2-5 例外種の戦闘跡地で見つかった異常
データストリームの上を滑走しながら、ルシェは周囲を見回していた。その金色の瞳は、目に映る幻想的な光景に驚きと戸惑いを浮かべている。
「……結界とは魔力で作られた壁のはず。そう騎士学校では教えられてきました。ですが、これは……」
彼女の視線は遠くの街並みに向けられていた。異世界の景色がかすかに見え隠れし、流れる魔力の帯がまるで空間そのものを支えているかのように輝いている。
「これは、結界の内側と外側を繋ぐものだよ。壁なんて単純なものじゃないんだ。データと魔力が織り成す繊細なシステムさ」
ボクは手元のデバイスを操作しながら答える。彼女の表情にはまだ納得しきれない色が残っていた。
「こんなもの、初めて見ました……。遠くに見える街並み、あれは私たちの街か?」
「そう。結界が保たれている限り、この世界は平和だ。でも、もし崩れたら……」
言葉を切ると、ルシェが眉をひそめた。
「崩れるとはどういうことですか?」
「その時は……現実世界と幻想世界が混ざり合うんだ。想像もつかない混乱が起きるだろうね」
「そんな重大な役目を、本当に一個人が担っているのか?」
ルシェが問い詰めるような視線を向けてくる。その金色の瞳には、不信と驚きが混ざっていた。
「それに、なぜそんなに重要なことを国は公表していない? 民衆が知れば協力や支援を得られるかもしれないのに」
彼女の言葉には、騎士としての正義感がにじんでいた。けれど、ボクは肩をすくめて軽く笑った。
「世の中にはね、知らないほうがいいこともあるんだよ」
「知らないほうが……?」
「うん。例えば、これが国民全員に知られたらどうなると思う?」
ボクは視線を前方に向けたまま続ける。
「世界が二つに分かれてるなんて知ったら、パニックになる人が出てくるだろうし、利用しようとする人間もいるかもしれない。結界を壊そうとする奴だってね」
ルシェは眉をひそめたまま黙っている。
「だから、人知れず世界の平和を守る。それが、このひきこもり管理人の役目さ」
「……そんな重い使命を負いながら、よく平然としていられるな」
「平然? いやいや、これでも結構大変なんだよ。ひきこもりだって辛いんだから」
「引きこもり……で、世界を守っていると?」
「そう。その矛盾した感じがまた辛いところね」
ボクは軽い口調で言ったが、その背中に何かを感じたのか、ルシェはしばらく黙り込んだ。
遠くを見つめる彼女の横顔が、微かに真剣さを増している。
その時、前方からリリアの明るい声が響いた。
「ルシェさ~ん、大丈夫ですか? ちょっと疲れました?」
リリアは先頭を滑りながら、振り返って微笑んだ。青白い光の中で彼女の銀髪が揺れ、その無邪気な笑顔はまるで月の光のように柔らかかった。
「ルシェさん、上手く波に乗れないのは意外でした。いつもとても堂々としているから……」
「む、むぅ……慣れない環境では誰にでも失敗はあるものだ。それに、お姫様だっこなどという恥ずかしい状況に置かれているのが問題なのです!」
頬を赤らめながらルシェが言い訳じみた言葉を吐くと、リリアがくすくすと笑った。
「でも、こうやって移動できるのは楽しいですね。風が心地いいですし、まるで飛んでいるみたい」
「お姫様だっこされたままというのは騎士としての誇りが、複雑な気分だ……」
彼女は意地でも威厳を保とうとするが、波が揺れるたびにしっかりとボクの服を掴むその仕草が、全てを物語っていた。
「誇りはともかく、命の方が大事だからね。ほら、目的地が近づいてきた」
データストリームが徐々に速度を落とし、波の揺れが静かになった。目的地が近づいている合図だ。
「そろそろ着くよ。ここが例外種が現れた座標だ」
ボクはルシェをそっと降ろし、リリアとともに足元の波が消えるのを待った。データストリームが収束し、足元には青白い光のグリッド状の地面が広がっていく。
「ここは……?」
ルシェが周囲を見回す。荒涼とした空間が広がり、どこか物寂しい雰囲気が漂っていた。
近くには黒く焦げたような痕跡がいくつも残り、データの断片が微かに揺れている。その光景は、先ほどまでの美しいストリームとは対照的な不穏さを感じさせた。
「これが……結界の内側で起こった戦闘の痕跡?」
彼女は足元の焦げ跡に目を留めながら、静かに呟いた。
「そう。ここで先日の結界の異常はここに発生した魔物のような存在が原因だった。 それをワイちゃんたちはバグと呼んでる」
「バグ……? 一体それはどういう存在なのです……?」
ルシェが問いかけるが、その言葉は途中で止まった。金色の瞳が鋭く細められる。
「この空間……何かおかしい」
ルシェの声が低くなる。
「おかしい?」
ボクが振り返ると、ルシェはその場に膝をつき、地面に手を触れながら目を閉じた。まるで何かを探るような仕草だ。
「空気が……いや、魔力の流れが不自然に淀んでいる。まるで、生き物が潜んでいるかのような感覚を覚える」
リリアが不安そうに杖を握り直す。
「私も……感じます。魔力の流れが乱れている……」
ボクは手元のデバイスを操作し、周囲のデータをスキャンした。モニターに浮かび上がる警告。
そこにはバグの存在を示す赤い表示が点滅している。
「バグについては、言葉で説明するより実際に見てもらった方が早いかな」
その言葉と同時に、空間が微かに揺れた。波紋のように広がる歪みが、周囲の魔力の流れを巻き込みながらゆっくりと大きくなっていく。中心から黒い靄が漏れ出し、やがて形を成し始めた。
「これは……何ですか?」
ルシェが低い声で問いかける。手はすでに剣の柄に掛かっている。
「バグだよ。結界の歪みが引き金になって発生する存在だ」
ボクは淡々と説明する。
「バグ……?」
ルシェは眉をひそめた。彼女の瞳には、理解できないものを前にした戸惑いが浮かんでいる。
「先日の例外種を倒せていなかったということなんでしょうか……?」
「コイツは"ガーベッジ"と呼ばれるバグだ。 例外種の残骸のような存在だね。 ただちに影響はないけど放置していたら結界のメモリ断面化の原因になる」
ボクはリリアの問いにそう答える。
黒い靄が徐々に獣のような形を取る。四本の足がデータの断片で揺らめき、赤く輝く目がこちらを睨みつける。その全身から漏れる黒いデータの粒子が周囲に広がり、空気そのものを汚染するように漂っていた。
「じゃあいつもみたいに世界救っちゃいますかぁ。 あ、ワイちゃんのテーマ曲流しといてくれる?」
ボクが軽い口調で言うと、ルシェは驚いたようにこちらを見た。
「カゴメイオリ!本気で言っているのですか!? あれはどう見ても危険な存在でしょう!」
「そうだよ。 だからここで対処しなくちゃいけないんた。 どうする? 逃げる?」
「……そんなこと、できるわけがありません!」
ルシェは剣を抜き放つと、その鋭い瞳でバグを睨み返した。
「まあ、そう言うと思ったよ。リリア、準備して」
「はい!」
リリアも杖を構え、少し緊張した表情で頷いた。
黒い靄が低い唸り声を上げ、こちらに向かって一歩踏み出した。その瞬間、ルシェが小さく息を吸い込むのが聞こえた。
「結界を脅かす悪鬼羅刹よ覚悟しろ!」
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