それならどうぞ、お好きになさって旦那様 ~侯爵令嬢の日常 短編集~

はなたろう

結婚生活 最終日 ~美しき秋バラ~

「いい天気ねぇ」


 青い空の下、目の前にはキレイ手入れされたバラ園が広がる。

 昨日まで続いていた雨が上がり、庭園のバラの葉についた雨粒が日差しを受けてキラキラと輝いている。

 秋に咲くバラは花の色が濃く鮮やかだ。


 バラ園を望むバルコニーで過ごす午後のひととき。私の至福の時間です。


「ルイディア様、実家から美味しい焼き菓子が届いたのを忘れておりました。お持ちしますから、少々お待ち下さいな」


 侍女である、マルス子爵夫人が席を立った。


「あら、それは楽しみだわ」


 後ろ姿を見送る。ティーカップを手に、お茶をひと口。


「ああ、美味しい」


 なんて幸せ。

 多少の不愉快なことは忘れて、心を穏やかに保てるのは、この時間があるからこそ。


 そう、がまんができる。できる、はずだわ。


「おーーい、ルイディア!」


 ああ、不愉快の元凶ともいえる、私の可愛い旦那様が来てしまった。


「どうなさいました、旦那様。そんなに慌てて。侯爵らしく、堂々と冷静に、ドーーんと構えていてくださいと申し上げているのに」


「ああ、ごめんよ」


 絶対悪いなんて思っていない素振りで、さっきまでマルス子爵夫人がいた椅子に、ガタンと音を立てて座る。


 私の眉間がピクピクと動いているのには気づいていないよう。


 ええ、本当に、か、可愛い旦那様。

 そう思う努力をして、もう3年経ちましたが。


「聞いてくれ、大変なことが起きたんだ」


「落ち着いて、話してくださいな」


「ああ、そうだな」


 旦那様は、目の前のカップを手に取ると、お茶を一気に飲み干した。

 ああ、それはマルス子爵夫人のものよ。

 久しぶりの晴天だから特別にと、いつもより上等な茶葉を用意したのに。味わいもせずに、川の水でも飲むみたいに……。


「子供が産まれたんだ!」


「あら、厨房いる猫ですか?そろそろかとは思っていましたよ。何匹産まれました?」


 ネズミ撃退用に飼われているが、人懐っこく、屋敷の使用人に可愛がられていた。


「一匹だよ」


「あら、犬や猫は多頭だと思っていたのに、珍しいこと」


「ちがうよ、猫じゃなくて、僕の子供の話だよ」


「なんですって?」


 思わず、お茶を吹き出しそうなる。いけないわ、淑女がみっともない。


「私の子は、まだ、ここにいますわ」


 そういって、私は自分の少し膨らんだお腹を撫でた。

 出産予定は春。我が子に会えるのは、まだまだ先のこと。初孫の誕生を両親は喜び、執事やメイドは、早くも次々に届くベビー用品の容易に忙しい。


「だから、僕とリリスの子供が、産まれたんだよ」


「まぁ、それはそれは」


 なんということでしょう。


「リリスというのは、もちろん、あの男爵家のお嬢様ですね?」


 旦那様が可愛がっているのは知っていた。


 元々、女クセが悪い旦那様。ちょっと色目を使われ、誘われると断れない、尻尾を振って付いていく、ダメ男なのだ。


『あの不出来な公爵様は、男爵令嬢に夢中で、妾にしたいらしい』


 領地内でも、社交界でも噂になっている。

 私も両親も、多少の遊びには目をつぶっている。

 しかし一度、私の不在時に屋敷に招き、夫婦の寝室で仲良くしているところを目撃したことがある。


 そのときは、彼女のドレスを暖炉に投げ入れ、裸で追い出した。

 そして、旦那様の下の毛を全て、そり落して差し上げた。


 ええ、それだけです。


 そういえば、昨晩、めずらしく旦那様は私を求めてきた。

 お腹の子がびっくりしてしまうから、丁重にお断りしましたが。


 まさか、臨月間近の愛人はさすがに抱けず、こちらに来たと……。


「これから、どうされたいですか?」


「みんなで暮らすのはどうだろうか?ここで」


「みんな、とは?」


「だから、リリスとその子供も一緒に。春になったら、僕とルイディアの子供も、みんな一緒にさ!」


「まぁ、それは楽しそうですね。幼い子供が二人もいたら、屋敷の中はとっても賑やかですわ」


 旦那様の顔が、パァッと明るくなった。


「本当に?良かった、優しいルイディアはきっとそう言ってくれると思っていたよ!子供は公爵家の長男として受け入れようよ」


「まぁ、男の子でしたか」


「そうだ、ルイディア。乳母が必要だと言っていたじゃないか?ちょうどいい、リリスに乳母をしてもらおう」


 はい、そこまで。

 ゲーム終了、限界ですわ、旦那様。


「そんなわけあるかーーーーー!」


 私は、全身全霊をかけて、テーブルをひっくり返した。

 派手な音を立てて倒れ、お気に入りのティーセットが粉々になった。


 何事かと部屋からメイドがやってきて、変わり果てたバルコニーに呆然としている。さらに、お菓子を持ったまま棒立ちのマルス子爵夫人。


「即刻、荷物をまとめて屋敷から、いえ。この領地から出て行ってください」


 何が起きたのか分かっていない様子で、旦那様は椅子に座ったまま、ポカンと私を見上げていた。


 なんて、腑抜けた顔だろう。


「乳母ですって?冗談ではございません。あの女に抱かれる我が子を想像すると、終わったはずの悪阻が復活しそうです」


「ええ!そんなっ!」


「我が家の長男として?なぜ当家の血のつながらない子供を跡継ぎにできるのでしょうか。

 旦那様、ご自分が婿養子であることをお忘れですか?」


 パクパクと口を動かす様は、池の鯉のようで、とても滑稽です。


「元々、私達の祖父が懇意にしていたことから決まった結婚ですもの。他界されている今、離縁を悲しむ人間はおりません。この屋敷には、ね」


 騒ぎを聞き付けた、執事、メイド、料理長、家中の人間が集まっていた。

 そして、皆が「うんうん」と頷くのだから、旦那様の顔は真っ赤になりました。


 あらまぁ、鯉からタコですか。


「僕との子供はどうなるんだ?父親がいないのは可哀想じゃないか」


 私のお腹を指差して、切り札とばかりに叫んだ。


「父親ならいますわ」


「は?」


「旦那様、あなたが私を最後に抱かれたのはいつですか?」


 リリス嬢に夢中になってから、時々求められても、最後までいたしたことは無かった。


 そんなことも忘れて、私の懐妊を心から喜んでいたけれど、まぁ、そこは少しだけ、心がけ痛みますね。


「頭の中がお花畑な旦那様、分かりやすくお伝えします。

私のお腹の子は、伯爵家のご次男です。ええ、私の幼なじみの彼ですね。元々は彼とあった婚約を、当時の公爵であるお祖父様に邪魔をされてしまいましたが……。


こうして、晴れて父親としてお迎えできるなんて、こんなに嬉しいことはありません」


「な!ぼ、僕のルイディアが不貞を……!」


「嫌だわ、旦那様。前に『純愛は罪ではない』と、私におっしゃいましたよね。だから、何度も見逃してきたではありませんか」


 私のことはお忘れになって。リリス嬢とお幸せに暮らして下さいな。

 あらでも、ご実家は立派な義兄様がいるので、旦那様の居場所があるかはわかりません。


「そんな、僕はルイディアを愛しているに」


 ええ、そうでしょうね。

 私の家の地位と財産で、随分と美味しい思いをされたのですから。


「その愛情はすべて、リリス嬢とご子息に注いでくださいませ」



 ◆◆◆




「少し、気の毒だったかしら」


 いつものバルコニーから、旦那様の後ろ姿が見えた。

 誰にも見送られず、小さな荷物をひとつ抱えて、門へと向かう背中は、文字通りとても小さい。


「幼いお子様のためにと、援助先を工面されたではございませんか。お嬢様の優しさは存じていますよ」


 マルス子爵夫人が微笑んだ。


 でもね、誰も知らないでしょう。


 こうなることを予想して、旦那様とリリス嬢を会わせるよう、仕向けたのが私だなんて。


「さようなら、旦那様」


 ごめんなさいね、私、悪女でして。


 ああ、今日もなんて美しい秋晴れの空。


「さぁ、新しい旦那様をお迎えしましょう」

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