第9話 行方を追え!
目的地である山の頂上に達した時には、群青だった空が白み始めていた。少々息を切らしながら、さらに奥を目指す。王子は、本当にこんなところまで来たのだろうか……。
「わんっ!」
銀霧の思考を、鳴き声が遮った。びくりとして声のした方を見ると、2つのつぶらな目と、目が合った。
「……うわっ!」
靴で地面の草を擦りながら後ずさり、しかし足が滑って派手に尻もちをつく。
「いた……」
銀霧は顔をしかめて、再度声の主を見やった。草むらからひょっこりと顔を出しているのは、小さな子犬だ。ベージュの毛を土で汚した子犬は、もう一声鳴くと、尻尾を振りながら銀霧に近づいてきた。お腹に飛び込んできた温かい動物を、おそるおそる撫でる。
「……よしよし」
(敵が来るよりびっくりしてしまった……こんなに可愛い子犬に。)
自分ではとてもそう思えないが、銀霧の撫で方が優しかったからだろうか。子犬は眠そうに二度瞬きをして、やがて寝息を立て始めた。
「ああ……待って」
銀霧は困って、眉を八の字にした。今は、王子を探さなければならない。しかし、子犬をここに置いて行く気にはなれず、結局、銀霧は子犬を抱えて立ち上がった。腕の中で心地よさそうに眠っているのを確かめ、速さを抑えて走る。林を抜け、視界が広がった先には、小川が姿を現した。出たばかりの朝日が水面を照らし、宝石のような輝きを放っている。銀霧は綺麗と呟きかけて、やめた。……どこからか、水を切るような音が聞こえる。銀霧は無意識に足音を消して、音の方を目指した。
―ぽちゃん。
川辺で水切りをする人影に気づき、銀霧は足を止めた。どうやら、子どものようだ。白い髪は生まれつきだろう。山に遊びに来たのかもしれないが、高貴な服装がそうではないことを示している。
「……王子、」
白髪の少年は振り返って、その透き通った青い目を銀霧に向けた。どこか現王妃の面影を感じさせる、上品な顔立ちをしている。人に見つかったというのに、王子らしき者は慌てる素振りも見せない。銀霧はいささか不安になったが、直接見たことが無くても、目の前の者が本人であると確信していた。
年不相応な威厳を備えた少年は、ゆっくりと口を開いた。
「……速かったな。見たところ、まだ青い兵士のようだが。……
「銀霧です」
「ちがう、おまえじゃない。その……子犬だ」
銀霧は改めて、腕の中の子犬を見た。王子の声に目を覚ましたのか、まだ眠たげな目をしきりに瞬いている。銀霧は実態の知りえないあたたかい気持ちが込み上げてくるのを感じながら、答えた。
「この子は、ここに来る途中で見つけました。名前はまだありません。」
「……そうか」
王子は眉をひそめた。どうやら、この男には嫌みが通じなかったようだ。その表情を別の意味と捉えた銀霧が、言った。
「動物は、お嫌いですか」
「いや……そんなことはない」
銀霧の目線が、王子の手に握られた小石に向けられた。王子は何を言われるのかと身構えたが、銀霧は子犬を片手で抱き寄せてから、空いた方の手で地面の適当な石を拾った。兵装をしているとは思えないほど身軽な動きで、石を川に投げつける。石は川底に向かって、弧を描いて綺麗に落ちて行った。
「やっぱり、水切りは苦手です」
「……今のは水切りだったのか?」
王子はきょとんとした表情をする銀霧に手本を見せるように、手にした小石を回転させるように投げた。小石は川面を3度ぴょんぴょんと跳ね、やがて水中に姿を消した。
「上手ですね」
「昔、祖父に教えてもらった。」
先ほどまでの冷たい目からは想像もつかない、懐かしむような目をして、王子が呟いた。祖父ということは、先代の王だろうか。厳格な人だった印象があるが、意外に子どもらしい面もあるのかもしれない。
銀霧は澄んだ空気を浅く吸って、言った。
「帰りましょう」
「このタイミングでそれを言うか?」
王子は露骨に顔をしかめて、俯いた。長く思えた沈黙を、幼い子供のような弱々しい声が遮った。
「ひとつ、答えてはくれぬか」
銀髪の兵士は、戸惑ったようにうなずいた。
「……人を信じるというのは、」
王子は迷うように視線を泳がせて、続きを口にした。
「良いことなのだろうか」
銀霧は瞬きをして、地面に目を落とした。……信じる。その言葉をあてにしてはならないことは、戦争をする上での影の掟だ。
(……でも、)
懐かしい感覚が、銀霧を襲う。何度も叩きのめされた痛み。しかしそれは、銀霧を思うが故の優しい痛みだった。泣きそうなほど温かい優しさをくれたのは、だれだった……?
(思い出せない……だけど。)
「良いことだと、思います。人を信じれば、必ず自分に帰ってくる。……そう教えてくれた人がいました。」
銀霧のまっすぐな言葉に、王子は黙り込んだ。……揺るがない瞳。目の前のどこか抜けている男は、人を信じ、傷ついて……そういう目をしていると思った。
(帰ってくる、か……)
王子は目を瞑り、自分を心配しているであろう両親を思った。この国は平和と言えど、王族という地位は決して安全ではない。王子は人を信じすぎる両親のことを、常に心配していた。せめて、自分は周りに目を配らねば。たとえ、それが原因で忌み嫌われたとしても、家族を守れるのならばそれでいい。……そう、思っていた。
王子は広い空を見上げた。どこまでも透き通った青。綿菓子のような雲の上には、白い三日月が浮かんでいる。
(自分は、なれるだろうか。あの三日月のように……)
精一杯手を伸ばす。その手が届くには、まだ何か足りないような気がした。
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