交錯する嘘と欲望

千明 詩空

プロローグ: 静かな波紋

第1話

窓の外には、穏やかな風が木々を揺らし、夕暮れが街を柔らかく包み込んでいた。街の至る所に灯りが灯り、家々の中では日常の光景が繰り広げられている。だが、その日常の裏側には、見えない波紋が広がり始めていた。


彩香はリビングのソファに座り、夫の浩一が仕事から帰ってくるのを待っていた。いつも通りの夜、いつも通りの沈黙。家の中には、テレビの音だけが虚しく響いていた。彩香は深いため息をつき、腕時計を見つめた。もう帰る時間は過ぎているが、彼が遅れることは珍しいことではなかった。仕事が第一で、家庭はその次。そんな日々に、彼女は慣れきっていた――それが不満であることを、彼女自身すら見て見ぬふりをしていたのだ。


一方、健太もまた、自宅で妻の美奈との静かな時間を過ごしていた。健太はリビングの片隅で書類に目を通している。美奈は隣で雑誌をめくっているが、そこには会話もなければ、心の交流もない。ただ、彼らの間にあるのは長い年月の積み重ねが生んだ無言の距離感だ。家庭を大事にしようと努力してきた健太だが、その努力が本当に実を結んでいるのか、彼は時折疑問を抱いていた。


そして、直人と玲奈の家でも、同じように夜が静かに流れていた。だが、彼らの関係は他の夫婦とは違っていた。自由奔放な性格の直人は、既に玲奈との結婚生活に飽き飽きしていた。玲奈もまた、直人の浮気を疑いながらも、問いただすことなく日々をやり過ごしていた。玲奈の心の中には、何かが崩れ落ちていく音が聞こえていたが、それに耳を貸すことはしなかった。


3組の夫婦、それぞれが抱える小さな不満と疑念。それはまだ静かで、表には現れていなかった。だが、その小さな波紋は、確実に広がっていた。誰もがそれに気づかぬふりをし、日常を続けていたが、いずれその波は彼ら全員を飲み込むことになる。


愛と信頼で成り立つはずの夫婦関係は、いつしか崩れかけた塔のように、ゆっくりと傾き始めていた。そして、その塔が崩れる音が響くのは、ほんの少しのきっかけに過ぎなかった。


だが、まだ誰もその結末を知らない――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る