7話

「工事現場だって、これは本当」

「本当ですか?」


 傘折はまっすぐな目で私の言葉の真偽を確かめる。


 今日はバイトがあるから一緒に帰れない。


 事前にそう伝えて即帰ろうとしたら、クラスの入り口で待ち伏せしていた彼女は、どこのバイトかをしつこく聞いてくる。


「マジマジ、駅前で道路広くする工事やってるでしょ? あそこでバイトしてる」

「女子高生がわざわざ工事現場で働きます?」


「私のお父さんは金属加工の工場を経営してたんだよ。そういう現場のが働きやすいの」


 私はあえてこいつに響くように言ってやる。お前の父親が潰した工場。

 すると傘折は少しバツが悪そうな表情でこちらを見る。


 ただ折れるつもりはないみたいで言い返してきた。


「それこの前も言ってましたよね。でもあちこち工場を探して聞きましたけど燕ちゃんいなかったです」

「探したのか……」


 呆れてため息が出る。


 私は結局のところ恋人のフリを続けている。


 大量にメッセージが送られてくるから連絡先をブロックしたら、物理的な距離を露骨に縮めてきた。


 毎日のように放課後は上級生のはずの2年の教室にやってくる。

 依然として彼女が嫌いなことには変わらない。


 しかしながら単純接触効果というのか、日々傘折と顔を合わせると今まで向けていた彼女への嫌悪感が薄れていくのを感じてしまう。


 なによりもズルズルと彼女に合わせてしまったせいか、今更「暴力のことをチクれ。もう付き合わない」と距離を置くタイミングを逃してしまっている。


 由々しき事態だ。早く私に飽きてどこかへ行け。

 そんなことを思いながら期末テストが終わった今も、好き好きと尻尾を振ってくる傘折の対処に手を焼いている。


「バイトしてる燕ちゃんのこと見たいです」


 誰のせいでバイトをしてると思ってるんだ。


 お前の父親のせいだぞ。


 お父さんの工場が潰れたにしろ少しでもお前の父親がまともに取り合っていれば、お父さんの自殺もお母さんの心の病気もなかったはずだ。


 バイトで生活費や大学へ進学するための費用を稼ぎながらお前の相手をする日々もない、一般的で平和な日常を私も過ごせたんだ。


 勉強とバイトと傘折の相手という3足の草鞋、人間では足が足りない。


 苛立ちがお腹の奥で渦巻く。

 ただそれをこいつに向けても仕方がない。


 憎しみを溜め息に混ぜて体の外に捨てられるくらいには、傘折との向き合い方にも慣れてしまった。


「だから工事現場来れば見られるっての。あーあ、彼女が工事で疲れたバイト終わりに一緒にいてくれたらなー。元気出るのになー」


 私は棒読みで、あたかも言葉だけでそんなことを言ったというのに、傘折は嬉しそうな顔をしてこちらに顔を近づけた。


「それ、本当ですか!?」


 本当じゃないよ。


 こちらにズイと顔を近づけて確認しても本当じゃない。

 後輩のくせに先輩の教室までやってきて、大きな声を出さないでほしい。


 バイト上がりでこんな積極的に距離詰めてくるやつに会ったらもっと元気じゃなくなる。


「嘘だよ。絶対来ないで」

「なんでですか? 教えて欲しいだけですよ?」


「おやおや、ラブラブですなぁ瀬波選手」

「本当にね。全然タイプ違って見えるけど意外と続いてるし」


 傘折の扱いに戸惑ってるところ、さらにそれを囃し立てるように由希と香織が話しかけてくる。


「野次馬は結構」


「というか燕、傘折ちゃんには教えてないの?」

「だって教えたらバイト先くるじゃん」


「傘折さん、行く?」


 2人が傘折を見つめると少しビビった様子で視線を泳がせ、私の後ろに隠れた。

 私の時にはグイグイと来るんだから、他の人の時にも同じようにすれば良い。


 そしてどこか私の視界に入らない場所へ消えてほしい。


「さすがに行かないんじゃない? ねぇ傘折ちゃん」

「えっと、あの……行きます」


 その答えに2人は「わお」と小さく言葉にして目を見合わせた。


「ほら、だからダメ」


「い、入来先輩や舞浜先輩は知ってるんですか?」

「ウチらはまぁ……教えてもらったからね」


「なんで私には教えてくれないんですか!?」


 傘折はこちらに噛み付くような視線でこちらを見てくる。


「だからバイト先に来るでしょ」

「行きますよ」

「頑なかよ……」


 一切譲らない芯の強さはなんなんだ。


 以前まではオロオロと距離を測ろうとしてたのに、恋人のふりを始めてからグイグイとこちらに距離を詰めてきて……!


 やっぱり、あの時の影響で人格ぶっ壊れてハイになってる気がする。


 本当のこいつはどこにいるんだ。


「あー傘折さん? あまり燕のバイト先については詮索しないほうがいいわよ」

「な、なんでですか?」

「見られたくないんだよ。知り合いに働いてるとこ」


 私は言葉を挟む。

 そうだ。見られたくない。


「そうよ。ほら普通は恥ずかしいでしょうし、仕事してる時とそれ以外で気持ちを分けたいものね」

「そーそ。ウチらはバイトしてないからどれだけ大変かは知る由もないけど、特待生で学費免除なのにバイトまでしてる燕の勤勉さを尊重してあげたいわけよ」


 そうやって白い歯を見せて笑う由希に、自分の奥底にあった緊張みたいなものがほぐれてスゥっと脊髄から力が抜ける。


 本当に持つべきものは友達だな。気持ちが楽。


「燕って神経質なストレスモンスターだからね。過去も引きずるし、お金とか時間とかもめちゃくちゃ細かいし」

「お金は仕方ないじゃん……」

「でもストレスをそのまま擬人化したら燕になると思うわ。ちょっとスレてて繊細なの」


 私は由希の言葉を否定すると、優しい視線を香織はこちらに向けながら言った。


 そもそも最近のストレスの原因は私の背後にいる。

 傘折がいなくなれば私の精神は草原に吹く風のように穏やかでいられる。


「燕はゲームが好きな繊細で不器用で普通の女の子なんだよ。こう見えてね」


 由希はそう言って私を見ると、その後ろにいる傘折にも笑いかけた。

 どんな風に見えてるかを由希から間接的に伝えられて私も少し背中が痒くなる。


「そうですか……そうですね」


 そして傘折も由希の一言に納得したようだった。


 眉根を寄せて下唇をとがらせ、少しバツが悪そうに。


「それじゃ、また明日ね。お2人さん」

「じゃあね」


 そう言い残して2人は教室を出て行った。

 私は手を振って見送る。


「まぁ、分かった? あまり来てほしくないんだよ」

「……分かりました」


 肩越しに彼女を見るとしょんぼりとしていた。

 納得と反省が混ざった表情で、先ほどのグイグイしてきた傘折はやっぱりハイになっていたのかもしれない。


 これでやっと正気に戻ったように思えるけど……。


 とはいえ彼女が正しいフィルタを通して私の言ったことをキャッチできているかは分からなかった。

 だって彼女の感情フィルタは目詰まりしてて、通したい感情以外通すつもりがないんだから。


 だから……改めて伝えることにした。


 別に根負けしたわけじゃない。


「はぁ……バイト先、本当にさっき話した工事現場だよ。今回は嘘なし」

「……なんで教えてくれるんですか?」


「気が変わった。そんな顔されたらなんか悪いことしてるみたいじゃん」

「燕ちゃん……!」


「ただ仕事中は話しかけないでね。そこらへん区別したいから」

「はい!」


 一気に顔が晴れやかになる。


 本当に何がしたいのか。


 いや、したいことは分かるけれどやっぱりどうしてここまで執着するのかが分からない。


 でもまぁいい。


「仕事終わるまで待ってますね」

「うん」


 いつまでも待てばいい。その工事現場に私はいない。


 だって働いてるのはそこから離れた場所にあるスーパーだし。


 別に傘折を放置するのは慣れてる。


 今さら罪悪感すら覚えない。

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