第四話 探索(二)
なんとなく女性のように聞こえるその声は絶え間なく『返せ』と繰り返す。僕はもうすでにその意味を理解していた。
「これだろ!? これを返してほしいってことだよな! わかった、返す。返します!」
ボディバッグから半分はみ出しているあの本を掴み、誰に見せるでもなく振りかざした。ファミレスで見たあの長い黒髪。『返せ』という女性の声。それらは全部警告だったのだ。蓮田さんの許可があったとはいえ、真の持ち主からすれば勝手に持って行ったのと同義だ。
しかし相変わらず声もポルターガイストも止まない。元々あった場所に戻せばいいのか? それともまだ他に要求があるのか。何が正解かわからない。待てよ、そもそもこのポルターガイストはこの声の主が引き起こしているのだろうか。あるいはこの家に何某かの有毒ガスが充満していて僕と橘さんは揃って幻覚・幻聴を感じているのかもしれない。
「いや、いやいや……こんなの全部納得できないって!!」
自ら用意した回答のようなものを自分でひっくり返す。冷静に思考できていない証拠だ。
「落ち着いて、いずみん。その本、絶対に手放しちゃだめだからね。死んでも離さないで。わかった?」
「はぁ? そんなこと言ったって、たぶんこれが原因だろ? 早くなんとかしないともっと酷いことになるぞ」
爛々とした瞳をこちらに向けて橘さんは続ける。
「
有無を言わさないくらい力強い口調に僕は黙った。彼女の提案を受け入れた、というよりは諦念の気持ちの方が強かったが。
「さて、それじゃあ違う部屋も見てみよう。廊下がバタバタうるさかったし、まずはそっちかな」
橘さんは手に持っていた靴を無造作に放り投げ、廊下へ通じる扉へ向かった。その間にもテーブルはガタガタと揺れ、カウンターにあったはずの小さな犬の置物は右から左に飛び交い、耳元の声はまた不気味な唸り声に変わっていた。
「はい、オープン! って、なんだあれ。あんなのあったかなぁ。ねぇ、いずみんも見てよ」
何のためらいもなく扉を開いた橘さんが不思議そうに首を傾げて僕を呼ぶ。彼女は上半身を少しひねり、僕のために場所を空けてくれる。リビングと玄関を繋ぐ短い廊下の真ん中辺り。四角いモノが置いてあるように見える。だが辺りが暗く、詳しくはわからない。僕は近くの壁を手で探った。あった。パチッという音と共に辺りが明るくなる。これだけの状況なのだからもう明かりがついていようといまいと同じことだと思ったからだ。眩しさに目がくらんだものの、すぐに『四角いモノ』の正体がわかった。
あれはモノではなく扉だ。
廊下から突き出た扉。つまりは……。
「この家、地下があったのか」
なぜ気が付かなかったのだろう。家中隅々まで掃除したし、もちろんこの廊下だって何度も通った。
……結果的に橘さんの言うことが正しかったということか。
『人は見たいものしか見えないし、見えてるのに見ない振りをするものなのだよ。意識的にも無意識的にもね』
僕の足はフラフラと動き出す。進まざるを得ないというか、何かに背を押されているような感覚。僕は抗うことができない。むしろ抗いがたいような気までしていた。橘さんは少し驚いたように目を見開いたが、僕をとどめようとはしなかった。
廊下から生える扉を通り過ぎ、すぐに振り返る。そこには真っ暗な闇へ続く階段があった。コンクリート打ちっぱなしの無味乾燥な階段。およそ温度など無さそうな闇を縫うようにして存在しているそれは自らの腹の中へ僕たちを誘っているように見えた。
沈黙。
僕たちは何も言わなかった。言葉など必要なかった。ただふたり目を合わせて、深く頷いた。
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