魂監獄のアリス

よしふみ

プロローグ 世界でいちばんやさしいけれど、地獄行きの科学者




 とある歴史ある大学の図書室。


 そこにあるはずの談話スペースが、『地獄』の一角に再現されていた。


 たいせつな思い出は、失われることがない。


 何度も再生されながら、輪郭を補強していく。


 図書室からふくらんでいくように、大学そのものまで再現していった。


 その人物は、『死後』も思い出の場所から離れることはない。


 人生でいちばん楽しかった場所だから。


 あの日々は、最高だった。


 彼は最高の教師……ではないが、誰よりも教え子を大切にする男である。


 いいヤツだ。


 談話スペースの対面ソファに座りながら、少人数の学生たちと議論をつづけるのが指導スタイル。


 ここに集まる優秀すぎる教え子たちを、しっかりと見抜く必要があったから。


 もしも、教え子が自分の手にあまるほどの才能だと気づいたときは、天才たちに新たな居場所を紹介する必要がある。


 教え子に追い越されていく瞬間も、多く体験したけれど……。


 それが科学と、人類に貢献することだと思えば喜ぶべきである。


 充実した日々だった。


 好きなことを仕事にできるから、科学者は最高である。


 しかも。


 幸いなことに『死後』も、学生やかつての友人たちが訪ねてくれることもあった。


 不思議なことだが……。


 問題ではない。


 自分たちの状態についても、かつての仲間たちと語り合う。


 死んでいるのに、こうして意見交換が可能だという神秘の『原因』に。


 答えはなかなか、出なかったけれど。


 物理学者は、おそらくこの課題の究明に向いているはずだったが。


 議論を戦わせるのは、それだけで面白いのだから問題はない。


 ……無限につづくと思われていた日々は、あるとき、いきなり終わった。


 空から、巨大な機械のかたまりが模倣されたライデン大学の中庭に墜落する。


 機械のかたまりからは、160センチの『少女』に見える何かが出てきた。


 驚いたものだ。


 死んだあとの世界は、およそ何でもありだったが。


 おぞましい竜も見たし、炎につつまれた悪鬼も目撃済みである。


 しかし、それらに比べても、この『死後』の世界に不釣り合い。


 この世のものとは思えない先端科学の結晶に、まさか、あの世で遭遇するなんて……。


 あまりにも、あの機械が気になった。


 ……だが、若い訪問者を彼は拒まないものだ。


 たくさんの若き天才たちと、生前に対話しつづけてきたときから運命を悟っていた。


 若者たちに、道を示してあげるのが自分の役目なのだと。


 いつものように。


 いや、いつもよりは砂糖とミルク多目のコーヒーで歓迎してあげよう。


 少女らしき物体はコーヒーを喜び、対面ソファに座った。


 それからは、いつもと同じように、長い対話が始まる……。


 落下してきた機械のかたまりは気になったが、まずは若者の話しを聞いてやるのだ。




「アインシュタインに、心配をかけさせるなんてさ。すごいコトじゃない?」


「さあ。民族がいっしょだったから」


「知り合いでもある?」


「親友かつ、同業者だよ」


「そうなんだ。昔は、手紙のやり取りがメインだったんだよね」


「うん。魔法みたいな力は、まだなかった時代だ」


「誰とでもカンタンにつながれなくて、何日も、何十日もかけて届けられる手紙なんかで、親しい人とだけコッソリやりとり……」


「古き良き時代だよ……」


「そうかな? あなたは、とても不幸だったようにも見える」


「偉大な研究も、いくつかしたように思うのだがね」


「たしかに。歴史へ名を遺せた」


「『お嬢さん』もだ」


「ボクの名前は、アリス」


「ああ。不思議の国から落っこちて来たんだろう?」


「あの物語を、お子さんたちに、読んであげた?」


「……秘密だ。あの子たちについては、話したくないね」


「自慢の子供たちじゃなかったのかな」


「自慢さ。でも、わかるだろう……」


「わかってあげられるコトは、人生って、不完全。運命って、残酷」


「まさに」


「時代が違えば、長く生きられた。そこまで、苦しむコトもなかったよ」


「確かめる方法はない。世の中は、量子論より、ずっとわかりやすいくせに、地獄みたいに不出来なんだ」


「量子論。難しそうだね」


「ちょっとコツがいる。世界の本当のすがたを認識するためには」


「アインシュタインだって、間違えたぐらい……ムズカシイとか」


「気持ち悪いほど、直感と真実がかけ離れていたからね」


「今でも、わかっていない部分が多いながらも使っているらしいよ」


「しょうがないさ。わからなくても、使えるんだから」


「謎が残るのに」


「そう、それだけに、面白い。私たちは、世界の本当のすがたを知りたかったんだ。それを知れば、もっと大きな力が生み出せると信じていた」


「そうだね。世界を……破滅させちゃうほどの力だ」


「……私の功績ではない」


「そうかも。でも、みんなで世界を壊せるほどの力を作ったんだよね」


「そうだよ。だから、私は……いや、違うね。息子を、撃ち殺したから。この地獄にいるんだった」


「うん。人殺しだから、博士は」


「……怖いだろう?」


「いいえ。とてもいい人だと聞いている。本で読んだの。あなたたちがやり取りした手紙は、ずっと未来まで残された。会うのは、今日が初めてだけど、それなりに知っている」


「本に書いてあることを、鵜呑みにするのは危険だよ」


「面白いから、本は好き。博士はとくに興味深い!」


「もっと面白い人物を、選べばいい。たくさんいるよ、この地獄にはね」


「理不尽だよね」


「何がだい?」


「とっても、いい人だったのに。世界に居場所がなかった末っ子さんが、苦しまないようにあなたは撃っただけ」


「1930年代は、地獄だったんだ」


「知ってる」


「……いい人ではないよ。いい人だったら、きっと、息子を撃たない」


「撃たなくても、きっと、殺されていたから。あなたは、いっしょに死んであげたんだね」


「私は、病んでいた。それがいちばんの原因だろう」


「世界も、病んでいた」


「そうだ。力を求めれば、ああもなる。どうして、もっと、みんな……やさしくなれないのか!」


「変わり者のボクには、その質問に答えてあげられない」


「答えがほしかったわけじゃないよ。ただの、叫びさ」


「地獄の底のひとつで、叫ぶ。誰にも届かないって、知っているのに」


「あわれで孤独な中年だよ」


「そんな、とってもかわいそうな博士に、チャンスをあたえてあげられる。世界をね、救えるかもしれないんだ」


「……アインシュタインに頼みなさい」


「貴方がいい。ボクが興味を持てるのは、自分と同じ、人殺しだけだから!」


「はあ。恐ろしい子が、来たものだ。さすがは、地獄か」


「決めてほしいな。ボクといっしょに、戦ってくれるか。それとも、世界を見殺しにするのか。エーレンフェスト博士。あなたは、とてもいい人だから。きっと、やさしさのために戦ってくれる」


「ナチスは、まだ健在かな。だとすれば、打ち負かしてやりたいね」


「2050年だよ。ナチスはもういない。でも、世界はあれよりもヒドイ状況。だから、地獄はボクみたいなのを使うんだって」


「君は、殺人鬼?」


「うん」


「……似たニオイがする」


「ボクは博士ほど善人じゃないよ」


「間違った認識だね」


「ボクが世界を救う理由は、ただひとつ。そのための戦いが、楽しそうだからだ! あれに、乗れるんだからね!」


 それは、巨大な鉄仕掛けの物体……。


「……ああ。やはり、戦うための存在か。なんと、恐ろしい機械なのか」


「巨人だよ」


「機械仕掛けの、おぞましい何かだ。殺りく兵器のくせに、どうして、ヒトのすがたをするのか」


「そっちの方が、世界に馴染むんだってさ」


「百二十年も先の物理学は、専門外だよ。死ぬ前に、わかっていた。もう私は時代遅れだと」


「だいじょうぶ。博士、必要な技術は、もうある。わからなくても、問題ない。使えればね」


「科学者みたいなことを言うんだね、人殺しのアリスくん」


「ずーっと未来の連中から、かっぱらって来たんだよ」


「……誰が?」


「ボクが」


「どうやって?」


「博士があの九月にしたみたいに」


「……撃ったのかい」


「大切にされているものを盗むには、しょうがない。未来に行った。そして、研究所から、『この子』を盗んだ。何人も、殺してしまいながら」


「なんてことを……」


「だって、必要だから。このままだと、あの未来も滅びていたし。『この子』を有効に活用すれば、みんなで助かる。ボクは、きっと世界の救世主になるよ。それでも、悪い子かな?」


「自分の信じている神さまに聞きなさい」


「いないよ。だから、人殺しなのに、戦わなくちゃいけない。神さまの代わりにね。ボクたちが、世界を救うんだ」


「……向いていないよ」


「いいや。誰よりも向いている。このミッションを成功させるためにはね、罪悪感が必要なんだから。大切な人を殺してしまったから、後ろめたくて逃げられない。死んで逃げても、地獄に来るって、思い知らされているんだからね!」


「考えさせてくれ」


「わかった。三十秒だけ」


「みじかすぎる」


「世界を救うか、見捨てるか。二択だよ。量子論よりカンタンでしょ」


「そうでもない」


「博士、素直になって。あなたはやさしい人でしょう」


「ただの、人殺しだよ。息子殺しだ」


「だとしても」


「……私は、期待には……」


「失敗すれば、すべてが終わるミッションだ。文字通り、すべてが終わってしまう」


「人類が、滅びるとでも言い出すのかい」


「そうだよ。もっと酷いけど。すべての命が、燃え尽きる」


「……」


「はい、時間切れ。答えを、聞かせて。一度だけしか聞かないから慎重に。ボクにも時間はない、『この子』は……『オルフェウス』は、いつまでも戦いから逃げてはいられないんだ」


「…………協力しよう」


「望ましい答えを、ありがとう。さあ、契約をしようね」


「どのような形でだい?」


「書類にサインじゃない。ボクが、この銃弾を撃ち込めば、それで終わる」


 拳銃にはとくべつな思い入れがあった。息子を撃ち、自分も撃ったから。死後百二十年間つづいた悪夢。大きな罪をふたつ、毎日のように繰り返してきた。それが、地獄での彼の終わらない罰。


「さっそく、罰をあたえてくれるのか」


「誤解がある。ボクに殺されたら、『オルフェウス』の一部になる。回路として吸い込まれて、こき使われるんだ」


「まるで、監獄だね」


「『魂監獄』と呼ばれている。悪人たちの地獄の苦しみで動く、とっておきの切り札さ」


「契約内容を先に言わないのは、まるで」


「悪魔みたいでしょう。似たようなもんだ、だって」


「我々は、人殺しだからね」


 博士は従順に、『少女』の持つ拳銃に額を突きつけた……まばたきもしない疲れ果てたままの顔で。


「ありがとう。これから、よろしく」


「……こんなことに付き合うとは、私は、本当に物好きだ」


「好奇心は、正しい」


「そうであってほしいね」


「物理学者に、乾杯」


 引き金をしぼり……契約の儀式は完了した。


 顔にかかった赤いなにかを拭きとりながら、『少女』は青い瞳で巨人を見上げる。


 博士の記憶にもとづいてつくられていた空間が、ゆっくりと壊れ始めていく。


 いや、正確には、食べられていたのだ。


「たくさん食べろよ、『オルフェウス』。世界最高の物理学者たちが集まりながら、百二十年以上も議論をしつづけた貴重な空間だ。刻みついている情報量は、宇宙最高レベルかも。博士の、無限の謝罪もね。罪悪感は、ボクらをどこまでも強くする」


 巨人が立った。


 その内部に、無限の罪を閉じ込めて。


「旅に出よう。邪悪なボクらで、あらゆる世界を救うんだ!」



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