第8話
言いたいことは、他にもあるように思う。曖昧で形のない、けれどとにかく伝えたいものが、朝香の内側を回っている。その輪郭をはっきりと確かめる前に、堤防の上から、慌ただしい足音が近付いて来た。始まり、あるいは終わりをもたらす乱雑な音だ。
深く息を吸い、全身に神力を巡らせる。同時に、最後の迷いを断ち切った。
「権能のついでに教えておくと、私は神力がすごく弱い」
先のことを考えるなら明かすべきではない情報を、意を決し、差し出してしまった。そうしても良いと思ってしまうくらい、伯弥はあまりにも、誠実だった。背中を預けるに足る人物だった。災神だとしても。
「身体強化をしても、人より少し素早く動けるくらい」
身体強化は、ほとんどの神が最初に身に付ける業だ。分類としては神祈。人間への作用は権能のみ、なのだが、自身の身体だけは例外となる。神力が、身体の内側で作られる力であるため、というのが通説だ。
どれだけの恩恵を受けられるかは、宿した神力の強さで決まる。強ければ強いほど、得られる力は大きい。逆に、極端に弱いと、ないよりマシ程度の範囲に収まる。
朝香には、蛍のような人間離れした怪力で、全ての不利を跳ね除けることはできない。だからいつも武器と、扱いの難しい権能に頼ってきた。
「神祈も、今はこれが限界」
朝香が川面に手のひらを翳す。するとそこに引き寄せられるかのように、水の塊が浮き上がった。人の頭ほどの大きさのそれは、ふるりと震え、形を変えようとし、しかし次の瞬間、呆気なく弾けてしまった。
身に宿す神力が強ければ、より多くの水を、自在に操ることができる。武器として活動することさえ可能だ。しかし朝香の持つ力は、神の中でもかなり弱かった。浮かべた水の形を保つこともままならない。
これでも努力の末、成長しているのだ。昔は水滴を飛ばすのがやっとで、市井の奇術師にすら劣っていた。
「……本当に逃げなくて良かった?」
気遣わしげな伯弥の問いに、朝香は強気な笑みを返す。答えは決まっていた。伯弥も、知った上でわざわざ聞いているのだろう。
「自分の実力を把握した上で残ったの。余計なお世話」
生き残るための細い糸は、端を微かだが掴めている。後はそれを、できる限りの全力で辿るだけだ。
頭上に四つ、影が差す。左右にそれぞれ二人。先刻の失敗を踏まえ、人員を分散させて対応するつもりか。そして戦略は、高い所からの射撃。客観的に見て、朝香たちはかなり追い込まれた状況だ。
だが、男たちを見上げた伯弥は、鮮やかに、迷いなく、堂々と告げる。
「助かるよ。その選択、後悔させないぜ。お前に最高の勝ちを贈ってやる」
彼の声には生への希望が溢れていた。生きるのだと、こんな所で終わるつもりはないのだと、雄弁に語っている。それだけのことが、朝香には嬉しかった。
銃声が四つ、連続して響く。伯弥が素早く対応し、朝香の腕を掴みながら飛び退く。撃ち出された弾が向かう先を読んでいたかのような、最低限の動作。これも彼の能力の一端なのだろう。
通常、狙いが分かったからといって、近距離で放たれた銃弾を避けることなど不可能だ。それを可能にしてしまう神の強さに、男たちが狼狽し、次弾が遅れる。
僅かな隙を、伯弥は見逃さなかった。泰然と肩を竦め、煽るように口元を吊り上げる。
「いい加減に気付け。どれだけ撃っても、俺に銃弾は届かないぜ」
嘘、とは言いきれないが、随分なはったりを利かせたものだ。念の為足の怪我を隠しておこうと、朝香は伯弥の足元へ水を集めた。それは直ぐに飛沫になってしまうが、壊れた方がむしろ自然に誤魔化せる。
「しかも残りは九発? 後に控えた仲間の分を集めてもそれだけか。少し心許ないな」
「根拠の無い妄想だ。舐めてかかるとどうなるか教えてやろう」
言い返す言葉こそ強気なものの、挑発に乗った男の額には冷や汗が伝っている。伯弥の指摘が的を射ているらしい。
恐らく今なら、あの男に神託を通すことができる。勝ちへの道筋を見出せず、戦意はぐらついているはずだ。
しかしそのためには、もう一つの発動条件を満たす必要があった。「神託を下す」と、対象の意識に服従心を刻むための呪を紡ぐ。それが届いてようやく、神託は力を発揮する。
だが、声を張ることができても、一人を支配するために、残る三人に時間を与えてしまう。それに、支配が続く時間が読めない。不安要素が大きい以上、まだ機を待つべきだろうか。伯弥を信じて。
「我々の縄張りを荒らしたこと、あの世で後悔しろ!」
別の男が叫び、引鉄を引く。銃口は朝香に向けられていた。しかしそれも、伯弥が朝香の頭を押さえ付けて下げさせたため、空を切った。
「女を狙え!」
先程から朝香が庇われがちなのを見抜いたらしく、指示が飛ぶ。弱点だと思われるのは癪だが、耐える。道を拓くのも、強さを示すのも、伯弥に任せておく。
「妥当な判断だ。何せこいつは、勝利の女神様だからな。けど」
新たに飛来した弾から逃がすついでのように、伯弥は朝香を腕の中に抱き寄せた。冷えた体が温もりに包まれる。ここまでする必要はないだろうと思っても、肩に添えられた腕の力は強く、離れられなかった。
「こいつに傷一つでも付けてみろ。お前の娘は同じ目に遭わせる」
耳元で響いた声は低かった。陰惨な気配を含んだそれに、伯弥の視線の先で一人が身を固くする。
まだ残弾はあるはずだが、銃撃が止む。男の躊躇は、警告の効果を表している。隣で仲間が怪訝そうな顔をするのが見えた。伯弥が握っているのは、彼らでさえ知らない情報のようだ。
「そっちのお前は――そうだな、金庫からちょろまかした金の使い道でもぶち撒けてやろうか?」
今度はどこか、嘲りを込めた調子で首を傾げてみせる。それを向けられた相手は、両目を見開き後ずさった。銃を握る手が震え、顔は青ざめている。
「で、出鱈目だ!」
打ち消すが如く叫ぶ声は裏返っていた。自棄を起こしたのか、狙いも定まらないまま何度も引鉄が引かれる。そのでたらめな軌道を、伯弥は冷静に見極め、躱していく。
しかし直後、伯弥の動きが鈍くなった。ふらりと体が揺れ、朝香に体重が預けられる。左足を庇うような姿勢だ。顔には笑みが浮かんでいたが、きつく歯を食いしばり、痛みに耐えているのが分かる。限界が近い、いや、とうに超えているのだ。
まずい。敵が伯弥の状態に気付けば、制しつつある場が覆される。攻撃が通じないからこそ築けた有利が、伯弥の努力が、全て無駄になってしまう。命も危ない。最悪の事態だけは阻止しなければ。
だが、どうやって。乗せられた重みを必死に支える朝香の背筋に、冷や汗が伝い落ちる。まだ一人、戦意を奪えていない相手が残っていた。
まずは伯弥が敵の弱味となる情報を探り、動揺させる。四人が動きを止めた所に、朝香の神託による拘束を試みる。それが、朝香と伯弥の間で、無言のまま練られた作戦だ。
最後の男は、何もせずとも既に怯えていた。このまま朝香たちに負ける可能性が、脳裏に過ぎってしまったのだろう。そこを突けば抑え込めるかもしれない。
とはいえその可能性は低く、ほとんど賭けだ。神託が通らなければこちらが負ける。自分の手に行く末が乗っていると自覚した途端、途方もない重圧に折れそうになった。
「――負けてたまるか」
朝香は小さく呟き、いつの間にか固く握っていた手のひらを解いた。悩んでいても時間を浪費するだけだ。この程度の重さに怯んでいてどうする。責任を負うことなど、分かっていたはずだ。戦う道を選んだのは、朝香自身なのだから。
忍び寄る不安を振り払い、決意へ変える。迷いも、怯えも、ここに捨てる。この先に必要なのは、全てを捩じ伏せる強い気持ちだけだ。
体の内側で神力が渦を巻く。溢れたそれが風となり吹き荒れる。
「よし、やっちまえ」
支えられ、立っているのもやっとのはずの伯弥が、朝香を励ますべく背中を叩いた。
一瞬とはいえ折れそうになったのを知っているはずなのに、伯弥の顔に不安はない。ただ毅然と、全てを朝香へ預けている。
「任せて」
今一時だけの虚像に過ぎないとしても、彼の信頼に、応えられる自分で居たかった。
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