第4話:妻の提案

 ソルティナが陣営に滞在して数日が経過した。彼女は持ち前の優雅さと知性を生かし、兵士たちからも一目置かれる存在になっていた。一方で、ウェレもまた、兵士たちの信頼を失うことなく過ごしていた。彼女は兵士たちと飲み交わし、訓練の相手をしながらも、ソルティナと距離を取りつつ絶妙なタイミングで彼女の動向を観察していた。

 一方、クラトスはというと、二人の女性の間に挟まれ、精神的な疲労が溜まっていた。彼にとってソルティナは愛する妻であり、絶対的な信頼を寄せる存在だった。かたやゴジョウの女ウェレは、彼の規律と常識を揺さぶる不可解な存在だった。どちらも気が抜けない相手であることに変わりはなかった。


 ある日の夕刻、陣営の小さな庭に、ソルティナがクラトスを誘った。

 

「あなた、少しお話ししましょう」

「なんだ、ソルティナ。こんなところで改まって」

「あなたが最近、とても疲れているように見えるから」


 ソルティナの穏やかな声に、クラトスは少しだけ肩の力を抜いた。彼女は夫を労わるように微笑みながら、手に持っていた茶を彼に差し出した。クラトスは礼を言い、一口飲む。だが、その柔らかな雰囲気は次の一言で一変した。


「ゴジョウの女は、どうするつもり?」

「ごふっ」

 

 その問いに、クラトスはむせ返りそうになった。

 

「なっ……なんの話だ?」

「私がここに来た理由、わかっているでしょう?」

「……」


 クラトスは言葉を失った。彼の心中を察してか、ソルティナは続けた。

 

「彼女の目的は明白よ。あなたの子種を欲している。ゴジョウの一族の話は聞いたかしら? 子供を産んで、一族でまとめて育てるそうよ」

「そうなのか」

「一族に男は一切いないそうよ」

「……は?!」

「だから、彼女の目的は、正真正銘、あなたの子種だけを欲している」


 ソルティナの冷静な言葉に、クラトスは言い返す隙を見つけられなかった。彼女はさらに、続けた。

 

「私は、彼女の提案に賛成よ」

「……なんだと?」

「落ち着いて聞いて。私は身体が弱いわ。医師からも、もう子供を望むのは難しいと言われている。それに、あなたがどれほど優れた人物であるかを知っている。だからこそ、あなたの血を未来に残したい。あなたの血を引く娘が闊歩する夢を、私は捨てきれないの」


 ソルティナの言葉には、様々な感情が混じり合った複雑な思いが込められていた。それを聞いたクラトスは衝撃を受けつつも、彼女の真剣さに気圧されていた。

 切り詰めた空気を解すように、ソルティナは綻ぶように笑った。

 

「フフっ、我儘ね、私。息子がいるっていうのに……」

「我儘なものか……だが、それではお前が……」

「いいえ、私は不幸ではないわ。むしろ、彼女のような優秀な存在とあなたの子供が生まれることは、価値があることだと思う」


 ソルティナはそう言いながら、静かに微笑んだ。その笑みには、一種の覚悟が宿っていた。


「……少し、考えさせてくれ」

「わかったわ」



 別の日の夜、ソルティナはウェレとの面会の時間を設けた。クラトスが不在の中、二人の女性は火を囲みながら対峙していた。


「お前、随分と大胆だな」

 

 ウェレが先に口を開いた。彼女の声には皮肉めいた響きがあった。だが、それに対してソルティナは動じることなく、淡々と言葉を返す。

 

「私は、私のために最善の選択をしたいだけよ」

「なるほど?」


 ウェレは、しばし黙考するような仕草を見せた後、ソルティナの目をじっと見つめた。ソルティナもまた、冷静に見返した。ソルティナは冷ややかに話を切り出した。


「提案があるの」

「提案だと?」

「そう、提案よ。あなたが二人の子供を産んで、そのうち一人を私に譲りなさい。それなら許可するわ」


 その言葉を聞いた瞬間、ウェレの表情が凍りつき、そしてすぐに激高した。

 ソルティナは、提案と言ったものの、明らかに一方的な交渉条件の提示であった。

 ウェレは噛み付いた。

 

「ふざけるな! ゴジョウの血は門外不出だ」

「ふざけたことを言い始めたのは貴女が先よ。それこそ、夫の子種こそ門外不出。それを、妻である、この私が、わざわざ、差し上げてもいい、と言っているのよ! こちらにもメリットが無ければ話に応じる気などあるわけないでしょう」


 妻であるソルティナのもっともな言い分に、ウェレはギリギリと歯を食いしばって睨みつけるしかなかった。

 ソルティナは更なる追撃をかけた。


「それとも、戦で倒すこともできず、言葉で説得もできない、身体で籠絡することもできず、外堀も埋めることもできない、未練がましくうろうろしている貴女に、妻の私が慈悲心をだして情けをかけたとでも仰るのかしら」

「言わせておけば……っ」

「あら、か弱い私に腕に任せて倒す? そうしたら、私を愛する夫の子種は永久に得られないわね、貴女が次に夫と対峙するのは決闘場でしょうよ」

「…………くっ」


 ソルティナは、冷徹にウェレを見据えた。ウェレは言い返せなかった。現状をかえりみれば、あまりにその通りだった。


「わたくし、将軍の妻よ。見くびらないで、くださいな」

「…………くそっ」


 ウェレは唇を噛み締め、地面を睨みつけた。ソルティナは、反撃のない様子にため息をつき、そして続けた。

 

「私はすべてを欲しいと言っているわけではないのよ。ただ一人、私が育てるというだけの話。貴女は子を授かる。私も子を授かる。悪くない話だと思うの」


 ソルティナは、落ちていた枯れ木を火の中にくべる。

 

「貴女だって全てが思い通りにはいかないなんて、知ってるでしょう?」

「お前は、実の子じゃないのに育ててもいいのか」

「クラトスの子よ。それにおかしいわね、自分の子じゃない子を育てるなんて、貴女たちの一族ならそれが普通じゃない」


 ソルティナの言葉にウェレは虚をつかれた。

 

「……確かに」

「でしょう。そして、娘は私と夫の子として家系図に連なる者として育てあげます」


 ソルティナは、ウェレの授けた子を実子として扱うとまで言い切った。ソルティナの夜の静寂に佇む深い藍色の目には、覚悟が映っていた。


「アンタ、本気か」

「最初から最後まで本気よ」

 

 ソルティナの冷静な声は、ウェレの心を揺さぶった。彼女は再び黙り込み、焚き火の炎を見つめながら考え込んだ。


 突然、ソルティナの体はグラリと崩れ落ちた。


「お、おい!どうした?!」

「……ごめんなさい、ごほっごほっ」

「アンタ、身体が丈夫じゃないってのに……こんな辺鄙なとこまで来ることないだろう?」

「夫に言いよる獅子がいると聞いて……いても立ってもいられなかったの」

「私が理由か……」

「そうよ、貴女よ」

「アンタを愛する夫は貞淑で、私が言いよっても靡かなかった。心配する余地はないんじゃないのか?」

「言ったでしょう、堅物の夫に言いよる貴女に興味があったのよ」


 ウェレは困惑し、ソルティナを見た。戸惑う様子に、ソルティナは微笑んだ。

 

「私、夫と貴女の子どもを見てみたいと、本気で思ってるのよ。身体が丈夫で、能力も十分あって、女でも戦場でもどこでも羽ばたける……そんな女性に育ててみせるわ……」

「アンタ……ソルティナ……」


 二人を照らす焚火は、静かに燃え続けていた。

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