兆し その3
放課後。
ヒンヤリとした廊下の壁に背中を預けて一之瀬先輩を待っていると、三年生の教室の前で目の前を通り過ぎていく生徒達が視界に入ってきて、二年生の私がなにやってんだろう。なんて思ってしまい、なんだか勝手に心細くなってくる。
そうやって吹いてないはずの風を気にしていると、無いはずの視線が突き刺さってくるのを漠然と感じ、不安を消すように腕を擦った。
そうしていると、ガヤガヤとした廊下を通り抜けながら先輩が甘い薔薇ような香りを纏ってやってきて「おまたせ!はるっ」と、私を呼ぶ透き通った声が聞こえてきた。
「あ、いえ」
先輩はその甘い空気を周りに振り撒きながら、私の方に近づいてくると「私に会いに来るなんて、そんなに私のこと好きなの?」と、腰を折っては姿勢を低くして、上目遣いで冗談を言う。
「いや、生徒会の事ですよ」
そんな先輩に少し照れてしまって、視線を逸らしながらそう言うと「むぅ、はるは釣れないなぁ」と、先輩は折った腰を真っ直ぐに戻して鞄を持ち直した。
「それで釣れるのは三島くらいですよ」
私が肩を竦めると、先輩は「そういえば、みっしーとはどうなの?」と、わけの分からない事を聞いてきた。
「どうというのは?」
「ほら、クラス別々になったでしょ?それで、みっしー大丈夫かなーって」
「なんで三島の心配するんですか」
「だって、みっしーってはるのこと大好き人間じゃん」
薄々……というか、告白をされたので気づいてはいるけれど、他人に言われるの驚きを隠せなくて「んが!」と、ヘンテコな音が私から漏れ出す。
「相変わらずはるは面白いねっ」
「先輩に言われたくないです」
「ええー?」
先輩はそうやって私の腕を絡め取るように掴むと、恋人のように「オフィスに案内するよっ」と微笑んだ。
先輩に腕を取られ、とことこと軽快に廊下を蹴っていると、オフィスってどこの事を言っているのだろう? といった疑問が頭に過ぎる。
そういえば、三島が「一之瀬先輩はお嬢様かもしれない」なんて言っていたっけ。このまま校舎を出るとリムジンが待っていて、そのまま大都会にあるオフィスビルの最上階にでも連れて行かれるのだろうか。
「えっへん。ここが我が社のロビーだよっ」
そう言って髪の毛をわざとらしく手でヒラヒラと揺らしながら、キラキラの社員証を首からぶら下げている一之瀬先輩を想像するのは、容易かった。
「ここだよっ」
「ここって……」
「うん!生徒会室!」
まあそうだよねと、知らない場所じゃなくて安心したような、それとも期待と違って落胆したような。そんなむず痒い感覚に、私は背中を向けるように生徒会室からも目を背けた。
「ん。もしかして、本気で嫌だった?」
先輩が扉に手を掛けて振り返ると、私を見てそういった。
「いや!そ、想像と違っただけで!」
手をブンブンと振り、オロオロとしながら生徒会室に入る。
「お、おじゃましま~す」
生徒会室の中には、よくわらかない書類やファイルでいっぱいの棚がいくつもあって、壁をずらーっと埋め尽くしている。
先輩は椅子を引きながら「ここ座ってっ」と、私に微笑んだ。
「あ、ありがとうございます」
そのまま背中を通り過ぎると、先輩はぽつんと存在感を放っている給湯器に近づいて、生徒会室には似合わないティーセットを棚から取り出した。
「紅茶でいい?」
そう聞いてくるということは、紅茶以外にもあるのだろうか。
いや、たぶん無さそうだ。
私がココアが良いと言ったら、先輩はきっと眉をひそめるのだろう。そんな事を想像しながら「はい」と、答えてあげた。
「それで、生徒会に入る話。考えてくれた?」
先輩は、まるで私を餌で釣るかのように紅茶を目の前に差し出してくる。
「な、なんで私なんですか?」
「そりゃぁもう、はるのことが好きだからだよ」
先輩はそう言って微笑むと、小悪魔的なまでの無自覚な好意が、生徒会室全体をふわふわと包み込む。
「先輩って、それ天然でやってるんですか?それとも狙って?」
「ん、なにが?」
「いや、人によっては勘違いして本気にしちゃうと思うんですけど」
先輩の目を真っ直ぐと見つめそう返すと、先輩は両手を挙動不審にさせながら「そ、そこまで見境無いわけじゃないよ!!」と、焦りを顕にした。
そんな先輩をじっと観察していると、堂島先輩には積極的じゃないよなー。なんて考えが頭に過ぎる。
そっと目の前にあるティーカップに手を伸ばして、紅茶を口に含もうとすると、甘い紅茶の香りがスーッと漂ってきて「先輩って、堂島先輩の事めっちゃ好きですよね」と、そんな言葉が口からこぼれ落ちた。
「は、はい!?」
生徒会室に突然響き渡る声に体がピクリと反応して、椅子から倒れそうになった。
先輩は私よりも赤くなった頬を隠すことを優先したのか、くるりと体の向きを変える。
「先輩? 一之瀬先輩?」
一度呼ぶだけでは反応を見せなかったので、続けて名前を呼んでみた。
すると先輩は、小刻みに背中を揺らしてながら歩き出し、人さし指で細長い長方形の机をすーっと撫でながら先輩は窓際に座る。
「私って、そんなにわかりやすいかな?」
「たぶん?だって先輩って、堂島先輩と一緒にいるイメージですし」
そりゃそうか。そんな言葉を含んでいるかのように、先輩は目を細めながら首を傾げて微笑みを向ける。
「付き合わないんですか?堂島先輩も、別に先輩のこと嫌いじゃなさそうですけど」
「前も言ったけど、私から言うのはなんか違うっていうか――」
「そういうもんですか……」
「そういうもんです」
えっへんと先輩は腕を組んで、うんうんと自分自身に言い聞かせるように頷いた。
話が逸れてしまい「それで、なんで私なんですか?」ともう一度聞いてみると「いやだから、はるのことが……」と、先輩はループするように続けようとした。
「そ、それはわかりましたから!」
両手を机の上について、つい声を響かせる。
先輩はそんな私を見ると、口元に手を持っていって小さく微笑んだ。
そして口元に添えられている手を机の上に置き「まあ、本音を言うとね……」と、言葉を詰まらせる。
先輩はぎゅっと拳を作ると静かに立ち上がり、窓の方に振り向むいた。
すると何かを掴もうとするみたいに、右手を窓ガラスへと添えた。
「私ね、この学校が好き。蒸し暑い夏の廊下も、ヒンヤリとした冬の教室も」
先輩の指先が窓の上を滑り、指の形に沿ってほこりの跡が残る。
先輩は手についたほこりを指先で遊び「だからね。残り一年、好きな人と好きなことをしたいんだ」と、振り向いてニコッと笑った。
「好きな人っていうのは」
「うん。はるとかみっしーとか。もちろん、堂島もね」
先輩はそう言って肩を竦めると、恥ずかしそうにはにかんだ。
そんな先輩の言葉を聞くと、あんなにも近かった先輩が、どこか遠い存在のように見えてしまう。
生徒会に入りたいかと聞かれれば、もちろん入りたくない。
先輩や堂島先輩ほど真面目でもないし、頭も良くない。なによりめんどくさかった。
きっと私は先輩ほど学校が好きじゃなくて、向上心もないと思う。時々関わる分には楽しいし、先輩の事は好きだけれど、一緒にいる時間が長くなればなるほど、劣等感や疎外感に苛まれる予感がある。
「やっぱり嫌かな」
私が言葉を詰まらせていると、先輩は自信なさげに寂しそうな声を囁いた。
先輩の息を吐くような薄い声が私の耳元をかすめると「そんなことないですけど」と、頭で考えるより先に口走っていた。
「はるは優しいね」
「そんなこと、ないですけど……」
と、オウムのように言葉を繰り返す。
はいと返事をしたわけではないけれど、不思議と不快感はなかった。
先輩の人柄のせいだろうか。それとも、先輩の残り一年しかないという言葉に、一瞬胸がぎゅっとなったからだろうか。
考えても答えは出ない。出なかった。
それでも、それでも指先に何かが引っかかっている違和感に、どこか高揚感じみたものを感じてしまい、今年は特別な事が起こりそうだ。なんて柄でもないことを考えてしまうのでした。
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