【書籍化】探索者イリアスは人見知り

差六

本編

第1話 おひとりさまおことわり

 それは人見知りを殺す魔法だった。


「そ、そんな……こんな、こんなこと、許されていいの…………!?」


 絶望のあまりがっくりと両手両膝をつき、素の声まで漏らしてしまう。隙だらけの、それこそ迷宮内では絶対に許されない行動。もしも先生に見られていたら、きっと酷く叱られちゃう。頭の片隅でそんな思考が過ぎっても体は動かない。視線は動かない。絶望が全身に蠢いている。


「……もう一回、もう一回だけ確認してみよう」


 それでもと、心のどこかで希望が生きていた。そう、あれ、あれだと思う。見間違えとか勘違いとか、そういうの。先生にもよく、イリアスはあわてんぼうですね、とか言われてたし。それに今日はいつもより頑張ったから、実はちょっと疲れてるのかもしれないよね。それでね、きっとね、多分ね。


「そうそう、ありえないありえない」


 深呼吸を二度三度重ねた後、気合を入れなおしてから目の前の魔法陣を観察する。稼働条件を見て反射的に絶望してしまったけれど、細かいところは全然見ていなかった。さっきのあれが何かの見間違いかダミーなんかだと期待して解析を進めていく。


「中身は転移魔法。うん、一層と二層にあったのと似てる。だから多分、これを使えば奥に、四層に進める」


 魔力を流す回路もあるし、使い方も同じだと思う。問題は稼働条件だ。前見た二つは階層の守護者を倒したことがあったかどうか、それだけだった。でも今回はまったく違う、それも目もくらむようなものに変わっていた。いや違う、そう、あれは見間違い見間違い。


「条件は、じょう、けん、は」


 その自分でも見苦しい、聞き苦しい現実逃避は一瞬で消滅する。


『仲良し二人組で使ってね!』


 おひとりさまおことわり。何故かカジュアルに刻まれたその言葉は、僕の頭を粉々にした。


「……ほげー」


 僕ってこんな声出せたんだ。


 夢幻迷宮第三層最奥。人類未踏の地で僕が得たのは、そんな間抜けな学びだった。




 失意を抱えて今の家、居住区の片隅にある鍛冶屋『残り火』に帰った僕を出迎えたのは、同居人のお爺ちゃん、オウルの大爆笑だった。


「ぶははははっははははっ!!」

「……むー、笑わないでよ」

「ばっ、ははっ、おまっ、無理に決まってんだろそんなの!? ぼっちで探索が止まるってどういうことだよ!!」

「実際進めなかったんだからしょうがないでしょー!?」


 机を叩いて怒ってもオウルは気にも留めない。お腹を抱えて涙目になるほど爆笑し続けている。ここまで笑うオウルは初めて見た。こんな時じゃなかったら僕も一緒に笑えるのに。今は笑いすぎてぎっくり腰になっちゃえ、としか思えない。オウルは凄く頑丈だから、当然そんなことにはならなかった。


「しかし二人で仲良く使えか。また変なのが出てきたな」

「書き方がムカつくけど、言葉の通り二人でやらないと起動しないってことだと思う」

「二人、二人ねぇ。んじゃ例えばだが、二人分魔力使うとかじゃ駄目だったのか?」

「二倍以上流しても、分身してみても全然駄目だった。うんともすんとも言ってくれなかった」

「しれっと分身すんな、流石に怖ぇわ」


 いくら魔力の色や質を変えても駄目だったから、本当に二人分、違う魂の持ち主を用意しないといけないみたいだ。どうしよう、まったく当てがない。その辺の野良犬とか捕まえて、なんか、こう、芸を仕込む感じでなんとか出来ないかな。


 自分でも分かるほど願望まみれの期待を胸に思考、というより妄想をする。あれ、そもそも野良犬とかこの辺いたっけ? この街は迷宮協会の人が定期的に掃除してくれているから、そういうの全然見たことないような。妄想の前提が崩れる中、オウルがおもむろに頭をガシガシと搔き始めた。


「まあなんだ。これもいい機会なんじゃねぇの?」

「……なんの?」

「ダチやら仲間やら作る機会だよ。お前いつまでたっても一人じゃねぇか」


 さっきまでの大爆笑なんてなかったかのように、オウルがあまりしない真剣な顔で僕を見つめていた。


「イリアス、お前いくつになった?」

「この間お祝いしてくれたよね、あれで十一だよ。あっプレゼントで貰った靴ね、凄く履きやすかったよ! ありがとね!」

「へいへい、どうも。それはともかく、お前くらいのガキんちょは大体無駄に群れて遊んでるもんなんだよ。今更迷宮に潜ってることも、潜らせてることもどうこう言うつもりはねぇが、ダチぐらい作っておいて損はねーだろ」


 ダチ、友達。意味は分かる。オウルの言いたいことも分かる。オウルが純粋に心配してくれていることも分かる。全部全部理解した上で、僕はそっぽを向いた。


「やだ」

「やだってお前。ダチの一人や二人くらいはいた方が、色々と楽だし楽しいぞ」

「別に困ってないからいいの」

「今まさに困ってんじゃねぇか」

「……これ以外困ってないからいいの!」


 僕の断固とした宣言に、オウルが呆れたように深いため息を吐く。


「前から思ってたけどよ、何がそんな嫌なんだよ」

「……なるべく人と関わりたくない」

「なんで」

「だって人と関わるの、怖いから」

「お前が?」

「何それ、どういう意味?」

「いやだって、お前より強い生き物この街にいるか?」

「そういう問題じゃなくて。人って、何考えてるか分からないから」

「……」

「何考えてるか分かんないし、何がしたいのかも分かんない。もう全然理解出来ない。どうしたらいいのかも分かんない」


 嘘の中に本当があって、本当の中に嘘がある。嬉しいって言葉の中に嫌いが隠れていて、可哀想にって言葉の中に喜びが潜んでいる。ずっと先生と二人、人里離れてで暮らして来た僕にとっては、どれも難し過ぎて手に余ってしまう。人はあまりにも複雑怪奇だ。


 この街に来てからのことを思い出し、落ち込む僕の頭をオウルがそっと撫でてくれる。節ばった手で酷く雑なのに、手慣れていてどこか落ち着く感じがする。少しの間黙って撫でてもらっていると、オウルが突然疑問の声とともに手を止める。


「……ん? なら俺にびびってねぇのはどういうことだ?」

「どういうことってどういうこと?」

「質問に質問で返すな。俺も仏頂面で、何考えてるか分からねぇってたまに言われるからな」


 そう言われたから、改めてオウルのことを見てみる。白いもじゃもじゃの髭とぼさぼさの髪。そこから切れ味のある大地色の眼光が覗いている。じっと観察していると、オウルは居心地悪そうに鋭い鼻を鳴らして、僕のお腹くらい太い腕を組んだ。腕といい身長といい、オウルは凄く大きい。僕五六人分はありそう。


「どこが怖いの?」

「そりゃどこでも、いやお前の感性はよく分かんねぇな」

「見た目の問題じゃないし。それにオウルは馬鹿で嘘も下手だから、別にいいかなって」

「ぶっ飛ばすぞクソガキ」

「あと優しいし、頼りになるし」

「今日は勘弁してやるよクソガキ」


 一瞬アイアンクローになりかけた手が元に戻った。代わりに拳骨を一発もらう。僕にこれくらいの暴力が響く筈もなく、殴ったオウルの方が痛そうだった。一応鍛冶屋さんなんだから手は大事にした方がいいよ。そう言った僕のことをオウルがもの凄く睨み始めたから、誤魔化すために話をまとめないと。


「とにかく人と関わらないために、半年間ずーっと頑張ってイメージ戦略やって来たんだよ? ここに来て仲間なんて作ったら大変だよ。ギャップで親しみやすくなっちゃうよ。どんどん声かけられちゃうよ」

「安心しろ、親しみやすくはなんねーよ」

「むぅ」

「それも不満なのかよ」


 関わらないようにはしているけれど、だからって出来ないと思われるのもなんとなく気に食わない。僕の微かなプライドを聞いて、オウルは苦笑いしていた。そしてその表情のまま、僕へ質問を続けた。


「イリアス、お前自分がなんて呼ばれてんのか知ってるか?」

「……『竜骸』?」

「それはマシなやつだ。あとは魔人とか狂人とか、シンプルに化物とか呼んでる奴もいたな。多少群れたところで、今更これは覆らねぇだろ」


 ひそひそ話でしか周りの話を聞けないから知らなかったけれど、どうやらイメージ戦略は成功しているみたいだ。あえてとんでもなく恐ろしい存在として振る舞うことで、僕からだけじゃなくて向こうにも逃げてもらう。お互いに避け合うんだから、これはもうよっぽどのことがなければ関わることはないはず。やったね、作戦成功だ。


「そんなのの仲間になりたがる人はきっといない、これは僕の勝ちだよね!」

「どっちかっつーと負けじゃねーかな……?」

「オウルの提案は通らないから僕の勝ちー」

「うぜぇ」


 拳骨は意味が無いと思ったのか、今回は軽いチョップだった。僕は当然としてオウルも痛くない、平和なツッコミだった。ナイスツッコミ。ご満悦の僕を冷めた目で見ながら、オウルは仕切り直すように問いかける。


「で、結局お前どうするんだ、このままだと四層に進めないんだろ?」

「とりあえず解析して、その後は一人でも使えるように術式の改竄を目指そうかなって」 


 明確な方針を告げたはずなのに、何故かオウルの目はますます冷ややかになっていた。


「……お前、一層の時も同じこと言ってなかったか?」

「そうだっけ?」

「あぁ。確か、わざわざ全部攻略する必要なんてないよね、ここから一番奥まで飛べるよう細工しよう、的な。そんで大失敗してべそかいてたような」

「……かいてません!」

「覚えある反応じゃねーか。またべそべそになっても知らねえぞ」

「べそべそって何? もう、大丈夫だよ。この半年で僕も成長したから、きっとなんとかなるって!」


 胸を張って断言する僕を見るオウルの顔は、疑いと白けと諦観に満ちていた。

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