第17話 事情聴取だよ! おやつを食べよう!
教会の庭園。日の光が降り注ぎ、仄かに温かい。日光に照らされた緑の芝が目に眩しいそんな庭の隅っこ。そこに生えた一本の巨木の下に腰を下ろし、わたしたちはモモが持ってきたパンに舌包みを打っていた。周囲には子供たち。それぞれパンを頬張り、笑顔を浮かべている。そして食べ終わった少年少女は庭を駆け回り、モモと一緒に遊び回っていた。
嬉しそうにはしゃぐ、そんな彼らを見つめるわたしの頬にも、自然と笑みが刻まれる。そうしてわたしが手元のバスケットからパンを取り出すと、シスターがビンに入ったジャムを差し出してきた。
「どうぞ。お使いください」
「ありがとうございます」
丁寧にお礼を言って受け取り、パンにジャムを塗る。そうしてパクリ。一口かぶりつくとイチゴの甘さと仄かな酸味、そして香り高いバターの風味が口いっぱいに広がった。そのあまりの美味しさに、わたしの頬は自然と緩む。
「もしかしてこのジャム、リリキュンの手作り?」
わたしと同様にパンを食べるライトがシスターに視線を向ける。その質問に「はい」と頷くリリ。
「この教会は決して裕福じゃないですから。自給自足できる部分は自分たちで頑張らないとなんです。それに子供たちの喜ぶ顔を見るのがわたしの生きがいですから」
そう言ってシスターは可愛らしく胸の前で両の拳を握る。
「リリさんはとても優しい方なんですね」
「い、いえ。そんなことはないですよ! ただ当たり前のことをしているだけですから……」
恥ずかしそうにしながら、謙遜するリリ。しかしわたしは知っている。当たり前のことを当たり前にするのが意外と難しいことを。
人に迷惑をかけないという当たり前のことを怠った結果、いまのわたしがあるわけで……
自分の過去の行いを振り借り、わたしはそれを恥じる。そして目の前の女性を見つめる。駆け寄ってきた少女の口の端についたジャムを拭いてあげている彼女のように、自分も清く正しく生きたいものだ。
そんなことを考えていると、少女が小さく咳き込む。
「コホッ、コホッ」
「あら、風邪かしら?」
シスターが心配そうに少女の顔を覗き込み、額と額をくっつける。
「うーん。ちょっと微熱があるかしら? 大丈夫? 身体しんどい?」
「うん。なんか寒気がする」
鼻をズルズルと啜りながら頷く少女。どう見ても風邪である。そんな彼女たちの様子に気が付いたモモがこちらに寄ってきた。
「シスター。どうしたの?」
「なんだかこの子が風邪っぽくてね。微熱もあるみたいなの」
「それは心配だね。ちょっと見せてくれる?」
モモの言葉に頷いて、一歩退くシスター。医者でもない、ただの少年のモモになにができるのか? 疑問に感じるわたしたちの前で不審者少年は少女の額に手を当てると「ほんとだ」と小さく呟く。
「わたし、モモお兄ちゃんたちともっと遊びたいよ」
「うん。大丈夫。ぼくに任せて」
瞳を潤ませる少女に優しく微笑むモモ。そしてその額に当てた手が一瞬、淡い桃色の光に包まれたかと思うと、少女が驚いたように目をぱちくりさせる。
「あれ? 身体が軽くなった」
「うん。これで治ったよ」
その言葉にわたしは目を丸くする。この世界には治療スキルが存在するが、あれは外傷を治せるだけで風邪を治すような力ではない。どうして急に少女は元気になったのか? シスターもわたしと同じ疑問を感じたようで、飛び跳ねる少女を見て驚いている。
「モモ君、なにをしたの?」
「ぼくの治療スキルはちょっと特殊なんだ。けど詳しいことは秘密だよ!」
「そ、そうなのなね」
そうは言いつつも、あまり納得はしてなさそうなリリ。それはわたしも同じで内心はモヤモヤしたまま。そんなわたしにライトが耳打ちしてくる。
「
ああ、なるほど。すっかり忘れていた。モモのナイトメアスキルは人を病にし、あるいは治すことができる悪魔の名を冠するものだった。風邪を治せたのはその能力か。
「ライト、ありがとう」
「どういたしまして。けど、仲間のスキルを忘れるのはどうかと思うよ?」
正論を突き付けられてぐぅの音も出ない。ただいつもふざけているライトに言われたのはちょっと癪だ。そんなことを考えていると、シスターが少女に歩み寄るのが目の端に映る。そちらに注意を向けると、リリが少女の頭を優しく撫でた。
「なにはともあれ、風邪が治ってよかったね。明日はお迎えも来ますし、風邪が悪化したらどうしようかと思いましたよ」
お迎え……もしや養子縁組のことだろうか? これは本題を切り出すチャンスである。
わたしが思い至るとともに、ライトとモモの目が鋭く光った。
「リリキュン。もしかしてその女の子に里親が見つかったのかな?」
「え、ええ。まあ……」
「その人たちはいつ来るの? あと、どこに住んでる人? 教えて、シスター!」
「え、ええと。明日の夕方に来ていただく予定で、お住まいは……」
そうして里親の住所を聞きだしたライトとモモ。互いに目で合図すると、ライトがわざとらしく
「あ、おれ用事があったんだ。そろそろお
と言って立ち去った。そんな唐突なライトの行動にポカンと口を開けて見送るリリ。まあ実際、事情を知らなければそういう反応にもなるだろう。
「リリ! いつまで遊んでるの! 新人なんだからもっと仕事なさい!」
そんな彼女を教会の扉から顔を覗かせたおばさん修道女が呼ぶ。その修道女に「はい! いま行きます!」と返すと、シスターはわたしとモモの方を振り返った。
「わたしももう行かなくちゃ。今日はありがとうね。楽しかったわ」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
「またね、シスター!」
わたしたちに手を振り、教会に駆けていくリリ。その背中を見送ったわたしたちはその後、子どもたちと少しの間だけ遊んだあと、帰路につくのだった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
翌日、夕刻。わたしたち三人は教会の前で張り込んでいた。そこそこ人通りのある石畳の通りを挟んで、教会の門をじっと見つめる。
理由は昨日シスターリリから教えてもらった、少女の引き取り手である里親の住所。そこをライトが調査した結果、空き家であることが判明したから。これはきな臭いと判断し、少女が引き取られる現場を確認しに来たのだ。場合によっては尾行して、里親の本当の住所を抑える腹づもりである。
そうして里親が少女を迎えに来るのを待っていたのだが、しかし待てど暮らせど、少女が出てくることはなかった。それどころか里親らしきが人物が教会を訪れることすらなく、もうすっかり周囲は暗くなり、目の前の通りもボチボチ人通りがまばらになってきている。
これから里親が教会を訪れる可能性は低いだろう。まさか養子縁組が中止、あるいは延期になったのか? ありえない話じゃない。昨日、少女は風邪気味だった。モモが
それならばいいのだが……しかしなにか胸騒ぎがする。
「カエディー、モモキュン。なにかおかしくないかい?」
どうやらライトも不穏な空気を察しているのか、真剣な表情で教会の門を睨んでいる。わたしとモモも、チャラ男の言葉に賛同だ。
「うん。なにか嫌な予感がする」
「心配だからぼく、ちょっと様子を見てくるよ」
「ああ。頼む」
なにが起きているのか、足早に確認しに向かうモモ。その背中を見つめながら、わたしは少年が焦っているように見え、内心で首を傾げる。
まだモモのことをそんなに知っているわけじゃないが、なんだか彼の教会の子供たちに対する執着はどこか異常なように思える。たった数ヶ月、何度か会っただけの子供たちにあそこまで親身になれるものだろうか?
「モモキュンの背中をじっと見つめて、どうしたのかな?」
「うわぁ!? びっくりした」
唐突に「にゅっ!」と目の前に現れたライトの顔に、思わず驚きの声を上げてしまう。そんなわたしを見て、ケラケラと笑う金髪野郎。わたしはこいつの顔面を殴りつけてやりたい衝動に駆られる。
「どうして彼が、子供たちをあそこまで心配するのか気になる?」
振り上げかけた拳を止め、目の前のチャラ男の顔を凝視する。
「どうして……」
「顔を見ればだいたい分かるよ」
心の内を当てられて戸惑うわたしに、ライトは微笑む。まあもとから隠す気もないので、特に誤魔化さずに認める。
「モモが子供たちを気に掛けるのはなにか理由があるの?」
「まあね~。教えて欲しい?」
おちょくるような表情で問いかけるライトに、わたしは素直に頷く。するとチャラ男は、
「よし、じゃあ教えてあげよう」
そう言ってモモの過去について語りだした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
12年以上前。まだモモが生まれる前の話。ことの発端はモモの母親だった。
彼女はとある男と付き合っていた。しかし男の方には家庭があり、彼にとってモモの母との関係はただの遊び。しかし男と関係を重ねるうちに、モモの母は本気になってしまった。そしてその男と結婚したいと思った彼女は、子どもを作れば男が自分のもとに来てくれると思うようになる。そうして生まれたのがモモだ。
しかし男はモモを自分の子とは認めなかった。そしてそれでも追い縋るモモの母を煩わしく思い、彼女のもとを去ったという。一方、男に捨てられた女は発狂し、たばこ、酒、薬に溺れ、そして自身の息子にすべての責任を押し付けた。
「おまえのせいだ!」
「おまえが生まれなければ、わたしが捨てられることはなかった!」
女は自分の判断の結果であることを棚に上げ、息子を責め立てた。当然、モモへの当たりはきつく、赤ん坊が泣けば怒鳴りつけ、風邪をひいてもろくに育児すらせず放ったらかし。男に捨てられた責任をすべてモモに押し付け、母は彼を呪い続けた。けれど自身の鬱憤のはけ口として、最低減の世話だけをしてモモを生かし続けたのだという。
そしてモモを酷い扱いし続ける母親はKPをためていき、いつしかフェイカーとなった。
五年前、ビャクヤがそのフェイカーとなった母親を討伐し、モモを保護するまでその酷い生活は続いたという。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「事情は違えどモモキュンは、自分と同じように親を失った子たちを放っておけないんだよ」
そう言ってライトは話を締めくくった。
なんて悲しい話だろう。父に見捨てられ、母には愛されず、一人孤独に苦痛に耐える。それがどれだけ苦しいか。そして自分に試練を課した世界を恨まず、他者のために生きる。それがどれだけ大変なことか。年相応の明るい振る舞いをするあの少年の内にどれだけの苦悩があったか。それらをおもんばかり、わたしは胸が苦しくなった。
痛みを知っているからこそ、他者には自身と同じ痛みを味わって欲しくない。痛みを知っているからこそ、他者に優しくなれる。きっとモモはそんな強い少年なのだと、ライトの話を聞いてわたしは感じた。
「だからモモは闘っているんだね。だれかが自分と同じ道を辿らないように、自身と同じ苦痛を感じないように……保護された後、わざわざ自分自身がフェイカーになってまで」
しんみりとした気分になって、わたしは呟いた。じんわりと目頭が熱くなる。しかしそんなわたしの言葉に、ライトは首を傾げる。
「え、モモキュンは保護された時点でナイトメアスキルを保持していたよ」
「なんでだよ」
思わずキレ口調になってわたしはライトに詰め寄った。
いや、本当になんでだよ。モモはただ母親に虐待を受けていただけ。彼はなにも悪いことはしていない。そんな彼がなぜフェイカーになる? なぜKPが貯まった?
そんなわたしの疑問に「あー、なるほど」と頷いたライトが、再び説明をしてくれる。
「
ふむ、つまり……赤ん坊は生まれた時、親や周囲の人からその生誕を祝われ、喜ばれてVPを増やす。それがモモの場合、母親に誕生を喜ばれないどころか、むしろ邪魔に思われてしまってVPが増えず、そして母に迷惑に思われ続けた。それが母に対して悪いことをしていると判定され、KPを蓄積してしまったということだろう。
「そんな理不尽な……」
「ねぇ~。めっちゃ理不尽で可哀そうだよね~」
わたしのKPといい、モモのKPといい、このカルマポイントと美徳ポイントの制度はどこかおかしい。どう考えてもまともな制度とは言えない。女神はKP制度が時代錯誤と言っていたが、それならさっさと改正して欲しいものだ。このままではいつモモのような犠牲者が出るか分かったもんじゃない。
そう憤慨していたわたしだったが、続くライトの言葉に意識を持っていかれる。
「まあでも、ナイトクランの人たちはみんな、それなりの理不尽に晒された結果、フェイカーとして生きることになってるんだけどね」
とても興味深い発言である。疑問に思っていたのだ。ナイトクランの人たちはみんないい人で、とてもナイトメアスキルを取得するほどの悪事を働くとは思えない。ならどうして彼らはフェイカーとなったのか?
その答えの一部が、ライトのセリフから垣間見えた気がした。推測するに、能天気に見える彼らにもそれぞれ深い事情がある様子。
しかしそんなわたしの考えを見透かしたように、苦笑いとともに手を振るライト。
「あ、でもヒヅヒヅやブルブルの事情は知らないよ。彼らはおれよりも先にナイトクランに所属していたからね。ただ二人にもそれなりの事情があってここにいるんだよ~……て聞いたことがあるだけなんだ」
なるほど。モモがフェイカーとなった詳しい事情を知っているのは、彼がライトよりも後にナイトクランに入ったからということか。
つまり入団順で言えば、リーダーであるビャクヤは一番最初と思われるので、
ビャクヤ→ヒヅキ、ブルー→ライト→モモ→わたし
こんな感じである。ならばライトはどんな事情でフェイカーとなったのか? わたしは気になって尋ねてみた。その答えは、
「ビャクヤさんがめっちゃ美人で、一目ぼれしたから!」
とかいうアホらしい理由だった。モモの暗い事情を聞いたあとだっただけに、ライトのしょうもない理由を耳にしてわたしは思わず脱力する。
そこで教会の敷地から出てきたモモがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。その表情は硬く
「それでモモ。なにがあったの?」
膝に手をついて息を整えていたモモは、そんなわたしの問いかけに顔を上げると、その表情に焦燥感を滲ませながら口を開いた。
「昨日の女の子、夕方に里親が迎えに来てもういないって……」
「「は?」」
わたしとライトの口から同時に、困惑の声が漏れる。
どういいうことだろう? わたしたちは片時も目を離さずに門を見張っており、里親や少女の出入りがないことは確か。なのに女の子は教会から消えてしまった。
つまり可能性があるとすれば……わたしたちの知らない隠し通路があるか、あるいは教会内部の犯行ということだ。
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