1-4 勝者に祝杯を

「神に祈れって――なんだよ、それ。畜生ッ! 諦めてたまるかッ!」


 俺は宙に浮かぶ〈エイボンの書ブック・オブ・エイボン〉のページを慌ててった。しかし、メフィストのいうとおり、記載された呪文はどれも魔法というより呪いに近いものばかり。炎や雷などを紡ぐ呪文は見当たらなかった。


「魔術師の才能は魔力の多寡たかではありません。数値では測れない、発想力や応用力で決まるのです。魔術とは現実を改変する力なのですよ」


 それが助言のつもりなのか、メフィストは他人事ひとごとのようにのたまう。

 不安と焦りが臓腑ぞうふの底に溜まり、絶望となってかもされていく。

 クソっ、クソっ、クソっ、どうすればいい!?

 プレッシャーに押しつぶされそうな俺に対して、上村には所持する〈無名祭祀書ネームレス・カルツ〉に熟知している余裕が感じられた。酷薄な笑みを浮かべ、こちらの出方をうかがっている。やはり魔術師として一日の長があるのは間違いない。

 何か手掛かりはないかと、俺は眼前に広がる拡張現実エーアールディスプレイに隈なく目を走らせた。しかし、対戦者の能力値アビリティ秘匿ひとくされて確認できず、室内に武器となり得るような物も見当たらない。

 視界の端で割れた酒瓶に目がとまったが、俺がこれを振るったところで大した役にはたつまい――と、牽制するように伸ばされた上村の左手が、瓶から飛散したであろう液体によって濡れているのに気がついた。

 そのてのひらに赤く斑点が浮かんでいる。

 視界のARディスプレイ上に〝weak〟の文字が追加表示された。

 これはもしや。

 ――試してみる、価値はあるか。

 俺は操作装置ユーアイを操って該当ページを呼び出し効果を確認すると、呪文の発動キャストを実行した。

 魔術は呪文毎に詠唱時間が決まっており、瞬間的に効果を発揮するものもあれば、儀式魔術のように長時間を必要とするものもある。メイガスフォンによって半ば自動化されているとはいえ、俺の狙いにはまだ幾ばくかの時を必要とした。


「させねえよ、クソ雑魚ザコがッ!」


 俺の動きを見て取った上村は、遠慮なく強力な魔術をぶつけてきた。

 再び俺を害する魔力が周囲で高まり、呪文に対する抵抗を試みるが、今度はあっけなく力負けしてしまう。


「ぐうッ――ぎゃあああああッ!」


 スマホを握る右腕に激痛が走り、俺は思わず絶叫した。左手で右腕を支えて、なんとか取り落とさずにすんだ。しかし――。

 うッ腕が、腕があああああァ!

 俺の右腕は肘から先が黒く乾いてしなび、痩せ細り縮んでいく。その痛みたるや、22年の生涯で初めて体験するものだった。刃物で皮膚を切るとか、骨が折れるとかいったレベルでは到底ない。

 ちくしょう、痛ッてえええええぞ、この野郎。

 よく気を失わずにいたと自分でも感心する――その理由は、儀式魔術が完成するまでの残り時間に集中していたからだ。

 激痛に耐えながら、そのカウントがゼロとなった瞬間。

 俺は魔術の成立を宣言した。


「くッ――酒杯よ、満ちよ」

「はッ!? なァに気取ってやがんだ――ふん、何も起こらないじゃないか――ん――うッ、うん!?」


 最初は何も変化がないように思われた。

 しかし数秒後、眉間に皺を寄せた上村は、どんどん顔が赤くなり、その後蒼白になって――頭から床へとひっくり返った。


「ごぶぐぶげぶッ――げほッ――お、お前、いったい僕に何を、しやがッ――」


 口から泡を吹き、黄金こがね色の液体を口の端からしたたらせながら、上村は呻くようにいった。


「〈黄金の蜂蜜酒ゴールデン・ミード〉を精製した。お前のな」

「ば、バカな――体中に、直接だとォ」

「なんだ知らなかったか? 消化器官は。胃の内壁はなんだ。お前が大好きなアルコールを、直接胃の中にブチこんでやったぜ」


 ――とはいえ、上村によって呪文を抵抗される可能性もあったから、この試みは一か八かの賭けではあったのだ。呪文をかけることには慣れていたが、同じ魔術師と対峙したことがなかった上村は、かけられることにな慣れていなかったのだろう。メフィストのいう虚空の神とやらに祈りと供物を捧げる事によって、俺は救われたのだと、そういえなくもあるまい。


「お前がアルコール・アレルギーなのは気がついていたが、まさかここまで効くとはなぁ――オイ、何とかいえよ。お前、先輩なんだろ?」


 上村は白目を剝き、ぐうッと呻ってから急に静かになった。どうやら気絶しようだ。一瞬だけ救急車を呼ぶべきか迷ったが、本気で俺を殺そうとしてきた奴に、そこまでしてやる必要はあるまいと思いなおした。


「「カミムラユウタの戦闘不能を確認。よってサギタトモヒロを対戦デュエルの勝者とします」」


 再び二人のメフィストが、ゲームの終演を厳かに宣言した。開始宣言もそうだったが、終了についても合議制なのだろうか? 詳しく聞きたいところだが、俺はあまりにも疲れていた。魔術を行使するには、かなりの精神力と体力を消耗するようである。


「トモヒロ様、初勝利おめでとうございます。その右腕は速やかに〈治癒ヒール〉の呪文で治療したほうがよろしいでしょう」


 メフィストが特に感情を交えずに、あくまでも冷静にアドバイスをよこした――ああ、そうだった。


「ぐっ。思い出したら急に痛くなってきた――本当に魔術で治るのか、これェ?」

「対象のメイガスフォンの上に本機を重ねてください。対戦者の魔道書をこちらのライブラリへ移行できます」


 俺はよろよろと歩いて上村に近づいた。そしていわれたとおり、床に転がる漆黒のスマホに、こちらの象牙色の本体を重ねた。すると、やはり「ピロリン♪」と場違いに軽薄な音が鳴り響いた。どうやら新しい魔道書、上村が保有していた〈無名祭祀書〉を入手したらしい。

 ――ああ、疲れた。

 マジで死ぬかと思った。

 何て酷いことをさせやがるんだ。

 「勝利には栄誉が敗北には死が」なんてメフィストはいっていたが、本当に死ぬ可能性があったんだ。そう思ったら急に恐ろしくなってきた。


「――ところで、トモヒロ様。対戦者がまだ生存しております。私は対象の生命活動をさせることを推奨いたします」

「生命を停止って――恐ろしいことをサラリというね、お前。そこまでする必要はないだろ、魔道書は奪ったんだから」

「――左様ですか。そのお慈悲が、禍根を残すことにならなければ良いのですが――」

「縁起でもないこというんじゃないよ、まったく」


 メフィストは不吉な予言めいたことをいう。この人工知能エー・アイ、人の心の機微までも理解しているのだろうか。確かに、そこらの生成AIなんかとは一線を画す、高い知性を有した存在ではある。今も普通に会話をしている、この正体不明の知性体に畏怖の念を抱きつつも、俺は怪我をした右腕に〈治癒〉の呪文を使った。

 黒色に変化した右腕が、暖かな白い光に包まれた。痩せ衰えた筋肉や、渇きひび割れた表皮が、見る間に元に戻っていく。


「さて〝力ある書〟は残り八冊。私、この遊戯の魅力と価値について十分にお伝えできたでしょうか」


 もう魔術を行使することの忌避感は薄れ始めていた。素面シラフでは信じられないような超常現象も、ただ目の前にある事実として、そのまま受け入れるしかあるまい。


「――ああ、俄然がぜん面白くなってきやがった」


 そして――どうやら俺の心の奥底に「遊戯ゲームならば勝ちたい」という、薄暗い炎が灯ってしまったようである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る