五 悪鬼
第19話
大火で焼けた都の城。人々の住まう町は徐々に修復されていた。城は焼失を免れたが、鬼門を守る守護寺が焼失し、現在、新社寺が建設されていた。
だが建設のための材木の不足。それに伴う大工の不足で工事は難航していた。
都に雨が降る日。新家屋建設の責任者の八田夕水は、屋敷にてため息をついていた。
「父上。休みをお取りください」
「何を言う。帝が苦しみであり、民が病で伏しているのに。我だけが休むわけには参らぬ」
「……今日は私にお任せ下さい」
あまりにも自分を追い込んでいる父を見かねた晴臣は母に頼み父を休ませた。そして弟の弦翠を呼んだ。
「父上は責任感が強すぎる。それに仮の社寺は上手く行っておるのに」
結界を張るのが大変だった彼らは小さな石の仮社を作り、今は都の鬼門封じはこれに任せ、建設に専念していたが、父の心労に悩んでいた。
「兄上。父上は帝のお苦しみが辛いのだ。少し和らいできたようだが」
「あの呪詛は妖の呪い。各地の妖を退治せねば祓えぬものだ」
鬼門から入ってきた妖は、都を守ろうとした帝に呪いをかけて去って行った。各地に散った妖隊はこの妖を求めて退治をしており、一年余が過ぎていた。
陰陽師八田家は末弟の笙明を行かせており、彼から妖を滅していると報告を受けている晴臣であった。
「東の話は聞いておる。西の妖はどうなのだ」
「その事だが」
帝の側近の弦翠は噂を耳にしたと呟いた。それは前帝の弟の話であった。
「何やら画策しておるようで。きな臭い話ばかり」
さらに。弟帝がいる西の国では妖退治が進んでいないと言う話であった。
「弟帝の指示ということか。これはありそうだ」
「証拠はない。しかし退治が進んで居れば帝はもっと治っているはずだ」
北と南は遠方で時間がかかるが、東は妖退治が進んでいることを把握している晴臣。西へ向かった妖隊が、天代宗の隊が多いことが気になっていた。
「兄上?」
「弦翠よ。これは占いをせねばならぬな」
この後、晴臣は占いをし、西の国の妖気を調べ弦翠に見せた。この見立てに弦翠は眉間に皴を寄せたが、晴臣の顔は涼しかった。
「ここだ。ここに大物がおる。化物だ」
「なぜだ?なぜ皆退治せぬのだ」
「……帝に苦しんで欲しい者がおるのだ」
そういって彼は立ち上がった。月が綺麗に上がっていた。
「さて。我らも参るか」
「何処に?」
「決まっておる。妖退治ぞ」
「我らで?」
ああと晴臣は珍しく微笑んでいた。こんな上機嫌の兄を見るのは久しぶりであった。
「しかし。兄者はその、天満宮は?ここはどうします」
「父がおる」
「はあ?」
「良いか。これは我らで内密に出かける」
目を細めた晴臣はそういって口角をあげた。
◇◇◇
そんな晴臣は父の許可を取り、弟の玄翠と側近の弟子の陰陽師、
「兄上。どこまで参るのです」
「例の妖がおる所までに決まっておる。良いから黙って進め」
「……お二人とも。お気をつけなさいませ」
従者、加志目の声に晴臣と元帥は馬を止めた。前方から黒い雲が立ち込めていた。
「あれは……雨か?」
しかし。この道に生温い風が吹いてきた。
「いいえ。あれは竜巻か、砂嵐です」
「ほお?妖か。さてさて、どうするか」
「兄者は何を呑気な!」
一行は馬を走らせ逃げ場を探した。街道を走っていた加志目は馬を止めさせた。
「あの井戸に入りましょう」
「何を申す?」
「弦翠は黙れ。綱を持て」
そんな晴臣は馬を降り、道の脇の木の下で馬に暗示をかけた。馬はまるで眠ったかのようにおとなしくなり、地面に横になった。彼は他の二頭も草むらに眠らせた。
「いい子だ。このまま、伏せっておるのだ。さて、弦翠は綱だ」
「俺に何をするんだ?あ」
「黙れ!さあ、井戸に入れ」
彼らは身を綱に結びこれを木に縛り、井戸に入っていた。井戸の途中に足場を見つけここに立ち、加志目は木の蓋を閉めたのだった。
途端に頭上では風の轟音がしていた。恐ろしい風が過ぎていたが、井戸の中は静かであった。
「我らを倒そうと。必死なことよ」
「何を呑気な」
「お静かに。風が止みました」
やがて加志目は蓋を押上げ、先に地上に出た。彼は二人に手を貸し井戸から出した。
「晴臣様。弦翠様。私は馬を見て参ります」
「頼んだ。兄者。これはなんと」
「……何もなくなったか。これは」
一体は全てをなぎ倒れていた。かろうじて森の木が残っている世界であった。
「ひどい有様じゃ。その大岩はどうしてここに?」
「嵐が運んできたのであろう」
当たれば死を意味する岩に弦翠は背筋がゾッとしていた。ここに加志目は馬を連れてきた。
「怪我なく無事でございました」
「良かったな。よしよし」
「何もよくないぞ!危うく死ぬところであった」
怒る弦翠であったが、加志目と晴臣は黒い雲の去った空を見ていた。
「……これは心して掛からねばならぬぞ」
「はい。我らのことを視ておるのかもしれませぬ」
「そうか。これは妖の仕業か。腕がなるな」
この夜。彼らは倒れた木の下で休んでいた。
「しかし。兄者が妖退治とは」
「おかしいか?」
「ああ。笙明にあのように行かせたくせに」
「あれはまだ半人前だ」
晴臣は焚き火に小枝を入れた。パチパチと燃えた。
「あの時。他宗派からは即身仏の話も出ていた。都に居ればどうなっておったか分からぬ」
「初めて聞いたぞ」
「初めて話したからな」
炎に照らされた晴臣の顔はどこか笙明に似ていた。
彼らの父の弟夫婦が亡くなりその息子笙明は弟として迎え入れた。彼を可愛がった弦翠は、冷たく当たる兄を以前から不思議に思っていた。
「兄者。なぜあれにそのような態度なのだ」
「……あやつは我らと違い力が弱い。甘やかすのは容易いが」
「思っての事なのだな?まあ、そうだとは思っていたが」
東の国の弟を、水鏡の占いで密かに視ている晴臣を知る弦翠は笑みを溢した。
初夏の星の下。陰陽師の兄弟は静かに休んだのだった。
◇◇◇
馬で旅を進める晴臣の一行は目的地である大江山にやってきた。
「ここだ。あの山のどこかにおる」
「兄者の話では悪鬼との事だが」
「ああ。この匂い。妖気が漂っておる」
どこか嬉しそうな兄に、背筋がゾッとした弦翠であったが、忠臣、加志目は静かに二人に向かった。
「私も感じます。これだけの妖気。草も枯れておりまする」
「人家があるが。どれ、俺が見てこよう」
弦翠が訪れたが、盲目の老婆がいるだけであった。
「都の人よ。村の人は皆、食われてしまいました」
「妖隊はどうした。ここに坊主が来たであろう」
晴臣の問いに、老婆は歯のない笑顔を見せた。
「あの線香臭い男どもは、このワシの食べ物を盗んで行った?大した仏様じゃ」
「加志目。何か与えよ。してお婆婆殿。悪鬼について何か知っておるか」
老婆はもらった菓子を黒い手でムシャムシャと食べていた。
「ああ、うまい。ああ、知っておるとも」
老婆の話では鬼どもはたまに山を降りてくると話した。
「酒をもらいにくる。誰が渡しておるのか知らぬが」
「兄者。誰かであろう?」
「すぐにわかる。加志目。お婆婆様に食べ物を置いてやれ」
そう言って先に晴臣は小屋を出た。後に続こうとした弦翠の着物の袂を老婆が掴んだ。
「待て!お前様。あのお方は何者じゃ」
「……我らは陰陽師で兄弟であるが?」
「兄弟?お前様は明るい太陽のような男だが、そうか」
不思議そうな老婆に弦翠は向かった。
「その見えぬ目で何が視えたのだ」
兄の事、老婆は震えた。
「恐ろしい影じゃ。そうか。鬼払いは鬼がするのか……」
これに弦翠はふっと笑った。
「そなたの目は視えているようだ。さて、加志目。参るぞ」
小屋を先に出た晴臣は、念じていた。鬼の妖気を感じた彼は二人に向かった。
「さて。参るか」
「まさか兄者。直接行くのか」
「……」
「加志目までそのような顔を?」
この後、晴臣は策を二人に話したのだった。
そんな大江山の早朝。山伏が三名、鬼の住処まで登ってきた。これを匂いで知った鬼の大将は、仲間の鬼に様子を見に行かせた。
「愚か者め。わざわざ食われに来るとは?」
「待て。坊主の話ではここには誰も来ないはずだ」
天代宗の僧侶から酒をもらい悪さをしている鬼の大将は、ひとり気にしていたが、仲間の鬼達は、山伏を食おうと待ち伏せに行ってしまった。
しかし帰ってこなかった。
「おい。様子を見て来い」
「ハハハ。俺が食ってやる」
しかしこれも昼を過ぎても帰って来なかった。そんな鬼の大将は恐る恐る人の匂いがする山道を進んでいた。
そこにいた山伏達は、夜を待たず夕焼けの中、火を起こし囲んでいた。彼らは火に何かを放り込んでいた。
……いい匂いだ。
これに釣られた鬼は思わず山伏の元に出てしまった。こんな山伏達は、彼に一緒に酒を呑もうと優しく誘ってきた。
火の中には美味そうな肉が焼けており、彼らは鬼に食べろと勧めてきた。
「どんどんお食べください。まだまだあります」
「酒もどうぞ。山の暮らしは大変でしょう」
「まあな?しかし麓では暮せぬ」
ご馳走と酒の勢いで鬼は饒舌になって行った。
「それで、お酒は天代の御坊様からの貢物ですか」
「ああ。この山を護衛している見返りじゃ」
「さぞ苦労された事だ」
「わかるか?ああ、今宵の酒は旨いの」
そんな鬼に、弦翠はさらった娘はどうしたか尋ねた。
「ん?坊主が連れて行った。わしは知らん」
「どこにいるかご存知ですか」
「さあ。船に乗せていたな。ん?……」
「いかがしましたか」
骨を持った鬼は山伏の晴臣の顔を見た。
「この肉は熊じゃないのか」
「……」
「臭い……これは。腕か?も、もしかして」
腰を抜かす鬼に、晴臣は薄ら笑いを浮かべた。
「仲間を喰らうとは?ハハハ。さぞ仲間も喜んでおるぞ」
「貴様!よくも」
飛びかかろうとした鬼は、なぜか体が動かなかった。加志目の呪文で縛られている鬼に晴臣は優しく鋭い刃を鬼の頬に当てた。美麗の彼に、鬼は恐怖で失禁した。
「見ろ。鬼が震えておる……この怯えた顔?なんと愛しく、醜い事よ。ああ、このまま首を撥ねるのは惜しい。そう思わぬか弦よ」
「兄者……戯が過ぎますぞ」
「これはしたり」
そういうと晴臣はたもとを払い、スッと地面に座った。そして手を合わせた。夜の空に黒い雲が立ち込めていた。
「な、何をする。やめてくれ」
懇願する鬼の悲痛は叫び。陰陽師には小鳥の囀りにしか聞こえていなかった。
「……弦翠。やれ」
「はっ!」
弦翠の一振りで鬼の首は飛んで行った。しかしこれは黒霧に包まれて空に飛んで行った。晴臣が目を瞑り念じる姿。加志目と弦翠は黙って見ていた。
◇◇◇
「ホホホ。帝はそんなに苦しんでおるのか」
「左様でございます。夏を越すかどうか」
「小気味よいの」
先の帝の弟は天代宗の西代と宵の酒を楽しんでいた。粗末な家であったが、拐った娘を置き楽しいひと時を過ごしていた。
「西に来る妖大事は大江山に任せておりますので、ん?」
そこに何かが飛び込み、弟帝にぶつかった。
「きゃああああ」
「ぎゃあああ!早う、これを退けろ!」
「帝様!これは、大江山の鬼……」
帝にぶつかった血だらけの鬼の首は真っ赤な目で彼を睨んでいた。これには皆腰を抜かし、娘は失神してしまった。
「ひえええ?これを取れ、早う」
「くそ!」
西代は鬼の首を足で蹴った。すると鬼の口から蛇が出てきた。蛇は何匹もおり、部屋は蛇だらけになった。逃げ惑う彼らの夜は、悲鳴に包まれていた。
◇◇◇
「……さて。これで帰るか」
「そんなに念じられて。晴臣様は一体何をされたのです」
「加志目。鬼退治は鬼に任せておくが良い」
「戯言を申すな。さて」
そんな二人に晴臣は乱れた髪で立ち上がった。
「左様。おお。今夜は月が綺麗だ」
月を愛でる晴臣の横顔は、いつもの顔に戻っていた。
これにほっとした弦翠も隣で月を望んだ。
本職のある彼らの退治はこれにて旅を終えたのだった。
「悪鬼」完
「夢中、鬼を捕らえる」へ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます