消えた影

 放課後、陽が傾きかけた帰り道。

 俺はいつものように、駅へ向かう商店街を歩いていた。賑やかな通りを抜けると、ふと気づく。

 影がない。俺の足元には、本来あるべきはずの影がまったく存在しなかった。


 驚いて周囲を見回す。しかし、通りを行き交う人々には影がある。信号待ちのサラリーマン、ベンチに座る老人、道端で遊ぶ子どもたち——みんな普通に影を持っている。

 ただ、俺だけ。妙な寒気が背筋を這い上がる。


「気のせい、だよな……?」


 念のため、街灯の下に立ってみる。だが、どこを探しても俺の影は見当たらなかった。家に帰ると、いつも通りの夕食が用意されていた。


「ただいま」


「おかえり。手、洗ってきなさいね」


 母はいつものように微笑んでいる。父も新聞を広げ、弟はゲームに夢中になっていた。俺は靴を脱ぎ、廊下を歩く。だが、その先の鏡を見て、息が止まった。

 映っている自分の姿。だが、そこには、俺の影だけがなかった。

 翌朝、学校に行くと、クラスメイトがいつも通りの会話を交わしていた。

 影がないことを誰かに相談しようかとも思ったが、言葉にするのが恐ろしかった。


「おはよう」


 隣の席の友人・達也が声をかける。


「ああ、おはよう」


「……ん?」


 達也がじっと俺を見つめた。


「どうした?」


「いや……なんか、お前、ちょっと薄くね?」


 背筋が凍る。


「薄い?」


「うん、なんつーか……影がないっていうか、お前自体が、ちょっと透けてる気がする」


 まさか——。

 慌てて手を見つめる。確かに、うっすらと向こう側が透けている気がする。


「おい、大丈夫か?」


「ああ、大丈夫……たぶん」


 必死で笑い、誤魔化す。

 けれど、心の中には嫌な予感が広がっていく。

 その日を境に、俺は少しずつ薄れていった。


 最初は影だけだったのに、日に日に身体が透け始め、誰も俺の存在に気づかなくなっていく。

 家に帰っても、母は俺に声をかけなくなった。

 学校でも、誰も俺に話しかけなくなった。

 自分が消えていく。その恐怖が、耐えがたいほどに膨れ上がる。

 どうすればいいのか——。


 ある夜、俺は決意した。

 自分の存在を、誰かに思い出させなければならない。

 ノートに名前を書き、部屋の机に置く。

 家族に宛てたメモを残し、壁に写真を貼る。

 俺は、ここにいたのだと——。


 翌朝。

 目を覚ますと、温かい陽射しが降り注いでいた。

 ゆっくりと起き上がり、廊下へ出る。


「おはよう」


「おはよう、早く朝ごはん食べなさいよ」


 母の何気ない声。

 涙がこぼれそうになった。

 俺はそこにいた。

 廊下に映る自分の影を、そっと見つめる。

 ——確かにそこにあった。

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