第3話 恩人との再会
これが夢だということは、すぐにわかった。
家族で囲む食卓。いつもの席。皆の笑顔。
ぐるりと見渡せば、微笑みかけてくれる母さんに
それは、とても温かくて心地よく、いつまでも浸っていたい幸福感に満ちていた。
けれど、ともに去来したのは微かな欠乏感。
これは、おれの求めているものではない――本能がそう告げていた。
おれは、頭を下げる。
「ごめん。おれはまだ、行けない」
俯き謝るおれに、皆が首を横に振る。彼らの穏やかな表情に、唇を噛み締めた。
「守れなくて、ごめ――」
謝罪を遮ったのは、妹弟たち。三人がおれの手をそれぞれ持ち、微笑んでくれている。
「っ……ありがとう……おれは、
沙登史の姿が、光のように儚く消える。
息を呑むおれの目の前で、次いで沙介、沙雪、母さんの体も同様に消えた。
皆が順に見えなくなって、最後に残った父さんと目が合う。口元が、無音の言葉を紡いだ。
「……う、あ……? ゆな? もしかして、
力強く告げると、眉尻の下がった微笑みを向けられた。すっと、腕が伸ばされる。
この身へは届かないそれだったけれど、十分に伝わった。
「うん……おれも、おれのことを大事にするよ。約束する」
表情はそのままに頷いて、やがて父さんも光になる。
一人残されて目を閉じたところで、意識がふっと覚醒した。
「ん……ここは……」
聞こえてきた声は、少し掠れていた。
開いた瞳に、真白い天井が飛び込んでくる。
そこは、消毒薬の匂いに満ちていた。
おれは余韻を惜しむように、目を閉じる。
「会えて、良かった……」
胸中を支配するのは、言い表せない
それでも、夢だとしても、再び
実感はない。だけど、おれは
皆から、前を向く勇気をもらった。悲しみに暮れている暇はない。
「凪逢……っ……」
呟きながら、倦怠感の纏わり付く上半身を起こそうとして、顔を
何とか片肘をついて、首を巡らせた。
「びょう、しつ……?」
さて、ここはどこだろうか。
腕にチューブが繋がっていて、周りには見たことのない医療器具らしき機械が置かれている。白を基調とした清潔感溢れる空間に、いくつも並べられたベッド。ここは、どこかの医療施設だろう。
であれば、おそらく――
「あら、目が覚めたのね。すぐに先生を呼んできます。横になっていてください」
通りがかった白衣の女性にそう告げられるも、返事をする間はなかった。きびきびとした動きで、すぐさま立ち去ってしまったからだ。
おれはぽかんと口を開けつつ、言われた通りに大人しくベッドへ横たわる。自身が置き去りにした温もりに再び包まれ、彼女の背を思い浮かべた。
「背中に、カラスのマーク……やっぱり、ここは――」
暮らしていた地域のそばにある医療施設といえば、一つしかない。カラスのシンボルマークを掲げた組織『フィアス・レイヴン』だ。
やがて、白衣の男性が姿を現した。大怪我の診断を下されたおれは、しばらくの間安静にしているようにと有無を言わさぬ口調で告げられた。
おれのことよりも、あいつはどうなったのか。凪逢の安否を尋ねると、生きているとだけ告げられた。それ以上は教えてもらえなかった上に、この体で会いに行くことは認められないと、取りつく島もなかった。
生きているのならば、ひとまずは大丈夫なのだろうと自身へ言い聞かせる。とはいえ、やはり一目会いに行きたいと心が
しかし、一人で立ち上がることのできないおれには、その望みを叶えることは不可能だった。這って行ったとしても、途中で見つかり連れ戻される想像しかできない。ならば、言われた通りに大人しくして、早く良くなること。それが最短ルートだろう。
もしかしたら、凪逢の方から会いに来てくれるかもしれない。あの性格だ。動けるのなら、きっとそうするに違いなかった。
目を閉じる。危ないところを助けてくれた背中が蘇った。あの人は誰だろうか。カラスのシンボルマークが見えた。あの人もここにいるのだろうか。もう一度、会いたい。会ってお礼がしたい。おれと凪逢を助けてくれたことに対する感謝を伝えたい。
もしも、彼があの時に駆けつけてくれていなかったならば、今頃おれも凪逢も生きてはいなかっただろう。たとえそれがフィアス・レイヴンの仕事だったとしても、危ないところを助けてもらった。おれにとって彼は、命の恩人だ。
翼を広げたカラスをシンボルマークに掲げる『フィアス・レイヴン』は、
百二十年前から存在しているらしい彼らは、特殊な武器を用いて禍神と戦う。
組織の名付けは不明。いつのまにか、誰かがそう呼び始めていたそうだ。
当初、非公認組織だった彼らが公に認められるようになったのは、とある人物の功績によるものだと伝えられている。
英雄、
組織のトップとともに機関を設立し、人類を滅亡の危機から救った人として、称えられている。
この世に彼を知らない人はいない。憧れない人はいない。そんな英雄だ。
機関に所属する人は、誰もが彼のようになりたい、追い越したいと背中を追いかけ、夢を見ている。
だが、禍神との戦いは壮絶だ。若くして命を落とす人が後を絶たない。武器さえ扱うことができれば、誰でも機関への受験は可能だ。おまけに何度でも挑める。所属は簡単だが、継続の難しい職業だ。
それでも受験生が途切れないのは、あらゆる方面において優遇された仕事であり、禍神を憎む者が多いためだ。フィアス・レイヴンに所属する人たちは、誰もがそれぞれ何らかの事情を抱えている人たちばかりと聞く。
あの人も、禍神を憎んでいるのだろうか。とても強かった。一瞬で、あの大きな敵を斬り倒してしまった。剣と盾を操る戦士。薄い赤色の腕章を身に付けていた。
この情報で、あの人を探し出すことはできるだろうか――ぼんやりと、そう考えていた時だった。
「目が覚めたと聞いたのだが……眠っているのか?」
はっとした。声に導かれるように、瞼を跳ね上げる。
この低く静かな声、青を帯びた黒髪、片手剣に盾――間違いない。あの時の、命の恩人だ。
「あ、あなたは……!」
「む……起こしてしまっただろうか」
「い、いえ。少し考え事をしていただけです。動くなと言われ、退屈なもので……。それよりも、隊員の方がわざわざ来てくださるなんて……。おれに、何か御用でしょうか? おれからご挨拶にと、思っていたのですが……」
首を傾げると「近くを通った」と、感情の読めない瞳で告げられた。
そのままおれの全身を確認するように、視線が滑る。
「全身打撲だそうだな。肋骨を三本と、両脚ともに骨折していると聞いた。丸三日、眠り続けていた気分はどうだ……いや、愚問だったな。忘れてくれ」
「い、いえ……あの、助けてくださり、ありがとうございました。あなたが来てくださらなければ、今頃おれたちは死んでいました。だから、本当に――」
「――いい。仕事だ。礼など不要。むしろ君の立場ならば、到着が遅いと責めてもいい」
「そんなこと……」
感謝しこそすれ、責める気持ちなんて欠片も生まれない。
この人は、わざわざこんなことを言うために病室を訪れたのだろうか。おれは一般人。その他大勢の中の一人に過ぎない、ただの子どもだというのに。
「君は人がいい。そんなことでは、この先、生き残ってはいけない」
「どういう、ことですか?」
「君が庇おうとしていた少年のことで、話がある。動けるようになったら、俺を訪ねて来い。俺は、
「小野、廉清さん……」
「覚えたな。では、俺はこれで失礼する」
終始抑揚のない声で話した小野さんは、くるりと踵を返す。その背中に、おれは慌てて声を掛けた。
「待ってください! その少年って、
焦燥感が胸中を支配する。凪逢のことで話なんて、いったいあいつに何があったのか。
「名は知らない。栗色の毛をした、君が禍神から庇っていた少年だ。一命は取り留めている」
「一命は……それは、重症ということですか?」
「詳細は医者に聞いてくれ」
「……聞きました。だけど、生きているとしか教えてもらえませんでした。おれには、安静にしているようにとだけ……」
「そうか」
「……小野さん、お願いがあります。今から、凪逢に会わせてはいただけませんか? おれを凪逢の元へ、連れて行ってください」
縋るように髪色と同色の瞳を見つめると、やや困ったような視線とぶつかった。
「君は安静にと言われたのだろう。であれば、その願いを聞くことはできない」
「でしたら、おれは一人ででも凪逢の元へ向かいます。連れ戻されても、何度でも向かいます。……怪我が悪化すれば、あなたの元を訪れるのは当分先になりますね」
「……俺を脅すつもりか?」
「いいえ。これは、お願いです」
鋭い光を宿した瞳が、剣呑におれを見つめる。対するおれも、負けじとまっすぐ見つめ返した。
しばらくの間、まるで互いを威嚇するかのように睨み合っていたが、やがて口火を切ったのは、溜息を吐いた小野さんだった。
「いいだろう。望み通り、君を彼の元へ連れて行く」
小野さんは根負けしたのではない。「勝手にしろ」と言われれば、それまでのことだった。脅しにすらなっていない。だが、小野さんはそうしなかった。彼は、おれよりも大人だった。ただそれだけのことだ。
実際の年齢や見た目はそう大きく変わるものではないようだが、小野さんは
それでもいい。それでも、凪逢に会いに行くことができるのならば、構わない。
そう考えていたおれは、その直後に素っ頓狂な声を上げることになった。
「病室だ。静かにしろ」
「いや、そうなのですが……その、下ろしてください。どうしてこうなるんですか?」
慌てふためくおれは、小野さんの背中に乗せられていた。いわゆる、おんぶをされていたのだ。それも、片腕で。
「俺の手には、見ての通り武具がある。ここへ置いていくわけにはいかない。そして、君の体への負担を最小限にと考えた結果、これが最良だと判断した。他に良案があれば、提案してくれ」
「うえっ……うう……っ」
だめだ、思いつかない。恥ずかしいけれど、仕方がないか……。
「すみません……よろしく、お願いします……」
「ああ。しっかりと掴まっていろ」
こうして、おれは小野さんに背負われながら、大部屋の病室を後にした。
揺られながら、廊下を進む。振動が時折傷に響いたが、おれは耐えた。
少しでも痛む素振りを見せてしまえば、この人の足は大部屋へ逆戻り――そんな想像は、容易にできてしまった。
だってこの人は、子どものわがままを聞いてくれるほど、人がいいから。
「えっ――ちょっ、ちょっと、何をなさっているのですか!」
「あ……」
「……」
部屋を出てすぐの角を曲がった時だった。おれたちは、呆気なく看護師に行く手を阻まれてしまった。
何をしているのかと、呆れた顔で怒られてしまったのだ。
「すみません、小野さん」
「気にするな」
それでも、すぐに自身のベッドへ戻ることを条件として、車椅子を借りることに成功した。
きっと、同行者が討伐部隊の隊員である小野さんでなければ、すぐさま連れ戻されていただろう。
様々な部署があるフィアス・レイヴン。その中でも最も力があるのは、彼が所属する部署。前線で、実際に禍神と戦う人たちだ。
そんな人の背で運ばれていたおれは、きっと彼ら、彼女らの噂の的になることだろう。今後の入院生活に憂いを感じつつ、仏頂面ながらも車椅子を押してくれる小野さんの優しさに、心がくすぐったくなる。
そうして彼に連れられて辿り着いた病室は、おれのいた一般病棟の大部屋からは遠く隔離された場所――特別病棟の集中治療室だった。
「ゆ、なた……」
ベッドの上で、見知った顔が眠っている。青白い肌は作り物のように綺麗で、まるで人形だ。
大きな機械から伸びている数本のチューブに繋がれた体が、痛々しい。上がらない瞼に、揺り起こしたくなる衝動を抑えた。
「これは……どうして……」
一見すると、眠っているだけだった。だけど、素人のおれでもわかる。凪逢は、おれなんて比べ物にならないくらい重症だった。
何故こんなことに……。凪逢は喰われていなかったはずだ。それなのに、どうしてしまったのか。答えの出ない自問に愕然と親友を見下ろしていると、隣に立つ小野さんが口を開いた。
「吹き飛ばされでもした時に、建物か何かに強くぶつかったのだろう。体内の損傷が激しく、運ばれた時には既に瀕死の状態だった。手術によって一命を取り留めたが、頭部の外傷がひどく、目を覚ます確率は低いだろうという話だ。詳細は君が回復次第、担当医師から伝えるよう提言しておこう」
「……」
呆然と、ただただ家族を見下ろす。おれはまた、見ているしかできないのか。手の届く距離にいるのに、何もできないのか……心を、無力感が襲った。
「……小野さんの話とは、このことだったのですね」
「そうでもある。だが、違う。君の――いや、君たちの今後についてだ」
「今後、ですか?」
小野さんが頷く。これからのことなど、今の頭では何も考えられない。だから、小野さんは回復してからと言ったのかと、今更ながらに納得した。
「君と彼の関係は何だ。見たところ、家族ではないようだが、友人か」
「家族です」
「……」
「凪逢は、家族です」
「……そうか。では、質問を変えよう。君たち家族は、あの場に揃っていたのか」
その問いに、おれは静かに頷く。小野さんはまた「そうか」と呟いた。
「誰か、頼れる者に心当たりは」
「頼れる人……?」
「大人だ。今後、君たちの保護者となり得る人物を言っている」
「……いえ、いません」
「では、近いうちに直面する問題だ。君に話そう。場所と時を改めるべきなら、言ってくれ」
「問題ありません。おれと凪逢に関する話でしたら、今ここで伺います」
小野さんは、目を細めておれを見た。やっぱり感情の読めない人だと思った。
ついと彼の視線が動く。逸らされたようにも見えたし、凪逢を見ただけとも捉えられた。
「君の治療費は、すべてこちらで負担する。この少年の手術代も同じくだ」
「そんなに……ありがとうございます」
「ただし、その他は別だ」
「治療費は、ということは、退院するまでの費用ということでしょうか? 退院後の通院費など」
「それもあるが……一番は、この少年の治療費のことだ」
「凪逢の、治療費……」
呟きながら、親友の姿を見る。小野さんは先程、目を覚ます確率は低いと言っていた。であれば、生命を維持するためには、このままこの装置に繋がれての入院生活が必要になるだろう。だが、そのためにはお金が必要だ。用意できなければ、この装置を外されてしまう。その瞬間、無情にも凪逢の命は終わる。おれに、そんなことを選べるはずがなかった。
これは、選択する問題ではない。
「知っているとは思うが、機関は国営でも奉仕団体でもない。多大な支援金や補助金を充てがわれているとはいえ、すべての費用を肩代わりすることは、不可能だ。だが、すぐに支払えという話ではない。申請をすれば、事情は考慮される。国から無利子で金を借りることも可能だ。だが、如何様な手段を用いようとも、支払えなければこの少年の命は終わる。それが現実だ」
頭の中に、いろいろなことが過る。大丈夫だ、悩むな。何だってできる。だっておれは、生きているから。それに、すべての費用を払えと言われているわけじゃない。何とかする。何とかしてみせる。だって、凪逢は生きているから。可能性が低くても、目を覚ます確率はゼロじゃない。だったら、悩むことなんて何もない。退院までは少し猶予がある。その間に考えよう。できることを探そう。そのためにも、きちんと体を休めて回復しなければ。
おれは、隣の小野さんへ頭を下げた。
「教えていただき、ありがとうございました。入院中に、いろいろと調べてみたいと思います」
「……そうか。何かあれば、俺を訪ねるといい。その時は、力になると約束しよう」
「ありがとうございます」
それからは、再び小野さんに車椅子を押してもらい、病室へと連れて行ってもらった。
命の恩人と別れ、大人しくベッドの上で目を閉じる。思うように動かない体と、どうしようもなく襲い来る無力感を、走る痛みが誤魔化してくれているようだった。
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