第12話 こちら魔王城前草むら
井上が意識を取り戻したとき、まず感じたのは湿った土の匂いだった。頬に触れる冷たい感触。目を開けると、そこは鬱蒼とした茂みの中だった。空は鈍く曇り、風が低く唸っている。
「……ここは……?」
身体を起こすと、すぐ近くにソジュンの姿があった。すでに目を覚ましており、前かがみになって茂みの隙間から前方をうかがっている。背中に緊張が走っていた。
「ソジュンさん、ご無事でしたか?」
井上が声をかけると、ソジュンは振り返らず、唇に指を当てて「静かに」と合図した。そして、茂みの先を指さす。
井上も身をかがめ、そっと視線を前方へ送る。そこには、巨大な黒い門がそびえ立っていた。重厚な石造りの城壁。その前に、二体の異形が立っていた。
人型の体に爬虫類の鱗、鋭い爪と尾、そして冷たい目。まるで人と獣の境界を踏み越えたような存在。アニメや漫画なら「リザードマン」とでも呼ぶのだろうか。だが、今目の前にいるそれは、創作の中の存在ではなく、現実だった。
門の両脇に立つ彼らは、長く鋭い槍を携えていた。槍の穂先は黒く光り、柄には金属の装飾が施されている。ただの武器ではない。儀礼的な意味も持つ、門番としての象徴のようだった。
「……あれは……」井上は息を呑んだ。
「わからん。が、確実に日本……いや、地球ですらない」ソジュンが低く呟いた。
井上は無意識に「サーチング」を発動した。空気、土壌、建造物、そして門番の生体構造——すべてが異質だった。だが、最も衝撃的だったのは、門の向こうにある巨大建造物の名称だった。
《魔王城》
脳内にその言葉が浮かんだ瞬間、井上は思わず目を見開いた。
「……魔王城……?」
「なんだって?」
「いえ……“サーチング”で、あの建物の名称が……“魔王城”と出ました」
「……冗談だろ」
「私も、そう思いたいです」
二人はしばし沈黙した。だが、状況は待ってはくれない。リザードマンたちは微動だにせず門前に立ち続けているが、いつこちらに気づくとも限らない。
「とにかく、ここから離れましょう。見つかれば、ただでは済まないはずです」
「同感だ」
二人は身を低くし、茂みの中をゆっくりと後退し始めた。枝が擦れる音すら出さぬよう、慎重に、慎重に。井上は「サーチング」で周囲の気配を探りながら、足元の草や石の配置にまで気を配る。
だが、次の瞬間——背中に何かがぶつかった。
「……っ!」
反射的に振り返る。最初は木か岩にでも当たったのかと思った。だが、そこにあったのは、まったく別の“存在”だった。
巨大な影。体長は優に10メートルを超える。黒くぬめった皮膚に覆われ、脚は太く、地面を抉るように立ち、背中には棘のような突起が並んでいた。そして、顔の中央には、ぎょろりとした目が2つ。その視線が、確かにこちらを捉えていた。
「……な……んだ、これ……」
井上の声が震える。ソジュンも振り返り、目を見開いた。
「動くな……」
だが、遅かった。怪物の目が、じっと二人を見据えている。その瞬間、空気が凍りついたように感じた。井上の「サーチング」が、怪物の性質を読み取ろうとしたが、情報が錯綜し、形を結ばない。まるで、存在そのものがこの世界の理から逸脱しているかのようだった。
「ソジュンさん、逃げ——」
言い終える前に、視界がぐにゃりと歪んだ。重力が崩れ、音が遠のいていく。井上は膝をつき、そのまま地面に倒れ込んだ。ソジュンも同様に、力なく崩れ落ちる。
再び、意識が闇に沈んでいった。
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