二 鬼の相撲

第17話

「見て。村があるよ」

「人がたくさんおるな」

「……篠。様子を見て参れ。ん?澪は」


 春の終わりの東道。娘は話も聞かず山草を嬉しそうに摘んでいた。これに微笑んだ笙明は旅路の青空に機嫌を良くしていた。


 妖隊の一行は妖を求めて東山道を進んでいた。すると篠が小走りに戻ってきた。


「みんな楽しそうにお祭りの用意をしているみたい」

「この時期にか」

「田植えが終わったのであろう。その祝いではないか」


 馬上の笙明は美しく光る皐月の水田に目を細めていた。そして一行は村に入っていた。篠は近くにいた老婆に尋ねた。


「すいません。俺達は旅の者ですけど。これは何の祝いなの」

「旅の人とな。ちょっとここで待ってくだされ」


 老婆は若い男に伝え、男は人を掻き分け村の奥に行ってしまった。どこの村も同じ待遇なので彼らは吉と出るか凶と出るか、しばし待っていた。


「今日はどっちかな」

「祭りだ。追い出されるとは思えぬが」

「あ。戻ってきたわ」

「お待たせしました。どうぞ、こちらへ」


 彼らは村の長老の家に招かれた。村人は男も女も気忙しく祭りの用意で動いていた。彼らは出されたお茶を飲んでいると長老が挨拶にきた。


「都からお出でになったとは。それはそれは遠いところから」

「はい。して。これは何の祝いじゃ」


 龍牙の問いに白髪の長老は田植えを終え、豊作を願う祭りだと話した。


「あれをご覧くだされ。相撲をするのです」

「おお。見事な土俵じゃ」

「すごいね。都でもあんな立派な土俵はないよ」

「笙明様。相撲ってなあに」

「お前には後で話す。長老、神に奉納ですか」

「はい。我らの山の神に奉納するのです」


 そんな長老はぜひ見て行ってほしいと言い出した。取り組みは明日という事で、彼らはこの村に泊まる事にした。

 篠と龍牙は力仕事を手伝い、澪は村女達と一緒に食べ物の用意を手伝った。

篠は同世代の少年達と一緒に手伝っていた。


「おい、お前。明日の相撲はお前も出るのか」

「きっとでないよ。俺はよそ者だから」

「そうかい。勝てばご馳走が食べられるんだよ」


 少年達は瞳をキラキラさせていた。この様子によほど楽しい祭りなのかと篠は思っていた。


「それにね。山神様が降りてきたら」

「し!それは」

「??山神?」


 彼らはここで話を濁した。そしてこの話は二度としなかった。






 そんな中、笙明は部屋に残り、村のための占いをしていた。


「旅の方。村の吉相はいかがですかな」

「そうですな。あの建物ですが」


 笙明は食べ物を保管している村の貯蔵庫を指した。


「辺りの木々を切った方が良い。食べ物が腐ります」

「そうですか?今までは植えた方が良いとされましたが」

「それは大嵐から防ぐためかも知れませぬ。しかし木も病になるのです」


 造りを頑丈にせよと笙明は語った。こんな彼に村人は話を続けた。


「他にはですな。他の村は疫病とのこと。この村はまだ起きておりませぬがどうすれば防げるでしょうか」

「これは我らの使命に関することですが」


 笙明は魔物の仕業であると話した。


「奴らは化け物の形とは限りませぬ」

「ではどうすれば」

「肉を絶つ。それが唯一の対処法です」


 都では魔物に襲われた者が疫病になっているが、それ以外では魔物になった獣を食べてしまうのが原因だと笙明は思っていた。


「我らの村は兔や鳥。猪や鹿は食します」


「……通常の物ならば良いのですが、狂っているもの。あるいは死んでいるものは決して獲らぬようにされよ」

「心得ました」


 話をした長老の息子は他にも都の話を聞きたがっていた。しかし笙明は疲れたと言い、部屋で休ませてもらっていた。


「あ、ここにいた。もう」

「そんなに怒るな」

「だって」


 不貞腐れている澪を彼は優しく腕に抱いた。


「どうした?村娘とおしゃべりは」

「みんな笙明様の事ばかり聞くの。面白くないわ」

「都の男が珍しいだけだ。さて、篠と龍牙はどうした」

「あ?そうだった!」

 

 用事を思い出した澪は彼の手を引き庭に出てきた。そこでは篠と龍牙が汁を食べていた。


「遅いよ。先に食べています」

「ハハハ。仕事後は格別じゃ」

「はい、笙明様。澪の作った物です」

「それなら良い。ではいただこう」


 夕刻の庭先で鍋の汁を食べていた一向に長老の息子が顔を出した。明日の相撲の話であった。

 それは明日の相撲に篠と龍牙も参加の誘いであった。

これに気を良くした二人は食後、相撲を取り興じていた。笙明と澪は笑って見ていたが、彼は山からの嫌な気配を感じていた。


……祭りの用意であるが、どこか奇妙だ。


 村人達の楽しそうな夜の中、彼だけ一人、心を鎮めた夜を過ごしていた。



◇◇◇

 翌朝。村の祭りが始まった。古老による鬼の面をつけた舞には驚いた笙明だったが、見事な動きに思わず都を忍ぶほどであった。そして相撲が始まった。村の広場に作られた土俵には次々と男達が戦い、それを見た女達は歓声をあげて行ったのだった。

 この熱気を妖隊の一行も用意された席で見物していた。


「よし!俺も行く」

「ハハハ。天狗の名に恥じぬよう。やって来い」

「……龍牙。それにしても妙では無いか」

「はい?」

「隣の席は誰が来るのだ」


 彼らが勧められた席は土俵が見える高台に作られた特等席だった。そして隣は空席になっていた。龍牙は山神の席だと話した。


「だからお供物があるのですな」

「そうか。それもそうか」


 胸騒ぎがする笙明は、傍の澪をそっと見た。彼女は疲れているのかうとうとしていた。彼は澪を横にさせ長い髪を撫でていた。そして龍牙も参戦するというのでこの場で見送ったのだった。

 

……なんだ。これは妖気か?


 不穏な空気の先を笙明は目で追った。それは相撲で興じる村人を分けるようにこちらに向かって歩いてきたのだった。



◇◇◇


……なんだ、あれは。


 村人は相撲に夢中であるがその生き物はゆっくりした足取りで笙明の隣の席に座った。

 この様子に驚く笙明であったが不思議なことに誰一人騒ぐものはなかった。

獣人は全身黒い毛で覆われており、人の倍の大きさであった。顔は見えぬがそれは何も言わずに特別席に座った。目は相撲を見つめていた。


……なぜだ。皆、なぜ皆そのように落ち着いておるのだ。


「おい、篠!龍牙」

  

 寝ている澪のせいで立てない彼は大声で二人を呼んだが、なぜか二人は村人に囲まれ反応が無かった。夢中で相撲を観ているのだった。

 

……やられた。私は餌なのだ。


 歓声に声を消された笙明は、膝の上ですやすや寝ている澪を優しく起こした。


「澪よ。私の愛しい娘。目を開けてくれ」

「ん?どうしたの」

「静かに起きるのだ。良いか。怖がらずに私の命を聞け」


 彼は優しく澪の耳に囁いた。獣人は興奮しながら相撲を観ていた。この間に笙明は澪を起こし、腕に抱えた。


「え。隣の人は、人じゃ」

「静かに。お前は静かに鳥になるのだ」


 彼女の口を優しく塞いだ笙明は微笑んでいた。彼は澪にしばし木の上で待機し、誰もいない時に篠と龍牙と合流するように諭した。


「笙明様は?」

「とにかく。お前の方が大事だ。さあ。私の腕の中で鳥におなり……」

「いやです。笙明様を置いていくなんて」


 彼の着物を掴み涙ぐむ娘は奮い立つほど健気で美しかった。彼は後ろ髪惹かれる思いで首を横にふった。


「……そうでは無い。ここで逃れて私を助けるのだ。お前にしか頼めぬでは無いか」


 渋る澪であったが、観念し腕の中で美しい鷺になった。彼が頬を寄せて腕を広げると鳥は飛び立って行った。


……後は、この獣人だ。魔物ではなさそうだが。


 この時、ここから離れて座っている長老を発見した笙明の目を、彼は避けた。これによりやはりこれは嵌められたと確信した。頭上では白鷺がバサバサと飛んでいた。


 このような獣の客がいるのに村人は全く気にせず相撲を観ていた。


……そうか。篠は子供で、龍牙は逞しい。生贄には私と澪を選んだのか。今日の生贄を村人から出さず、よそ者で済ませたわけだ。大した長老だ。



感心していた彼であったがここで生臭い息に横を向いた。

 それはあっという間に笙明を肩に担ぎ、相撲に興じる村の人をかき分け、山道を登り出したのだった。いますぐ何かされるわけでは無いと悟った笙明は、じっと人形のように鎮まり獣人の肩に揺られ身を任せていた。



◇◇◇


 暗い山道登った獣はやがて岩穴にやってきた。


「ここが住まいか。さて、私を食うのか」

「……」


 獣人は黙って彼をドサと下ろした。そして岩穴に入って行った。笙明も恐る恐る入っていった。


「これは。狼の子か」

「……」


 暗い岩穴。幼い狼の右足には矢が刺さっていた。このせいでは苦しみ寝込んでいた。これを見た彼は、子を抱え近くの滝に向かった。その清水をかけながら彼は一気に矢を抜いた。子は苦しみ声を上げたがすでに体力を消耗しているのかぐったりしたままであった。

ここで彼は笛を吹いた。その調べは風に乗り村隅々まで響き渡った。


「さあ。岩屋に戻るか」

「……」

「口が聞けぬのか。しかし私の言葉が分かるのだな」


 獣人は黙って子供を抱きかかえていた。彼らが岩屋についた頃、この場に澪が舞い降りたのだった。


「笙明様!ご無事で」

「心配致すな。それより子の手当だ」

「子供?まあ。これは」


 澪は怪我の様子を見ると薬草を探しに行き手当てを始めた。獣人は黙って子供に寄り添っていた。

 すぐに薬草を見つけた澪はこれを潰し傷口に着けていった。夕暮れであったで笙明は気を祓い火を灯していた。


「……そなたはあの狼とここで二人だけか」

「……」


 獣人は目で訴えるように笙明を見ていた。その目には寂しさが映っていた。


 ……他所の地から人に追われ……この山で安住を見つけたのか。


 そんな獣人は唯一無二の狼の子供のために、勇気を出して相撲の席に来たのだろうと笙明は見当を付けていた。彼らが火を囲みぼんやりしていると澪がやってきた。


「血が止まったわ。今まで痛かったのね。すぐに寝てしまったわ」

「そうか。助かった」


 獣人は岩屋に入り出てこなかった。澪と笙明は満天の星を見ていた。


「彼は怪我を治して欲しかったのだな」

「そう見たいです。狼の子も時期に治るでしょう」

「左様か。おお?寒い。澪よ。我の元に」


 火を囲んだ二人は寄り添い抱きあっていた。


「暖かくて、静かです」

「ああ。風の音だけだ」


 夜の山は優しい風が吹いていた。笙明は澪に頬を寄せた。


「お前は本当に暖かい。ずっとこうしていたい」

「澪もです」


 新道の修行の身である笙明は、胸の中の少女を愛しく思っていた。それは色恋というよりも妹のような感情であった。こんな彼女を傷つぬよう彼は優しく今は抱きしめていた。

こうして夜を明かした二人は、早朝に山を降りた。


 相撲が終わった村はそれは静かであった。


「龍牙と篠は、あ。あそこで寝てるわ」

「呑気なものよ」


 相撲の後の祝いの席でご馳走を食べた二人は、休み所で寝入っていたので澪は起こした。


「早く!村を出るわよ」

「……飯なの?」

「ふわあ。良く寝た」

「話は後だ。参るぞ」


 明け方早く妖隊は村を出たのだった。


◇◇◇


「どうしてこんなに急ぐの?」

「笙明殿。話をしてくだされ」

「そろそろ良いか」


 村はずれ、ここで彼は昨夜の山の話をした。


「村の者は私が生贄になったと思っておる。故に姿を隠したのだ」

「そうか。笙明様は食べられたことになっているんだもんね」

「そういうことだ」


 ここまで離れれば追っては無いだろうと彼らは道を進んだが、がやがて異変に気がついた。


「ねえ。村で火事じゃ無いの」

「きな臭いの」

「私。飛んで見てきます」


 澪は返事も聞かずに飛び立ってしまった。待つ間、寝ていた彼らであったが、鷺娘の澪は疲れた顔で戻ってきた。


「村の火事は。山の神様の仕業でした」

「なんと」


驚く笙明。澪は涙を浮かべた。


「村の人は……あの狼の子供を殺してしまったんです。それで」


 怒りに狂った山神が村で暴れて人々を殺してしまったと澪は話した。


「山神様は村人の槍で……死んでしまったわ」

「酷いことを」

「何?その山神って。誰」


龍牙と篠の言葉。彼は静かに目を閉じた。


「……人だ。優しい人だった」


 笙明は道に生えた菖蒲を見つめていた。


「このように美しく咲けば、あのような目に遭わずに済んだというのか。心は誰よりも美しいのに」


……獣の姿の彼は澪と同じく、妖の血が入っていたのであろう。


 彼は懐から笛を取り出した。もしかしたら澪も同じ運命だったかもしれない。と思った彼は悲しみの笛を吹いた。

曇天の空。眩しい太陽はそんな彼らを黙って見ているだけであった。



二話「鬼の相撲」完

三話「鵺を刺す」へ



参考資料・月岡芳年

『生貞秀臣土岐元貞甲州猪鼻山魔王投倒の図』より

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