1-α リリアの決意

 リリアは魔法ギルドの長い廊下を、緊張した面持ちで歩いていた。

 先日配属された先輩魔法使いと、山間の村への任務に向かうところだ。


「リリア、今回は基本的な防衛結界の設置だから、あまり心配することはないわ」


 先を歩く先輩、メリサの声に、リリアは小さく頷いた。

 メリサは長い空色の髪を揺らしながら、優しく微笑みかける。


「昨日の練習通りにやれば大丈夫。単純な魔獣除けの結界なんだから」


(そう、簡単なはずなんです。でも......)


 型通りに魔力を扱えないリリアにとって、どんな簡単な魔法でも不安は付きまとう。

 それでもギルドでの訓練の成果を信じたい。何度も練習を重ねてきたのだから。


 村に着くと、長が出迎えてくれた。

 痩せぎすの老人は、心配そうな表情を浮かべている。


「魔法使いの皆様、よくいらっしゃいました。ご覧の通り、村の結界が弱くなってしまって......」


 確かに、村を囲む古い結界は所々が薄れかけていた。

 本来なら青く輝いているはずの防衛魔法の光が、もう殆ど見えない。


「私たちに任せてください。新しい結界を張らせていただきます」


 メリサが頼もしく告げる。


「では、リリア。まずは私がやって見せるわ」


 メリサが杖を掲げる。


 詠唱と共に放たれる魔力が、美しい軌道を描いて空中に広がっていく。

 まるでレースを編むように、魔力が規則正しく編み込まれていく。


「ほら、こんな感じよ。教科書通りの基本的な防衛結界。これなら簡単でしょう?」


 リリアは小さく息を呑む。


 確かに基本的な魔法。しかし、自分の魔力はそう簡単には型に収まってくれない。


「は、はい......やってみます」


 リリアが杖を構える。

 村人たちの期待を感じる視線。

 メリサの励ましの表情。


(大丈夫、落ち着いて......)


 リリアの杖から、魔力が溢れ出し始めた。


 しかし、放たれた魔力は教科書通りの軌道を無視して、不規則な流れを作り始めた。


「あっ......」


 リリアの声が漏れる。


 本来なら整然と並ぶはずの魔力の糸が、まるで凧糸が絡まるように乱れていく。

 先ほどのメリサの美しい結界とは、まるで違う。


「リリア、落ち着いて。もっとゆっくり魔力を注入して」


 メリサの声に、リリアは必死で頷く。


(集中、集中......)


 魔力の流れを抑えようとすればするほど、逆に暴走しそうになる。

 型に収めようとする意識が、かえって魔力の流れを乱してしまう。


「む、むずかしいです......」


 額に汗が滲み始める。

 村人たちの視線が、重荷になっていく。


「む......リリア、一旦止めなさい」


 メリサの言葉に、リリアは杖を下ろした。

 放たれた魔力は宙に消え、半端な形の結界は跡形もなく消えていく。


「申し訳ありません......」


 リリアが俯く。

 しかしメリサは優しい声で告げた。


「焦ることはないわ。まずは村の周囲を歩いて、古い結界の状態を確認しましょう。そこから始めれば......」


 その時だった。

 森の方から、ゴォンと低い音が響いてきた。


「これは......」


 メリサの表情が強張る。

 村人たちの間に、動揺が広がり始めた。


「ま、まさか魔獣じゃ......」


「こんな時に限って......」


 そしてリリアも気付いた。

 今、最も警戒すべき状況が目の前に迫っているということに。


 森の木々が大きく揺れ、そこから巨大な影が姿を現した。


 ただの獣ではない。全身に魔力を帯びた魔獣だ。

 この地方に生息する灰熊が魔力を帯びた姿。通常の倍以上の体格で、目が禍々しく光っている。


「村の中に逃げて!」


 メリサの声が響く。


 しかし魔獣は、弱まった古い結界を物ともせず、悠々と村の中へと踏み込んでくる。

 結界が薄れていた箇所が、まるで獣の通り道のように開いていた。


「リリア! このエリアだけでも早急に結界を!」


 急を要する事態に、リリアは再び杖を構える。


「は、はい!」


 詠唱を始めるリリア。しかし、先ほど以上の焦りが、魔力の制御を更に難しくしていた。


(落ち着いて、落ち着いて......)


 魔力が暴れ出す。

 本来、整然と並ぶはずの防衛魔法の糸が、まるで荒れ狂う波のように乱れ始める。


「だめ......収まって!」


 魔獣が唸り声を上げる。

 不安定な魔力に反応したのか、より攻撃的な態度を示し始めた。


「危ない!」


 メリサが自身の魔法で応戦する。

 しかし一人では手が回らない。


 リリアの魔力は更に制御を失い、むしろ魔獣を刺激する結果になっていた。


(どうして......どうして上手くいかないの!)


 リリアの心が叫ぶ。


 そして、その時。


 ふと、カゴメの言葉が蘇った。


『型に収まらない魔力だからこそ、できることがあるはずだ』


(そうだ......私の魔力は、型に収まらない)


 リリアは杖を握り直す。


(でも、それは欠点じゃない。むしろ......)


 深く息を吸い、リリアは意識を変えた。

 型に収めようとするのではなく、魔力の自然な流れに身を任せる。


「リリア?」


 メリサが不思議そうな声を上げる。


 リリアの周りの魔力が、これまでとは違う輝きを放ち始めていた。


 不規則でありながら、どこか安定感のある流れ。

 まるで生き物のように、柔軟に形を変えていく防衛魔法。


「これは......」


 メリサの目が見開かれる。


 リリアの紡ぎ出す結界は、確かに型破りだった。

 だが、その不規則な魔力の流れは、かえって魔獣の動きを予測不能にしていく。

 柔軟に形を変える結界に、魔獣の動きが止まった。


「続けて、リリア!」


 メリサの声に、リリアは更に魔力を解放する。

 星のように散りばめられた魔力の結節点。


 網目のように広がる不規則な防衛膜。

 それは教科書には載っていない、リリアにしか作れない結界だった。


 魔獣が困惑したように唸り声を上げる。


 どこを攻撃すればいいのか、判断できないようだ。

 リリアの作り出す結界は、魔獣の動きに合わせて形を変え、その攻撃を受け流していく。


「これなら......!」


 リリアの自信が少しずつ芽生え始める。


 魔力は更に広がりを見せ、今や村の全域を覆い始めていた。

 不規則な形をした結界は、むしろ通常のものより強固に見える。


 その柔軟性が、逆に破られにくさを生んでいたのだ。


「すごい......」


 メリサが思わず声を漏らす。


 魔獣は次第に後ずさり始めた。


 予測のつかない結界に、本能的な警戒を感じ取ったのか。

 やがて大きく一吠えすると、来た道を引き返していく。


「や、やりました!」


 リリアの声が弾む。


「リリア......これは素晴らしい結界だわ」


 メリサが近寄ってくる。


「確かに教科書通りではないけど、むしろ効果的。魔獣の習性を逆手に取るなんて」


 村人たちからも、安堵の声が上がり始めた。


「助かった......」


「こんな結界は見たことがない」


「むしろ心強いのう」


 リリアは自分の作り出した結界を見上げる。

 確かに型破り。でも、これは紛れもなく自分の魔法だった。


 リリアの頬に、自然と笑みが浮かぶ。


 型に収まらない魔力は、もう彼女にとって欠点ではなかった。


 それは、リリアにしかできない魔法を生み出す、大切な個性なのだと。


 任務を終え、魔法ギルドに戻る道すがら。

 夕陽が二人の長い影を地面に落としていた。


「リリア、今日の結界のことなんだけど」


 メリサが歩みを緩める。


「は、はい」


 叱責されるのではないかと身構えるリリア。


「あなたの魔力、ずっと型に収まらないことを悩んでいたわよね」


「......はい」


「でも、それはあなたの欠点じゃなかった。今日の結界を見て、確信したわ」


 メリサの声には、心からの感心が込められていた。


「型に収まらない分、より柔軟で、より強い。むしろ、あなたにしかできない防衛結界だった」


 リリアは思わず目を潤ませる。


 長年、コンプレックスに感じていた自分の特性。

 それを、こんな風に認めてもらえるなんて。


「あ、ありがとうございます!」


「私からも礼を言わせて。あなたのおかげで、古い考えが少し変わったわ」


 メリサが夕陽に向かって微笑む。


「魔法は型だけじゃない。それを教えてくれたのは、あなたよ」


 リリアは懐から、小さな通信用の魔導具を取り出した。


 カゴメに今日のことを報告しなければ。

 リリアの頬に、自然と笑みが浮かぶ。

 きっと、あの引きこもりの結界管理人は、こう言うだろう。


『ワイちゃんの見込んだ通りだったみたいだね。 型にはまらなくたって、リリアにはリリアの魔法があるって』


 風が吹き、リリアの銀髪が夕陽に輝く。

 彼女の魔法は、まだまだ成長していく。

 型にはまらない、でも、確かな道を見つけながら。

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