を変異させた猟犬だ。自らは物理的な攻撃を無効化しつつも、敵対者には実害を与える事が出来るという反則級の怪物だった。


 その他様々な魔法的トラップを設置し、アートルは戻ってきた。我ながらよくやったと吸血鬼は思う。ここまでする必要があったのかと部下が問うが、アートルはそれを目で黙らせた。


(馬鹿どもが……。既に当初の計画は破綻しているという事が理解出来んのか? だがまだ軌道修正は出来る。例えあれだけの関門を突破してここまで来れても、その頃には満身創痍だ。その上でソイツも念入りに潰せば……)


「アートル卿、何者かがこちらに向かってきます!」


 部下の一人がモニターを指さした。ブリッジにいる全員が見ると、軍服のようなものに身を包み、ケープをなびかせながら堂々と歩く少年の姿が映っていた。色素の薄い茶髪に澄んだ灰色の瞳。アートルはその中性的な顔に憶えがあった。


(まさか……!)


 劇場前で会話した、あの少年だ。身なりからして上流階級の子息かと思ったが、軍人? どういう事だ?


 少年は背後に武装した機械人形を連れている。かなり精巧な出来で、商店前で宣伝に励む広告人形とは段違いだ。


 監視カメラは何の躊躇も無く階段を上がり、ブリッジのある上層に入ってきた少年を映し出している。そこにアートルが放った猟犬の一匹が飛び出し、襲いかかった。


 ◆


 政臣は突然現れた半透明の犬型アボミネーションに驚いたが、すぐに冷静に対応する。背後のドロイド兵に身振りで指示を出すと、二体の機械兵士は政臣を守るように前に立ち、ボックスマガジンのサブマシンガンを連射し始めた。


 しかし、非実体の猟犬に弾丸は通じず、透けた紫色の牙にドロイド兵は襲われる。が、こちらも生者ではないため、ほとんど影響が無い。せいぜいセンサー類に軽微な異常が発生しただけである。


 オメガ監察庁のドロイド兵は、防衛軍のそれと違う独自のカスタマイズが施されている。違法な魔術師相手にもある程度対抗出来るよう、対魔法装備が搭載されているのだ。


 ドロイド兵の片割れが腕のデバイスを起動させた。デバイスからエネルギー波が放たれると、猟犬の身体に青白い雷撃のようなものが絡み付く。


「よし。逃がすなよ」


 政臣は亜空間ポケットからレギュレイターに装着可能なアタッチメントを取り出した。それは幽霊などのエネルギー実体型アボミネーションへ攻撃出来るようにするためのコンペンセイターだった。


 マズルにコンペンセイターを取り付け、政臣は動けなくなっている猟犬の顔面に容赦無く弾丸を撃ち込んだ。猟犬は情けない鳴き声を上げ、細かなクリスタルになって砕け散った。


「ハッ! さすがドクター・クランの発明品だ!」


 クリスタルを踏み潰し、政臣は進む。段々愉しくなってきた政臣は、次々現れる猟犬を鴨でも撃つように仕留めていく。


 ◆


 その様子をモニターで見ていたアートルと部下たちは、少年の異様な強さに戦慄し、そして困惑していた。


「何なんだアレは……。魔導具にしてはかなり特殊だぞ」

「そんな事よりもこっちに来てる方が問題だぞ」

「アートル卿、いかがしますか」

「……」


 アートルは部下と同じく焦燥感に駆られたが、すぐに思い直す。仕掛けた罠がまだあるではないか。それにブリッジまでの通路は異界化してあるから、生身で通過する事は不可能だ。


(まだだ。まだ勝ち筋はある……) 


 そこでアートルは妙案を思い付く。一縷の望みをかけ、ここで少年を説得するというのは? 普通の人間でない事は確かだが、かといって人類連合軍の兵士には見えない。おそらく傭兵、いや教皇庁の執行人だろう。それならあの精巧な機械人形にも納得出来る。教皇庁は神の名の下に古代文明の技術を保存していると聞いた事がある。何十年にも及ぶ戦争の中、未だに武装中立を貫く勢力。人間と魔族の折衝も、教皇領で行われるのだ。


「──監視カメラでずっと見ていたよ」


 突然スピーカーから声がしたので、政臣は取り繕う余裕も無く飛び上がる。すぐさま佇まいを正し、表情を戻す。


「その強さ、連合軍の兵士ではないだろう。連中は数を最大の武器にしているが、一人一人の脆弱性を軽視し過ぎている」


 政臣はその声に聞き覚えがあった。そしてすぐに思い出す。劇場の前で会った、あの山高帽の老紳士だ。


「君は何者なんだ? 傭兵か? 教皇庁の執行人か? もしそうなら、危害を加えてしまった事を謝罪したい。完全武装中立を掲げ、いかなる介入もしない教皇庁。我々もその姿勢には一定の評価をしている。どうだろう、取引しないか? 君の安全を確約する代わりに、君は我々のする事を黙認する。どうだ?」


 何て事を言うのだろう。政臣は知己に富んだ雰囲気を漂わせているように見えていた老紳士に失望した。想像していたよりも浅慮なようだ。飛行船内を怪物の巣にされて黙っているものか。


 いや、ひょっとするとあの老紳士が言っていた教皇庁というのはそれほどにまで徹底した中立を貫いているのかもしれない。そうでなければあんな提案をしてくる訳がない。政臣はいよいよろくでもない世界の全貌が見えてきたような気がして、無意識に苦笑いを浮かべた。


 インカムがコール音を鳴らす。別行動中の姫愛奈からだ。


「さっきの放送は?」

「多分、ブリッジを占拠しているやつらからだ。そっちはどう? 生存者はいた?」

「何人か見つけたけど、みんな虫の息だわ。自殺した死体も沢山。しかもそれがグールになって……気持ち悪い」

「すぐに来てくれ。俺はこれからブリッジに入る」

「大丈夫? 向こうは戦う意思が無いようだけど、罠かもしれないわよ」

「その時はその時だ。こっちには幾つも防護策がある。最悪の場合、ドロイド兵を自爆させて連中を道連れにするよ」

「あなたの破片を探すなんて嫌よ。それはホントの最終手段にして」

「もちろん。じゃあ、また」


 通信を切った政臣は、湾曲した通路の前に立った。ブリッジに繋がる扉までの道はねじれ、床と天井が完全に逆転してしまっている箇所すらある。


 空間を引き裂くような音と共に、通路が元の状態へと戻っていく。どうやら本当に話し合う気があるようだ。


「本気か……?」


 敵の行為に半ば驚きつつも、政臣はブリッジへと入っていった。

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