第2話 部活
翌日、けいちゃんと下駄箱でばったり会った。
「おはよう」
「おはよう、けいちゃん」
並びながら階段を昇っていく。
「私もしーちゃんって呼んでいい?」
「いいよ」
ふふと彼女が微笑を浮かべた。何がおかしいのだろう。寝癖が付いていたのだろうか。私は髪を整えるように頭を撫でた。
「けいちゃんとしーちゃんってアルファベットみたいだね」
「確かに」
新たな発見をしつつ、教室に入るとアイヴィがもう来ていて、本を読んでいた。
「おはよう」
「おはよう。早いね、アイヴィ」
「そう?」
なんでもないように言うアイヴィ。今日は何を読んでいるのだろう。席に着くときにちらりと中を見たら古典だった。無理。古典は無理。全身がぶるっと震え、鳥肌が立った。
今日の先生の話は部活動についてだった。このクラスは進学クラスなので、勉学に励んで欲しいが、部活動はしていいということらしい。
私はウキウキしながら美術室へ行こうと、先生に質問をした。
「美術部に入りたいんですけど、美術室ってどこですか?」
「美術部? ウチにはないよ」
膝から崩れ落ちるとはこのことか。四つん這いになり、ショックをあらわにした。
「大丈夫か? 漫研ならあるぞ?」
「漫研?」
漫画研究会というものがあるらしい。漫画は幼少の頃に読んだきりで、あまり馴染みがない。しかし、絵であることは変わりない。漫画はモノクロだけで表現するから、修行にもなるだろう。
放課後になり、その部室を訪れた。
「お、来た」
「これで何人目?」
「17人目です」
先輩たちが私を見て好き勝手言っている。放置されているので、何をしたらいいか分からない。とりあえず入口で突っ立っていると、部の中心人物である人に呼ばれた。
「これに何か描いてみて」
「はあ」
目の前には白紙と鉛筆が一本。何を描けばいいのだろうか。とりあえず、いつもの通り風景画をモノクロで描いた。
「む⁉ これは!」
偉い人が呻いた。
「君、絵をずっと描いているのかい?」
「え? はい、そうですけど……」
「採用!」
先輩たちが私の後ろから、自分の描いた絵を見て、やいのやいの言っている。
「これは凄い!」
「アシスタントに欲しい!」
「本当にこれ一発描き?」
うるさい。私は帰りたくなった。しかし、先輩たちが私の四方を固めた。
「では、この漫研について説明しよう」
(いや、帰りたいが)
「副部長! もう一人来ました」
「そうか、ここまで通せ」
四方を固められたまま、左にスライドさせられた。
新入生が巻き込まれに来たのだろう。私を早く帰らせてくださいと言いそうになって、口を噤んだ。
けいちゃんだったからだ。
「では、入部希望だね?」
「文芸部がなかったので」
「絵は描けるかい?」
「人並みには」
そして、差し出される白紙と鉛筆。彼女は何を描くのだろう。
ごくりと唾を飲み込んだ。
シャッシャと鉛筆が走る音がする。心地よい音が部室を支配する。皆が食い入るようにけいちゃんの手元をじっと見ている。
「できました」
皆、固まったままだった。私も含めて。
それは人物画である。見たことのある顔をしている。私だ。入学式で寝ている私を描いたのだ。それが絶妙なタッチでデフォルメされている。……ヨダレまで。
「漫画ってあんまり写実的ではないから」
補足説明のように彼女は言った。
「採用! 採用! 採用! 君、新入生の受付は終了だ」
「了解です!」
敬礼をして部室の扉を閉める先輩部員。
私の風景画とけいちゃんの人物画を見て、ふーっと息を吐いた。
「うちは少数精鋭でやっていてね。賞なんかにも出しているんだ」
「へえ、本格的ですね」
四方固めから解放された私はけいちゃんの隣に並んだ。けいちゃんを見ると、私の風景画を見ているようであった。
「そこでだ、君たちにはここの部員になってもらいたい」
「まあ、だから、ここに来たんですけど」
「よろしい。君は?」
私に話を振られて、正直迷った。先ほど、帰りたいと思ったときに、自分で美術部を立ち上げればいいじゃんと思ったからだ。しかし、現金な私である。けいちゃんが入るのであれば、私の答えは半分決まったようなものだ。
「入ります、漫研に」
「よし、では僕はここの副部長だ。よろしく」
「部長さんはいないんですか?」
「部長は生徒会が忙しくて」
なるほど、高校の生徒会というと、学校を統べる役割をしていて忙しいイメージがある。
「ところで、私は漫画をあまり読んだことがないのですが……」
「右に同じく。今は左か」
私の言葉とボケるけいちゃんの言葉で副部長が椅子から転げ落ちた。
「な⁉ 読んだことがない?」
「いや、正確には子供の頃に読んでいましたけど、今は読んでいないだけです」
「同じじゃないか!」
私には同じだとは思えなかった。けいちゃんは興味がなさそうに遠くを見つめている。
あれ、私に興味がない感じか。
地味にショックを受ける。
「よし、君たちにはミッションを課そう」
「何でしょう?」
副部長は後ろを指さした。そこには漫画本がぎっしり詰まった本棚がある。
「一か月間、そこにある漫画を読むこと。以上だ!」
「その間、絵は描けないんですか?」
私は一気に辞めたくなった。けいちゃんが私の肩をぽんぽんと叩く。
「そこの漫画をどのように読んだらいいのでしょう」
「ひとつの作品を完結まで読む」
「分かりました」
けいちゃんは私に向かって、軽くウィンクをした。
キュン。
胸が跳ねる。
いや、何の合図だか分からない。どういうことなの、けいちゃん。
「とりあえず、今日は帰っていいぞ」
「失礼しました」
部室から出ると、私は先ほどのウィンクの意味を聞いた。
「学校で漫画が読めるなんて最高じゃない? 私たちにしかできないことだよ」
「確かに」
基本的に漫画本は持ち込み禁止である。
「けいちゃんってさ、本なら読めれば何でもいいの?」
「うーん、小説の方がいいな」
「じゃあ、漫画読むの苦じゃない?」
彼女は首を振った。
「話作りの参考にもなるし、いいかなって」
「けいちゃん、お話書いているの?」
しまったと、焦った顔をしているけいちゃん。珍しいものを見たと私はじっと見つめてしまった。
「いや、これは、内緒だから。特にアイヴィには」
「アイヴィなら見せてってせがまないと思うけどなあ」
そんなことを言っていたら、バスの時間が近づいていた。
「やば、帰り支度しないと」
「うちも」
私はスクールバスで通学しているため、スケジュールが意外と限られるのだ。バスの発着場に行くと、後ろからけいちゃんが来る。
「けいちゃんもバス?」
「うん」
「そうなんだ」
私たちはそれぞれのバスに分かれていった。
家に帰り、今日の振り返りとしてスケッチブックを出して、漫研で描いた風景画を改めてもう一度描き直した。先ほどよりパースがズレていない。
けいちゃんを描こうとは思わなかった。だって、けいちゃんは絵に描けないから。あれが完成した姿だから、私たちが絵で手を加えることはできない。写真もきっと加工しないで、彼女をそのままの姿で展覧会に出すだろう。そういう子だ。
昨日と今日で彼女について知ったことと言えば、本中毒ということだ。休み時間もずっと教科書を読み込んでいた。アイヴィも持参の本を読んでいるものだから、暇になってしまった。
読書に興味がなかった私だが、少しだけ本を読んでみようと思う。だって、これから漫画を描かなければならないのだから。話作りの基礎は知っておいた方がいいだろう。
階下に行くと、父と母共通の本棚がある。その中から一冊取ってパラと捲ると、男と女が交わっているシーンのある漫画だった。手を合わせるような勢いで漫画を閉じた。
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