孝恵本紀 より 劉盈 その二

 さて劉邦が韓王信を討ったのは紀元前196年のことだった。同年には淮陰侯わいいんこう・韓信が自らを慕う陳豨ちんきと謀反を企て、呂后と蕭何しょうかに謀殺されている。

 そして翌、紀元前195年になると今度は淮南王わいなんおう・英布が反乱を起こした。


「おのれ」


 この頃、劉邦は長い戦場暮らしがたたって病に冒されていた。


劉盈りゅうえいに討たせよ」


 劉邦の命を受け、蕭何や曹参そうしんと言った直臣が集まり、別室にて会議が開かれる。


「我々が力を尽くしたとて、皇太子殿下を戦わせるのは危うい」


 英布は秦末の動乱を武によって切り抜けた男で「黥布」の異名をとる。一方で劉盈は戦の経験に乏しい。

 建成侯・呂禄りょろくが言う。


「殿下が首尾よく英布を討伐できればよろしいですが、もししくじればお立場はどうなるでしょう。歴戦の将ばかりの我が軍を殿下が率いるのは、羊に狼を率いらせるのと同じではありますまいか」

「むむっ。たしかに」


 劉邦の容態もかんばしくないいま、英布に敗れた挙句、廃太子などという騒動が起これば、いよいよ漢王朝の雲行きが怪しくなる。

 呂禄は皮肉たっぷりに言う。


「陛下は『愚かな息子を愛する息子の上座に着けることはない』とおっしゃられておいでです。もし殿下が敗れれば後継者は弟君であられる趙王・劉如意様になるでしょう。果たして劉如意様に英布が倒せますかな?」

「むずかしかろう」


 劉盈はこのとき15歳だが、劉如意に至っては12歳である。


「どうでしょう。ここはひとつ、我が伯母・呂后に頼み、陛下御自ら出陣していただくよう乞うてみては?」

「それしかあるまい」


 呂后はこれを聞き入れ、劉邦のもとへ向かい泣いて頼んだ。


「わかった。わかったから」


 劉邦はしぶしぶ、


「愚かなせがれに替わって、私自らおもむこう」


 軍を率いて英布討伐へ向かった。

 劉邦はわずか三か月で英布を破り、翌月には帰還した。が、戦で矢傷を負い、病状が悪化した。

 天命の限りを知った劉邦はますます劉盈をうとんじるようになった。


「陛下。いま皇太子を変更されては国が乱れます」

「うるさい! あやつさえものになっておれば、ちんはこのようなことに……」


 張良がいさめても劉邦は耳を貸さない。張良を押しのけなみなみと注がれた酒を飲み干す。

 さらに劉盈の太傅(※先生)をしていた儒者叔孫通しゅくそんつうが説得にあたる。


「かつて晋の献公は驪姫りきの讒言を信じて太子を廃し、奚斉けいせいを立てました。その後、晋は数十年に渡って乱れ、天下の笑いものになりました。秦の始皇帝も扶蘇ふそを早く立てなかったために故亥が偽って後を継ぎ、滅びました。陛下もご存じのことでしょう。いま皇太子の仁孝が優ることは天下の知るところです。また呂后は陛下と苦労をともにしてきました。どうして背くことができましょう! 陛下が廃嫡を欲し、弟君を立てようというのであれば、私はこの場で死を賜り、この地を血で汚したく思います」


 劉邦は若い時分には大の儒者嫌いであったが、晩年には改めている。


「やめろ。戯れを言ったまでだ」

「皇太子は天下の根本です。これが揺らげば天下は震えます。戯れであろうと口にしてはならぬことです!」

「話は分かった。もういい。下がれ」


 そこへ劉盈がやってきた。劉邦はつまらなそうに息子をみる。


「父上。お酒をお注ぎします」

「……うむ」


 と、その後ろに眉もひげも真っ白で、衣冠を正した見事なおきならが控えているのに気づいた。


「あの者らは?」

商山四皓しょうざんしこうのお歴々でございます」


 劉邦はひどく驚いた。


「私の求めには応じてくれなかったというに、なぜ倅に従っておるのだ?」


 四皓は答える。


「陛下はよく士を軽んじ罵られるので、臣らははずかしめを恐れ逃げました。かたや殿下は人に仁孝を為し、士を愛し敬っておられ、天下に殿下のために死ねぬ者はおらぬとお聞きしました故、馳せ参じた次第です」


 劉邦は年を追うごとに人心が離れていくのを感じていた。まるで項羽のように。武によって覇を唱えたが天下はいまだ治まらない。だが劉盈はどうだ? 張良も叔孫通も商山四皓も、皆よく従っているではないか。


「これからも劉盈を盛り立ててやってくれ」


 新しい時代が幕を開けようとしている。仁政の世である。

 この一件により廃嫡の話は流れた。


 困ったのは劉如意の母・戚夫人せきふじんである。

 劉盈らを返した後、劉邦は戚夫人を呼びつけた。


「朕は皇太子を替えたいと考えておるが、あの商山四皓がついている限り難しかろう。賢人を除いては民の信を失う。信を失えば国は治まらぬ。彼らはいま劉盈の羽となり翼となった。お前の主人は呂雉である。よく敬え」


 戚夫人は泣き崩れた。呂后は史書に「剛毅」と著される。彼女は戚夫人を放っては置かないだろう。劉邦も心得ている。


「戚よ。私は君のために歌おう。君は私のために踊ってくれ」


 戚夫人は袖で涙をそっと拭い、立ち上がり舞った。


鴻鴈こうがんは高く飛び、一挙に千里を越える。羽翼はすでに成り、四つの海を渡っていくだろう」


 劉邦は歌う。


「四つの海を渡る鴻鴈をどうしようというのだ。矰繳そうしゃくをもっても捕らえることなどできないというに」


 何度も、繰り返し。ただ彼女の心がわずかでも休まるように。


 時が過ぎ、戚夫人は去った。劉邦は酒を呑むのを止め、ただ茫然と座っていた。


 死の前、劉邦は劉盈に次のような言葉を送っている。


「私は秦が学問を禁じた乱世を生きた。学問が無益なことだと考えていた私は当時こそ喜んだが、皇帝に即位してからは時々人に命じて書を読ませ古の教えを学ぶよう努めた。学ぶことで己の過ちに気づけるようになるからだ。振り返ればなんと間違いの多いことか。ぎょうしゅんは天子の座を自らの子に継がせなかった。彼らは天下のためを思い、後継者を選んだ。人々が良い牛や馬を大事にするように、天子は天下を大事にしなければならない。盈。私がお前を太子に選んだのは我が子だからではない。四皓を連れてきたように、私にできなかったことがお前にはできると、そう思ったからだ。ただし足りないところもある。私は自分の言葉や文章で人々に思いを伝えるのが苦手だが、お前は私以上にそれが下手だ。私がそうしたようにお前もよく学べ。宿題として私が死んだら追悼文はお前が書くこと。必ず自分で考え、自分の言葉で書くのだ。絶対にほかの人に書いてもらってはならない。最後に私と同世代の蕭何や曹参、張良や陳平、諸王と会うときは必ず礼を尽くせ。兄弟も同様だ。よく話しかけてやってほしい。私はもう長くない。ほかの子は皆、自立しているが、まだ幼い如意とその母だけが気がかりだ。目をかけてやってほしい」

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