第17話

「済みません。私、朝はとても弱くて酷いときは昼まで……」

「お前、それでどうやって侍としてやって来たんだ?」

 一度眠ると、なかなか起きられないというのは侍としてかなり大きな欠点だ。

 寝てるときに妖怪から襲撃される事だって、無いわけではない。

 そんな時にこんな感じだったら、間違いなく死ぬ。

「これでも、今までは何とかやってこられたんです」

「妙に運が良い奴だな?」

 武蔵はお腹が空いてしまったので、話を聞きながら何か朝食を作ることにした。

 寺には味噌や干物が少しだけだが残っていたから、失敬することにした。

「父上が生前言っていました。妖怪は待ってはくれぬ、と」

「まあ、本当に待ってくれないからな。親父さんの教えは正しいよ」

 彷徨う亡者である妖怪は、いついかなる時に現れるか分からない。

 人が寝ていようが、風呂に入っていようが、用を足していようが関係なく現れる。

「父上にはよく叱られました。私、道場に向かうのが嫌でたまりませんでした」

「……佐々木一刀流を守るためにそうするしか無かったんだろうな」

 薫が後継者になれなかったら、佐々木一刀流は途絶えてしまう。

 それを回避するには、薫の父親は心を鬼にするしかなかったのだろう。

「はい。父上が病床に伏せっているときに、一度だけ口にした事があるんです」

「何を?」

 武蔵は火に掛けていた釜を開けて、中のご飯をかき混ぜた。

 お釜で炊いたご飯なんて久しぶりだ。武蔵は子供の頃、これに憧れていた。

「許して欲しい……と」

「……許して欲しい……か」

 その言葉を言った父親の気持ちが、武蔵には分かるような気がした。

 武蔵には子供なんて居た事がないが、それでもその気持ちを察する事が出来た。

「その時、私は初めて父が涙を流しているのを見ました」

「いつも悩んでたんだろうな。この選択で本当に良かったのだろうかって」

 佐々木一刀流は先祖代々受け継がれてきた、歴史ある古流剣術だ。

 だが、そのために娘の人生を取り上げて良いのかと親として悩んでいたのだろう。

「私はそれまで、父上のことが嫌いでした。剣術も大嫌いでした」

「その気持ちは当然だと思うぞ?薫にだって言い分くらいあるさ」

 いくら剣客の家に生まれたと言っても、薫にだって人生を選ぶ権利がある。

 それを全て奪い去られ、剣術のための生け贄にされればそう思うのも頷ける。

「でもその時、私は自分の事ばかり考えていると思ったのです」


 武蔵はかまどに薪をくべ、少し仰いで火力を調整した。

 干物の魚がジュウジュウと音を立てて焼け、良い匂いを放っている。

「父上だって、好きで後継者に成ったわけではない。お爺様も、そのまた……」

「別に良いんじゃ無いか?そんなの」

「え?」

 武蔵は薫の前に茶碗に盛った白米と味噌汁、そして焼き魚を出した。

 朝餉の匂いが、薫の空きっ腹に届いた。

「まずは腹に何か入れたらどうだ?腹減ってるだろ?」

「……はい、いただきます」

 武蔵と薫は、朝食にしては少しばかり遅い食事を摂った。

 本当は日が登り切るより前に寺を出たかったが、それは叶わなかった。

「佐々木一刀流が受け継がれてきた大切な業なのは分かるよ」

「……はい、ですから」

 武蔵の汚い魚の食べ方とは対照的に、薫は美しい食べ方をしていた。

 農民出身の武蔵と、侍の名家の薫では食べ方ひとつでもこんなに違う。

「でも、だとしても薫が全てを背負わなくても良いんじゃないか?」

「しかし、私が背負わねば佐々木一刀流は……」

 薫は器用に箸で白米をつまんで口に運んだ。

 一方、武蔵は茶碗を傾けて流し込むようにして食べている。

「薫が背負うって言っても、それも長くて数年だろ?」

「……はい。そうなんです」

 薫が佐々木一刀流の後継者で居られる期間は、実は残り少ない。

 彼女が性別を偽れなくなってしまったら、佐々木一刀流はそこまでだ。

「そうなった時、お前はどうするつもりなんだ?」

「やっぱり、何とかして佐々木一刀流を……」

 薫は佐々木一刀流を後の世に残す方策を考えていた。

 だが、武蔵が訊きたいのは佐々木一刀流の未来ではない。

「そうじゃあない!お前の人生はどうするんだって訊いてんだ!!」

「私の人生?」

 薫が佐々木一刀流の後継者から外れれば、彼女はお役御免だ。

 だが、彼女が佐々木一刀流に捧げた十数年間は戻っては来ない。

 佐々木一刀流も、彼女に何もしてはくれない。

「そうだよ。お前、佐々木一刀流のことだけじゃなく自分の未来も考えろよ」

「……私の……未来……」


 薫はその問いに即答できなかった。

 彼女は佐々木一刀流を優先するあまり、自分のことを疎かにしすぎたのだ。

「ちなみに俺は、この後のことを考えてるぞ?」

「この後とは、源吾郎を打ち倒した後の事ですか?」

 武蔵と薫は石田四成の娘、石田蓮を救うために旅をしている。

 蓮姫の呪いを解くために、呪いを掛けた張本人の北野源吾郎を討ちに行くのだ。

「いや、侍を辞めた後のことだ」

「武蔵殿は侍を辞めたいのですか?」

 薫は武蔵が侍を辞めたがっていると、この時初めて知った。

 武蔵は彼女に、他に仕事がなかったとは言っていたが辞めたいとは言わなかった。

「まあな、侍になった理由そのものがまとまった金のためだからな」

「……武蔵殿は何のためにお金を使うのですか?」

 侍は他の仕事に比べて、遙かに危険な仕事だ。

 だが同時に、その分だけ稼げる可能性のある仕事でもあった。

「永住権を買うためだ」

「……あ、そうでしたね。武蔵殿は元々は……」

 薫はその理由を聞いて、すぐに納得できた。

 武蔵がさすらいの旅人なのは、妖怪に村を滅ぼされたからだ。

「妖怪のせいで村が滅んだから、金を貯めてどこかに落ち着きたいんだ」

「なるほど。終の棲家を探していたのですね?」

 この世界では、永住権と言われる権利が売り買いされている。

 国を治める大名に審査され、金を納め事でその国に住めるようになるのだ。

「まるで死に場所を探してるみたいな言い方辞めろ。俺は生きたいんだから」

「済みません。しかし、私には少しもったいないように思えます」

 薫は武蔵が侍を辞めたいと聞いて、少しガッカリしていた。

 武蔵が侍を辞めるとしても、彼女には関係ないはずなのに。

「もったいない?何が?」

「武蔵殿の侍としての技量は間違いなく高いです。それを捨ててしまうなんて……」

 薫は、武蔵が実戦の中で編み出した名も無き剣術が気に入っていた。

 荒削りだが、合理的で自由なそれに彼女は憧れに近い感情を抱いていた。

「学びたいって奴がいたら、教えてやるかもな」

「道場を開くおつもりなんですか?」

 薫の頭の中に、年をとった武蔵が若人を指導している様が想像された。

 武蔵は面倒見が良いから、きっと良い指導者になるだろうと思った。


「そこまで仰々しいものじゃないよ。個人的に教えるだけさ」

「では、弟子第一号は私ですね?」

 武蔵は今、薫に自分の侍としての業を教えている。

 教えるという程のものではないが、薫が武蔵から学んでいるのは間違いない。

「そうなるかな?」

「……ふふっ」

 その返事を聞いた薫は思わず、笑みをこぼした。

 朝から暗い顔をしていた彼女の顔に、わずかにだが明るさが戻った。

「何もおかしくないだろ?自分で教えてくれって言ったくせに」

「済みません。でも、おかしくて笑ったのではありません」

 武蔵は薫に笑われたことに、少しムッとなって抗議した。

 しかし、薫は別におかしくて笑ったのではない。

「武蔵殿はきっと良い師になるだろうと思っていたので、つい……」

「変な奴だな。さっさと食べないと、飯が冷めちまうぞ?」

「はい!」

 武蔵と薫は、手早く朝食を済ませると寺を後にした。

 食器含め後始末はちゃんとして、寺の門の前で一礼も忘れなかった。

 太陽が昇りきる前に寺を出たかったが、もう随分と遅刻してしまった。

「今日は良い天気だから、風雲城が見える位置まで行けるかも知れないな」

「武蔵殿は、風雲城がどんな城か御存知で?」

 薫は風雲城についても、北野源吾郎についてもほとんど何も知らなかった。

 ただ城を拠点している事と、その大体の位置くらいしか知らない。

「俺も詳しくは知らないけど、多分山城に巣くってるんだろうな」

「なぜそう思われるのです?」

 武蔵は薫に歩きながら説明することにした。

 時間的に遅れているが、走るのは得策ではないと考えたからだ。

「四成がどうして自分で源吾郎を倒しに行かないか分かるか?」

「……う~~ん」

 この依頼の依頼主である石田四成は、一国一城の主だ。

 国は栄え、高い国力に比例した強力な軍隊を持っている事だろう。

 だが彼は、決して自らの手で北野源吾郎を討とうとはしない。

「それだけ北野源吾郎を討つというのは、国力を消費するからだ」

「しかし、それでは山城にこもっていると言う説明には成りませぬ」

 北野源吾郎を倒すのが難しいとしても、それで山城に居るとは限らない。

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