3-6 東部セクターの危険

 幻想世界に転移して、ボクは思わず息を呑んだ。


 北部セクターとは明らかに違う景色が広がっていた。

 データの流れが密集し、まるで巨大な樹木のように立ち並ぶ。半透明な立方体が絡み合い、光の森を形作っている。


 薄暗い空間に、結界の光が青白く揺らめいていた。


「北部より、ずっと見通し悪いなぁ......」


 ミレイの声が震える。


「異常値の影響か。このままでは確実にバグが発生する」


 ボクはデバイスの画面を確認する。数値は更に悪化していた。


「サモン《ソナーヴェイン》 ノクターンリンクス!」


 ミレイが小さな召喚陣を展開する。

 現れたのは透明な翼を持つコウモリ型の召喚獣。10匹のソナーヴェインが光の樹々の間を旋回し始めた。


「さぁかわいいコウモリちゃんたち索敵をお願いするぇ!」


 ソナーヴェインたちは超音波を放ちながら、光の森を探索していく。

 その翼は光を受けて微かに輝き、まるで夜空に浮かぶ星のようだった。


「よしよし、ちゃんと周囲を確認してるぇ」


 ミレイはコウモリたちからの情報を受け取りながら、慎重に前進する。


「奴らの超音波がGPSの役割を果たしてて、この空間の地形が手に取るように分かるんだ。」


 ボクは感心しながらデバイスの画面を確認する。


「でも、この先は少し厄介やなぁ」


 ミレイの表情が曇る。


「何か反応があるの?」


「う~ん。見たことない魔物みたいなんが、ところどころに......あっ!」


 ミレイの声が突然上ずる。コウモリたちが不規則な動きを見せ始めた。


「近づいてきてる! こっちの方に!」


 光の樹々の間から、黒い靄のような存在が這い出してくる。

 それは獣のような形を成しながら、全身からデータの断片をまき散らしていた。


「え......これが、魔物......?」


 ミレイの声が震える。確かにこれまで見たことのない、不気味な存在だった。


「これはバ......いや、この世界特有の存在だね。気をつけて」


 ボクは咄嗟にバグという言葉を飲み込む。今は説明している暇はない。


「サモン《ソナーヴェイン》 フラッターバリア!」


 ミレイの号令で、十匹のコウモリたちが円を描くように飛行。超音波による防御の壁を作り出す。


「この世界の魔物......見た目も不気味やなぁ」


 バグは黒いデータを撒き散らしながら、不規則な動きで接近してくる。


「debug.execute();《エラー修正、実行》」


 ボクのプログラムが青白い光となって放たれ、バグの動きを一瞬止める。


「今だ!」


 ルシェが左腰の剣を抜く。

 漆黒の剣身に赤いプログラムのコードが走る虚空の剣。バグに向かって繰り出された一撃が、光の森を切り裂いていく。


 一瞬の静寂。

 そしてバグの体が霧のように消えていった。


「はぁ......なんやったんやろ、あれ」


 ミレイが息を吐く。コウモリたちも落ち着きを取り戻し、再び索敵を始めていた。


「今のはこの幻想世界を侵食する魔物のような存在......ワイちゃん達はバグって呼んでるんだ」


 ボクは簡単に説明を加える。


「ほぉ、そうなんやぁ。イオリンの仕事って、このバグを退治することなんやね」


「そう、ワイちゃんは引きこもりながら世界を守る、陰の英雄なんだよ」


「あははん、なんやそれ。言うてみたいだけちゃうん?」


 ミレイが楽しそうに笑う。


「虚空の剣、使うことにしたんだね」


 ボクはルシェの左腰の剣を見やる。


「ええ。秩序の剣と共に戦うことで、より強い力になると気付きました」


 ルシェは静かに剣を鞘に収める。その表情には、以前のような迷いは見えなかった。


「型を知った上で、時にはそれを超える......それが私の選んだ道です」


 彼女の声には確かな自信が宿っていた。


「ほな、目的地まで進むぇ。かわいいコウモリちゃんたちに、もう一度周囲を確認してもらうぇ」


 コウモリたちは再び超音波を放ちながら、光の森の奥へと飛んでいく。


 コウモリたちの正確な索敵のおかげで、一行は大きな危険に遭遇することなく進んでいく。

 時折、遠くでバグの気配を感じることはあったが、その度にノクターンリンクスたちが安全な迂回路を示してくれた。


「あ、データストリームが見えてきたぇ」


 ミレイが前方を指差す。

 光の樹々の間から、青く輝く大きな流れが見えていた。


「ここまでミレイのコウモリのおかげで、随分と楽に来れたね」


「ふふん、かわいいコウモリちゃんたちの手柄やぇ」


 目の前に広がるデータストリーム。その大きな流れは、北部セクターのものよりも荒々しく、所々で波が立っていた。


「浄化魔道具の設置場所は、あの先......」


 ボクが指差す方向には、光の樹々が更に密集していた。


「早速、データストリームに乗って......」


 ボクが言い終わる前に、ミレイが軽やかに飛び乗る。

 一度バグと戦ったせいか、この世界への適応が早かった。


「お、もう乗りこなせるようになったんてミレイはネットサーファーの才能があるかもね」


「商人は臨機応変が大事やからね」


 ミレイが得意げに笑う。


「では、私も......」


 ルシェが剣士らしい力強い動きで飛び込む......が。


「きゃっ!」


 データストリームから弾き飛ばされ、見事に着地に失敗。深紅の髪を乱して尻もちをつく。


「レッドクリフ家の剣士として、こんな失態を......!」


 慌てて立ち上がるも、次の挑戦でも同じ結果に。


「くっ......!!」


 普段の凛とした態度が消え、困惑の色を隠せない。


「ルシェはん、オススメの方法があるぇ」


 ミレイが召喚陣を展開する。


「サモン《グロウアンカー》 ”らんたん”」


 浮遊する魚型の召喚獣が現れる。


「”らんたん”につかまったら安定するんよ」


「こ、この私が召喚獣に頼るなど......」


 ルシェは一度断ろうとしたが、三度目の失敗を経験し、観念したように頷いた。


「......お借りします」


 グロウアンカーにそっと掴まり、ルシェは慎重にデータストリームに乗る。


「これなら......なんとか」


 赤くなった顔で呟くルシェに、ミレイは優しく微笑みかける。


「慣れるまでが大変なんよ。ウチも最初は怖かったぇ」


 波に乗りながら進んでいく三人。

 荒々しいデータストリームの流れに、時折バランスを崩しそうになる。


「浄化魔道具を設置する場所はもうすぐだ」


 ボクがデバイスの画面を確認する。

 表示された座標は、光の樹々が更に密集する一角を示していた。


「イオリン、あそこやね?」


 ミレイが指差す先には、まるで光が渦を巻くような場所が見えた。

 おそらく、結界の歪みが最も強い場所。浄化魔道具の設置ポイントとしては最適だ。


「うん、あそこに向かおう」


 三人はデータストリームの流れを下り、目的地へと近づいていく。


========================


「よし、ここが設置ポイントだ」


 光の渦が最も強い場所に、三人は降り立つ。

 周囲の樹々が作り出す空間は、まるで自然の祭壇のようだった。


「analyze.run();《解析、実行》」


 ボクは素早くプログラムを起動。設置のための準備を始める。


「周囲の警戒は私が」


 ルシェは両手の剣に手をかけながら、周辺を見渡す。


「ウチは魔力の注入を頑張るぇ」


 ミレイが新たな召喚陣を展開する。


「サモン《マナラビット》 ”ラピラピ”力を貸してほしいぇ」


 現れたのは、長い耳を持つ白いウサギの召喚獣。その耳からは淡い魔力が漂っている。


「この子の魔力があれば、浄化魔道具の起動がスムーズになるはずやね」


 マナラビットは器用に耳を動かし、装置に向かって魔力を注ぎ始める。

 その光は穏やかで、まるで月明かりのよう。


「system.initialize();《初期化、実行》」


 ボクの入力に反応して、浄化魔道具の表面に刻まれた星型の模様が輝き始める。


「マナラビット、もう少し魔力を......」


 ミレイの声に応え、ウサギは長い耳を大きく揺らす。

 注がれる魔力の量が増えていく。


「周囲に異常は......」


 ルシェが警戒の目を光らせる。ノクターンリンクスたちも空中を旋回しながら、索敵を続けている。


 その時、浄化魔道具から星屑のような光が放たれ始めた。

 それは北部セクターの時よりも強く、まるで夜空の星々のように美しい。


(この光......)


 ミレイの目が光に釘付けになる。

 なにか、懐かしい記憶が呼び覚まされそうで——。


「懐かしい光景ですね」


 ルシェが静かに呟く。


「王宮の庭園でも、こんな風に星のような光が降り注ぐのを見たことがあります」


 その何気ない言葉に、ミレイの体が強張る。

 幼い頃の記憶が、一瞬だけ蘇りそうになる。

 星屑のような光の粒子。そしてその光の中に見えた——。


「あ、あはは。そないな綺麗な場所、ウチには縁がないぇ」


 ミレイは慌てて取り繕う。けれど、その声は僅かに震えていた。


「浄化魔道具の起動、完了」


 ボクは意図的に声を上げ、場の空気を変える。


 マナラビットの耳から注がれる魔力が、徐々に弱まっていく。

 装置は安定して稼働を始め、周囲の歪んだ空間を少しずつ浄化していた。


「お疲れ様。これで東部セクターの結界も安定するはずだ」


「ほな、そろそろ帰りましょか」


 ミレイの声は、もう普段通りに戻っていた。

 けれど、その瞳の奥には何か複雑なものが揺れているように見えた。

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