第22話 お茶会

その日はいつものようにマナーの講義が行われていた。今日は一室で文字の書き方についての勉強だ。

強制的にやらされる勉強というものは、苦痛極まりないものだったが、自主的に行う勉強は実に有意義な時間に思えた。

姫様に会って、勉強もできて、毎日が活気のある生活だった。


勉強を続けていると、扉の方から視線を感じた。お手伝いさんもその物音に気づいたようで、僕らは扉の方へ視線を向ける。すでにその物音の正体に気づいていた。


「姫様、そこでなにをされておられるのですか」


お手伝いさんの言葉にアゲハ姫が扉の方からひょっこりと顔を半分ほど覗かせた。目をキラキラとさせながらこちらを上目遣いで見つめてくる。あまりの可愛さにここで死んでもいいとさえ思った。ふとお手伝いさんんの方へ視線を向けるとお手伝いも息を切らしながら胸のあたりを抑えている。

どうやら僕らは同志のようだ。


「グラスと一緒にお話ししたくて来たのですけど…」


「アゲハ姫、見ての通りグラス様は現在勉強の時間にございます。この後の予定もございますから、どうか自重して……んな!」


アゲハ姫が涙目になりながらこちらを見つめている。よく見ると細かく震えて今にも泣き出しそうな様子だ。しかし僕たちはその姿にまた心臓を掴まれる。あれはまさにかわいそ可愛いというものだ。いや、あれははカワイイソだ!カワイイソ!


彼女の涙目にお手伝いさんも思わず根負けしてしまう。分かりましたと観念すると、アゲハ姫は弾けんばかりの笑顔をこちらに向け、お茶の準備をしてくるから庭で待っててと、どこかへ走り去ってしまった。


僕たちは彼女の姿が見えなくなった後、互いに深く息を吐き出した。彼女の一挙手一投足は僕たちの心臓に悪い。

僕らは見つめあった後、なぜか互いにガッツポーズをした。



宮殿の庭には、美しい花が咲き誇り、良い香りがあたり一面に広がっていた。その花の周りを蝶が優雅に飛び回っている。

そんな庭の中心に、屋根のついた柱があるだけの建造物が目に入った。その屋根の下に椅子とテーブルが用意され、彼女はそこに座って僕を待っていた。すでに紅茶と、なにやら柔らかそうな食べ物が用意されていた。

彼女は僕を見つけると笑顔でこちらに手を振った。僕もそれに手を振り返した。

彼女からは見えていないと思うが、僕の顔は口角を上がるのを必死に抑えている酷い表情をしていた。


席に着くや否や、彼女の服装や姿勢に目がいった。これまでは単に綺麗となんてことのない感想ばかりが思い浮かんでいたが、ある程度知識がつくと彼女の洗礼された動きというものは極限のレベルにまで達していることがわかった。

彼女の市民には見せない、姫としてではなく、彼女自身の魅力も分かってきたからこそ、彼女の動作一つ一つに尊敬の念を抱いていた。


僕がふと彼女の顔に視線をやると、なにやら恥ずかしそうに顔を赤らめて下に俯いていた。


「どうされました…?」


「いえ……ただじっと見られているとなんだか恥ずかしくって」


彼女が照れくさそうに頬をかきながらこちらに笑顔を振りまいた。僕は思わずすみません、すみませんと謝ると、なぜか彼女もすみません、すみませんと、続けて僕に返した。すると最初の会話が誤り合うという状況がおかしくて、二人で笑い合った。


「ふふ、今日はすみませんを禁止にしましょう!」


彼女はそういうとお茶を手に取り、僕のコップに注ぎ始める。


「ああ、わざわざすみません…」


「コラ、すみませんは無しですよ!」


「すみま……分かりました」


彼女がジトっとした目でこちらを見てきたので、僕は「すみません」をなんとか耐えることができた。彼女も満足そうに笑顔をこちらに振りまいた。


お茶がコップに注がれた途端、あたりにお茶のいい香りが立ち込める。その匂いに混じって、何やら甘い香りも感じた。


「姫様、このお茶は随分と甘い香りがしますね」


「ふふふ、気が付きましたか?このお茶はここのお花と一緒に淹れているんですよ」


彼女は笑顔で説明しながら、甘い香りのする紅茶を口に運んだ。僕も後を追うように紅茶を口に運んだ。

優しい甘さと紅茶の香りが口いっぱいに広がり「美味しい」と思わず言葉が漏れてしまった。僕は気づかれていないかと彼女に視線をやったが、彼女は満足げに笑いながら、もう一杯と言わんばかりに再び紅茶を入れてくれた。


それから僕らはたわいもない話を始めた。ここでの生活はどうだったり、最近の勉強の調子はどうだったりと、当たり障りのない会話をした。

僕は彼女とこうして話すことを、未だに夢なのではないかと、どこかふわふわとした気持ちになる。彼女も笑顔で話すので、彼女も楽しんでるんだと思うと嬉しくなった。

その時、彼女が目の前に置かれた食べ物を食べ始めた。柔らかそうなその食べ物は僕には馴染みのないもので、思わず彼女に聞いてみた。


「アゲハ姫、それはなんという食べ物なのですか?」


「ああ、これはケーキという食べ物ですよ」


彼女はそう言うと、自分にも食べてみなさいと勧めてくれた。僕は恐る恐るそれを手に取る。するとその柔らかさと軽さに驚かされる。そして一口でそれを口に放り込んだ。するとそれを口にした途端、甘さが口いっぱいに広がり、雲のようにすぐにとろけてしまう食感に驚かされた。あまりのおいしさに、興奮気味に美味しいと何度も口にした。


「…そんなに美味しかったですか?」


「はい、こんなに美味しい食べ物は食べたことがありません!」


「……そう」


僕は美味しさの感動のまま、興奮気味に答えた。彼女との食事なら、そこら辺の雑草も、高級食材に変貌してしまうと思うが、このケーキという食べ物は想像を絶する味だった。

そんな興奮している僕を見ると、彼女は嬉しそうに微笑むのだが、どこか寂しげな様子に見えた。


「どうされたのですか?」


「いえ、すみません!……いやすみませんはダメって言ったのは私ですね…」


僕は彼女にどうしたのかと声をかけた。彼女は目線を逸らすように下に向けたが、口をすぼめた後、言葉を探すようにして答えた。


「その…やっぱり私は『姫』なんだなと……」


彼女は寂しそうな顔をしたまま喋り始めた。その顔は彼女自身の姿でもあり、姫という立場の彼女も混じり合ったような、どこか曖昧な存在のように見えた。


「このケーキにはバニラという食材が使われています。高値で取引される高級食材ですが、私はいつでもこれを食べることができます」


さすが帝国の王女だ。しかし彼女の顔はどこか悲しみに溢れている。


「ですがそれは帝国が戦争でバニラの生産地を略奪したからです…。私がこうして楽しく生活できるのも。私がこうして美味しいお茶やケーキを楽しめるのも、全部戦争のおかげなのです…」


両手を膝の上に乗せ、ぎゅっと握りしめている。


「グラス、私が周りの諸外国からなんと呼ばれてるかご存知ですか?」


「いえ…」


「……悪逆の姫ですって」


「なっ!?なんであなたがそんな風に言われなければいけないんですか!?」


思わず立ち上がった。僕は激怒していた。

彼女は姫という立場ではあるが、この国の政治には一切関与していない。たとえ帝国があちらこちらで戦争をしていたとしても、彼女がそんな風に好き勝手言われるのは我慢ならなかった。

しかしそんな反応にも彼女は寂しげな笑顔を向けた。


「無理もありません。この帝国がやってきた行いを考えれば…。グラス、あなただって奴隷であったなら分かるでしょう?この国の現状を」


「しかし、それは姫様には関係のない…!」


「いえ、関係あります。私はこの国の姫なのです。たとえ私に出来ることがなかったとしても、私がこの国の姫である以上、帝国の罪は全て私の罪でもあります」


彼女の言葉をこれ以上否定できなかった。アゲハ姫を一人の少女としてそんなことは無いと断言したかった。しかしそれをしてしまえば、彼女の姫としての意思や覚悟を否定してしまいそうだった。

僕は彼女に何の言葉のかけてあげることができず、自分の無力さに拳を握りしめ、ただ唇を噛むことしかできなかった。


「私は戦争が嫌いです。ですがその戦争の恩恵を一番に受けている人物でもあります。私が戦争を否定すれば、彼らは何の為に戦ったのでしょう…。何のために死んでしまうのでしょう」


彼女の声が震え出す。


「だからせめて私は、彼らの行った責任と、それで得た恩恵、全て受け入れたいんです。たとえ他の国から悪逆の姫と罵られようと、私はこの国の姫の責任を果たさなければなりません」


彼女の言葉や意思に聞き覚えがあった。

ヴォルトだ。ヴォルトも自分の生まれ持った才覚のせいで死んでしまった友の為に戦いに身を投じた。彼女も自分が姫として生まれ、この国の恩恵を一身に受けるものとして責任を感じているようだった。

それでも僕はモヤモヤとした気持ちでいっぱいだった。彼女はただの女の子だ。彼女は姫である以前に一端の可愛い女の子だ。


そんな時、一匹のアゲハ蝶がこのお茶会にやってきた。舞遊ぶように羽をパタパタとさせている。

僕もアゲハ姫もその蝶にじっと見をむけた。するとその蝶は、アゲハ姫のお茶の入ったコップの上で止まった。きっと花香りのするこのお茶に誘われて、つい飲みたくなってしまったのだろう。

しかしその蝶は、しばらく止まっていると、うっかり足を滑らせ、お茶の上に落ちてしまった。

僕も彼女もあーあーと口にしながら、彼女はその蝶をすくい上げ、直ぐにテーブルの上に置いてやった。


「大丈夫でしょうか」


心配そうな声で蝶を見つめる。


「乾いたら飛んで行きますよ」


ふと庭園の方に目を向けた。彼女の事ばかり見て気が付かなかったが、周りには思っていた以上に、蝶が優雅に飛び回っている。この蝶たちの目的は、この庭に咲き誇る花の数々だろう。

美しい庭園に咲き誇る花や蝶の群れに、何とも言えない感動を覚えた。


その時、 オリヴァーの言った言葉が脳裏に浮かんだ。

あの時、丘の上で笑顔でこちらに手を振る決闘士たちを見て言った、あの決闘士たちを笑顔にしたのは僕だと彼は言ってくれた。


僕はテーブルに乗せる彼女の手に自分の手を重ねた。

彼女は驚いた様子でこちらを見つめる。


「アゲハ姫、僕も責任と恩恵について悩んだことがあります。自分はこんなに幸せで良いのかと、悩んだことがあります」


僕の言葉を聞いてアゲハ姫は何かを察したように、僕の手の上にさらに重ねて手を置いた。


「ヴォルトさんですね…」


「僕はその選択に後悔はありません。こうしてあなたと話せるのも、こうしてあなたと手を重ねられるのも、全部僕にとっては宝物のような時間です」


彼女が少しだけ、手を握る。その感覚も僕の手に伝わってくる。


「ですが、どうしても後悔だったりが僕を襲うときもありました。そんな時……僕の恩人が言ってくれたんです。あいつらを笑顔にしたのは僕だって。あいつらを幸せにしたのは自分だって。…そいつらが僕の部隊の仲間です」


重なり合うアゲハ姫の手をとり、顔の前に掲げた。彼女の手を強く握る。


「ここにいる蝶たちも、あなたの言う恩恵を受ける者たちなんじゃないでしょうか。あなたの笑顔だって、きっとこの国の人々の笑顔にするのではないでしょうか。

あなたの言う恩恵は、彼らにだって行き届いているんじゃないでしょうか」


彼女も強く手を握り返した。僕は彼女の目を真っ直ぐ見つめる。


「あなたの幸せは多くの者の幸せになります。だからせめて、あなたに向けられる責任を、騎士である僕にも引き受けさせてください!だから…だから…」


言葉が見つからない。自分の気持ちを、思いを彼女に伝えたい。

彼女の目をみる。するとその心配は必要ないのだと、彼女の顔を見てわかった。


「だから…あなたは僕らの為に、もっともっと幸せになってください」


彼女は目に涙を浮かべる。それでもどこか嬉しそうに、笑顔を僕に見せた。濡れた蝶は羽を乾かし、庭先へ飛んでってしまった。


僕は騎士という曖昧な称号に一つの役割を見出した。


『彼女を幸せにする』


この決意の為なら、僕は何でもするつもりだ。

彼女が責任から押し潰されそうになるのなら、その責任を肩代わりする。彼女が不幸を感じたなら、僕はその不幸を取り除く。

彼女を守る為なら、どんな手段も厭わない。


僕の決意が、彼女にも届いていると信じたい。この心に偽りはない。


彼女と見つめ合っている。顔に日差しがあたり、涙がキラキラと輝いている。

彼女は僕を信じてくれている気がした。

彼女との間に、硬い絆が生まれたという確信があった。


しかしその絆が、何を持ってして生まれたのか。彼女が、僕の何を信じているのか。

僕と彼女との間で、小さく、そして大きく食い違いがあった事に気がついたのは、そう遠い未来の話ではなかった。

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