第30話 脱出! ミトス教を潰せ!

 わたしたちが牢に閉じ込められてからだいたい二日が経った。にも関わらずヒヅキは一向に目を覚ます気配はない。向かいの牢でこちらに背を向けながら転がる小さな身体。しかしわたしはただ指をくわえて見ていることしかできない。


「ヒヅキ! ヒヅキ!」


 せめて呼びかけるだけでも。そう思い声を掛けるが、ヒヅキはピクリとも動かない。気絶しているだけだと信じたい。けれども刻一刻、刻一刻と、わたしの胸中に渦巻く不安は大きくなっていく。それに耐えきれず再び呼びかけようとした時だった。


「ん?」


 気のせいだろうか? なんか部屋が揺れた気がしたんだけど……


「モモ、いまなんか揺れ───」

 カツン、カツン、カツン


 通路を進む足音。こちらに近づいてくる。隣の牢のモモに揺れについて確認しようとしたわたしは、その足音に口を噤んだ。同時に、周囲の牢に入った薬物中毒者たちの呻き声が大きくなる。


 だれか来た……だれ? まさかあのヴォルフとかいうやつ?


 わたしが身構えていると、足音の主が奥の暗闇から姿を現す。それは目元を覆う仮面を身に着けた赤眼赤髪の少女。わたしは自分の目を疑った。


「ひ、ヒヅキ!?」


 わたしは慌てて向かいの牢の中を確認した。そこには確かに横たわった赤髪の少女の姿がある。一瞬なにがなんだか分からなくなるが、すぐにこの光景に既視感があるような気がしてくるわたし。答え合わせをするようにヒヅキが手を振ると、牢の中の少女の身体がふわりと広がり、糸の束となってバサリと床に落ちた。


「それ、糸人形だったんだ……」

「…ん。壁に叩きつけられたあと、こっそり入れ替わった」


 ……うん、そうですか。わたしの心配を返して欲しい気分だ。それならせめて教えて欲しかったと伝えると、モモが不思議そうに首を傾げる。


「え? カエデさん、気づいてなかったの?」

「逆にモモは気付いてたの!?」


 コクリと頷くモモ。


 どうやら大男の予想外の強さに、あの場でやり合っては危険と判断したヒヅキ。やられたフリをしながら自身の身代わりを生成して戦線離脱。援軍を呼びに向かったという。そしてヒヅキが逃げる隙を作るために、モモは時間稼ぎに回ったということらしい。


 なんという瞬時の連携。わたしにはさっぱりだよ、ちくしょうっ!


「まあそれは分かったよ。それで援軍を呼んだって言ってたけど、もしかしてさっきの揺れって……」

「…ブルーとライト。二人が戦ってる」


 やっぱりか。唸るわたしの横で、わたしたちの次の行動について尋ねるモモ。


「じゃあぼくたちはどうする? この人たちや子供の救助? それともブルーさんたちの援護に行く?」

「…上で戦ってる二人の援護に行く。一昨日の男、かなりやばい。合流して五人で叩く」


 ヒヅキがここまで警戒するとは。ヴォルフとかいうあの大男、相当な手練れなのだろう。わたしはすぐにでも上へ向かおうと二人を急かす。


「じゃあ早く行かないと! 急ごう!」

「…ん。けどちょっと待って」


 ヒヅキはそう言うとポケットから無線機を取り出し、口に寄せる。


「…こちらヒヅキ。カエデとモモと合流。地下牢には他にも数十人の人が囚われてる。わたしの蜘蛛糸が道標みちしるべ。どぞ」

「こちらビャクヤ。報告ありがとう。牢にはすぐに救援を向かわせる。みんなは予定通りブルーたちの援護に向かってくれ。どうぞ」

「…こちらヒヅキ。了」


 そうして無線機をポケットにしまうと、ヒヅキはわたしたちをチラリと見る。


「…お待たせ。行こう」

「「了解!」」


 わたしたちは地下牢を出て、上階へと向かう。ヒヅキがここまでの道中、蜘蛛糸を残していたため迷うこともなくスムーズに戻れた。その途中、何十人もの一般市民たちの姿を目にし、わたしは不思議に思った。尋ねてみると、


「…協力者の人たち。子供の救出を手伝ってくれる」


 とのこと。一般人に見えて実はフェイカーの存在を知る、ナイトクランの諜報員たちだった。


 そうこうしているうちに、地上に出たわたしたち。さらに教会の上階へと向かう。すると段々と小さな破壊音が聞こえるようになり、それはだんだんと大きくなっていく。最上階に辿り着く頃には、凄まじい轟音が絶え間なく鼓膜を揺らしていた。


 破壊しつくされ、ほぼ吹き抜けとなった教会の最上階。物陰に隠れながら様子を窺うと、中央にはヴォルフの姿が見える。その大男の側面から殴りかかるブルー。拳を振り下ろすとともに腰から一本のタコ足が生え、ヴォルフの死角からその触手が襲い掛かる。


 しかし大男はニヤリと凶悪な笑みを見せると拳を避け、触手を鷲掴み。そのままぐるぐるとブルーを振り回すと、


「おらぁぁぁっ!」


 気合一声。ブルーを放り投げる。目にも留まらぬ速さで飛んだブルーは轟音と共に壁に衝突。土煙でその姿は見えなくなる。


「ブr───」

「…しっ」


 咄嗟にブルーの名前を呼ぼうとしたわたしの口をヒヅキが抑える。口を塞がれた状態のまま睨みつけるが、ヒヅキは動じない。


「…あいつはわたしたちに気が付いていない。そのアドバンテージは最大限に生かす。それが数少ない勝ち筋」


 ヒヅキの言うことに一応は納得し、コクリと頷く。ブルーはボロボロながら辛うじて立っているが、ライトはがれきの下敷きで動けない様子。あまり余裕はない。早く作戦を立てなければ。


 しかしその時、ヴォルフの顔がグリンッとわたしたちの方を向く。ニッと歯を見せながら笑う大男。


「一昨日の嬢ちゃんたちだろ? 出て来いよ。隠れたって無駄だぜ。人より遥かに優れたおれの五感の前ではな」


 顔を見合わせるわたしたち。バレていては仕方ない。ヒヅキが瞬時に指示を出す。


「…わたしとカエデがあいつを引き付ける。モモはブルーたちの治療を」

「え!? わたしも!?」

「了解!」


 一斉に物陰から飛び出していくヒヅキとモモ。


 ええい! どうにでもなれ!


 二人にならい、わたしも臨戦態勢に突入。わたしの放った色とりどりのキノコが流星の如くヴォルフに降り注ぐ。しかし大男は爆発、凍結、電撃をことごとく真正面から打ち破り、ヒヅキに突進する。


「なっ!?」


 驚愕するわたしの目の前で交錯する二つの影。身を低くし、腕を広げたヴォルフのタックルを華麗な跳躍で躱すヒヅキ。すれ違いざま、太い首に横なぎの斬撃を放つが、大男はその体格からは想像もつかない身軽さでそれを躱す。


 さらにダンプカーを彷彿とさせる突進から一転、猫のようにしなやかな身のこなしで身を翻したヴォルフはヒヅキに再度突進。空中で身動きのとれない少女に襲い掛かる。


 わたしは瞬時に回転させていたキノコを男の背に放ち、ヒヅキのサポートに回る。しかしヴォルフは背中に着弾するそれらをまったく気に留めない。突進の勢いそのまま、狂気を感じる雄叫びと共にヒヅキに襲い掛かる。その姿はまるで獲物に躍りかかる猛獣のそれ。普通の人間なら恐怖で足がすくんで動けなくなるだろう。


 しかしヒヅキは冷静だった。指から射出した蜘蛛糸を壁にくっつけ、自身の身体を引き寄せることで軌道を修正。ヴォルフの突進は再び空を切り、勢い余ってそのまま壁に激突。崩落した瓦礫の下敷きとなる。


「や、やっつけた?」

「…まだ」


 言葉少なに身構えるヒヅキ。彼女の言う通り直後、瓦礫が爆発したように四散。無傷のヴォルフが姿を現す。それを認めた瞬間、姿が掻き消えるヒヅキ。大男の目の前に瞬間移動したかのように出現し、刀を振り下ろす。


「ガキィンッ!」という金属同士がぶつかり合う音と共に火花が散った。クロスして刀を受け止めた大男の拳。その拳は赤い頑丈そうな鱗で覆われている。


 やっぱりこいつ、ただの人間じゃない!


 わたしが奥歯をグッと噛みしめる共に、高笑いを上げるヴォルフ。


「ははぁっ! 前は本気じゃなかったか! いいねぇ! 久々に楽しめそうだ!」

「……」


 ヒヅキは答えることなく、ただ刀に力を籠める。直後、


 ドンッ! ドンッ!

「ぬんっ!」


 ヴォルフの左右から、モモの放った銃弾とブルーの拳が襲いかかる。しかし頭を狙った銃弾は金属音と共に赤い鱗に阻まれ、ブルー渾身のボディーブローもまったくダメージにならない。驚くこともなく、笑い声をあげるヴォルフ。


「ははぁっ! かかって来い! 全員まとめて相手してやるよ!」


 そう叫ぶと共に腕に力を籠め、ヒヅキとブルーを吹き飛ばす。弾き飛ばされたヒヅキの背後からライトが現れ、毒々しい液体を纏った手を繰り出した。大男はニヤリと笑うと、それを分厚い胸板で受け止める。「ジュウゥゥゥ」という音と共に男のローブを溶解する猛毒。しかし布の下の赤い鱗を突破できず、ヴォルフは白い歯を見せる。


「そんなもんかぁ!」

「ぐっ!」


 腕を横なぎに、ライトが吹き飛ばされる。その間隙を狙ってわたしのキノコとモモの銃弾が雨霰あめあられのごとく降り注ぐ。しかしそれをもヴォルフは赤い鱗で防ぎ切ってしまった。間髪入れずに次弾を放つが、これもダメージを与えれない。


 そこでヌッと、ヴォルフの背後に巨大な影が差す。見上げれば、それは巨大化して下半身がタコ足になったブルーの姿。さらに男の前方にも巨大な怪物が現れる。それは尾が蛇で頭にトサカを持つ巨大な鶏の怪物となったライト。


 前方のバジリスク、後方のクラーケン。


 男がニヤリと好戦的な笑みを浮かべた次の瞬間、白い糸が空を切り、その身体を簀巻きにした。


「おぉ?」


 驚いたように声を漏らす大男。同時に尾の巨大蛇、そして太いタコ足が男に襲い掛かる。


「シャァァァ!」

 ズズゥゥン……


 蛇が噛みつき、その上から触手がヴォルフを叩きつぶす。


 や、やった!?


 しかし喜んだのも束の間。巨大タコ足を持ち上げながら立ち上がるヴォルフ。


「ヌゥゥゥゥンッ!」

「な、引っ張られる!?」


 男が腕に力を籠めると、ブルーの巨体がズズズッと引きずられる。さらにヴォルフが力を入れると、神話の怪物は軽々と宙に浮き上がった。そのままバジリスクと化したライトにブルーの巨体を叩きつけるヴォルフ。


 ズッドォォォォォン!

「ライト! ブルー!」


 凄まじい轟音と風圧。なんとか踏ん張りながら顔を上げると、そこには伸びた二体の怪物の姿。それだけに留まらず、ヴォルフはブルーのタコ足を引きちぎると、


「さっきからチクチク、チクチクと、鬱陶しいわ!」


 タコ足をモモ目掛けて投擲。「ボッ!」という空気を破裂させたような奇妙な音と共に放たれたそれは少年に直撃。


「モモッ!」


 弾き飛ばされたモモはゴロゴロと床を転がり、そのまま動かなくなってしまう。


 さらにヴォルフは手に残った蜘蛛糸を引っ張った。その先にはヒヅキの姿。踏ん張り切れずに小さな身体が宙を舞う。


「…くっ」

「遅せぇ!」


 先ほど同様に蜘蛛糸で軌道を修正しようとしたヒヅキ。しかしそれよりも早く、ヴォルフが少女に肉薄。頭突きをヒヅキの顔面に叩き込む。砕ける仮面。弾ける血しぶき。白目を剥いたヒヅキがその場に崩れ落ちる。


 わたしの悲鳴が虚空に響き渡った。


「ヒヅキィィィ!」

「人の心配をしてる暇があるか?」


 背後から声を掛けられ、咄嗟に爆裂バーストキノコマッシュルームを投擲。ヴォルフの顔面に赤キノコが着弾するが、男はそれを物ともせずに拳を振り下ろす。


 やばっ! 死───


 遥か頭上までそびえ立つ巨大な壁。そう錯覚させるほどの圧力を伴った拳を前に、わたしの脳裏に「死」の文字が過ぎる。直後、わたしの頬を拳が捉え、わたしはそのまま床に叩きつけられた。


 爆音が木霊し、床が放射状に砕ける。半分床に埋まった視界のなか、こちらに背を向けるヴォルフ。


 死を覚悟したけど、死んでない。痛みもない。わたしの方がこいつよりKPが多い。まだ戦える。だが……


 どうしようか?


 視界を覆いつくす拳。圧倒的強者。脳裏に強烈に焼き付いた死のイメージ。死なないとしても怖いものは怖い。


 うん、やっぱり立ち上がるのはやめとこう。


 そうしてわたしがやられたフリをしていると、ヴォルフの声が響いた。


「ははぁ……この状況でも顔色一つ変えねぇかぁ」


 だれかに話しかけてる?


 気になって薄目を開けると、そこにはヒヅキの首を掴んで持ち上げる男の姿。どうやら辛うじて意識はある少女。無言で、気丈にも男を睨み返している。


 そんな少女を見つめ、にやりと口元を歪めるヴォルフ。


「おまえらの作戦、奥の手、連携、すべてを打ち砕いてやった。どうだぁ? 圧倒的強者を前に、なにもできない無力感はよ? 悔しいか? 怖いか? どうなんだぁ?」

「………」


 ヒヅキはなにも答えない。ただ無表情で男を見つめ返すのみ。そんな少女の様子に舌打ちをするヴォルフ。


「ちっ。その綺麗なご尊顔がどう歪むか、見てみたかったんだがな…………しゃあねぇ。飽きたし、さっさと処分するか」

「待って!」


 わたしは咄嗟に立ち上がった。しかしすぐに後悔する。


 なぜならヴォルフが「あぁ?」と顔だけで振り返ったから。それだけでさきほどの恐怖が鮮明に蘇り、心が砕けそうになる。だがそれでも、わたしは折れない。心を落ち着かせるために大きく深呼吸をする。


 そんなわたしを見つめ、喜色満面の笑みを浮かべるヴォルフ。ヒヅキの身体を放り投げる。


「ははぁっ……おれの一撃を喰らってまだ立ち上がるか」

「あんたの攻撃? 全然大したことなかったよ。そよ風かと思ったくらい」


 とにかくヒヅキや皆から注意を逸らさせるべき。そう判断し、わたしは大男を挑発する。それが利いたのか。より一層、口角を上げるヴォルフ。


「あながちただの強がりってわけでもなさそうだ。ははぁっ、そそられるねぇ! カエデって言ったか? いいぜ。その挑発、乗ってやるよ!」


 来た!


 わたしは身構える。しかし構えたところでわたしにできることなどない。ヴォルフの姿が掻き消えたかと思った次の瞬間には、わたしは壁に叩きつけられていた。


「ははぁ! こいつはどうだぁ!」

「効かないね!」


 わたしはムクリと立ち上がる。


「いいねぇ! 壊れないサンドバッグ! ぶっ壊れたときにどんな悲鳴を上げるか、想像しただけでゾクゾクするぜ!」


 わたしは再び頭部を床にめり込ませた。しかしそれでも立ち上がる。


「まだまだぁ!」

「ははぁっ!」


 それからわたしはひたすら殴られ続けた。十発、二十発、三十発……どれだけ殴られようと、それでもわたしは立ち上がる。


 それから何百発、拳を浴びただろうか。馬乗りになったヴォルフに拳を打ち付けられながら、それでもわたしは瞳に炎を宿して立ち向かう。ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべるヴォルフ。


「なかなかしぶてぇじゃねぇか! だがそろそろ終わりに───」


 男が大きく拳を振りかぶる。その時だった。突如、わたしたちの頭上に影が差す。ヴォルフもそれに気が付いたようだ。顔を上げようとして、


「ガハッ!?」


 次の瞬間、ヴォルフの巨体が吹き飛んだ。影の主が蹴り飛ばしたのだと認識するのに然程の時間はかからない。そのままわたしを守るように立ち塞がる人影。トレードマークの白髪と黒のロングコートが風に揺れる。


「遅くなってしまってすまないね。カエデ。よく時間を稼いでくれた」


 そこには我らがナイトクランのリーダー。ビャクヤが立っていた。

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