第3話 敷嶋

 山城屋の敷嶋は平の昼三で、兵次郎は先月馴染みになったばかりである。利発で器量の良い彼女がなぜ呼び出しになれなかったのか、彼は疑問に思ったことがある。禿のときは今とは異なり、利発ではなかったのかもしれない。しかし別の理由がありそうだった。笑うと垂れる切れ長の目や、ふっくらとした頬は愛嬌があるけれど、たまに物思いに沈む折、見る角度によっては、白痴のように見えた。きっとこれがいけないのだろうと思った。

 三つ布団に横臥し、兵次郎は頬杖を突きながら、敷嶋が角行灯の取っ手を掴んで、布団に引き寄せる、その横顔を眺めていた。伊達兵庫に浅葱縮緬の床着、緋縮緬の帯を締めている。引け四つを過ぎ、部屋の明かりはその角行灯ばかりである。屏風に掛けられた塩瀬の打掛の麗しい百鳥文様も、闇に沈んでいた。床着の褄を取り、薄闇の中、行灯に眼を向ける敷嶋の横顔が仄かに浮かんでいた。

「わっちの顔がそんなに珍しいのかえ」

「見惚れているだけさ」

 敷嶋は鼻で笑い、寝床に近づくと、どすんと、勢いよく兵次郎の腹の上に背をもたげた。

「おっと、漬物石みてえな花魁だ」

 敷嶋は彼の脇腹をくすぐった。

「堪忍してくれ」

「ぬしみたいな不実な男は、狐に化かさりいす」

 句会の仲間との付き合いで、他の妓楼で遊んだことが露見したのである。ただの付き合いだから、馴染みになるつもりはないと、納得させたが、一晩中不機嫌は続きそうだった。

「狐に実不実が関係あるものか」

「知りいせんのかえ。太田屋の琴浦さんの馴染みの客衆が、浮気が故で、狐に憑かれて気狂いになりんした」

 突然面白そうな話が飛び出したから、兵次郎は目の覚める心地がした。

「なんだい、それは。初耳だ」

 聞くところによると、琴浦の馴染み客である、その新川の酒問屋の手代は、京町一丁目の鶴屋の店先で「此花に会いたい。早く此花を出せ」と、その妓楼に籍をおいていない遊女の名を連呼し、鶴屋の若い者に掴みかかったそうだ。吉原細見を見せても、その遊女がいないことを納得させるのに苦労したらしい。

「その手代っていうのは、ひょっとして、今戸橋の袂で殺されたやつじゃないか」

「左様ざます。名前も顔も知りいせんが、うちの客衆が、同じ人だと申しておりいした」

「その手代の言う女郎は、玉屋の此花とは違うのかい」

「鶴屋の人も同じ思いで、たびたび確かめたそうでありんすが、その客衆は鶴屋の此花さんだと言い張りなさんした。あんまり情の強い人でありんす」

 玉屋の此花は呼び出し昼三だから、酒問屋の奉公人が買える女郎ではない。その手代の殺され方は異様であるが、死ぬ前の行いも異様だった。

「浮気相手が幻か。こいつは面白い」

 兵次郎は感心したようにそう言った。

「わっちも幻かもしりんせんえ」

 そう言うと、敷嶋は流し目を送り、うっとりと口の端に笑みを浮かべた。

「おきやがれ。こんな漬物石みたいな尻が、幻であるものか」

 今度は脇腹をつねられた。

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