第5章 理想の継承者——Aemchir theory①




 時は十分程前に遡る。






 はじめに、何か温かいものに引っ張り上げられるような感覚があった。

 徐々に、大悟の視界に光が差し込んでくる。

 再起動した聴覚が、人の声らしきものを感知する。


「――起きたッ!!!! 二人が起きたぞっ‼︎」

『良かったっ、ようやく目を覚ました‼︎』


 目を覚ました黒鋼大悟の視界にまず映ったのは、泣きはらしたフォルトゥナと八織の姿だった。

 彼女の声に呼応するように、どたどたと慌ただしい足音が大悟の周囲で生じる。

 

 自分は今どうなっているんだろうか。

 徐々に鮮明になってゆく思考を働かせて、ひとつひとつ、今に至る経緯を組み上げてゆく。

 まず、飛馬に『RECORDER』本部を滅茶苦茶にされて戦う羽目になった。そこに永羽が母の仇だと言って叶恵を襲いはじめ、大悟は我慢できなくなって二人の間に飛び込み、叶恵の代わりにぶった斬られて絶命した。

 ――あれ、じゃあなんで自分は生きているんだ?

 

 身体を起こして胸に手を押し当てるが、そこにあるはずの傷は無い。

 あれが夢である筈がない。血と共に意識が流れ出てゆく感覚も、今もなお感じている痛みも、どちらも現実の筈だ。

 困惑する大悟だが、そこで傍らに存在していたあるものに気付く。

 

「ぴい」

「ピクシー…………お前が治したのか?」

「ぴっぴ」

 

 大悟の周囲には、何匹ものピクシーが浮遊していた。

 どうやら彼女達が治してくれたおかげで、ギリギリで生還できたらしい。

 思えばムルクス討伐の時も彼女達に治療してもらっていた。流石に二度も助けられたとなっては頭も上がらなくなる。

 ありがとな、と大悟が声をかけると、ピクシー達は嬉しそうな鳴き声を上げながらどこかへと飛んでいってしまった。


 半壊したホール内には、何人もの『RECORDER』職員の姿があった。てっきり全滅していたと思っていたのだが、どうやら生き残りがいたらしい。

 その光景に安堵する大悟に、フォルトゥナが話しかける。


「…………無事でよかったぞ、黒鋼大悟」

「フォルトゥナ……」

「ここにいる職員達は皆『共存派』の連中だ。なんとか施設の破壊を生き延びて、ここまで来たのだ。話は叶恵から聞いておる。まさか飛馬の奴がこんな真似をするとは……」

「っ、叶恵は無事なのかっ⁉︎」

「うむ。ピクシー達の治療で一命をとりとめておる。だがこれはあくまで応急処置にすぎん、戦うなんて到底無理…………ってなんじゃいきなり立ち上がって⁉︎ ちょっと待たんか――」

 

 フォルトゥナの静止を振り切り、大悟は立ち上がる。

 ぐるりと辺りを見渡し、叶恵を探す。

 

 無塚叶恵は、ホールの壁に背を預けるようにして座り込んでいた。

 身体のあちこちに包帯を巻いており、右目はガーゼで覆われている。見た目だけなら点滴や輸血が必要なレベルの重傷なのだが、叶恵は特段辛そうな様子は見せておらず、「ちょっと疲れたな」という感じにぼんやりとしている。


 大悟は傷だらけの身体を引きずるようにして、叶恵の方へと歩く。

 血を流しすぎたせいか、一歩歩くだけで足がガクガクと震える。骨が嫌な軋み方をしているような気がする。

 それでも大悟には、どうしても叶恵に伝えなきゃいけないことがあった。


「どうしたの」

「…………思い出したよ」


 叶恵の前に行き、大悟はそう言った。


「あの日…………去年の十二月二十四日、そこで俺達は出会ったんだな」

 

 叶恵は無言でうなずく。


「――そう。あの時貴方は、飛馬の“虚降現想ヴォイドモーフ”強奪計画に巻き込まれて重傷を負った。そこで貴方は“虚降現想ヴォイドモーフ”と融合し――私と出会った。その時の記憶は『RECORDER』によって消されていたから、貴方は忘れていた」

「そうだよ…………そうだよッ、そうだよそうだよッ‼︎‼︎‼︎ なんで忘れてたんだ……? あんなことがあったのに……こんなにも大事なことを……‼︎」


 言葉にすればするほど、次々と忘れていた筈の記憶が浮かび上がってくる。

 消し飛んだ街、虚降現想ヴォイドモーフ”、血の中で膝をつく叶恵、そして――手を取ったこと。大悟の中でバラバラに切り離された過去がひとつになる。


 ――過去に一人だけ、私の差し伸べた手を取ってくれた人がいる。


 叶恵はそう言っていた。

 聞いた時は、彼女の手を取ってくれたその人のようでありたいと願った大悟だったが、記憶を取り戻した今では、また違う思いが溢れてくる。


「そっか…………俺、だったんだ」


 叶恵が言っていたのは、大悟のことだったのだ。

 この少女の心を支えていたのは自分だった。

 あの時繋いだ手が、今も叶恵を立ち上がらせている。自分が誰かにとっての光になれていたこと、それが何より嬉しかった。


 その感覚を噛み締めた大悟は、倒れ込むかのように叶恵を抱きしめた。

 叶恵は僅かに驚いたような顔をしながら、


「何……?」

「……叶恵は全部覚えていたのか?」

「うん」

「ごめんな、今までずっと忘れてて」

「別にいいよ、あれは忘れたほうがいい記憶だったから」

「忘れていい過去なんかないよ。どれだけ辛い過去だって、今を作るピースなんだから」


 自然と、大悟は涙を溢していた。

 こんなことをしている場合じゃないが、今はただ思い出せた喜びを噛み締めていたい。






『…………水を差すようで悪いんだけど』


 しばらくして。

 無言で周囲を揺蕩っていた八織が、若干申し訳なさそうな声で大悟と叶恵の間に割って入ってきた。


『これからどうするの? 飛馬の奴、モルグボックスを開けに行くんでしょ。止める? それとも逃げる?」


 そう。

 事態は何も解決していない。

 飛馬によって『RECORDER』本部は壊滅し、彼はモルグボックスを解放すべく最下層へと向かってしまった。

 あとどれくらい猶予があるのかはわからないが、モルグボックスが解放されれば、封印されていた全てのフェノメノンが自由となる。世界がどうなるかは全くの未知数だ。


 そして、大悟達の負傷もかなりのものだ。

 ピクシー達に治療してもらってはいるが、それはあくまで応急処置。フェノメノンである叶恵ならまだしも、大悟に関しては、本来ならばすぐにでも病院にぶち込まれてなければおかしい状態なのだ。


 そんな大怪我人である大悟に、フォルトゥナは頭を下げる。

 無理を承知で、少年達に託す。

 

「大悟、そして叶恵。お主らに頼みがある」

 

 彼女が何を頼みたいのかはわかってる。

 大悟は無言で頷いた。

 

「――飛馬を止めて欲しい。飛馬は人間を滅ぼすと言っておったが、きっとまだ迷っておる。『共存派』の皆がこうして生きておるのが証拠だ」


 フォルトゥナは目に涙を浮かべながら、大悟の手を取って頼み込む。

 

 彼女の言う通り、飛馬は『共存派』の職員達を生かしている。本気でフェノメノンだけの世界を作ろうとするならば、生かす必要がないはずなのに。

 おそらく、まだ迷っているのだ。

 本人は人間とフェノメノンの共存という理想を完全に捨てたつもりなのだろうが、心のどこかでは諦めきれていないのかもしれない。


 そこに、そばにいた『共存派』の職員のひとりが、ぽつぽつと語り始める。

 

「叶恵ちゃんから聞いたよ、“虚降現想ヴォイドモーフ”強奪も飛馬さんの仕業だったって。あの人がそんなことをするなんてにわかに信じ難いけど……今なら信じられる、かもしれない」

「なんだかよくわからないけど、飛馬さんも相当苦労してたのね……私達では力になってあげられなかった、それが悔しいの」


 『共存派』の職員達は、飛馬の裏切りについて各々嘆いている。


 飛馬が表向きに挙げていた、人間とフェノメノンの共存という理想に心から賛同していたのだろう。これだけの惨状を引き起こしておきながらも心配の声が上がっているあたり、飛馬は皆に慕われていたのだ。


「………………実のところ、我は飛馬がフェノメノンであると知っていた。知っていて黙っていた。彼奴は、自身の夢のためにあらゆるものを騙して利用しながら苦しんでいた。頼む、彼奴を止めてやってほしい。現実に押しつぶされてしまった一人の理想家を――あの大馬鹿者を、ぶん殴ってやってくれないか」

「…………………………」

 

 大悟は、フォルトゥナ達の懇願を静かに聞いていた。

 

 脳内で飛馬の言葉が反芻される。


 ――僕は彼らと協力し、いずれはすべてのフェノメノンと人間の完全な共存を実現したいと願っている。


 ――身勝手な理由で消し去った挙句、今度は武器として使い倒す。お前達はどこまで僕達フェノメノンの尊厳を踏みにじれば気が済む⁉︎


 理想を掲げながらも、理不尽な現実に押しつぶされた末に、自らも人間に対して同じ事をしようとしている。

 かつての友である八織や、共存の理想を共に追ってきた同志の声すら、今の彼には届かないならば。

 少年の決意は固まった。


「…………叶恵」

「何?」

「俺は飛馬を追うよ。お前はどうしたい?」


 大悟は叶恵にそう訊ねた。

 

「…………追うよ。理由はどうあれ奴は人を殺した。なら倒さなきゃいけない」

「違う。それは叶恵の意見じゃない。お前自身はどうしたいんだ?」


 叶恵の答えに、大悟は首を横に振る。

 大悟は、父親との約束からくる正義感ではなく、叶恵自身の意思を問うているのだ。

 これまで、叶恵はほとんど自分から何かを主張することがなかった。思うに、フェノメノンでありながら人間の中にいることに対して、一種の引け目のようなものを感じていたのだろう。侮蔑や偏見を直にくらいながらも何もしなかったのも、きっと同じ理由だ。


 でも、大悟はそれを見たくはなかった。

 自分もここにいていい。

 これは、叶恵にそう思わせるための試練だ。


 長い、長い沈黙があった。

 フォルトゥナや『共存派』の職員達も、そろって口を閉ざしていた。


 そして、


「……………………いたいよ」


 沈黙を破るように、叶恵の口から言葉が漏れ出た。

 そこから先は、まるでダムが決壊するかのようだった。


「どれだけ嫌われて恨まれようとも…………私はまだ、大悟と一緒にいたいよ…………」


 それが少女の本音だった。

 かつて目にした微かな光だけを頼りに孤独に生きてきた彼女が、初めて認識した欲望だった。


 大悟だってそれは同じだ。

 共に過ごした時間はまだ多くないけれども。

 一緒に笑ったし、共に戦ったし、助け助けられたりもした。その積み重ねが、叶恵を失うことを拒ませる。まだ一緒にいたいと願わせる。

 

 だが、世界がそれを認めない。

 

 幻想フェノメノンを無かったことにしようとする現実と、飛馬の作ろうとしている幻想フェノメノンだけの世界。

 そのどちらにおいても、大悟と叶恵が共にいられることが許されないとするならば、必然と二人の目指すべき理想は定まる。

 ――そして、それは既に提示されている。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る