第四章 秋の試練
紅葉の季節を迎えた山々は、日に日に深い色合いを増していった。『花筏』では、秋の宴会シーズンを迎えて賑わいを見せていた。日菜陽の三味線も、宿の人気の一つとなっていた。
しかし、ある日、思いがけない来訪者が宿を訪れた。
「日菜陽」
玄関に立っていたのは、父・菊造だった。
「なぜここが分かったの?」
「館林耕助君から聞いた。彼は私の取引先でね」
その時、日菜陽は全てを理解した。館林の求婚、そして父の出現――全ては繋がっていたのだ。
「帰りなさい。もう十分でしょう、この放浪生活は」
父の声は、以前ほどの怒りは含んでいなかった。その分、より説得力を持って日菜陽の心に響いた。
「お父様……私には」
「分かっているよ。だからこそ、館林君を紹介したいんだ。彼なら、おまえの俳句の道を理解してくれる。横浜で、新しい人生を始められる」
その言葉に、日菜陽は激しい動揺を覚えた。確かに館林は、芸術を解する教養人だ。彼との結婚は、俳句の道を諦めることなく、家族との和解も果たせる道かもしれない。しかし彼の心は本当は椿にある。
それでは――。
その夜、椿は日菜陽の部屋を訪れた。
「先ほどの方は、お父様?」
「ええ」
日菜陽は全てを打ち明けた。父の提案、館林との縁談、そして自分の迷い。
椿は黙って聞いていたが、最後に一首の短歌を詠んだ。
「秋の夜の 月に問いたり わが心 定めし道を 迷いそめしや」
その歌に、日菜陽は胸を突かれた。椿は自分の迷いを誰よりも理解しながら、それでも本来の道を示唆してくれている。
「椿さん……私」
言葉が途切れた時、遠くで鐘の音が響いた。その音色が、二人の沈黙を優しく包み込む。
「日菜陽さんの選ぶ道が、きっと正しいはずです」
椿の声は静かだったが、強い意志が込められていた。
翌朝、日菜陽は父に自分の決意を伝えた。
「私は、この道を行きます。俳句と……この宿との縁を大切にしながら」
菊造は長い間黙っていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「そうか。決意は固いか……。ならば、これを」
差し出されたのは、母の形見の帯だった。
「母さんが、いつか渡すようにと」
その日の夕暮れ、日菜陽は一句を詠んだ。
秋の風 迷いの果ての 清明や
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます