日本国魔界府府庁秘匿部秘匿室秘匿一課

臆病虚弱

序章 死を継ぐ者 Inherit The Wind of Death

影の中の人々

     ………………


 2022年2月2日 AM9:56 北海道阿嘉霧市道道93号線、谷地町付近にて。


 立ち入り禁止規制線で区切られた純白の道路。その事故現場には奇妙な『事故車両』があった。


 新品のような錆び一つない車体、雪すらついていないタイヤを履くトラック。

 これが『事故車両』である。

 その前方には分厚い氷と踏み固められていた雪が円状に融解し、月のクレーターのようにアスファルトの路面が突如として露出している地点がある。

 それらが織りなす光景はとても『人身事故現場』には見えない。


 厳しい北海道の寒風かぜが唸るように吹きすさぶ。

 その規制線の中、路肩に盛り上がる凍った雪山に腰を下ろす人影。

 警察のそれではない。


 彼は茶色のフロックコートに中折れ帽ソフトフェルトハットを被り、風の中で紙煙草シガレットに火を点けている。

 だがその手にライターは無く、風除けに左手を添えるような事もしていない。彼は革手袋に包まれた右手の人差し指を煙草の先にあてがっていた。

 その瞬間、火花が散り、煙草に火が点く。

 彼はそのまま煙をくゆらせ、風に揺れる帽子を左手で抑えながら、北海道の冬空をいとわしそうに眉をひそめて見上げた。

 その茶色ブラウンの瞳に映る冬空には、自然に存在する筈の無い『紋章』がうっすらと浮かび、天蓋のごとく雲の流れる空を覆いつくしている。

 やや褐色がかった肌の中、口元に良く整えられた髭がちらと見える。年齢30代ごろの男である。


――さみぃなァ、全く……。朝っぱらからの緊急出動スクランブル……。日頃の行いかねぇ?


 そう考えて、自嘲気味シニカルに笑う彼の下に、『現場検証報告』を聞き終えたもう一人の人影が近づく。


 2メートル近い巨大な体格をして、黒革のコートと甚大な広さを持つ黒い帽子を被り、非人間的な銀髪シルバーヘアをなびかせた女性と思しき存在。

 彼女はその煙草を燻らせ座っている茶スーツの『伊達男』に話しかける。


「『秘匿結界』は張り終えたな……。

 ――証言からも人身事故があったことは確実だ。間違いない、『彼』が今回の『秘匿対象』だ」


 そう語る彼女に、伊達男は立ち上がって返答する。


「『課長』、それは確かなんですね? 私にはあの青年が今回の原因とは信じられませんがねぇ」


「これは確かな事だ。

 観測記録と事故発生時間の合致、現場の状況が指し示す異常性、そして何より彼に残る『魔力』。波形からほぼ確実に彼が今回の『秘匿対象』だと断定できる。

 現在は驚くほど『量』が少なく、安定しているがな」


「そーですか……。まだ学生じゃアないですかね、彼」


「そうだな。身元は警察もある程度調べていたようだ。この先にある大学を今月卒業予定だったらしい」


 男はこの仕事人間の上司にやや呆れながら、こめかみのあたりを掻き苦笑する。


「そーゆー事じゃなかったんですが……。マァ、そのと言うか――」


「――敵襲だ。戦闘準備」


 『課長』と呼ばれた女性が遮るようにそう言った途端、男は黙って右手に『カード』を出現させる。

 男は驚くほど流麗な手さばきによりその手にしたカードをパラパラと空中で右手から左手へ移してゆき、そのカードの順を自在に制御する。


 これが彼の戦闘準備、というよりも、彼にとってはただの手遊てすさびというべきものだった。

 彼はそんな俊敏かつ美麗に動く自身の手元に目線をやることなく、先程と変わらぬ調子で課長に話す。


「――課長、やっこさん方は今どの辺りですかね」


 女性は神経を研ぎ澄ますように目を閉じ、集中した様子で言う。


「まだ私の本格的な『感知圏内』には入ってきていないため精確な数は測りしれんが……。2kmほど北……。

 ――いや待て、南から高速で接近する反応が……。――ああ、済まない、だ」


 それを聞くと男は手さばきを止め、南方の空を見上げる。


 彼が目を凝らすと上空に小さな影が現れ、それはどんどんとこちらへ迫ってくる。かなりの速度、そしてうごめくような印象を与える影の動き。

 近づくスピードが速いために姿はすぐにハッキリとしてくる。


 それは、上空をジェット機の如く飛行する人間。

 それも黒と赤の奇妙な配色をした『袈裟』をはためかせる笑顔の巨漢である。


『ゴオオオオオオオオッ! スッ』


 彼は物凄い速度に袈裟の袖などを翻しながら、ミサイルの如く地面に向かっていたが、音も破壊も無くふわりと縦に一回転したのち大地に立った。

 

「イヤハヤ。失敬! 遅れたな!

 先の『爆発』に呼応して津々浦々の兵どもが色めきだっているようでな。目についたものをついつい殴り飛ば味見して来てしまった! ハハハハハ!」


 男は後ろ手に緩く結われた無造作な黒い長髪を撫でつけるような素振りをしながら破顔した。


 筋骨隆々、ゆったりとした袈裟の中に確かにのぞかせるその鋼の肉体、赤と黒の異常な色に染め上げられている七条袈裟と、そこにでかでかと刺繍で示される赤い薔薇と白い髑髏。

 単なる僧侶では絶対にありえないこの男の異常な存在感はそれらによって構築されていた。


 スーツの伊達男は皮肉っぽく笑いながら手さばきを再開して話す。


「どうせ『金剛チャン』、こっちに敵さんがやって来なけりゃア、まだダラダラと各駅停車してたんでしょォ?」


「む、そんなことはないぞ春沙殿。

 拙僧とて『秘匿特殊課』の一員。上からの緊急指令はちゃんと急ぐ。――拙僧なりの急ぎ方でな」


「つまりはいつも通りってことね」


「マァ、遅れたためしは無いのでご勘弁を。ハッハッハ!」


 その会話の中で課長と呼ばれた女性が事故現場の奥へと歩いて行きながら一言。


「あとの詳しい索敵と対処はお前たちに任せる。私は『護送』に移る」


 二人の男はその指令を受け、北側の上空を見上げる。そして金剛と呼ばれた僧侶風の巨漢が口を開く。


「『人間』は14人。

 格好と使用している浮遊術式の言語から『訓戒』三名、『古僧會』二名、『ロシア系傭兵』二名、『欧州系傭兵』三名。『アジア系傭兵』三名……。

 ――そして『隠者の薔薇・黄金の教示』が一人、『栄光ホドのジュン』であるな」


 『春沙』と呼ばれたスーツの伊達男がやや焦りを感じさせる声色で反応する。


「オイオイ……。最後に関しちゃ、大物が来やがりましたな」


 そう言うと彼は一枚のカードを右手に持つ、そして日本語とは異なる言語、東欧はバルカン半島の言語が混在した『ロマ語』で呪文を詠唱する。


「己の暗愚を呪う愚者よ。笑い化粧で繕う道化よ。願わくば【不幸は知性を呼び覚ます】ことを――秘密を創れ」


――【0.愚者不幸は知性を呼び覚ます


 彼の持つカードたち。古びた小アルカナ・タロットカードは『力』を得て浮遊し彼の周囲を円陣を組むように周回する。そのまま彼は手元の【愚者】を手放し浮遊させると、続けざまにカードを一枚引き呪文を詠唱する。


「ヘルメスよ秘密を抱え駆けろ」


――【1.魔術師ヘルメスのベール


 彼の周りを巡るカードが彼の意志によって自在にその軌道を変え、21枚の【タロット・大アルカナ】は縦横無尽に飛び回る。


 その様子を見た金剛は準備運動と言いたげにグルグルと腕を回しながら、春沙へ言う。


「それでは行くぞ」


「あいよ」


 春沙は一枚のカードの上へ器用に立ち、金剛はふわりと浮遊し、北の空へと飛来していく。その黒い影たちが向かう先にあるのは爆発と血飛沫、それだけであった。

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