カードチャプター3‐美しき夜の惨劇

第6話 小五が妊娠!?


          01


 今日は楽しい月曜日。オフィス街の歩道脇を歩く美夜は、ルンルン気分で鼻歌を歌っている。これから超大型ショッピングモールに向かい、娯楽の尽きることがない施設を満喫する予定なのだ。最近ファッション系やネイル系の新店舗が開かれたため、それ目当てでもある。

 美夜の前方から成人男性の対向者。既に道路脇を歩いている美夜は中央に寄って避ける。だがなんとも言えない不審な予感。男は盗み見るようにチラチラと、バレバレな視線を寄越している。変人に対して首をかしげる美夜だが、特に興味はないので突き進む。そして男とすれ違う瞬間、よくわからないことが起きた。人ひとりぶんの間隔を空けていたはずが、美夜の肩と男の体が接触する。ぶつかった。こういう場合は“あ、ごめんなさい”と言うのが筋だが、どうもおかしい。


 刹那、美夜の思考は瞬発する。

 そして今の男は、と認識した。


「おい」


 すれ違った瞬間、呼びかけた美夜は、膝を折って床に敷くよう屈み、つま先を曲げて男の足を引っ掛ける。


「おわっとっとっ!?」


 つまずいた男は片足でジャンプを繰り返してなんとか転ばずに済んだ。次の瞬間、背後から殺しにかかってくるような気配。人生で初めて受けたというものに驚いた男は硬直。

 対する美夜は、人生で初めて膝カックンを繰り出しつつ、男の背広とズボンのベルトを掴み取って足腰に踏ん張りを利かせた。


「どわぁっ!?」


 自動車のクラクションがオフィス街に反響する。膝カックンによって車道側に突き出された男はガードレールに乗り出しており、九死に一生の心地で、美夜にベルトを引っ張られて助けられていた。否、どちらかといえば命を握られていた。美夜が手を放せば、男は車道側に転げ落ちる。そのあとは想像もしたくないだろう。


「あら~気をつけないとダメですよ~? もっと自分の命、大切にしなきゃ~! おほほほ~」

「……ッッ!!?」


 男の顔は引きつっている。このような恥辱は人生で何度受けたか分からない。

 対する美夜は相手の表情を確認したかったが、どうせ引きつっているのだろうと予想して言葉を続けた。


「それとも……ここ露店? なら────? 


 子供らしい高い声が急落して、鋭く低い声が轟く。

 恐怖というものが骨身に響くまで実感した男は、全力で首を横に振った。喉が引きつって声も出せない。目と鼻の先で自動車が横切った瞬間、突として体が軽くなる。ガードレールを乗り越えてしまう。頭から道路脇に落下。自動車のクラクションが迫る。絶叫を上げながら紙一重で回避。振り返ると、自分をこんな目に遭わせた少女の背中は、ルンルンと鼻歌を歌って立ち去ろうとしていた。それを男は見届けることしかできない。


 否、反撃の方法はある。最近入手したカードを、懐から取り出した。


「あら?」


 クソみたいな人間を退治した美夜は、内心ではもやもやを抱えつつ、眼前にクソみたいなクラスメイトを発見。アルファである。彼は整った顔立ちで爽やかに微笑み、見知らぬ成人女性と会話に花を咲かせている。


「やはり俺の見立てに狂いはなかった。あなたのような身も心も可憐で美しい女性とお近づきになりたかったんですよ。もしよろしければ、どうです? このあと、ふたりでお茶でも」

「そ、そんな……こまります……」

「たしかに今は出勤時間。あなたの職種は存じ上げませんが、これ以上引き止めるのは私も心苦しい。だが離れたくない気持ちも真剣だ。ならば、俺の名刺を渡しておきましょう」

「名刺……え、代表取締役って……」

「おや。そこに目を付けますか。たしかに相手の懐は気になりますもんね」

「!!? あ、えっと、その……い、今のは……!」

「ははっ! すみません! ただのいじわるです! 困った顔も可愛らしくて、俺のほうが困っちゃいますね!」

「────~~~~っ!!」


 内股で身を揺らす女性は俯いているが、背後からでも分かる。明らかに満更でもなさそうだ。絶対に頬は火照っており、羞恥に顔が歪んでいるはず。それも無理はないと美夜は考える。アルファは顔だけは良いのだ。世に言うイケメンというもの。スーパーイケメンとほめたたえても過言ではないだろう。その上、たくましい肉体に冴え渡る頭脳。育児が好きで料理も好き。処世術に関しては図抜けている。いわゆるスパダリというものだ。それがなんの略称なのかは知らない。周囲の人々がそのように呼ぶため、なんとなく覚えてしまった。ただしアルファには重大な欠点がある。それは極悪的に最善的な素晴らしいふざけた性格と、兎前様を口説き落としかねない魂のイケメンさだ。

 いつもの美夜なら無視して通り過ぎている。しかし今日は感謝をするべきだ。それに、まともな人間として生きるなら、やはり挨拶と感謝は欠かせない。それが普通の人間というものだ。ならば実行しよう。美夜は駆け出した。


「おはようアルファ! ねえ聞いて! この前教えてもらった“防犯ひざカックン”を実行したわ! もちろん相手が百パー悪い時に使ったから暴力じゃないわよね! こういうの正当防衛って言うのよね?」

「──……あー。うん。ちなみにどういう状況で使った」

「明らかにぶつからない距離で歩いてたのに、向こうからぶつかってきたのよ!」

「ははぁん。弱そうなお前を狙ったんじゃね?」

「はっ! そういうこと!? まったく女子供にイジワルするなんて、やれやれだわ……このこと兎前様にも報告したいわね。私、初めて事を起こさずに解決できたって! きっと褒めてくれるはずよ! じゃ、そういうわけだから、ありがとね、アルファ! でもそろそろ行かないと遅刻するわよ! じゃーねー! ほんとにありがとねー! でもいつか死んでねー」


 挨拶もお礼も会話も済ませた。美夜は走り去る。

 怒濤の感謝づくしをされて取り残されたアルファは、なんとも言えない間の悪さに呆れて色々と諦める。

 対する成人女性は、ぽかんとしていた。


「……あの、さっきの子は……? 小学生くらいですよね? 遅刻って……」

「んー。そのですねぇ……」


 アルファは信条に則って白状することにした。嘘はつきたくないし、騙すこともしたくない。あわよくば本当のことは隠してお付き合いするつもりだったが、バレてしまえば明かせば良いだけのこと。アルファは速やかに一歩引いて、折り目正しく九十度、頭を下げて謝罪する。


「すみませんでしたぁあああ! 理治学園小学部五年生! アルファ! 淫行条例に反しますので撤退します! 本当にすみませんでしたぁああああ! でもまた縁があったらそのときは十年後にでもぉおおおお!」

「えっ……えぇえええ────!?」


 女性は声を上げて驚く。自分を口説きに来たスーパーイケメンは、体格や言葉遣い、会話の端々に感じる知性の冴えから、絶対に年上と思っていた。

 アルファは泣いて駆け出す。もう少しでラブホにゴールインできたのに。美夜に悪気は無いのは理解しているが、これは一言注意しておかなければ再発する。そんな可能性を考慮して追いかける。親から授かった自慢の体格と脚の長さで駆け抜けるアルファは、美夜に追いつき、その首根っこを引っつかんで持ち上げた。


「きゃっ?!」

「お前マジでふざけんな! お礼なら後でも言えるだろ! もう少しでお持ち帰りできたのによぉおお!」

「なによ! ありがとうは、いいことのはずでしょ!? 何がダメだったのよ言ってみなさいよ!!」

「いま言っただろぉおおお!? テメェの耳の穴はどこに通じてんだぁあああああ! ちくしょぉおおおおお!」


 アルファは我慢ならない気持ちを爆走することで消化する。美夜をお姫様抱っこして登校。


「ちょっとなんで抱っこするのよ自分で歩けるわ! それともお礼を言ったらタクシーもらえる文化でもあるわけ?」

「これだからEランクはよぉおおおおおおお! なんかズレてんだよなぁあああああ!」

「あんだケンカ売っとんのかゴルァアアアアア!? こっちもそれは自覚して頑張ってんのよぉおおおお!!」

「知ってるよぉおおおお! いいことなんですけどぉ! それでも今のは、ちょっと俺にとっては空回りなんだよぉおおお!」


 美夜を抱き上げるアルファは、学園の正門を通過。外靴のまま裏口に回って非常階段を駆け上がり、室外機などを踏み越えて四階のベランダまで跳躍。ベランダの手すりに飛び乗って走り、ベランダからベランダを駆け跳んでいって、9組に到着。窓を叩く。

 字螺訥ヶ里が気づいたので窓を開ける。アルファは荷物を放り投げた。


「きゃあ!? ちょっとなんで放り投げるのぉ!? 私そんな悪いことしたぁ!?」

「してないけど俺にとってはしましたァ! おら早く兎前に報告しろや! そのあとみっちり情操教育じゃこのやろー!」

「ハァまた説教!? いやだー!」

「些細なことでも空気を読めるようになりたいと言いだしたのはどこのどなたでしたっけぇええ!?」

「ンッ」


 美夜は痛いところを突かれて固まる。


「まぁ今回は俺の個人的な苛立ちが大きいんですけどぉおおお!? 怒りというほどではないからぶっちゃけ無視してもいいんですけどぉおお!?」

「わかったわよ受ければいいんでしょ! なんでそんなに怒ってるのか細かく教えてもらうわ! ──それで兎前様はどこ!? 私お話したいことがあるの! 初めて相手をケガさせずにケンカを終えることができたのよ! 褒めて褒めて!」


 美夜は兎前杏沙の座席に振り返る。そこには、とても太った兎前杏沙が座っていた。美夜は目を点にする。というのも、太るという言い方は正しくなかった。腹部は丸くなっているものの、頬や腰の肉付きはいつも通りだ。そう、正しい言い方をするなら、その造形・体型は────


 ────九ヶ月目くらい。


「なんか妊娠しちゃった」


 受け入れがたい現実が、兎前杏沙の口から放たれる。美夜は激怒した。絶望するより早く、かの邪智暴虐な女好きを地獄に送らねばと決意した。そっと腰から果物ナイフを取り出す。いつデスゲームに巻き込まれてもいいように護身用として携帯していたが、よもやこのような場面で役立つとは思わなんだ。振り返り、窓に足をかけて絶句しているアルファをブチ殺さんと、発狂して飛びかかる。


「アアアアアアアアアアα×※○α×※○#△────!!」

「なんで俺だぁああああああ!? 違う違う俺は知らないガキの体に興味はないマジでホント違う絶対に違うそもそも子供作る気もないし兎前を抱いたこともない信じて頼む後生だ真剣マジでェエエエ!!!」


 絶叫と絶叫の激突。アルファの武術と筋力なら、素早く美夜の両手首を掴んで、股間のイチモツを噛み潰しにくる顔の接近を靴裏で踏みのけることは造作もない。


「じゃあなんで妊娠してんのよぉおおおおおお!」

「知らねぇえええええ! 俺が知りたいわぁあああああ! おい字螺一言で説明しろぉ!!」

「兎前ちゃんも知らないって。一応お腹に耳を当てたけど、ゴロゴロ鳴っててそれがなんの音か分からなかった」

「アルファぁああああああ!!」

「だからなんで俺だぁあああああ!? おい兎前いつからお腹が膨らんだ!? この前の定食屋で解散してから何があった!?」

「ついさっき。何もない」

「アルファぁああああああイヤァアアアアアアア!!」

美夜おまえは理性を取り戻せ! ──……つか、おいこれ、カードの仕業じゃねぇのか!?」


 ピタリと美夜の狂乱が止まる。

 アルファにとっては、うるさい美夜を止めるための口からでまかせだったが、やはり冷静に考え直してみても、その線が濃厚に思えた。ただしカードのせいではない可能性も万が一にあるかもしれないため、そちらの推理思考も並行して考えておく。


「僕もその線を疑ってた。いつ兎前ちゃんのお腹が裂けてエイリアンが出てきてもすぐ殺せるように待機してた」

「字螺それは素晴らしい発想だ」

「怖いこと言わないでよ。もしかしたら闘えるかもしれないじゃん。殺すのは早計」

「私……兎前様の子供、愛せるかしら……」

「とにかく、もしこれが“攻撃”だとしたら、いったい犯人は何がしたいんだろう?」

「はい。ついさっき恨み買った奴ー手を挙げてくれー」


 アルファが問いかける。

 9組の誰も手を挙げない。身に覚えがないのだ。


「……身に覚えがないだけで、ついさっきなんかやったかもしれないと思ってる奴、手を挙げてー」


 アルファ含む全員が手を挙げる。


「これだから俺たちはよぉおおおおお!! ついさっきまで何やってたんだお前らはぁあああああ!?」

「ははは!」

「字螺笑ってる場合じゃないわよ! アルファどうするの!?」

「わからん! なんか思いついた奴から言ってくれ! なんでもいいからヒントがほしい!」


 アルファがそう言うと、兎前杏沙が手を挙げた。


「結婚は愛の証。妊娠は愛の現象」

「望まぬ妊娠は愛の現象じゃねぇだろ。──……少なくとも今回の場合ケースでは」

「たしかに」

「だが言わんとするところは了解した。愛に関する概念で攻撃を受けた可能性を考慮しているわけか。……で、あのさ。俺この手の推理は、どれだけ確実性が高くても、メタが過ぎてつまらなくてイヤなんだけど……もうぶっちゃけていい? たぶん俺、答え知ってるわ」

「?」

「これ美夜のせいじゃね?」


 アルファほどの人格と頭脳を持つ人がそのように言うのなら、それはきっとそうなんだろう。全員の視線が美夜に向く。


「────なんで私なのよぉおおおお!? 男だって言いてぇのか貧乳でごめんなさいねぇ! でもまだ発展途上よぉおおおお! アソコもついてないわよぉおおお!!」

「いやそうじゃなくて。“ついさっき”なんだよな? 美夜、お前、“膝カックン”……」


 膝カックン。

 その一言で、美夜はまさかと訝しむ。


「え……じゃあなに。あのクソ野郎が、なにかしたってこと?」

「知らん。仮説の飛躍を重ねる妄想の域でモノを言うなら……『対象が愛情を抱いている人を妊娠させる』とか?」


「あれ。なんか漏れる」


 突然、兎前杏沙が、そんなことを言った。どういう意味だろう。いや、この状況で意味なんてひとつしかあるまい。感情が希薄ゆえ、常に無表情の兎前杏沙は……よくよく見るとおでこから大量の汗が滲み出ていた。


「わお……おなか、なか、めっさいたい……」

「お前ら出産経験のある大人ァ! 字螺は担任ン! それぞれ呼んで来いそれ以外のことは死んでもするな! パンナ死ぬほどタオル持って来い俺はお湯を持ってくる美夜は兎前についてろ!」

『うわああああああああああ────!?』


 9組の大騒動。叫んでいるが実のところ全員あまり焦っていない。クラスの全員が、速やかにアルファの命令を実行に移す胆力を持っていた。

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