2-8 揺らぐ心

 幻想世界から現実に戻り、ルシェは一言も発せずに帰路についた。


 夜の街を歩きながら、彼女の脳裏には先ほどの戦いの光景が何度も蘇る。型に収まらない魔力で戦うリリア。プログラムと魔法を融合させる主人公。そして、自分の剣が通用しなかった現実。


 レッドクリフ家の屋敷に着くと、彼女は真っ直ぐに自室へと向かった。壁に掛けられた家紋を見上げ、ため息をつく。


「父上が見たら、なんと言うだろうか……」


 月明かりの差し込む窓辺に腰を下ろし、彼女は秩序の剣を膝の上に置いた。


「型に囚われない戦い方……」


 彼女は剣を見つめながら、その言葉を繰り返す。


 幼い頃から、父から教えられてきた剣術。レッドクリフ家に代々伝わる型は、秩序を守るための道具であり、それは彼女のアイデンティティそのものだった。


「一つ、忠誠を胸に。二つ、仲間を守るために。三つ、勝利を掴むために」


 剣を握る度に唱えてきた誓いの言葉。しかし今、その言葉に微かな迷いが生まれていた。


 型に従うことは、秩序を守ることだと信じてきた。しかし今日の戦いは、その信念を根底から揺るがすものだった。


「私の剣では、仲間を守れなかった……」


 主人公とリリアの連携が、バグを打ち倒す場面が脳裏に浮かぶ。型破りとも言える彼らの戦い方は、確かに結果を出していた。


「騎士として、これでいいのだろうか」


 立ち上がり、彼女は壁に掛けられた肖像画を見上げる。そこには凛々しい表情の父の姿があった。


「レッドクリフ家の剣術は、型を重んじ、秩序を守る。それが私たちの誇り……」


 しかし、その型では届かない相手がいる。その現実に、彼女は今、向き合わなければならなかった。


 月が雲に隠れ、部屋が一瞬闇に包まれる。


「このままでは…… 次は本当に、大切な者を守れないかもしれない」


 その夜、ルシェは長い間、窓辺に座ったまま動かなかった。




======翌朝======



 翌日。

 結界の定期検査という名目で、リリアが主人公の部屋を訪れていた。


「昨日の戦いの後、ルシェさんは大丈夫でしょうか……」


 リリアは心配そうに窓の外を見る。その声には、同じ戦いを経験した者としての温かみが感じられた。


「あいつなら大丈夫だよ。それに、もうすぐ来るんじゃないかな」


 ボクの言葉通り、程なくして玄関から声が聞こえた。


「失礼します」


 いつもの凛とした声。しかし、何か微かな疲れが滲んでいるように聞こえた。


「おはようございます、ルシェさん!」


「ああ、リリア殿。今日も定期検査ですか」


 ルシェは普段通りを装おうとしているが、その表情には昨夜の迷いの影が残っていた。


「そうです。でも……その、昨日のことで少し話があって」


 リリアは言葉を選ぶように間を置く。


「私も、最初は自分の魔力が型に収まらないことを、とても悩んでいました」


「リリア殿……」


「周りの魔法使いは皆、決まった型の中で魔力を扱える。でも私は、それが出来なくて」


 リリアの声には、過去の苦悩が込められていた。


「アカデミアでの実技試験。私の魔力は制御を失って、教室を破壊してしまって…… それ以来、自分の力を怖いと思うようになったんです」


 ルシェは黙って聞いている。彼女の瞳に、何かが揺れ動くのが見えた。


「しかし、リリア殿は今、その力を見事にコントロールしている」


「いいえ、それは違います。私は……」


 リリアは一度言葉を切り、主人公の方をちらりと見た。


「私一人では、まだ力を制御できません。カゴメさんが作ってくれる道筋があるから。それに、ルシェさんのような強い人が側にいてくれるから」


「私のような…… ですか?」


 ルシェの声が僅かに震える。


「昨日、私の剣は役に立たなかった。型に囚われすぎて、却って足手まといに」


「そんなことありません!」


 リリアが強い口調で否定する。


「ルシェさんがいたから、私は安心して戦えました。たとえ剣が通用しなくても、ルシェさんの強さは私たちの支えになっていたんです」


「しかし、それでは騎士として……レッドクリフ家の剣士として......」


 ルシェは言葉を濁す。その表情には、昨夜からの葛藤が浮かんでいた。


「おいおい、そんな深刻な顔するなよ」


 ボクは立ち上がりながら声をかける。


「結界のシステムを見せてあげようか。この世界がどう成り立っているのか、君も知る必要があるだろうし」


「システム?」


 ルシェが首を傾げる。


「うん。この世界では、秩序と自由が微妙なバランスを保ってる。結界もそれ自体が柔軟に変化しながら、世界の秩序を守ってるんだ」


 ボクはキーボードを叩き、モニターに複雑なデータの流れを映し出す。


「さあ、型破りな引きこもりプログラマーが、堅物騎士様に特別講義をしてあげますよ」


「結界は、一見すると固定された壁のように見える。でも実際は違う」


 ボクはモニターに映る魔力の流れを指差す。


「この青い線が見える? これが魔力の基本的な流れ。決まったパターンを持っている。でもその中で──」


 キーボードを叩くと、別の光の帯が浮かび上がる。


「こっちの不規則な流れも、ちゃんと存在してる。むしろ、この自由な流れがあるからこそ、結界全体が安定してるんだ」


「自由な流れ、ですか......」


 ルシェは画面を食い入るように見つめる。確かにそこでは、規則的な魔力の流れと不規則な流れが、互いを補完するように混ざり合っていた。


「ワイちゃんが作るプログラムも、リリアの魔力も、同じような関係なんだ。型に収まる部分と、収まらない部分が共存することで、より強い力になる」


「でも、それでは秩序が乱れるのではないですか?」


「秩序は型に従うことだけじゃない」


 ボクは新しいウィンドウを開く。そこには結界の構造を示す立体的な図が浮かび上がった。


「見て。結界自体が常に変化してる。固定された型に囚われていたら、かえって危険なんだ」


「変化する、秩序......」


 ルシェは呟く。その声には、まだ迷いが残っていた。


「結界は柔軟に形を変えながら、世界と世界の境界を守っている。それは決して、ただ一つの形に留まってはいない」


 ボクの説明に、リリアが小さく頷く。


「私の魔力も、カゴメさんのプログラムと合わさることで、より自由に、でも確かな力になれる。それは、きっと......」


 彼女はルシェの方を見やる。


「ルシェさんの剣も、同じなのかもしれません」


「私の剣は、レッドクリフ家に代々伝わる型がある。それを破ることは......」


 ルシェは言葉を途切れさせた。父から受け継いだ剣術。幼い頃から叩き込まれた型。それは彼女のアイデンティティそのものだった。


「守るべきものがあるから、型がある──そう教わってきました。だから......」


「そうだね。でもさ」


 ボクは立ち上がり、窓の外を指差す。


「見て。あそこに見える結界。型に従いながらも、時には型を破ることで、より強く世界を守ってる」


 遠くに見える虹色の帯。魔力が織りなす光の壁は、確かにそこにあった。


「でも、私には......そんな戦い方を、私は......」


 ルシェの声が震える。その瞳には深い葛藤が宿っていた。


「ルシェなら出来るさ」


「......そう簡単には」


「簡単じゃないさ。でも、守りたいものがあるなら、きっと──」


 その時、突如としてデバイスから警告音が鳴り響いた。

 そして、その相手はヘレン。

 ヘレンからの直接連絡は本当に緊急事態な時だけだ。

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