第20話 恩人
騎士になって早々、僕は馬車に乗ってオリヴァーの元へ向かっていた。正直かなり憂鬱だ。
ここから眺める景色は、どれだけ立場や状況が変わろうと、なにも変わらない。緑の生い茂ったのどかな自然が風に煽られ、草花が擦れ合う音と、馬の足音が、心地よく耳に響いた。
どうやら『騎士』というのは、自分の部隊を保有するものだそうだ。
しかしあいにく自分には人を従わせる力量もなければ、人脈もない。自分には必要ないと話すと、奴隷決闘士を自分の部隊として引き入れるのはどうかと提案が出た。僕はたまらずそれを否定したが、これからの奴隷政策としてもいい宣伝になると、半ば強引に決定されてしまった。
もちろんあそこに居た決闘士たちとはそれなりに仲は良かった。互いに飯を作りあったり、掃除やら洗濯やらを助け合いながら共に生活したものだ。
国直属の部隊に入れるという提案は、彼らにとっても非常に魅力的なことだろう。決闘士ほど危険ではないし、それでいて一定の給料に、何より奴隷という立場から卒業できる。
僕にとっても彼らにとっても、この提案は双方の理にかなっていた。
だけど現に僕は非常に憂鬱だ。それはオリヴァーの存在があるからだ。
彼は僕とヴォルトが共に宮殿に行ったことを知っている人物だ。そしてあの夜の口ぶりから、彼は僕の企みに気づいていたのだろう。
僕は彼に顔向けできるような男でないと自覚していた。そして彼もまた、僕と会いたいとは思わないに違いない。
嫌だ嫌だと口にしても、馬車が進む限りその時間は刻一刻と迫っていた。それも見慣れた景色とあっては、後どれくらいで着くというのが予測できてしまうものだから、さらに憂鬱を加速させた。
そしてついに到着してしまった。小さな丘の上に、見慣れた懐かしい木の柵が、徐々に上から姿を表し始める。微かに木刀のぶつかり合う音が聞こえてきた。
その音が聞こえた途端、僕は大きくため息をした。しかしここまで来てしまうともう引き返すことはできない。
僕は頬を両手で軽く叩き、勢いよく馬車から飛び降りた。飛び降りた瞬間、風が体全体に吹き込んだ。丘の上ということもあり、風を強く感じた。
まさかもう一度ここに来ることになるとは思いもしなかった。荷台から降りれば木刀のぶつかり合う音はさらに大きく聞こえた。
意を決して入り口へ向かうと、柵の外にある石の上で、オリヴァーが酒を飲んでいるのを見つけた。酒瓶を直接飲み、口を腕で拭いては、一呼吸置く。その一連の動作をただ遠くを眺めていた。
僕は彼の方へ体を向き直し、再び歩き始めた。
一体どうやって声をかければよいのだろう。「久しぶり」「元気してた」色々と言葉を考えるが、どれもしっくりこない。
そんなことを考えていると、もう寸前のところまで迫っていた。僕は咄嗟に歩く歩調を遅くする。まだ考える時間が欲しかった。
「久しぶりだな…。調子はどうだ」
先に声をかけてきたのはオリヴァーだった。僕がしっくりこない始まりの言葉も、彼は自然と僕に投げかけた。しかし彼の目線はまだ遠い空を眺めるばかりだ。
「久しぶり。…こっちはこっちでやってるよ…」
とても元気でやってるなんて言えなかった。オリヴァーは僕の言葉を聞くとただ「そうか」と口にするだけだった。一層強い風が僕らの間を吹き抜けた。
するとオリヴァーが突然立ち上がり、ゆっくりとこちらを振り返った。一月か二月見ないだけだったが、彼は一層老けてしまっているように見えた。目に隈を見せ、どこか弱々しい印象を与えた。
オリヴァーは僕をじっと見つめた後、そのまま視線を外し木の門に向かって歩き始めた。僕の横を通り過ぎる時も、彼は僕と目を合わすことはなかった。
「まあ、上がっていけ。何か用があって来たんだろ?」
振り返ることなく、歩きながら喋りかけた。
「そんな時間を取ることはないよ。実は…」
「はいはい、部屋で聞くから。早く来い」
オリヴァーは僕の言葉を遮るように言葉を重ねた。右手で頭をぽりぽりと掻きながら、のそのそと歩く背中を、僕はしばらく見つめていた。彼の背中が小さく感じるのと同時に、これがオリヴァーだったなと、懐かしさも感じていた。
しばらく見つめていると、オリヴァーがどうしたのかと立ち止まり、こちらに目線だけを振り返らせた。僕は慌てて彼の背中を追いかけた。
オリヴァーの部屋に招待されると真っ先に懐かしさを感じた。
このなんとも言えない木の香りと、男たちの汗というか、食材の匂いというか、ここで生活をしないと伝わらない、ここでの生活全ての香りが蓄積したような、そんな懐かしい匂いと共に、ここの部屋はこんなにも狭かったか、逆にこのソファーはこんなに大きかったかと、自分の記憶違いのところを修正するように、あたりをキョロキョロと見渡していた。
「改めて久しぶりだな」
そ言うとオリヴァーは、机の上に見たことないコップを置いた。中には見慣れたお茶が淹れられている。
「うん、久しぶり。…コップ新しいの買ったんだ」
「いや、これはお客様ようだ。お前が見覚えのないのも無理はない」
「……そっか」
「それで、なんしにここに来たんだ?」
オリヴァーが音を立てながらお茶を一口飲む。一呼吸おいて、コップを両手で大事そうに持ちながら膝に置いた。彼の目線は僕に向けられず、ずっと下にあった。
「ああ、僕騎士になったんだ。アゲハ姫を助けたからって…」
「……そうか」
「それで、騎士って部隊を持たなきゃいけないみたいなんだけど……ここの訓練中の決闘士を」
「ああ、そういうことか。好きにしな」
あっさりと承諾されてしまい、僕は思わず聞き返した。
「ああ?聞こえなかったか?好きにしろと言ったんだ。その方があいつらも幸せだろう」
「……いいのか、本当に」
「何度も言わせるな。話はそれで終わりか?」
オリヴァーはめんどくさそうな顔をして、耳をぽりぽりとほじりながら答えた。
僕の用事がもう終わってしまった。しかし、こうもあっさり終わってしまうのは自分の中でモヤモヤとした気持ちが残り続けてしまう。
「聞かないのか……?あの日のことを……」
オリヴァーの手が止まった。僕の言葉を聞いた途端、目を暗くする。
「……聞いて何になるってんだ」
「何って……なんかあるだろ!なんであんなことしたとか!恨み節を僕に吐いたっていいじゃないか…」
「そんなこと言ったって何になるんだ…。私はあの日、お前たちを止めたなかった…」
「それでも…!それでも……」
言葉が出てこず俯いてしまう。
彼から恨み節の一つや二つ聞きたかった。彼から突っぱねて欲しかった。僕の悪意を知っていた彼にだけは、僕を許して欲しくなかった。
それなのに彼は僕を責めない。僕以外で僕を責めることのできる唯一の男は、どうと言った反応も見せず、ただ淡々と僕と会話をするだけだった。
それがたまらず悲しかった。
そんな僕を見て、オリヴァーはたまらずため息を吐いた。
「全く、そんな顔することないだろ」
「だって…」
「お前はそういう選択をした。その結果、姫さんにお近づきになれたんだろ?これ以上ない結果じゃないか。何が気がかりだってんだ」
「だって僕はとても許されないことを…」
「それは私も同じさ。お前たちを止めなかった。だから、私にお前を責める権利はない」
「そんなこと…」
「私からお前に言えることは何もないんだよ…。お前は自分のやったことの結果に身を委ねてればいいんだ。それが一番楽の道だぞ」
「僕は楽をしちゃいけない人間だろ!こんなことをして!こんな幸せで!頼むよオリヴァー、頼むから僕を悪人だと罵ってくれ。僕を裏切り者だと蔑んでくれ…。僕に……優しい言葉をかけないでくれ……」
声を震わせながら言葉をぶつけた。彼はただ黙っているだけだった。
オリヴァーは自分で入れたお茶を、わざとらしく音を立てながら飲み始めた。
彼がお茶を飲み干すまで、僕らがこの部屋で会話をすることはなかった。
決闘士の皆んなに部隊に入ってほしいと説明をすると、皆どっと湧き上がった。近くの者と抱きしめ合ったり、ありがとうと目に涙を浮かべながら僕に握手をするものと、各々が賛美の声をあげていた。
もう彼らに入隊を希望するかを聞く必要もなかった。
既に空は夕日でオレンジ色に染まっていた。
僕は自分の部隊を手に入れるという目的を終え、早足で馬車に向かった。早く姫様の元に帰りたかった。彼らの笑顔も、オリヴァーの優しさも、全てが僕の胸を締め付けて苦しかった。
僕は彼には悪人扱いしてもらいたかった。その方が開き直れると思ったからだ。
自分の行動を後悔しているわけではない。彼を裏切ったことで得られた恩恵は、確かに僕を幸せにしてくれた。
しかし僕の善人の心がこの幸せを否定いてくる。こんなことをして許されるはずがない。こんなことをしておいて、お前が幸せになっていいはずが無いと、僕を訴え続ける。
しかし否定したからどうだ。彼は生き返るのか?これ以上の結果が望めるのか?…僕は幸せになれるのか?
全てあり得ない。僕は確かにこの手で自分の幸せを手に入れた。僕は救われた。
なのにこの善人の心は、僕を否定し続ける。
だから悪人だと開き直りたかった。
誰もが僕を肯定してくれた。誰もが僕を英雄と敬ってくれた。そんな彼らの眼差しが、僕の善人の心を逆撫でし続けていた。
だからせめてオリヴァーだけには僕を否定して欲しかった。根っからの悪人として開き直って生きたかった。
そんなことを考えながら馬車に向かっていると、オリヴァーが馬車の日陰で僕を待ち構えていた。彼はいかにも落ち着いた様子だった。
彼の顔を見た途端、僕は立ち止まり、思わず怪訝な目を彼に向けた。
「何か用でもあった?」
「いいや。まあ見送りくらいはしてやらんと思ってな」
僕は彼の言葉に無愛想な反応を見せながら、馬車に向かって足を進めた。わざとオリヴァーの顔を見ないようにした。
しかし、彼の横を通り過ぎた途端、なぜか寂しい気持ちと、何かしてやらねばという思いが同時に込み上げてきた。
「なあ、オリヴァーもよかったら僕の部隊に入らないか?あなたが居てくれれば僕だって心強い!もちろんお金だって」
僕は彼の顔を見ずに尋ねた。これまでの自分の態度を払拭するかのように、わざと明るい口調で話しかけた。
「すまんなグラス。私はついて行けない。ついて行っていいとも思わない」
オリヴァーは僕の言葉を遮るように、あっさりそれを断った。
僕は彼の言葉に、なんとも言えない罪悪感や無力感に苛まれ、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
そんな僕を見かねて、オリヴァーが小さなため息をした後、僕に声をかけた。
「グラス、あれを見てみろ」
オリヴァーが指さす先には、先ほど話した決闘士たちが笑顔でこちらに手を振っていた。中には両手に口に当て、大声で「ありがとう」と叫ぶ者もいた。
「あいつらはお前のおかげで幸せになったんだ。お前の行動が、あいつらを笑顔にしたんだ」
僕はオリヴァーに視線を戻した。
彼の顔は日陰で隠れているが、とても穏やかな表情に見えた。
「いいかグラス。今は幸せだけを追い続けろ。それが今お前ができることだ。後悔する時間ってのは、嫌でも勝手に訪れるもんだ」
風が夕日の暖かさを日陰に運んできてくれた。僕は再び丘の上の彼らに目を向けた。あの丘の上にいる彼らには、暖かな光が確かに全身を包み込んでいた。
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