第5話 三島由紀夫先生
ウチは、画面に映る太宰先生の言葉をじっと見つめた。静かで、淡々としているのに、どこか胸の奥をえぐられるような感覚があった。
希望なんて、掴んだと思った瞬間に消えてしまう――まるで、それが世の理であるかのような語り口。でも、その絶望の中でさえ、ねこが雪の降る夜を待ち続けることに、微かな救いを見出そうとしていた。ウチは、その言葉の重さを噛み締めた。
トオルさんとユヅキさんも、それぞれ思案するように視線を落とし、しばらくの間、会議の画面には沈黙が流れた。チャット欄に残る太宰先生の言葉の余韻が、まだそこに漂っているようやった。
そして、その静けさを破るように、新たな書き込みがチャット欄に現れた。
三島先生――この物語を、どんな視点で語るんやろうか。ウチは、もう一度気を引き締めて、画面に向き直った。
----
【三島由紀夫】
この物語は、実に美しい。雪という儚さ、そして恋という永遠性。この対比こそが、日本的な美の本質だ。ねこの恋は、雪だるまの消滅によって完成する。だが、果たしてそれを単なる悲劇と捉えてよいものか。否、この結末こそが、一瞬の美しさを永遠に昇華するものであり、まさに日本の伝統的な美意識に通じるものだ。
太宰先生は『喪失の不可避性』を指摘されたが、僕はそれをもう少し違った視点で捉えたい。つまり、この物語は『美の完成の瞬間』を描いているのだ。雪だるまは、その存在そのものが儚く、ねことの一夜の邂逅をもって消滅する。しかし、その消滅こそが、ねこの中に『絶対的な記憶』を残す。美とは、触れることができず、手のひらから零れ落ちる瞬間に最も輝く。まるで、炎に包まれながらもなお輝く金閣のごとく。そう、僕が『金閣寺』において描いた美の宿命と、ここには共鳴するものがある。
あるいは、この物語は『豊饒の海』の中の本多と透を思わせる。ねこは雪だるまと出会い、一夜を過ごし、その記憶がねこの心に刻まれる。しかし、雪だるまはもはや存在せず、記憶の中にのみ生き続けるのだ。ここにおいて、美は『生』ではなく『記憶』として永遠に刻まれる。そして、記憶に刻まれたものこそが、純粋な存在となり得る。
もし、この物語に手を加えるとしたら、僕ならば、ねこが雪だるまの消えた跡に触れる場面を加えるかもしれない。そこには何も残っていない。しかし、それでもねこはそこに何かを感じる。そのわずかな仕草が、この物語をさらに深く、余韻のあるものにするだろう。いや、もしかすると、それこそがこの物語の本質ではないか。存在は消え去る。だが、それを見つめる者の記憶の中で、永遠に燃え続けるのだ。
美とは、ただ愛でるだけのものではない。美は、創り、磨き上げ、極限まで研ぎ澄まされることで、初めて真の輝きを得るのだ。つよ虫さんの『雪だるまに恋をした一匹のねこ』には、まさにその美の本質が息づいている。しかし、僕はここにさらなる精緻な彫刻を施したい。雪の結晶が唯一無二の形を持つように、ねこと雪だるまの物語が、より鋭利に、より鮮やかに輝くように。これは単なる講評ではない。美の探求のための、新たな創造の場なのだ。さて、それでは改稿を始めよう。
・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。
雪だるまに恋をした一匹のねこ
ある冬の朝、凍てついた窓越しにねこは身を丸め、閉ざされた部屋の空気の中、半ば倦怠と半ば夢想に耽りながら、外の白銀の世界を眺めていた。その視線は、檻越しに自由を夢見る獣のように、どこか切なくも静かな憧れを漂わせている。
「外で遊びたい、けれどそれは叶わないのだろうか……」
ねこはかつて外での遊びの悦びを知った身である。しかし、ある夏の日、他所の庭でいたずらをし、人間たちの激しい叱責を受けたのち、その自由を奪われた。その時から、この狭い部屋はねこの世界そのものとなり、窓際は唯一の外界への接点となった。
その朝、ねこの目は舞い降りる雪片に釘付けになった。それは空から降り注ぐ無数の白い花弁のようであり、瞬く間に庭を純白の静寂で覆い尽くしていった。
「なんて美しいのだろう……雨とは異なるこの柔らかな光景は、一体何なのだろう?」
その日、ねこは窓越しに眺め続けた。午後には雪の層が一面を覆い、まるで大地が新しい白い衣を纏ったかのようであった。そして夕刻、人間の家族が庭で何かを作り始めた。それは静寂を破る新たな存在、笑みを浮かべた雪だるまであった。
「こんにちは」とねこは窓越しに囁いた。「あなたは外にいられるのですね。羨ましい……」
雪だるまは答えない。ただその笑顔には、静かな慈愛が滲み出ているようで、ねこの心は少しずつ温もりに包まれていった。その夜、ねこは彼と共に語り合う夢を見ながら眠りについた。
しかし、夜更けに窓が小さく叩かれる音がした。目を覚ましたねこが外を見ると、雪だるまがその枝の手でガラスを優しく叩いていたのだった。
「美しいねこさん、こんばんは」と雪だるまは低く優雅な声で語りかけた。「貴女の寂しげな視線に胸を痛め、どうしてもお声をかけずにはいられませんでした。」
ねこの心に火が灯る。それは雪だるまの静かな優しさと、未知の世界への誘いだった。彼女の答えを待つ間、雪だるまは月光の中、彫刻のように凛としていた。まるで一瞬ごとに永遠を刻む神々しい存在のようだった。
「貴女をこの閉ざされた世界から連れ出したいのです」と雪だるまは続けた。枝の手を高々と掲げると、その先端に淡い光が灯り、窓ガラスがまるで水面のように揺らぎ始めた。「さあ、この光の向こうへおいでください。」
ねこは一瞬ためらったが、その誘いに魅了されるように窓へと近づき、そっと手を伸ばした。その瞬間、冷たさを感じることなく、身体が光の中を滑るようにすり抜けていった。そして次の瞬間、ねこは雪原に立っていた。月光に照らされた白い世界が広がり、静寂の中に雪だるまが立っていた。
「ようこそ、雪の世界へ」と雪だるまは微笑んだ。その表情には穏やかな喜びがあり、ねこの胸は高鳴った。二人は冷たい雪の中で遊び始めた。雪を掛け合い、転げ回り、足跡で絵を描き、笑い合う。ねこは久しぶりに感じた自由に、全身でその悦びを味わった。
しかし、ふと気づくと、東の空が朱色に染まり始めていた。夜の静寂を打ち破るかのように、日の光が次第に雪を赤く染めていく。
「残念ですが、これでお別れです」と雪だるまは静かに告げた。その声には、彼自身も別れを惜しむ感情が宿っていた。
「嫌です!」とねこは叫んだ。「もっと一緒にいたいのに!」
「それは私も同じです。しかし、日の光が私を奪い、貴女が外にいる姿を人間に見られれば、また厳しい罰が待つかもしれません。」
ねこは涙を浮かべながら、再び光る窓を通り抜け、部屋に戻った。窓の光が消え、元の透明なガラスに戻ると、ねこは再び閉ざされた世界に押し戻されたように感じた。
その翌日、雲ひとつない快晴の朝、ねこは異変に気づいた。雪が次第に消え、雪だるまの身体も溶け出していた。ねこは必死に叫んだ。
「どうして、どうして溶けてしまうの! 雪だるまさん、戻ってきて!」
しかし、陽光は容赦なく雪だるまを溶かしていった。最後に残った赤いバケツの帽子が地面に転がると、ねこは静かに部屋の奥へと戻り、それきり窓際に立つことはなくなった。
「雪だるまさんがいない世界なんて、もうどうでもいい……」
その夜、ねこは深い悲しみに包まれながら眠りについた。外は再び冷え込み、厚い雲が空を覆う。そして静かな闇の中、雪が舞い降り始めた。ねこが気づくことはなかったが、その雪は、まるで彼と彼女を再び結びつけようとする運命の贈り物のように、柔らかく地上を白く染めていった。
・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。
【三島由紀夫】
僕にとって、この物語を手掛けた作業は、美の儚さと永遠性を追求する、まさに自己の美学を投影する試みでした。この物語は、雪だるまとねこの関係を通じて、『一瞬の美こそが永遠を生む』という思想を語るものでした。それは『金閣寺』の一節――『美は永遠ではない。そのためにこそ、美しいのだ』という考え方に共鳴します。
物語の書き換えで特に重視したのは、雪だるまの存在を『儚くも崇高なもの』として描くことでした。彼の言葉や行動は、ねこの閉ざされた日常を解放へと導く『救世主』のような役割を果たしながらも、運命に逆らえない存在としての哀しみを抱えています。これは、ねこの心情の変化と対比されることで、物語に深い心理的対立を与えました。
また、詩的な比喩と象徴性を通じて、日本的な美意識を表現することにも注力しました。たとえば、雪が『白い花弁』のように舞い降りる描写は、自然の中に隠された美しさを顕在化させ、物語全体に静けさと儚さの調和をもたらしています。この点で、物語は『豊饒の海』が持つ美学的構造と響き合います。
最終的に、この物語が描く愛と喪失のテーマは、普遍的な人間の感情を象徴するものであり、その一瞬一瞬が読者の胸に刻まれることを願います。愛とは、一瞬の永遠の燃焼である。この思想を、物語の結末に宿らせました。
----
ウチは、画面の文字を目で追いながら、心の奥でざわめく何かを感じていた。三島先生の言葉は、まるで鋭利な刃のようやった。冷たく、しかし美しく研ぎ澄まされた論理。それは、ウチらが当たり前やと思っていた「儚さ」や「喪失」に、新たな価値を与えていた。
「美は、創り、磨き上げ、極限まで研ぎ澄まされることで、初めて真の輝きを得るのだ。」
その一文が、ウチの心に深く突き刺さる。雪だるまが消えたことで、ねこにとっての恋は完成した――それは、まるで『金閣寺』が燃え上がることで、美としての絶対性を得たようなものやったんかもしれへん。
ウチは、そっと息をついた。太宰先生の哀切な視点と、三島先生の研ぎ澄まされた美意識。そのどちらも、この物語に新たな意味を加え、まるでまっさらな雪の上に、異なる足跡を残したように思えた。
けれど、それで終わりやない。ウチらの「魔改稿の夜」は、まだ続く。画面の向こうには、次の声がすでに待ち構えていた。
チャット欄に、新たな書き込みが現れる。
「……雪の下に埋もれた恋も、時が経てばまた芽吹くのでしょうか」
その言葉には、どこか哀愁が滲んでいた。ウチは、思わず画面を見つめる。
樋口先生――ウチらの夜に、新たな筆が加わる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。