天使の羽ばたく10の命令

内田ヨシキ

第1話 羽のない天使

 我が家が他家とのしがらみで買わされたのは、ひとりのみすぼらしい少女でした。


「これが堕天使……? なんてひどい……」


 もともとは美しい金色であったであろう髪は汚れてくすんでいました。透き通るような白い肌も汚れ、アザやキズばかり。一番ひどいのは背中です。ひどく痛々しい大きな傷痕が一対。羽をむしり取られたというのは本当なのでしょう。


 下界へ滅多に現れることのない天使。その天使の羽は、素晴らしい力を人にもたらすとかで、天使を捕らえて羽をむしるという非道なおこないが横行しているそうです。


 羽をなくした天使は堕天使となり、力を失い、天へ帰ることもできず、ただの人間と同等の存在として下界で暮らすことになるのです。


 いいえ、同等ではありませんね。


 大抵の堕天使は、羽をむしるような輩のもとで奴隷にされると聞きます。見目麗しいその姿は、観賞用……あるいは愛玩用としてひどい扱いを受けるとか……。


 目の前の少女も、そうやってひどい目に遭ってきたのでしょう。わたくしを見上げる瞳に光はなく、怯えて小刻みに震えています。


「あ、新しいご主人様ですか……? わ、わたし、コレットと言います……。ど、どんな命令でもききますから、い、痛いのだけはしないでください……」


「心配しないで、コレット。あなたを傷つけるつもりはないわ」


「お願いです……お願いします……! 命令してください。どんな仕事でもやりますから……働かせていてください……! お願いします……!」


 コレットの必死さに、わたくしは今までの彼女の生活が想像できてしまいました。


 きっと普段から苦痛を与えられてきたのです。命令されてなにか仕事をしているときだけ、苦痛から解放されていたのでしょう。それがどんなにつらい労働であったとしても。


 今は、その命令によって落ち着けてあげたほうが良さそうです。


「……わかりました。では……10個。これから、あなたに10の命令を下します。何日か、いえ、何年かかるか分かりませんが、あなたには長い時間をかけて10の命令をこなしていただきます。よろしいですわね?」


「はい……。よろこんで……」


「では、1つ目の命令です。お風呂に入り、体を綺麗になさい。毎日ですよ」


「は……はい……?」


 戸惑うコレットを余所に、わたくしはメイドたちに申し付けて浴場で徹底的に彼女を綺麗にさせました。


 すると最初のみすぼらしい印象はどこへやら。女のわたくしでも見惚れてしまうほどの美少女となっていました。


 当のコレットは、着せられた服に困惑しているようでしたが。


「ご主人様、わたしなんかに、どうしてこんな服を……」


「2つ目の命令です。常に身だしなみを整えなさい。必要なものはこちらで揃えます。これも毎日ですよ」


「はい……」


「続いて3つ目。食事にしましょう。この屋敷にいる限り、毎日3回以上の食事を取り、健康的な肉体を維持しなさい」


「え……あの、え……。わたし、働くんじゃ……」


「命令に従えませんか?」


「い、いいえ。従います……」


 遠慮がちなコレットに対し、わたくしは命令を盾にしてしっかりと食事を取らせました。


 コレットはお腹がいっぱいになったためか、どこか眠たそうです。


「4つ目の命令です。あなたの部屋を用意させたわ。毎日充分な睡眠を取り、心と身体を休めなさい」


 このように、わたくしは命令という形で、コレットに普通の生活を与えていきました。


「5つ目、教養を身に着けなさい。もうすぐ家庭教師が来るわ」


「6つ目、娯楽を楽しみなさい。ルールは教えるわ。わたくしのチェスの相手になってちょうだい」


 コレットは戸惑うばかりでした。それどころか、これらの先になにか恐ろしいことが待っているのかと想像してしまったらしく、不安そうな顔を浮かべてしまいます。


 これには時間をかけるしかありません。


 やがてコレットは今の生活にも慣れ始め、たまに笑顔を見せるようになってくれました。


 けれど、ある夜のこと。コレットの部屋から泣き声が聞こえました。


 部屋に入って尋ねてみれば、悪夢を見たそうです。以前の主人たちにひどい目に遭わされていた頃の夢。


 わたくしはコレットを抱きしめてあげました。


「7つ目の命令よ、コレット。もしまた悪夢を見たら、すぐにわたくしを呼びなさい。こうしてあなたを抱きしめてあげる」


「ご主人様……」


「コレット。わたくしは、決してあなたを傷つけないわ。ここにいる限り、安心していいの。信じて」


「……それは、命令ですか」


「いいえ。これはお願いよ」


 実を言えば、奴隷商からコレットを買ったとき、奴隷になんでも命令を聞かせることのできる力を持った指輪を渡されています。これを使えば、過去の記憶を忘れさせることさえできるでしょう。コレットは安らかに眠れるでしょう。


 でも、それは間違いだと思うのです。彼女のためとはいえ、その心を無理矢理に変えてしまうことは冒涜以外のなにものでもないでしょう。


「……ご主人様は、どうしてわたしなんかにここまでしてくれるんですか?」


「ただの自己満足よ」


 わたくしの答えに、コレットは不思議そうに首を傾げます。


「わたくしが小さい頃……天使様に命を助けられたことがあるの。恩を返したくても、その方は天へ帰ったきり……。代わりに、あなたに優しくしているだけ。わたくしを助けてくれた天使様ではないのにね。だから、ただの自己満足」


「……その自己満足が……わたしには、嬉しい、です」


 コレットは甘えるように――初めて甘えるように、わたくしの胸の中で縮こまりました。


 この夜を経て、コレットは今までよりずっと屋敷に馴染んでくれました。


 誰に対しても安心して過ごせるようになり、教育のかいもあって、立派な淑女へ成長していったのです。




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次回、お屋敷での生活にも慣れ、幸せな日々を送るコレット。しかし不穏な影は近づいていたのです。主人がいよいよ告げた10個目の命令とは――?

『第2話 最後の命令』

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