8 沈黙の蔦を探して

 仁は両手で抱えられるほどの鉢を顔の前に掲げ、すっかり乾燥して茶色く縮こまった植物を隅から隅まで観察した。


 葉の大きさは手のひらの半分ほど。形は丸みを帯びた五芒星のようだ。つる性植物の特徴である長い蔓に鈴なりに葉がついている。葉の色──は分からないが表面にあみだくじのような葉脈が見てとれた。

 初めて見る植物に違いないがどこか既視感がある。

 そのとき、あることに気がついた。植物の多くは土に植えつけられていることが多いが、この鉢に敷き詰められているのはカラカラに乾いた水苔だ。


「こいつはずっとこの場所で管理してたのか?」

「私が来てからはそうだね」

「それ以前は?」

「別の部屋で蓋付きのガラスケースにしまわれていた。そこでは日光を十分に浴びることができないと思ってね。この部屋に移動したんだ」


 仁の頭の中で豆電球が灯ったような感覚がした。


「おそらくだが、生息場所が分かったかもしれない」

「本当に?」

「いや、今の言い方は語弊があるな。正確には、生息域に心当たりがあるかもしれない、だ。俺はこの世界の地理はさっぱり分からない。可能性のある場所を探してもらうことになるが」

「勿論だとも。そこまで分かれば十分だ」


 シュテフィはほうっと息を吐いた。


「やはり私の目に狂いはなかったみたいだね。さすがだよ、墨谷仁」


 仁は黙って視線をそらした。

 他人に褒められることなどいつぶりだろう。どんな顔をすればいいのか分からず、もはや居心地が悪い。


「そうと決まれば、君はもう帰りなさい。特徴さえ分かれば後は私が候補地を探しておこう」

「ああ……そうだな」


 シュテフィの言葉で仁は我に返った。

 自分でも驚くことに、いつの間にかこの場に馴染みかけていた。

 ここは仁にとって異世界だ。当たり前だが元の世界に戻らなければならない。


 今日も普段通り仕事をしてから、公園でシュテフィと待ち合わせ、彼女の庭に来ている。さすがに瞼が重い。

 生息域の予測を伝え、光る扉を通って公園に戻る直前、シュテフィが呼び止めた。


「墨谷仁。その……また、来てもらえるだろうか? 明日の夜も、公園で待っていても?」

「もちろんそのつもりだ。俺が一緒に行った方が沈黙の蔦を見つけられる確率が上がるだろ」


 金色の光の中でシュテフィがふわっと微笑むのが分かった。


「ああ、そうだとも。ありがとう」

「気にするな。あの雛のためだしな。あ、ただ残業の程度によっては寄れないかもしれん。そのときは待ちぼうけを食らわせるかもしれないが、すまん」

「かまわないさ。そのときはあの公園を散策して帰るよ」


 扉が閉まり光が消えてしまうと、仁は古ぼけた小屋の前に立っていた。

 遠くから電車の音が聞こえる。先程までいたはずの緑溢れる眩い陽光の空間は夢のようにかき消え、余韻すらない。どこまでも静まり返った夜の公園が続いているばかりだ。


 仕事以外で誰かと約束を取り交わすこともいつぶりだか思い出せなかった。腹の奥に灯った温かさも、今度は認めざるを得なかった。




◇ ◇ ◇




 結局、次に仁がシュテフィの庭を訪れたのは四日後の金曜日だった。


 案の定、脅迫文に書かれていた声明を会社が出すことはなかった。

 どうやら犯人にも、会社が従う気がないことが伝わったらしい。脅迫文通りいよいよ本格的なサイバー攻撃が始まった。


 まず本社のシステムがハッキングを受け、社員のうち役職者の名前や顔写真、現住所や家族構成などがネットに流失した。

 次に、各作業所で現在進行形で使われている図面データや資料が共有のデータベースから次々と消えていくということが起きた。


 仁たちを苦しめたのは主に後者だった。

 たった今仕上げたばかりの仕事の成果が消える。共有のデータベースが空っぽになっても個人のデスクトップやゴミ箱にデータが残っていればセーフだ。

 しかし、中にはバックアップをとっていないものも多くある。その場合は記憶を頼りに復元するしかない。


 図面がないので作業が遅れ、現場の工程にも支障が出るが、工期は待ってはくれない。就業時間内で間に合うわけもなく日付が変わってもPCに向かっていた。

 終電で帰ることすらできず、仁は二日連続事務所に泊まり込んだ。カップ麺をすすり、コインシャワーを浴び、デスクの足を入れるスペースに身体をねじ込んで眠る。


 業務量に比例するように上司から部下への圧力もエスカレートしていった。

 ネットに流出した個人情報が役職者のもののみだったため、役職に就いていない平社員を疑う雰囲気が社内全体に漂い始めた。

 つまり内部犯の疑いということだ。


 仁はたまたま所長と階段ですれ違った際に会釈したところ、唐突に胸倉を掴まれた。結局、先日のように通りがかった橘が割って入ってくれ事なきを得たのだが。

 誰を信じていいのか分からず平社員の間にも嫌な空気が漂っていた。皆疲労とストレスでピリつき疑心暗鬼になり、互いに口をきかなくなって、結局寝ても覚めてもPCに齧りついていた。


 そんな状態だったから、金曜の夜に陽光の下で顔を合わせたシュテフィは仁の顔をまじまじと凝視した。


「君……大丈夫か?」

「なにが?」

「そんな顔では採集どころではないだろう。ちょっと待っていなさい」


 シュテフィに処方された小瓶の液体を飲むと鉛のようだった身体が次第に軽くなった。

 渡された手鏡を覗き、仁は納得した。夜中に墓地で出会ったら叫ぶ自信がある。


「まったく、たった二日でそんなにやつれるなんて君の世界の労働環境はどうなっている?」

「はは……世界というより、うちの会社の問題かもな」


 しばらく休むと先ほどまでの疲労が嘘のように消えた。

 シュテフィ曰く、完全に回復したわけではなくあくまで元気の前借りということらしい。栄養ドリンクのようなものだろうか。


 シュテフィが見つけた候補地はこの場所から少し離れているということだった。


「歩くには少し遠い場所でね。移動手段はいろいろあるのだが、今回はタクシーを呼ぼうと思う」

「へぇ。こっちの世界にもタクシーがあるのか」


 仁の脳裏に森の中を突っ切って来る乗用車が思い浮かんだ。

 こちらの世界の科学技術の発展度合いにもよるが、いまいち雰囲気にそぐわない気がする。馬車かもしれない。


「本来なら自力で飛んでいく距離なんだが、今回はプロモーションも兼ねて奮発するんだ。しっかり焼きつけたまえよ」

「ほー。自力で飛んでいく場合は、やっぱり箒に乗るのか?」

「箒…………? その発想がどこから来たのか分からないが箒は掃除用具だろう? 君、意外とユニークな発想をするんだね」


 釈然としない思いを仁に残したまま、シュテフィは家の外に出ると右手の人差し指を空に向かって真っ直ぐに突き立てた。

 そして唱える。


報告べリヒト緋色の旅団シャルラハブリゲートへ、グロース一機」


 彼女の指先から打ち上げ花火のような赤い閃光が放たれた。光はある高さで止まると青空に筆記体のような軌跡を残し、やがて白煙となって霧散した。


「おそらく十数分で着くだろう」


 そして彼女の言う通り、十数分後にそれは到着した。

 巨大な影と轟音と共に。

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