三話 一歩進んで、二歩下がって、三歩進む。 後編

三話 【一歩進んで、二歩下がって、三歩進む】 後編


 改札を出ると、外は夕焼けに染まる街が広がっていた。

 電車のガタンゴトンという音が街に響き渡り、遠ざかっていく。遠ざかる電車の音と沈みかける夕日が、楽しい一日はもう終わりだよと、告げてくる。

「今日はありがとっ」

 そう、隣にいた天野さんが微笑んだ。

「私の方こそ、誘ってくれてありがと」

 そう返すと、再びニッコリと微笑み返してくれた。

 駅の入り口でしばらく立ち止まっていると、電車の音が過ぎ去って、妙な静けさが駅周辺にじわじわと漂ってきた。

 それは気まずさとは少し違っていて、お互いに別れを惜しんでいるような、そんな感じだ。

 正直、もう少し一緒に居たいような気もするけれど、じゃあこの後なにするの?ってなると、特にやることもないしな。と結論づけてしまう。惰性で一緒にいるくらいなら、このまま余韻に浸ったまま解散した方が良いと私は思う。

「じゃ、じゃあまた。学校で」

 そう私が切り出すと、天野さんは何か言いたげで、口をモゴモゴさせていた。たぶん、私と同じ事を思っているのだろう。

 私がどうしたの?と聞こうとすると、天野さんは少し名残惜しそうな笑みを浮かべて「うん!また学校で」と返事をした。その笑みが、私の胸をチクリと刺した気がした。

 踏切に向かう帰り道。トコトコと何事も無かったかのように歩いている。天野さんは、私ともっと一緒にいたかったのだろうか。振り返れば、まだ天野さんは居るのだろうか。そんな事を考えながら振り返えらずに踏切を渡った。

 いつもより踏切が長く感じる。きっと、天野さんに手を引っ張って欲しいと望んでいるからだ。

 電車が迫って来て、カーン、カーンという音が聞こえてくる。遮断桿が降りてきて、まるで私達を切り裂いているような気がした。

 私は衝動的に振り返る。電車が踏切を通過して私の視界を覆い隠す。一瞬、踏切の向こう側が見えたけれど、天野さんの姿はなかった。

 それもそうだ。駅で解散したのだから、後をつけて居ない限り、姿が見えるわけがない。

「帰ろ……」

 自然と独り言がボロっと出てしまい、なんだか今日の私は私らしくないなって、少し笑みをこぼして帰宅した。

 翌日から、文化祭に向けた準備が始まった。

 青春ってやつのメインイベントということもあり、ほとんどの生徒は忙しそうにザワザワしている。

 生憎、私もその中の一人だ。メイド服のサイズ直しをしてもらうために、手芸部の部室と私の教室を伝書鳩のように行ったりきたりしている。

 両手でメイド服を抱えて走っていると、なんで私がこんな事をしないといけないんだ。と思う。

 けれど、クラスが一致団結している中で一人だけ知らないフリをして、孤立しようとも思わない。いや、クラスでは既に孤立しているけれど、きっと私はそこまで割り切れないんだろうなと思う。

「ねー君。これも手芸部に持ってってくれる?サイズはこのメモに書いてあるから」

 またか。と思いつつも無愛想に「わかった」とだけ返して、メイド服を受け取った。

 そういえば、ほとんどのクラスメイトは私の事を名前で呼ばないな。君、ねーねー、そこの人。覚えられてないんだろうなと思う。そんな事を考えつつ、渡されたメイド服にシワができないよう、持ち直す。

 廊下には、私のような伝書鳩がたくさん居る。私と同じ方向に向かう人、忙しそうに走り、すれ違う人、走って先生に注意される人。様々だ。

 階段を上るため、持っている服を持ち直して手すりに手を置く。落とさないようにゆっくりと上っていたら階段を下ろうとする生徒と目が合った。

 その生徒は天野さんだった。

 踊り場の窓から入る陽光が、天野さんを照らしていて、私の方まで影が伸びていて、ちょうど影になっている。天野さんの顔が見にくい。

 しばらく…しばらくと言ってもたぶん数秒だけれど、お互いに視線が合ってる気がする。何て話しかけよう?いや、そもそも話しかける必要なんてあるのかな…?お互いに忙しそうだし。それでも、立ち止まってるってことは、そういうことだよね…。

 手すりに添えていた手をちょこんと上に上げて、軽く手を振った。天野さんも少し照れくさそうにしながら、ちょこんと返してくれた。

 階段を上って踊り場まで行くと、光に照らされた天野さんの嬉しそうな顔が良く見えた。

「お、一昨日振り…?」

 天野さんは少しぎこちない。手にはお化け屋敷の仮装道具を持っていて少し恥ずかしそうだ。まあ、私も何着もメイド服を抱えているので人の事は言えないのだけれど。

「だね。一昨日振り」

「その服、メイド服? 可愛いね」

 と、天野さんが服を指さす。

 私は「可愛いけど。少し恥ずかしい」と返すけれど、照れ隠しとも苦笑いとも違うような笑みが交じってしまう。

「柊さんもこれ着るの?」

「たぶん…」

 私がそういうと、少し小悪魔的な笑みを浮かべて「へぇ~」と返した。

「な、なに」

 嫌な予感がして、私はほんの少し身構える。

「文化祭の日、柊さんのクラスに行っていい?」

 やっぱり…。天野さんは首を傾げながらにやりと微笑んでいる。

「恥ずかしいかも。 クラスで浮いてるだろうし…」

 断る理由があるわけではないけれど、自分から率先して来てっていうのも違う気がする。

「じゃあ尚更行かなきゃっ。 柊さんを一人にはしておけないからね」

 今度はニコッとした笑顔を見せる。この人はどこまで私の事を考えてくれているんだろうと思う。だって、普通なら友達にそこまでしないでしょう。過保護?なんて言葉が頭に浮かぶと、ぷぷっと笑いを零してしまった。

「私なにかおかしなこと言った?」

「ううん、言ってないよ。 ありがとう。待ってるね」

「うん!じゃあまたねっ」

「うんっ。またね」

 そう言って階段を下る天野さんの背中を見つめている。廊下の角に入り姿が見えなくなる前に天野さんはもう一度振り返り手を振ってくれた。恥ずかしいけれど、私もほんの少し手を振った。

 手芸部にメイド服を渡し終えると、スマホに一軒のメッセージが届いているのに気づいた。

「情報の教室に集合!!!」

 天野さんからかなと思ったけれど、一之瀬先輩からだ。

 体育祭以降、グループメッセージが動いてなかったった。もう関わらないかなと思っていたので少し嬉しい。でも、三島も来るのかな。そう思うとかなり気まずい。どう接すればいいのだろうか。

 歩いているうちに答えが出ると思ったけれど、文化祭前の騒がしさが、ゆっくり思考に浸る暇を与えてくれない。私は答えの出ないまま、教室の扉を叩いた。

「おっ!やっときた~」

 一之瀬先輩が両手を広げて私に抱き着いてきた。

「待ってたよ!っ」

 って私の事だよね…?そんな近い関係だったっけ…。

「えっ…先輩。 どうしたんですか」

 一之瀬先輩のテンションについていけず、私が困っていると壁際で物静かに腕を組んでいた堂島先輩が助けてくれた。

「おい、一之瀬。 柊が困ってるじゃないか。その辺にしてやれ」

 一之瀬先輩は堂島先輩を少し横目で意識しながら、若干不貞腐れた声で「はーい」と返事をした。

「一之瀬は相変わらずでな。すまん」

「いえ…」

 この二人も相変わらずらしい。一之瀬先輩が振り回して、堂島先輩がブレーキ役をしたりサポートしたりして、お互いにバランスを取り合っているようだ。

「三島君もそんな端っこにいないでこっち来なよ~」

 一之瀬先輩の視線の先には、壁に寄り掛かりながらばつが悪そうにスマホを弄る三島の姿があった。

「いや、おれはいいっすよ…」

 そういいつつも、スマホはポッケにしまう三島。腕を組んで、誰が見ても壁を作ってますと、解釈できるように振る舞う。

「三島君~さては、はると何かあったな~」

 三島の肩に無邪気に手を置く一之瀬先輩。それは恋人とか友達とは少し違って、まるで弟のような距離感だ。三島は少し照れながらも、面倒くささが勝っているのか、表情は晴れないままだ。

「別に何もないっすよ…」

「ふむふむ。なるほど。なるほど」

 一之瀬先輩が名探偵を気取り、三島と私を交互に見る。

「そういうことねっ」

 そう言うと、一之瀬先輩は私の方に近づいてきて手を取り「ちょっと来て」と言い、三島がいる位置とは対角線上の離れた場所に連れてかれた。

「堂島!三島君の事、お願いね!」

「はぁ、わかったよ」

 仕方ないと一息つき、堂島先輩は三島の方に寄り添い、話をしに行った。まるで、やっていることがカウンセラーだなと思った。

「ねーねー、はる。三島君に告白されたでしょ?」

 小声で耳元に囁くように聞いてくる。三島への配慮もあるだろうけど、それにしても距離が近い。

「されましたけど…。 それより先輩。その…はるって呼び方…」

「ん?嫌だった?」

 悪びれもなく、目を丸くしながら答える。

 そういう人なのかなって思うと諦めもつく。まあ、あだ名で呼ばれるのは悪い気はしないし、変なあだ名でもないから、気にするほどのことでも無いか。

「嫌じゃないですけど。急だなって」

「うーん。毎回その場のノリ?とか思いつきって感じ」

「そ、そうなんだ…」

 誰にでもそんな感じなのかな。一之瀬先輩、美人だし愛嬌もあるし、私とは住む世界がきっと違うのだろう。

「そんな事よりさ!三島君からの告白、どうだったの?」

 興味津々に聞いてくるな…。あまり話したくもないし…。いや、話したくないってよりかは、三島に悪いって思うのかな。

「私達の反応見て、わかりませんか?」

「じゃあ、振ったのかー」

 興味津々の割には、意外とあっさりした返事だ。わかりきっている答えを、答え合わせしても意味ないって感じなのかな。

「はい…」

「振るの辛かったでしょ? 頑張ったね」

 一之瀬先輩の態度は一変して、私を気遣うように頭を撫でてくれた。

 私は振るのが辛かったのかな。ただ単に数少ない友達が減るって事を恐れた気がするけれど。口には出さないでおこう。

「……。一之瀬先輩は、辛かったんですか…?」

「そりゃあね。目の前で泣かれたりするし。 相手の気持を否定するのって、勇気のいることよ」

 そう言いながら私の頭を撫でる指は繊細で、髪に絡まること無く透き通っている。

「だから……頑張りましたっ」

「あ、ありがとうございます…」

 一之瀬先輩の手が私の髪に擦れる音が耳元を包む。しばらく間を置くと、再び一之瀬先輩が話しかけてきた。

「三島君のことは…嫌い?」

 三島の方を向き、ほんの少し首を傾げながら聞いてくる一之瀬先輩。

「嫌いではない…です。悪い人じゃないし」

「じゃあ、好き?」

「どうでしょう…」

 やっぱり……好きとは違う気がする。一緒にいて疲れないし、寧ろ絡みやすくはあったけど、恋って考えるとキスとか…そういう事するんだよね、きっと。でも、私は三島とそういう事をしたいと思わないし、やっぱりドキドキもしない。

「やっぱり、考えても恋人って考えると少し違うのかなって」

「そっか…。まあ、良いんじゃない?それでも」

「え?」

「別にそれでお互いに関わりたくない訳じゃないんでしょ?」

「それはまぁ…」

 私がそう思っていても、相手がどう思っているかなんてわからないじゃないか。

「それに…はるみたいな人、少なくないと思うな」

 ほんの少し息の交じった寂しげな言い方だ。横にいる一之瀬先輩に視線を少し向けると、肩をすくめて寂しげな表情をしていた。

 気づけば、三島と堂島先輩も話を終えていた。こちらの話し合いが一段落ついたと感じ取ったのか、タイミングを見てゆっくり歩いてきた。でも三島は堂島先輩の陰に隠れている。

「ま、よくある私情のもつれって奴だな。ま、そんな言葉より優しいもんだが」

 堂島先輩がそう言うと、一之瀬先輩は大きく何回も頷きながら、少し楽しそうに「うんうん!」と言っている。

「三島君もはるも若いなー!」

 そう言うと、三島と私を引き寄せて一之瀬先輩が真ん中になる形で肩を組んだ。

 ほんの少し……。いや、かなりお節介な気がするけど、一之瀬先輩がいなければ三島と今後関わることは無かったかもしれない。

「先輩と一つしか変わらないっすよ……」

 三島が美人の先輩にベタベタされて、男の子らしく照れている。

 今しかないよね。仲直り?というかなんというか。そもそも喧嘩はしてないから、仲直りではないか。でも、せっかく一之瀬先輩と堂島先輩が気を使ってくれたのだから、私も頑張るべきなのかな。

 私が何か話そうとするのを察したかの、一之瀬先輩は肩を組むのを辞めて、堂島先輩の背中をポンポンと押しながら距離を取った。

 そこまで、あからさまに気を使われると却って気まずいのだが…。

「ね、三島……ごめん」

 そう言うと「柊が謝るのおかしくないか?」と照れくさそうに話す。

「じゃあ、なんて言えばいいの?」

 三島はほんの少しの間を置いて、頭を掻きながら答えた。

「俺の方こそ。ごめん。困らせた」

「うん…」

 深々と頭を下げる三島に、少し罪悪感が積もる。なんだか、謝らせてるみたいだ。

「でも!俺の気持ちは本当だから!今だって柊の事が好きだ。でも、それ以上に…友達でいたい」

 三島は頭を上げて、真っすぐ私を見ている。その力強い眼差しが、本気だと叫んでいる。

「三島が、それでいいなら…」

「お、おう…。ありがと」

「私の方こそ、ありがとう」

 正直、何に対するありがとうなんだろう?と、疑問に思わなくもない。私のありがとうと、三島のありがとうは、夏と冬くらい違うものかもしれない。けれど、人付き合いや友達ってきっと、こういうものなんだろうと思った。

 そんな事を考えていると、遠くで見守っていた一之瀬先輩がニヤニヤしながら近づいてきた。

「三島君ーー!!カッコよかったよ!」

 少し涙目の三島の頭をボサボサになるくらいかき回している。

「な、なんすかっ!やめ、やめてください!」

 そう言葉では言いつつも、表情は笑っている。その顔を見て、少し救われる気がした。

 堂島先輩も、静かに私の横に立った。

「柊も偉いぞ」

「そうですかね…」

「偉いさ。あの状況なら、逃げても誰も文句は言わん。告白も一度断ってるわけだしな。それでも向き合えるっていうのは、すごいことだ」 

 堂島先輩に褒められると素直に嬉しい。

「あんなセリフ、私も言われてみたいなー?」

 そう言いながら、堂島先輩をからかうように見つめる一之瀬先輩。それに対して堂島先輩は「一之瀬なら、何回も告白されてるだろう…」と、呆れて返していた。

「そういう事じゃ……ないん…だ…よっ!」

 と言いながら一之瀬先輩は、片足で出来の悪いスキップをしながら、堂島先輩のおでこに弱々しいチョップを食らわせた。

「何がしたいんだ…」

 堂島先輩もやれやれ…といった様子で一之瀬先輩のチョップを片手であしらっている。

「先輩っ。そう言えば、なんで俺達を集めたんですか?」

 一之瀬先輩は、忘れていた!という様子で目を丸くして三島を指さした。

「よくぞ聞いてくれた三島君!」

 一之瀬先輩は、私、三島、堂島先輩の三人が視界に入る位置に移動してから、大きく息を吸い込んだ。

「文化祭をこのメンバーで回ろう!!」

「げっ…」

 真っ先に三島が反応し、「そこの君!げっ…。って言わない!」と一之瀬先輩がすかさず三島にツッコミを入れる。

「でも、いいんですか?一之瀬先輩二年だし。同じクラスの人との思い出作りとか…」

「はると一緒に回れる文化祭も残り二回って考えると、悪くないじゃん?」

 一理ある…。というか、何を優先するかは人それぞれだから、議論も何も無いか。

「俺は構わないが、三島と柊はどうだ?」

「おれは…」

 何か言いかけた三島だったが、一之瀬先輩に捕まり教室の隅で何かを話し合い始めた。

「三島君。これはチャンスだ。文化祭。好きな人。お化け屋敷。これで落ちない女の子はいない!」

 丸聞こえなんだけどな…。三島もその言葉で盲目になるはずもなく、仕方ない様子で肩を落としながら「わかりました…」と言っていた。

「じゃあ柊さんも来るよね?」

 四人中、三人が行く気でいるんだ。断れる空気でもない。でも、天野さんに誘われるってほんの少し期待が無いわけではないから、予定は空けておきたかったな。

 天野さんも誘えば良いのかな?いや、私が天野さんの立場なら、知らない友達の中に放り込まれるのは気まずい…。しょうがないか。

「わかりました」

 そう答えてから数週間が経った。

 十一月に入り、夏の残暑なんてものは遥か彼方に消え去って、ブレザーを着る生徒も多くなってきたな。なんて、ぼんやりと考えていた頃、久しぶりに時間が合い、天野さんと一緒に帰ることになった。

「すっかり寒くなったね〜」

 自転車を押しながら歩く天野さんが、先に口を開いた。白い息が出てるわけではないけれど、風に当たっている手先は、ほんの少し赤くなっていて冷たそうだ。

「だね〜。つい最近まで暑かったのに。秋は何処に行ってしまったのか…」

「わかる!今って、秋と春って感じないよね!」

「だね。すぐ寒くなるし、すぐ暑くなっちゃう」

 そう言うと「どうしたものか…」と返してガクリと頭を落とす天野さん。それに対して「地球の環境問題を一緒に考える?」と、ふざけて少し難しそうな事を言ってみると、案の定「やめてー!頭が痛くなるー!」と、天野さんもふざけ返してきた。

 しばらく歩いていると、時々強い風が吹く。風が吹くたびに私達は、くっつかない程度にほんの少し身を寄せ合って「さぶっ!」と一緒に話していた。

「そういえばさ、冬も自転車なの?寒くない?」

「うーん。寒かったらタイツ履くし、気にならないかも?柊さんは?」

「私もタイツ履いちゃう。スカートって可愛いけど寒いよね」

「うんうん」

 日が落ちるのが早く、太陽はもう隠れてしまい、空は月が支配している。

 私達は今、他愛のない話をしている。

 街の街灯が、天野さんの顔を微かに照らすとぼやけた輪郭が浮かんできて、少し口角が上がっている。それを見ると、自分が安心しているのがわかった。

「そういえばさ、文化祭の準備は順調?」

「順調かな?メイド喫茶の看板を作り始めた気がするよ」

 そう返すと天野さんは、「完成したら、写真送ってね!」と笑顔で返す。

 どうせ来るんだから良いじゃん。なんて、無粋なことを考えるのはやめよう。そう思いながらも私は「撮れたらね」と、軽く返した。

 すると、天野さんも間を置かずに「うん!それでいいよっ」と返してくれた。

 天野さんは相変わらず優しい。私の素っ気ない返事に笑顔で返してくれる。私も変わらないといけないなと思う反面、その居心地の良さに甘えてしまっている気がする。

 そんな事を考えていると、歩いている先に踏切が見えてきた。

 久しぶりの天野さんとの下校も、もう終わってしまう。そんな事を考えていたら神様がそれを汲んでくれたかのように、踏切がカーン、カーン、と赤く点滅し始め、遮断桿が降りた。

 踏切の前で足を止める。遠くから電車の音が迫ってくる。

 ほんの少し、天野さんの顔を伺った。真っすぐと、踏切の向こう側見つめていて、何処かぼーっと遠くを見ているようだった。

 何を考えているんだろう?と言う疑問が頭によぎったけれど、電車の音と風が目の前を突風のように吹き抜け、考えがかき消された。

「なに?」

 天野さんと目が合った。どうやら踏切に着いてからずっと天野さんの事を見ていたみたいだ。

「ううん。 なんでも」

 そう返すと、天野さんは少し寂しそうに「そっか」とだけ返した。

 耳に残っていた電車の音が無くなり、辺りの静けさが際立っているのがわかる。

 今日はもう話すことはないかなと思い、踏切へ一歩踏み出そうとした。

「……柊さん」

 天野さんの方を向くと、私の方を向いているわけではなく、顔は真っ直ぐ前を向いたままで、瞳はゆらゆら揺れていて緊張しているようだった。

 宙に浮いている右足を戻して、天野さんの方を見ながら「なに?」と返す。

 すると、目を瞑って覚悟を決めたかのような表情をしてからこちらを見つめて「文化祭、一緒に回らない?」と、声が裏返りながら話した。

「えっと…」

 なんて返せばいいかわからない。

 正直、一緒に回りたい。でも、一之瀬先輩と一緒に回る約束を先にしてしまっているから、それを断って天野さんを優先するのは……違う気がする。

「ごめん。他の人と回る約束してて…」

 それを聞いた天野さんは、「えっ……」という声を漏らし、口をほんの少し空けたまま固まった。

「…他の人と回るんだ」

「いや、そういうんじゃ…ないけど」

 沈黙が落ち、何も言えなくなる。

 すると、また電車の音が近づいてきて、カーン、カーンという、警告音が響き渡った。

 赤色の警告灯が天野さんの顔を照らし、顔にまつ毛や前髪の影が伸びて、表情が良く見えない。でも、何かを噛みしめるように、唇を噛んでいるようにも見える。

 天野さんは警告音に反応し、咄嗟に自転車に跨った。

「じゃあね……」

 手を伸ばして、天野さんのブレザーを掴もうと思った。でも、ペダルを踏み込んだ天野さんは風のように早く、あっという間にその背中は追いつけない距離にまで、遠ざかってしまった。

 胸の奥がざわざわする。

 そう、それはではない。

 あなたとの関係はこれまで。と、告げられたようだった。

 踏切を電車が通過し、その轟音と警告音が耳にこべりついて、しばらく消えそうにない。

「どうしよう…」

 浴室に声が響き、落ちてくる水滴がぽつんと洗面器に当たって音が鳴る。

 今からでも一之瀬先輩との約束をごめんなさいして、天野さんにメッセージを送る事はできる。でも、そこまでする程の事だろうか。

 それに…天野さんが私に求めた答えと、私が発した答えが異なっていただけなのではないだろうか。   

 もしそうなら、一人で勝手に期待して、勝手に失望しているだけじゃないか。

「私、今最低な事を考えてるな…」

 そんな独り言が浴槽の壁に当たり、自分に跳ね返ってきて私の胸をチクリと刺した。

 翌日学校に行くも、昨日のことが頭から離れずにぐるぐるしている。そのせいで、何回か先生に注意されてしまった。

「はぁ…」

 昼休み、どっと疲れが押し寄せてきて深いため息を吐く。ふと、今の溜め息は思ったより大きかったなと思い周りを見ると、隣の席の女子が恐る恐るこちらを覗き見て、目を丸くしていた。

「あ……。  …気にしないで」

「う、うん…」

 名前も知らない女子生徒は、関わってはいけない人から去るように、足早に逃げていった。

 私は覚悟を決め、立ち上がった。

「三島君」

 目の前には唐揚げを頬張る三島の姿。三島はなんで話しかけてきた?と言いたげだ。

「な、なに…?」

「メイド喫茶の看板。何処まで進んでる?」

 三島は、食べていた唐揚げをゴクリと飲み込み、水筒のお茶を一杯飲むと「体育館裏でペンキを乾かしている」と教えてくれた。

「ありがと。ごめんね、食事中に」

「お、おう」

 昼休みに、一人だけ小学生に戻ったかのように廊下を速歩きし、階段を駆け下りた。

 体育館裏に行くと、色々なクラスの看板が立てかけられてて、うちのクラスもその中の一つだった。

 スマホを手に取り、パシャリと一枚写真を撮った。

 なんてメッセージを送れば良いかはわからない。でも、天野さんが看板が完成したら写真を送ってと言っていたから良いよね。

 そう自分に言い聞かせて、送信ボタンを押した。

 しばらく太陽の下でスマホの画面を見つめていたが、既読マークはつく気配がない。

 空を見上げてみたり、落ち葉を拾ってクルクル遊んでみたり、転がっている石を蹴ったりして、時間を潰したけれど、既読がつく事はなかった。

 今までは、遅くても五分以内には返信がきていたので、天野さんから返信が遅くなる事は初めてだった。

 正直、天野さんは私からのメッセージなら喜んで返信を送ると思っていた。でも違った。

 心を許して接することができるのは私だけだと、思い込んでいた節はあったと思う。きっと、天野さんも同じ事を思って、期待して、私を文化祭に誘ったんだろうな…。そう思うと胸が締め付けられる。 

 帰ろう…。もう、このまま学校にいても意味がない。

 「あ、鍵…」

 鞄の中に鍵が入っているので、帰ることもできないと気づいた。でも、心も体も家の方に向いてしまっている。

 この逃げ癖を、今さら変えることもできないと諦め、抗うこともせず、鞄を取りに教室へ向かっている。

 学校の廊下には、昼休みが終わり授業中の音楽室から届く合唱の音、授業中の先生の声が壁越しに籠もって、うっすらと漂っている。

 歩いていると、授業に集中していない退屈そうな生徒と、教室の扉にある小さな窓越しに目が合った。その子は「あの子は何をしているの?」と言いたげな表情で、私を目で追っている。

 そんな子を横目で見ながら、自分のクラスの扉をガラガラと大きな音を立てて開けた。

 当たり前だけど、先生を含めたクラス全員が私に注目した。現代文の授業だったので、ちょうど担任の先生だった。

「柊さん、どうしたの?」

 少しぎこちなく、先生が私を見つめる。

「あ…。 えっと…」

 足がすくみ、喉が詰まる。帰りますと宣言するわけにもいかず、私は「すみません。遅れました」とだけ言い残し、静かに席に向かった。

「何あの子?」「柊だっけ」「恥ずかし」

 何人か小声で話す生徒の声が聞こえる。教室内は、私のせいで恐ろしく静かなので、私への悪態は私の耳にまで届いた。

 静かな教室に、椅子を引くギィーという音が響く。そして、再び視線を集める。

 椅子に座ると、脚を組んで、肘をつき、手を頬に当てて空を見上げた。

 快晴ではあるけれど、所々点々と雲がかかっている。枯葉が飛ばされて時々視界に入り、もう冬だな。なんて現実逃避をする。

 一貫性がないな、私は…。逃げるんだったら、逃げればいいのに。そう思いながら机の下でスマホをこっそりとを確認する。それでも、天野さんからの連絡は返ってきていない。

 授業が終わり、鞄を手に取る。まだ後一限残っているが、やる気力もない。学校にいたくなかった。

 案の定、担任は私が目の前で帰る支度をしていても、気にもしていなかった。天野さんなら…なんて考えると、余計に辛くなるのがわかる。

 雑に鞄を扱い、足早に教室を後にした。

「はーるっ!」

 下駄箱で上履きを脱ごうとした瞬間、いきなり背後から抱きつかれた。

「な、なんですか!?」

 驚きと苛立ちが混ざった声が出る。今日は、こういう馴れ馴れしさを受け入れられる気分じゃなかった。

 振り返ると、一之瀬先輩が少し後ずさりして、目を丸くして立っていた。

「あ、一之瀬先輩…」

 言葉に詰まる。怒鳴るほどのことでもなかったのに、強く当たってしまった。でも、先輩は少し驚いた顔をしただけで、ふわりと微笑みながら近づいてきて、私の頭をぽんぽんと撫でた。

「何かあったの?」

 優しく、透き通った声だ。その白く繊細で細長い指が、私の髪の毛を優しく撫で下ろしている。その優しい指使いに、心を締め付けられる。

「友達と喧嘩しちゃって…」

 本当は話したい。でも、詳しくは言わない。だって言ってしまったら一之瀬先輩が私を誘ったからです。なんて、言っているようなものだからだ。 

「そのお友達は大事?」

 考えるまでもなく大事だ。どれくらい大事?と聞かれると困ってしまうけれど。けど、一之瀬先輩なら、困るようなことは質問してこないという謎の信頼がある。

「大事です」 

 それを聞くと、一之瀬先輩は、撫でる手を引っ込めて下駄箱に寄り掛かって天井を向きながら「羨ましいな…」と言葉を零した。

 天井を見上げる一之瀬先輩の瞳は、ゆらゆらと揺れていた。私は不意に零したであろうその言葉の意味を確かめる。

「羨ましい…ですか?」

 そう言うと一之瀬先輩は、真っ直ぐこちらを見つめて「うん。羨ましい」と、真剣に答えた。

 私が「どうしてですか?」と聞くと「私には、そんな風に思ってくれる人は近くにいないから…」 と、寂しい表情をしていた。

「堂島先輩は…?仲良さそうですけど…」

 一之瀬先輩は、くるりと回転し、私に背中をみせながら「彼はダメ…」と濁した。

 一之瀬先輩と堂島先輩の仲ですら、という存在には程遠いというのなら、私が天野さんの事を大事に思うのは、過干渉なんじゃないかな…。そんな事を床を見つめながらぼーっと考えていると鼻先に優しいデコピンが飛んできた。

「だーかーらっ。今はるがやるべき事は、その子に会いに行くことなの!」

 そういって「行った、行った」と、背中を叩く一之瀬先輩。天野さんとは違った意味で面倒見が良い。堂島先輩と比べると頼りないかなと思っていたけれど、見直したかもしてない。

「やってみます…」

 そう口にすると、自分の中で何かスイッチが入った気がした。おそらくこれは覚悟でも決意でもない。ただ、先輩に言われたことを機械的に実践するだけだ。

 でも、一之瀬先輩が矢を引いてくれて、私が撃ったんだ。放たれた矢はもう戻らない。その矢は弱々しくて届かないかもしれないけれど。それでも、前に進もうと思えた。

 少し重苦しい足並みで階段を上っている。鞄の持ち手を命綱のようにぎゅっと握っていることに気づくと、私は何に怯えているのだろうと、呆れ交じりのため息が出る。

 一組の教室は相変わらず賑やかだ。そっと教室の扉の隙間から一組の教室を覗き見るが、天野さんの姿はなかった。

 しばらく一組の教室の前で出入り口を見張っていたが、天野さんは戻ってくる気配はなく、しびれを切らした私は勇気を出して、通りかかった生徒に声をかけた。

「す、すみません…。天野日向さんっていますか?」

 通りかかった女子生徒は、嫌な顔一つせずに答えてくれた。

「日向の友達?日向なら風邪で休んでるって聞いてるけど」

「そうですか…」

 私は無視されていたわけでは無かったのかと安堵する。肩に入っていた力はすっかり抜けていて、ぎっしり掴んでいた鞄の持ち手からは、いつの間にか手が離れていた。

 それでもやっぱり既読がつかないのは事実なわけで、私はその場を後にして学校を出た。

 私は家とは真逆の方向に足を向けた。

 何も考えずに、歩き続けていると、天野さんの家の場所を知らないことに気づいた。

 目の前にはコンビニがあり、そこの壁に寄りかかり一息つく。

「そういえばここって…」

 私が天野さんと関わるようになったきっかけの場所だ。

 2ヶ月しか経っていないのに、はるか昔の事のように思える。

 ふと住宅街を見渡すと、小学生が下校しているのが目に映った。その子達は笑いながら、通学中ですと書かれた黄色い旗を意味もなく振り回している。男子は横断歩道の白線を飛び越えながら。女子もそれに負けんじと、白線の間を両足でピョンッと、飛び跳ねている。それを見ていると、懐かしいような愛しさと、もう戻れないような虚しさが私の胸に交差した。

 電線に止まったカラスがカー、カー、と鳴いている。十一月。空はまだ明るいはずなのに太陽が低くいせいで、街は建物の影に隠れていてほんのり薄暗く、少し肌寒い。

 ふと、行き場のない寂しい手を、コンビニの壁になんとなく当ててスリスリしていたら、手に白い粉がついてしまった。「はぁ…」とため息をつきながらスマホを手に取る。

 メッセージアプリに「ひな」と書かれた名前を親指で押し、電話マークをタップする。

 すると、私の意思や決意を確認するかのように「通話を行いますか?」という文字が浮き上がってきた。

「なんで、もう一度聞くようなことするかなー…」

 そんな独り言がコンビニの駐車場に響き渡る。

 それでも、なんとなく天野さんの声が聞きたくて、友達という関係が続いているのか確かめたくて、通話開始のボタンをほんの少し強く押した。

 プルプルという、発信音が耳元で鳴っている。それは、決して心地よいものじゃない。その独特の高音が耳に棘のように突き刺さってくる。

 ブチッという音が、耳を通り抜けた。私は一瞬、切られてしまったのではと思った。けれど、すぐに天野さんの声が私の耳元を優しく撫でてくれた。

「もしもし?柊さん…?」

 咳混じりに、少し弱々しい天野さんの声がする。

「えっと…」

 電話したのは良いものの、何を話せば良いのだろう。とりあえず、風邪の心配だろうか…?

「風邪、大丈夫?」

「もしかして、心配して電話してくれたの?」

「うん」

 本当は違う。それもあるけれど、君との関係を途切れさせたく無かった。

「そうなんだ…。柊さん…私ね、…君のこと」

 天野さんの声は震えていて、何かを言いかけたようだった。けれど喉に何かがつっかえたかのように、言葉を止めてしまった。

「私のこと…?」

 そう聞き返すと「ううん!なんでもないよ!」と、焦ったようにほんの少し裏返った声で言った。

「ねぇ、柊さん。昨日のこと…」

 天野さんが、昨日の事を話題に出そうとした。私は間を置かずに食い気味で「気にしてない」と返した。

 本当は、気にしてるし不安だったし、傷ついたけれど、掘り返すと天野さんが傷ついてしまう。そう思うと、この話はしたくなかった。

「え…?  でも……」

「気にしてないよ。大丈夫」

 少し強引に話を端折る。怒っているように聞こえてしまっているだろうか。

「また、遊ぼう…。天野さんの風邪が治ったら…」

 天野さんは、少し鼻声で「うん」と、嬉しそうに返してくれた。表情は見えないけれど、きっと、安心してくれたはずだ。いや…その声に私自身が安心した。

「あ、そういえばさ。メイド喫茶の看板出来たよ。写真送った」

「ほんとだ!可愛いね。もしかして、既読がつかなかったから…?」

「えっと…それは…」

 見透かされている。でも、なんだか自分の事を理解してもらっているみたいで、悪い気分じゃない。

 私が戸惑って、言葉を詰まらせていると「柊さんって、可愛い…」と、不意打ち気味に囁いていた。

 電話越しだったから、その吐息の交じった声が耳元で囁かれて、少しくすぐったい。そして、その不意打ちに「い、いきなりやめて!」と、私は咄嗟に言ってしまった。

 すると、なぜか私より不意打ちを食らったかのようにポカンとした声で「いきなりじゃなきゃ…いいの?」と、天野さんが聞いてきた。

 思いも寄らない天野さんの反応に、私も「はい…?」と間抜けな返事をしてしまった。

「その…いきなりじゃなかったら、可愛い…って言っていいの?」

 そういう問題…?いや、女の子同士で可愛いと言うのは珍しく…無いと思う。でも、天野さんの可愛いはそれとは少し違うような。重いというか…。いやなんて言えば良いんだろう。その言い方が、私に対して特別な意味があるんじゃないかと錯覚してしまう。私は友達がいないから、そう感じるだけなのだろうか。

「まあ…良いけど」

「うんっ!」

 鼻声交じりだけど、元気な返事だ。

「じゃあ、これで」

 キリも良さそうだったから、電話を切り上げようと思いそう言うと、「え、もう切っちゃうの?」という、子犬のような反応が返ってきた。

 私はしつけるように「病人は無理せず寝ていなさい」というと、「もう、大丈夫だよ〜」と、言った後に咳をしていた。

「説得力ない…」

「むー。じゃあ、また学校でね」

 少しむすっとした声は、駄々をこねる子供みたいで可愛らしい。

「うん。また学校で」

 そう言って電話を切った。

 コンビニの壁で汚れてしまった手を見てふと思う。結局のところ、なぜ私はここにいるんだろう?と。天野さんの家の場所もわからないのに青空の下、カラスと下校中の小学生に引っ張られるように無心で歩き続けてしまった。

 それに電話だけだったら、天野さんの家の方向まで行く必要無かったな。結局、天野さんの家の場所はわからずじまいだったし。

 徒労だったかなと思い辺りを見渡すと、影はすっかり伸びていて、沈みかけた太陽は建物の向こうに隠れている。それでも完全には沈んでいないので、空を見上げると、まだ夕方の名残のような明るさがあった。ダークブルーの空に、かすかにオレンジが滲んでいる。

 天野さんが学校に来たのは週明けからだった。

「風邪はもう大丈夫なの?」

「もう、すっかり」

 そう言いながら食堂のラーメンを元気よくすする天野さん。

「それ、食べ切れるの…?」

「余裕、余裕!」

「そっか…」

 天野さんは、久しぶりに学校に来たと思ったら、私を昼食に誘ってくれた。私はというと、食堂のメニューを食べ切れる自信がないのでトマトジュースを自販機で買って飲んでいる。

「今日はお弁当じゃないんだ?」

「毎朝作るのは大変でさ。今日はサボっちゃった」

 箸をカチカチしながら、笑顔で答える天野さんは、どこか無邪気だけれど、自分でお弁当を作ってるんだと思うと、すごく大人びて見えた。

「ねー。天野さん」

 私が少し改まって聞くと、天野さんは箸を一旦止めて、水を両手で丁寧に持って一口飲んだ後「なに?」と、返してきた。

「文化祭さ…。一緒に回ろう」

 天野さんは、驚いて目を丸くしながら前のめりになって「いいの!?」と言った。

「うん。いいよ」

「その、先に約束してた人は…?」

「断った」

 本当は、まだ断ってないけど…。一之瀬先輩達なら嫌な顔もしないだろうし、大丈夫だよね。

「そうなんだ……」

 少し申し訳なさそうに肩を落とす天野さん。私が天野さんの誘いを断った時もショックを受けて立ち去った癖に…なんて思い、少しめんどくささを覚える。でも、他人に譲歩されるという罪悪感も、わからなくもない。

 そこで私は、少し考え込んでから「天野さんは、気にしなくていいの。誘ったんだから。天野さんと文化祭行きたいの。わがままなの」と話した。

 本心かと言われると、少し違う気もする。まあ、嘘かと言われると、嘘じゃないんだけれど。この言葉で、少しでも天野さんの気が楽になればと、そう思った。

 それを聞いた天野さんの少し力の入った肩が、ふわっと緩んだのがわかった。テーブルを向いていた可愛らしい顔が私のほうに向き、視線が合う。

 すると、天野さんはニッコリと微笑んで、「ありがとっ。楽しみにしてるね」と、返してくれた。

 それに応えるように、私も自然と笑みがこぼれ「うん」と返事をした。

 食堂に、ほぼ中身のないトマトジュースをすする、ズルルルッというはしたない音が響く。

 私がトマトジュースを飲んでいた様子を見ていた天野さんは「空っぽ?」と聞いてきた。私は確かめる必要の無いのに、トマトジュースを少し大げさに振って、「空っぽだね」と返した。

 すると、「そっか、そっか」と、待っていましたと言わんばかりに小皿を取り出して、食べているラーメンを少し盛り付けてくれた。

「お食べっ」と、リズム良く言ってくるものなので、私も遠慮することなく「ありがとう…」と言いながら一口食べた。

「美味しい?」と、天野さんが微笑みながら聞く。私も髪をたくし上げながら、「うん。美味しい」と答える。

 すると天野さんはからかうように「知ってるーー」と、ニパッと微笑んだ。

「なにそれ」と、私がつい笑うと、天野さんも釣られるように笑った。

 楽しい笑い声が食堂に響き渡る。たぶん、迷惑そうに周りから注目されてたと思う。けれど、今の私達はお互い以外に見えていないようで、気にもしていない。

 きっとこの先もこういう事が、何度か起こるのだろう。そう思うと、なんだか友達って良いなって思うことができた。

 それからその後、教室に戻る天野さんを見送ってから自分のクラスに戻り、席についてからスマホを開いた。

 なるべく早く、文化祭を一緒に回れなくなったと報告するべく、「一之瀬先輩。お話いいですか?」と、メッセージを送ったが、既読はつかなかった。

 その日の夜、寝る前に一之瀬先輩から電話がかかってきた。

 なぜ電話なんだろうと思い、つい「もしもし?」と疑問形で挨拶してしまった。

「あ、はる?こんばんはっ」

「あっ…。こんばんは」

 そんな改まってしっかり挨拶をさせると困ってしまう。育ちの良さの違いを見せつけられたような気がして、少し後手に回った気分だ。

「メッセージ見たよー。ごめんね遅くなっちゃって」

 この電話は、遅くなったからという、お返し?みたいなものだろうか。もしそうだとしたら、ありがた迷惑だ…。一之瀬先輩と仲は良いと思う。でも、電話だと相手の顔が見えなくて、何を考えているのかわからなくて、一歩引いてしまう。

 天野さんならそんな事ないのに…。なんて考えている事をふと自覚すると、私は天野さんがどんなに大事なんだ!と、自分でツッコミを入れたくなる。というか、心の中でツッコミを入れる。

「いえ…」

「そういえば、話って何?」

「えっと…」

 言葉に詰まる。ただ、「話って何?」と聞かれただけなのに、口調も優しく棘のない言い方なのに、それが酷く攻撃的に聞こえてしまう。

 こんな時に、いや、こんな時だからこそ昔のことを思い出してしまう。

 それは、中学一年生の秋だった。

「陽花さー、最近付き合い悪いよね。勉強ばっかして先生に気でもあるの?」

「親に言われて…」

 多分、私は泣いていたと思う。それでも言い返せなくて。

「その割に私よりテストの点数低かったよね」

 悔しかった。自尊心なんてものを砂粒になるほど、すり潰されて、溢さないように掴む手はとても小さくて、頑張っても何も…何も変わらなかった。

「今日も遊べないの?」「もう誘うのやめようよ」「来るかどうかわかんないしね」

 次々と嫌な記憶が蘇る。目の前がぐにゃりと曲がって気持ち悪く吐きそうになってくる。

「はる…?」

 ハッと、一之瀬先輩の声で現実に引き戻された。そうだ。今、私が話してるのは一之瀬先輩だ。ここは私の部屋で、嫌な人はもういない。そう自分に言い聞かせ、覚悟を決める。

「文化祭なんですけど、友達と周ろって誘われて…」

 違う。私が誘ったんだ。こんな時でも自分を優先して守るのか、

「そっかー。残念っ。もしかして、この前喧嘩しちゃったって、言ってた子?」

「はい…」

 一之瀬先輩は、何事もなかったかのように話すな…。それを聞いていると安心するような気もするし、自分の存在はその程度なのかなと、思ったりもする。

「じゃあ、せめてはるのメイド服を拝みにでも行こうかな」

 一之瀬先輩は、冗談交じりに話すけれど、きっと本気でうちのクラスには顔を見せそうだ。

「時間が合えば、ですけどね」と返すと、名探偵を気取るかのように「はるがいる時間を三島君に事前に時間を確認するとしよう」と返してきた。

「その手があったか…」と、私も冗談を返すと、さっきまでの緊張が少し薄れて、暖かい気持ちになった。それを聞いた一之瀬先輩は、安心したような声で「良かった」と呟いた。

「何がですか?」と疑問をぶつけると、「冗談を返せるくらいには回復したようだから」と何かをやりきったかのように満足気に話していた。

「先輩。ありがとうございます」

 自然とお礼が口から溢れていた。

 一之瀬先輩は、「はるの悩みが解決したなら良かった」とだけ言って、お互いにおやすみを言い合った。

 電話を切ると、部屋が急に静かになった。

 ずっとベッドに横になっていたから、少し腰が痛い気がする。

 寝返りを打って、横向きに変える。エアコンから空気が流れる音、時計の針が動く音が段々と大きくなって耳に残る。

「疲れた…」

 自然と零れた独り言は、誰にも届くこと無く壁に突き当たる。誰かに聞いてもらいたいのかな。それとも天野さんに…?

 考えてもわからないからいっか。そんな事を考えて、スマホを枕元に投げ捨て、目を瞑って疲れが取りきらない程度の浅い眠りについた。

 それからの文化祭の準備は多忙を極めた。

 文化祭の日が近づくにつれて、小さな装飾をこんなに大量に用意してどうする…ってくらい準備し始めたり、その置き場所で少し揉めたり。

 それに加えて、飲み物とか冷凍食品とかの買い出しする人が教室を出入りして、扉の音やビニールの擦れる音が何回も響き渡って騒がしい。

 これまで雑用として散々こき使われきたけれど、意外にも文化祭前日は蚊帳の外というか、何もさせてもらえなかった。

 そうして迎えた文化祭当日。

 私はと言うと、午前中は裏方。十一時からの混雑が予想される時間はホールを任されるという、奴隷っぷりだ。

 文化祭が始まる前に、とりあえず天野さんに会いに行こうと廊下を歩く。

 のんびり歩いているのは私ぐらいで、周囲の生徒は文化祭の追い込みで忙しない。

 廊下も風船や紙細工で飾り付けられていて、とても華やかだ。

 それでも変えようのない茶色い床と、擦り減った壁の傷が目立って、やっぱりどこまで飾っても学校なんだな。という冷たい感想がでてくる。

 天野さんの一組はお化け屋敷だ。入り口は薄暗い雰囲気で固められてて、和風のお屋敷のようなコンセプトらしい。

 パンフレットを見ると三年二組もお化け屋敷なので、どちらのクオリティが高いか少し気になるが、両方周りたいかと言われると、そうでもない。

 段ボールが器用に加工されているのを見入っていたら、後ろから肩を叩かれた。

 振り向くと、布をかぶったお化けが「わるいごはいねぇーがー」と、何とも可愛らしい声で驚かせてきた。

「なにやってるの…?」

 そう言うと、天野さんは暑そうに「ぷはぁっ!」と布を脱いで「怖かった?」とにこにこで話した。

「あんまりかも」

 そう言って笑うと、天野さんも「えー」と釣られて笑う。

「しかも今の台詞、お化けじゃなくてナマハゲだし」

 そうツッコミを入れると、思い出したかのように「確かに!」と、人差し指を天井に差していた。

 見た目は立派なお化けの衣装なのだが、声が可愛いのでちょっとしたご当地キャラみたいだ。

「それでちゃんとお化け屋敷できるの?」

 そう聞くと「大丈夫っ!私、裏方だし!」と胸を張って自信満々に答えていた。

「え、じゃあなんでそれ着てるの?」と、疑問をぶつけると、首を傾げて、当たり前でしょ?と言いたげな表情をして「借りた」と話していた。

「借りたって…」と呆れつつも、耐えきれずに思わず笑ってしまった。

 もしかして、私を驚かすためだけに衣装を借りたのだろうか。健気というか、律儀というか。文化祭楽しんでる天野さんを思うと、少し羨ましい。それに、私のためだって過剰に意識すると、嬉しい気もする。

「じゃあ私、戻るね。周れるの午後からになると思う」

「そっか。待ってる」

 そう言って、天野さんは少し名残惜しそうな表情をした。

 十一時から案の定、メイド喫茶は混み始めた。混雑する時間を押しつけられて、バレないように教室を出ていくクラスメイトを睨む。

 自分の行動の無意味さに、ついぞため息がこぼれる。相手に届くことのない独り善がりの反逆だ。

「こちら、ラブリィエスプレッソになります…」

 本当はただのペットボトルに入ったコーヒーだけど。

 それにしてもあと一時間…。忙しい以上に恥ずかしい…。

「柊さん~四卓の女子生徒、柊さんをご指名だって」

 私を指名?誰だろうと思い「え? あ、はい」と困惑して返事しつつも、長いスカートに足を引っかけないように慎重に向かう。

「おかえりなさいませ、お嬢様…」

 まるでメイドのように、というか、メイド喫茶なのだが。そうではなくて本物のメイドのように足をクロスさせて腰を下げ、ほんの少しお辞儀をする。

 これをあと何回繰り返せばいいのだろう…。と思いながら顔を上げた。

「あれ、天野さん?」

「ど、どうも…」

 そこには、頬を赤らめ恥ずかしそうにしている天野さんがいた。

 恥ずかしがりたいのはこっちなのだが、私を見ている天野さんの方が赤くなってしまっている。

「なんで天野さんが照れるの?」

 そう聞くと「だって…」と少し目をそらす。

 私は天野さんの顔を覗き込むように視線の高さを合わせて「だって…?」と詰め寄る。すると、私の想像通り「ちょっと…近い…」と呟き、余計に顔が熱くなっているのがわかった。

「それで?」

「それでって?」

 ポカンとした顔をする天野さん。そんな顔に対して「それでって、注文のこと。何しにきたのよ」と、面倒くさい客をあしらうように話し、天野さんをからかうようにニコッと微笑む。

 すると天野さんは、私の態度に反抗するように「ここのメイドさん、接客なってなーい」と笑い交じりにふざけてきた。

「む。出禁にするよ」

 無論、文化祭にそんなシステムはない。でも天野さんは、私の話に乗ってくれて「やめてー」と笑って返してくれた。

「それで?何頼むの?」

 天野さんは、メニューを見ると、迷いなく「ラブリィオムレツで!」と注文した。

「よりによってそれを…」

 オムレツはチンするだけで良いのだが、オムレツにハートを書かないといけない。しかも変な言葉を添えて。

「お待たせしましたお嬢様。ラブリィオムレツです…」

 オムレツを机の上に置く。天野さんはニコニコしながら、子供みたいに何かを待っている様子だった。

 私が食べ始めるのを待っていると「書かないのー?」とご丁寧に催促してきた。

「書く…」と、小さな声で言ってケチャップを用意すると、人差し指を左右に振りながら「ちっちっちっ。魔法の言葉もお願いねっ」と言ってきた。

「む…。立場を利用して…」

 そう言うと「お嬢様だもん」と大変ご機嫌麗しゅうことだった。

 小さいため息をついてから覚悟を決めてケチャップをオムレツに向けた。

「まじかる・ふわふわ・おむれつ。オイシクナーレ」

「わかりやすく棒読みだ!」

「恥ずかしいんだもん…」

「その照れてる顔とメイド服に免じて良しとしよう」

 一体何様のつもりなんだ…。と言ってもお客様かお嬢様だ。と返されるのがオチなので我慢しよう。

 それにしても、冷凍のオムレツにケチャップをかけただけなのに、目の前の天野さんは目をキラキラさせて美味しそうに食べている。

 美味しい?と、冷めた質問をする事を遮るように、他のクラスメイトから「柊さんっている?一卓の人が呼んでる〜」と呼ばれた。

「ごめん。行かなきゃ」

 そう一言残すと、「うんっ!頑張って!」と言ってくれた。

 一卓に目を向けると、白銀の髪の毛がキラキラ輝いていた。確かめるまでもなく、一之瀬先輩だ。隣に堂島先輩もいる。

「おかえりなさいませ、お嬢様」

 マニュアル通りの接客をすると、一之瀬先輩は笑いを耐えきれず、吹いてしまった。

「ごめん。棒読みが面白すぎて」

 話しながらも笑い続けて少し涙目になっている。一之瀬先輩の正面に座ってる堂島先輩はそれに対して「柊も頑張ってるんだから、そう笑ってやるな」と庇ってくれた。

 いっそのこと二人して笑ってくれた方が諦めもつくんだけどな。そんな事を考えていると一之瀬先輩が「はるっ。注文良い?」と聞いてきた。

「はい。いいですよ」

 一之瀬先輩は元気よくメニュー表を指差して「プリン食べたい!」と子供のように注文してきた。

 堂島先輩は「俺も同じのを」なんて、少し格好をつけたように言う。

 まあ、うちのメニューは茶道部の堂島先輩には甘すぎるのかな。

 私がプリンを取りに裏へ行こうとすると、一之瀬先輩が袖を引いてきた。

「はる、ちょっと屈んで?」

「はい…?こうですか?」

 私の顔が一之瀬先輩の胸辺りまで下がると、一之瀬先輩はヘアゴムを取り出して、私の髪をツインテールに結んでしまった。

「はい!ツインテールメイド!」

「な、何するんですか…」

 ツインテールなんて子供っぽくて恥ずかしいんだけどな。でも、目の前の一之瀬先輩は満足そうだ。

「似合ってるよ?」

「いや、そういう問題じゃなくて…」

「一之瀬…普通メイド喫茶はお触り禁止だろう…」

 ふと、堂島先輩がそんな言葉を溢すと、私と一之瀬先輩が「えっ…。メイド喫茶行ったことあるんですか…」とハモってツッコミを入れた。

 堂島先輩は焦って「あるわけないだろう!」と否定したが、一之瀬先輩は羽虫をみるような目で「行ったことないのに、知ってるんだ…」と追い打ちをかけていた。

「じゃあ、私プリン持ってきますね」

 堂島先輩が不憫で見ていられず、くるっと回れ右をして裏に行った。

 裏にある小さな鏡で髪を確認する。変ではないし、メイドっぽくなった気がするけれど、顔つきが幼いせいか、小学生や中学生に見えなくもない。私は軽いため息をついてヘアゴムを外した。

「お待たせしました。マジカルプリンです」

 堂島先輩は唖然として「何処がマジカルなんだ…?」と身も蓋もない事を言い始めた。

 すると一之瀬先輩が「はるが運んできたプリンってだけで特別なんだよ!」とフォローしてくれた。が、私は堂島先輩側の感性なので、いらぬ気遣いだ。

 ふと天野さんが気になって、天野さんがいる席を横目で確認した。けれど、そこに天野さんの姿は無かった。

 ほんの少し、心がざわついて不安になった。でも、混む時間だから早く出ただけなのかなって思うとその不安もすぐに和らぐ。

「私、裏の手伝いあるので」

 それだけ言って裏に回ってスマホを取り出す。特にメッセージは来ていない。

「気にしすぎか…」

 それから十三時まで、決められたシフトを機械的に淡々とこなしていった。

 けれど、頭の隅には常に天野さんが居て、何度もミスをした。

 その都度嫌味ったらしく注意されてしまった。

 それが一時間、ぶっ通しで続いた。

 やっとお昼の混雑時間をやり終えた。クタクタに疲れてしまった。

 体を縛るメイド服を裏で着替えようとすると、シフトが被っていた女子生徒が話しかけてきた

「おつかれー。お昼の時間大変だったねー。君、何回もミスしてたでしょ?あたしも余裕無くてさー。ついキツく当たっちゃった。ゴメンネ」

 という単語が引っかかるけれど、今さらだ。それに、そんな中身のない謝罪なんて聞きたくもない。そんな事を考えているともう一人、シフトの被っていた女子生徒が会話に参加してきた。

じゃなくて、柊さんだよ。体育祭でも実行委員を引き受けてくれたじゃん」

「そうだっけ?ごめんねー柊さん。私、名前覚えるの苦手でさー」

 いきなり話しかけられて言葉が詰まってしまう。どのタイミングで会話のキャッチボールに参加すれば良いのか、まったくわからない。

「……いえ」

 そう言うと、メイド服のスカートの中に風が通るようパタパタさせながら一人の女子生徒が愚痴を言い始めた。

「てかさー。うちらにお昼で混む時間押しつけるなんてひどいよねー」

 すかさずもう一人の女子生徒が「それなー、まじうぜぇー」と相槌を打っている。

 その気持ちはわからなくもない。けれど私は、主体的に意見も行動もしなかったので何も言う資格は無い気がする。

 それに、他人の悪口をあまり言いたくない。

「柊さんもそう思うよね?」

「えっ…」

 そんな話振られても困る。甲高い声が鼓膜を突き刺してくる。

「てか、この後うちらで一瞬に周らない?」

 どんどん話が進んでいく。頭がついていかない。

 視界がぐるぐるして、息ができない。

「えっと…」

「賛成ー!柊さんも来るよねー?」

 視界がボヤけて顔がよく見えない。

 私の名前を呼ばないでほしい。

 私に同調を求めないでほしい。

 疲れた。うざい。うるさい。そして何よりー

「めんどくさ…」

「あ?」

 あれ、今私声に出てた?何処が?

「えっと、今のは…」

「いや、何良い子ぶってんの?私らに向かって面倒くさいってはっきり言ったよね?」

 つい口から出ちゃった。なんて言えるはずもない。これだから言葉でのコミュニケーションは苦手なんだよ。

「言った言った。大人しい顔して意外と反抗するんだね」

「時々サボってるしね」

「確かに!」

 目の前の二人が、私を嘲笑う声が耳を通り抜ける。  

 疲れた。ここまでして孤立しないよう努力するなんて、私には無理だ。

 無駄だと思ってしまう。

「だから何。事実じゃん」

 言い返すと思っていなかったのか、彼女達は「は?」としか言い返す用意がなかった。

「他人の悪口言うなら、本人に直接言えばいいじゃん。私を巻き込まないで。それに、お昼の時間にシフト入れてほしくなかったんなら、こうなる前に意見すれば良かったじゃん。何も行動を起こさない癖に口だけは達者なんだね」

 そう捨て台詞を吐いて、教室の扉を思いっきり閉めて出ていった。

 廊下を強く蹴り上げて歩き続ける。

 うざい。面倒くさい。嫌な奴。

 誰が…? 

「はぁ…」

 校舎をつなぐ連絡路で、足を止める。

 窓にうっすらと映る自分を見ていると、メイド服を脱ぎ忘れたことに気づいた。そしてもう一度ため息を吐いた。

 しばらく外の景色に黄昏れていると、校庭の手前、坂になっている部分で一人の女子生徒が座っているのが目に入った。

 なぜその人に注目したのだろう?と考えると、すぐに答えは出てきた。

 後ろ姿が天野さんに似ているからだ。

 私は気になり、スマホを手にとって天野さんに電話をかけた。

 すると、校庭にいる女子生徒はスマホ取り出してしばらく見つめると、何故かポケットに戻してしまった。

 そして、それと同時に私の持っているスマホは、プー、プーと、電話が切れた音を耳元で出していた。

 名探偵じゃなくても、誰でもわかる。切られたんだ。不思議と悲しくなかった。そういった余裕が無いのだろう。それよりも、無性に天野さんに対してイライラしてしまった。

 私は衝動的に天野さんがいる校庭まで走った。

 すると背中が見えてきた。それは寂しそうで、弱々しい。それを見えてくると、走っていた足が止まった。

「なにやってんだろ…」

 深呼吸をして、空を見上げる。

 晴天。でも風が吹いていて、暑くはない。寧ろ肌寒い。目の前には背中を丸めている天野さん。少し蹴飛ばしたら芝生の上を転がってしまいそうだ。

 私はゆっくりと天野さんに近づいて、丸まっている背中にコツンと足で突いた。

「なにやってんの」

 足でコツンと突くと、天野さんはピクッと背中を反応させて私の方を見上げた。

 その顔は目元が赤く擦れて、泣いていたのがすぐにわかった。

 見上げるだけで何も話さない天野さんを見ていると、余計にイライラしてしまう。私は頭を掻きながら、改めて「じゃあ、どうしたの?」と、少し冷たい声で言ってしまった。

「柊さん…私の事、嫌いなんだ…」

 天野さんの涙が再び溢れ出す。ヒクヒクと脈打つ背中や鼻の音は、私の胸を酷く切り裂いてくる。

 私は酷い罪悪感を覚え、右手で左手を力いっぱい抓った。それで冷静になると思ったけれど、まだ心はざわついていて、落ち着けそうにない。

「嫌いじゃないよ」

 そう返事をしながら、天野さんの頭をポンポンと撫でる。

「ごめんね。落ち着いたらまた来るね…」

 そう言って天野さんを気遣うフリをして、天野さんを視界から外し、体を校舎に向ける。

 天野さんは無言のまま、私と天野さんの距離は遠のいてゆくばかり。

 天野さんはてっきり、袖を引っ張ってきたり、泣きついてきたりしてくれると思ってたのに…。校舎の方から聞こえてくる賑やかな音が、私の気持ちを掻き乱す。

 気持ちや考えが整理できずに気持ち悪いまま、なんで引き止めてくれないんだろう。なんて思いながら校舎の方へ歩いて、上履きに履き直す。

 上履きをトントンと、かかとを整えていると、ふと気づいた。原因は私ではないだろうか、と。

 第三者が原因であれば、私に相談したりするだろうし、あそこまで追い詰められているのなら、何か一言あっても良い気がする。

 けど、一体どこで天野さんの地雷を踏んでしまったのだろう。それだけが、いくら考えてもわからない。結局私は、天野さんの事を何一つ理解できていなかったんじゃないかとさえ、思ってしまう。

「とりあえず、着替えよう…」

 文化祭で賑わっている廊下を早歩きで進む。生徒とすれ違う都度、周りとの温度差に嫌気が差す。

 そんな憂鬱な気分のまま、教室の扉をガラガラと開けた。

 するとその音が目立ったのか、教室にいた生徒全員が私の方に注目する。まるで私が来た瞬間、時が止まったかのように沈黙が落ちる。

 誰も何も言わず、クラスメイトは軽蔑の眼差しを私に向けてくる。

 私はそれを感じたのか、冷や汗と寒気が全身を覆った。恐る恐る急いで制服を取りに行く。するとその人達は、私を目で追って、腫れ物扱いするような冷たい視線を送ってくる。

 きっと、彼女達が私の愚痴でも広めたのだろう。正直、もうどうでもいい。

 それに、そんな事は確かめようがない。面と向かって悪口を言ってきたり、何か嫌がらせをする度胸は無いだろうから、客観的に見れば実害は無いはずだ。そう自分に言い聞かせながら、制服をくしゃくしゃになるくらい雑に手に取り、教室を後にする。

 部活動が使う更衣室もあるけれど、クラスメイトと出くわしたら面倒だ。そう考え、トイレで素早く着替えた。

 メイド服は教室に戻そうかと考えたけれど、あの教室に戻ると考えるだけで吐き気がした。私はメイド服をトイレの床に投げ捨てた。

 トイレを出ると、再び賑やか音が聞こえてくる。お化け屋敷から聞こえる阿鼻叫喚、模擬店での接客の声。周囲との温度差に居ても立ってもいられなくなり、私は足早にその場から去った。

 歩いていると、再び校舎をつなぐ連絡路にさしかかった。窓を見ると、まだ天野さんは一人で校庭にいた。

 遠くから見える丸まった背中はとても小さく、まるで外敵から身を守る小動物のようだ。

 その小さな背中を見ていると、こう思う。天野さんはもうペンキを手放してしまったのだろうか?君は私に、いったい何を求めているんだろうかと。

 君は私に、その色鮮やかなペンキで青春を彩ってくれた。

 じゃあ私は?私は君に何をもたらしたのだろう。

 体育祭の日、君は泣いていたね。私はそばにいて、抱きしめる事しかできなかった。今回も、そうすべきなんだろうか。それとも、もう私には何も求めていないのだろうか。

 独り善がりの心が、私の背中を押す。

 今度は威圧しないよう、ゆっくりと近づいて、隣に腰をかける。

 正直、まだ気持ちの整理はついてないし、突然嫌っていると、私の気持ちを勝手に代弁した事を許したわけじゃない。

 天野さんは、私の顔を見たくないかもしれない。 それでも、君との関係を終わらせたくなかった。

 君のためじゃなくて、私のために。

「ね…」

 十一月の冷たい風が落ち葉を運んでいる。けれど、私の言葉は天野さんにまでは届かないのか、返事がない。

「言ってくれないとわからないよ…」

 そうボソッと呟いて、頬や髪に手を伸ばしてみる。本当は触れたい。いや、触れた方が気持ちが伝わるのではと感じる。でも、その塞ぎ込んだ姿を見て、手を伸ばしてそれを振り払われたらと、どうしても想像してしまい、怖くて手を引っ込めてしまう。

 しばらく私と天野さんとの間に、枯れ葉が風に飛ばされて転がっていく、カサカサという音だけが響く。

 吹いていた風が少し弱まったかな、なんて思った頃合に、天野さんがやっと口を開いてくれた。

「二年の一之瀬さんと仲いいんだ…」

 やっと口を開いたと思ったら、気にしていることが予想外過ぎて、私は「はい?」と変な返事をしてしまった。

「柊さんの事、あだ名で呼んでた…」

 傷ついいる理由をやっと話してくれたが、ボソボソと話し、相変わらず視線を合わせてくれない。

 それに、一之瀬先輩が私をあだ名で呼んでいた事と、私が天野さんを嫌っている事が、どうしてイコールで繋がってしまったのだろう。

「えっと…。それがどうして、私が天野さんの事を嫌ってることになるのかな」

 今私は、拗ねて塞ぎ込んでいる子供を優しく諭すように話しかけている。まるで保育園の先生みたいだ。

 それに対して天野さんは、体育座を崩れないように足を掴んでいる両手を、自分で自分を抱き締めるように力を入れて「私だけだと思ってたのに…」と呟いた。

 。これは仲のいい人が天野さんだけ。ということだろうか?そうとしか取れない話し方をするものなので、確かめるように顔を覗き込んで「それは…友達がって意味かな?」と聞いてみた。

 天野さんはそれに対して、コクリと無言で頷いた。

 嫉妬…というやつだろうか。一之瀬先輩と仲が良いのは認める。でも、今回も向こうから連絡がなければきっと関わらなかった。その程度の仲だと思う。今の天野さんの様子だと、きちんと説明した方が良さそうだ。

「あのね、天野さん。一之瀬先輩とは体育祭の実行委員で一緒になってね。別に友達って訳じゃないんだ。堂島先輩が言ってたんだけどね、一之瀬先輩は誰にでもあんな感じで接してるから、私達が特別仲が良いって事も無いと思う」

 これで伝わるかな。なるべくわかりやすく端的に伝えたつもりだけれど、人の思い込みってすごいから、わかってくれない可能性もあるかもだけど…。

 案の定、天野さんは「うそ…」と呟いた。

 正直、すこし面倒臭くなってきて「はぁ…」と、ついため息がでてしまった。

 やばいと思って、天野さんの方を横目で確認する。天野さんは私の左側に座っていて、同じ方向を向いて横並びに座っていたけれど、今は私のいない、左側に体が傾いている。

 もうどうすればいいかわからず、空を見上げた。

 もうすぐ十五時になる十一月の太陽は、傾き始めていて、月の訪れを導いている。

 そんな空を見ていたら、昔読んだ小説を思い出した。

 太陽の化身と月の化身との愛の物語だ。

 太陽が隠れた後、月が昇りそのほんの少しの明かりで世界を覗き見る。けれど、その明かりでは大事なものは照らせずに、見ることはできない。

 そして太陽は、世界に太陽たれと望まれ、その役目を全うし続ける毎日だった。太陽は自分の放つ光が眩しすぎて、世界を照らす事は出来ても、それを見ることも、自分を俯瞰することもできなかった。

 金環日食。その日に彼らはお互いを認識した。けれど、二人は重なり合うだけで、決して近づくことはない。重なることで太陽は、月以外何も見ることはできなくなり、月は世界を照らす事ができなくなった。

 その日を境に太陽は月に一目惚れをして、月は太陽を羨んだ。

 この作品の結末は、お互いに意識はしているものの、太陽は月に思いを伝えないまま燃え尽きて、月は自分の思いを秘めたまま、太陽がなくなった世界で、真っ暗闇の中、太陽を探し続ける。といった結末だった気がする。

 もし、太陽か月か、どちらかが一歩踏み込んで本音を話していたら、お互いに見つめ合うだけの人生じゃなかったかもしれない。

 今の私達はどうだろうと、天野さんを横目で見る。

 わたし太陽きみがいなければ、わたしの青春は輝かなかった。

 もしここで、わたしが一歩踏み出さなければ、いずれ太陽あまのさんは燃え尽きてしまうのかもしれない。

 私の知っている物語に習うのならば、天野さんが燃え尽きてしまう前に、私が一歩踏み込むべきだ。

 ほんの少し、体を天野さんの方に傾ける。

 心の中で一歩下がり、天野さんに飛び込むために助走をつける。

 枯れた芝生を強く握って、顔を耳元に近づける。

 私は震えた声で「日向…」と口にした。

 一之瀬先輩は私を「はる」と呼んでいた。呼び方一つに…この行為に何の意味があるのか、私にはわからない。でも、天野さんが必要としてくれるなら、踏み込みたい。

 天野さんは体をピクリと反応させて、ゆっくりと顔を上げる。私の方を目を赤くしたがら、驚いたかおで見つめて「柊さん…?」と話した。

 それに対して、私は懲りずに「日向」と名前を呼ぶ。どんな顔をしていいかわからず、きっと真顔で名前を呼んでいると思う。

 天野さんも泣きそうな顔で「陽花…!」と私の名前を口にしてくれた。

 私は今だと思い、天野さんに「ばーか」と息の交じる声で囁いた。

 天野さんは「え…?」と口にして、訳がわからないといったような、顔をしていた。

 私は天野さんが逃げないように、右手首を手で掴んで「私達…友達でしょ?君が言ってくれたんだよ?」

 と話す。すると、天野さんは苦しそうに目を逸らした。間違ったことを言ったかもしれない。それでもー

「どこにも行かないし、一人にもしない。だから、少しは私のこと、頼ってよ…」

 天野さんは、この言葉を受け止めてくれるのだろうか。なんて疑問と不安が霧のように胸を包みこんでくる。

 すると天野さんは、私が掴んでいた右手を振り解いて、まるで恋人のように指を絡めて重ねてきた。

「じゃあ…」と、呟いた天野さんの声は震えている。私の目をじっと見つめて、喉遠くから言葉を引っ張り出しているのが、一目見てわかった。

「君の時間がほしい…」

 天野さんが何を言っているかはわからなかったけど、私に何を求めているのかは、少しわかった気がする。天野さんは少し顔を下に逸らし、何かを呑み込んだようにまた私を見つめて、こう続けた。「陽花を…独り占めしたい」と。

 独占欲…というやつだろうか。

 正直、そんな事を言われても困ってしまう。私を独り占めしようと思えば、別に難しい話ではないと思う。

 だって私、天野さん以外に友達いないし。

 でも、私から独り占めして良いよ。というのは少し抵抗があるし、なによりも恥ずかしい。

 けれど、私が天野さんに「私達は友達?」と確認したのと同じで、天野さんも不安で仕方ないのかもしれない。

 そういうことならー

「いいよ…」

 恥ずかしくて少し視線を逸らしながらそう呟く。 

 すると、私を見つめる天野さんの瞳に、輝きが戻ったような気がした。

「いいよ。独り占めにして…」

 天野さんの顔から、安心したような笑みと涙が零れ落ち、震えた声で「陽花…陽花…」と、何度も口にしていた。

 友達を下の名前で呼ぶ事のハードルは、私にとっても決して低いハードルではないけれど、タイミングが合えば名前を呼ぶことに抵抗はないと思う。

 でもこの反応を見ていると、下の名前を呼ぶという行為に私と天野さんとの間では、丘と山脈ほどの差があるのではないかと感じてしまう。

 それでも、天野さんの嬉しそうな、安心したような表情を見ていると、なんだか胸が暖かくなった。

 今の君を見ていると、私に求めている物はとても大きく、私の想像を超えている気がする。

 重なり合う手から伝わる温もりは、とても暖かくて優しいのに刺激的だ。

 塞がっていない右手で天野さんの髪を撫でる。

「日向って、甘えん坊だよね」

 そう言うと、天野さんは「うん」と返事をして、顔を私の胸に子猫のようにスリスリしてきた。

 天野さんの執着がどういった種類の物なのかは、まだわからないけれど、必要とされるのはわるい気分じゃないと、そう思えた。

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